第9話

 中庭に出ると馬が音楽にあわせるようにいなないた。門から漏れる光が祭りの賑やかさを伝える。ピスカは外套の裾を揺らしながら進んだ。と門の外にある気配に気づいた。その影が祭りで灯されている炎で揺れた。ピスカは足を止める。

 視線を地面に落としていると、視界にユイルが入った。ピスカの前に立つ。

 地面を擦る音。そして見覚えのある顔がピスカの前に現れた。

「よう」

 陽気に片手を上げて挨拶したのは、昨日ピスカが落とした木材を拾った青年だった。変わらず上下灰色の衣服を身に纏っている。青年は布で書き上げている髪を弄りながら言った。

「さっきの見てたけど、すごかったな。広場であんな暴れる奴は初めて見たぜ」

 ピスカはこたえることなく青年の脇を通り過ぎた。

「おいおい無視か?」

 青年はピスカとユイルに付いてきながらそう訊ねた。構わずピスカは歩き続ける。広場の明かりが目に入る。広場の中央に堂々と造られたやしろ。複雑に木材が組み合わさり、所々に大麦が結われている。梁と思われる太い材が掛けられ、男たちがそこに立って踊っていた。

 やしろを取り囲むように灯火。さらにその周りに円をつくるように人々は荒々しくみだらな叫び声をあげながら、みだらな腰つきで踊っていた。

「いいもんだろ?」ピスカの隣で青年が言った。「豊穣の神様にああして収穫した大麦を捧げるんだ。来年もよい作物に恵まれるようにってな」

 ピスカは眉をひそめた。

「わたしの村とは違うわ」

「ああ、確かそっちのはもっと厳粛なんだよな?」

 青年は視線を巡らせながらそう言った。

「知ってるの?」ピスカが訊ねる。

「ああ、前に同じ格好をした祭司から聞いたんだよ。何かパン種だとかなんだとか、だろ?」

 ピスカは首の動きで肯定を伝えた。

「もしかして、戸口に大祭司様と同じ飾り付けをしてる……?」

 青年は小さく唸って首を傾けた。

「そいつがどんなもんか分からねーけど、あっちの方に住んでる奴さ」

 青年が指差した方向は、ピスカが玩具の製造者を探している時に見つけた、大祭司の飾りつけと酷似したものを掛けていた家があった向きだった。

「なんか何年か前からここに住み始めたらしいぞ」

 そう、と相槌をしてピスカは唇に手をあて俯いた。もしかしたら以前エリツヘレムに住んでいたのだろうか。だとするならわたしも会ったことがある人だろうか。

「なに難しい顔してんだ?」

「あなたには関係ないわ。それよりさっきからなんでわたしに話しかけてくるの?」

 怪訝そうな顔で青年を眺めた。

「ああ、いや大したことじゃねーんだけどさ。さっきの争い見て興味持っちまってな」

 青年は肩をすくめた。

「それは本当にどうでもいいことに関心を持ったわね」

 ピスカは呆れたように吐息を漏らした。

「それよりさ」青年は首をよじってユイルを見た。「お前本当にすげーな。あれは人間業じゃねーよ。どうやってやったんだ? 何か剣術とかやってるのか?」

 ユイルは虚ろな瞳をゆっくりと青年に向けた。

「なあ、秘訣とかあったら教えてくれよ」

 その質問にこたえず、ユイルは目を伏せた。青年はもどかしそうに髪を掻いた。

「あんだけの動きが出来たら、俺ももうちっと上手く造れるようになんだけどな」

 と、青年は呟いた。

「あのやしろ」ピスカは仰いだ。「造ったのはあなた?」

「ん? ああこれのことか。ああ、造ったのはおれだよ。これも思ったより時間かかってさ、結局完成したのさっきなんだよ」

 青年は頬を掻いた。

「なかなか立派なものね」

「だろ?」青年の顔が明るくなる。

「でもわたしは自分の信じる神にだけに信仰心を持ってるから。祭りには参加しないわ」

「あっ、そうなんだ」

 そう言うと青年は気まずそうに辺りを見回した。と何かに気づいたのか視線がとまる。

「ちょっとここで待っててくれ」

 青年はそう言うとどこかに駆け出した。

「なんなのよあいつ」

 と、ピスカは遠ざかる背中に小声で言った。

 日没が近い。けれども辺りに灯された火、それに酒や食物を手に騒いでいる人々によって昼時にも劣らない活気が満ちていた。人は食べたり飲んだり、時には大麦を片手に器楽に合わせて歌を歌ったりして、豊穣を神に願った。

「元は一つの民族だったっていうのに、こうも違うものかしらね」

 ピスカは視線を巡らせながらそう言った。

 と、青年が戻ってくる。手には何かが握られている。

「おー、良かった。あんたらのことだから勝手にどっか行っちまってるんじゃないかと心配したぜ」

「なんでそんなことあなたに心配してもらう必要があるのよ?」

 青年は笑った。

「いやいや、そりゃあそうなんだけどさ」

 ほれ、と言って青年はピスカに手に持っていた物を差し出した。

「べつに変なもんじゃねーよ。やぎの肉さ」

 ピスカの手に半ば無理矢理握らせ、ユイルにも渡した。表面に焦げ目のついた骨付き肉。こうばしい香りが湯気に混じって立ちのぼる。

「なに見てんだよ、食え食え。うめーぞ」

 青年は肉をかじった。裂けた塊から大量の肉汁が飛び出す。青年は飛び散った汁を手で拭いながら肉を頬張った。ピスカはそれを見て生唾を飲む。

「なんだ? なんか変なとこでもあるか?」

「いや」ピスカは言った。「お肉なんてあんまり食べたことないから」

 青年は目を見開いた。

「それ、本気か?」

「ええ。禁じられていたわけではないけど、動物を食べることは神聖なこととされていたのよ」

 へえ、と対して興味なさそうに青年は言った。

 ピスカはゆっくりと小さな口を近づけ、噛んだ。口の中に肉汁が広がる。周りの皮と違って中は舌で溶けるほど柔らかかった。ピスカは掌で口許を覆う。

「おいしい」思わず声が漏れた。

 青年が満足そうに何度も首を下げる。見るとユイルも表情を変えないまま肉の塊を小さくしていた。近寄りユイルの頬についた汁を手で拭った。

「んじゃあ、俺そろそろ行くわ」

 青年は骨を地面に投げ捨て、両手を衣服で拭いた。

「まあ、祭りに参加しないとは言っても、そこら辺でやってる出し物とかは関係ねーからさ。気が向いたらやってみろよ」

 そう言うと青年は身体の向きを変えた。

「待って」ピスカの声が動きを止める。「あなた、名前は?」

 青年は肩越しに振り返って言った。

「ロイ。俺の名前はロイってんだ。そっちは?」

「わたしはピスカ。こっちがユイル」

「ピスカにユイルか……覚えとくよ」

 それじゃあな、と言ってロイは祭りに中に消えていった。

「なんだったんだろう、あの人」

 見えなくなった背中にピスカは呟いた。後ろではユイルが肉を平らげて、骨を舐めていた。

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