第4話
一昼夜歩き続けた。疲労は蓄積され足が棒のように固くなりピスカは身体を休ませられる場所を探した。
川のせせらぎに導かれ、ピスカとユイルはなだらかな山道に流れる小さな水の流れを見つけた。近づいて腰を下ろし、ピスカは掌で水をすくい口元に運んだ。喉が潤される。
「ユイルも飲みな。おいしいよ」
ユイルは頷き、ピスカの隣で口の中に水を含ませた。
ピスカは袋の中から乾燥したパンを取り出し、それを二つにちぎって片方をユイルに渡した。
「食べな」
ユイルは受け取って、それを小さくかじる。ピスカはその動作を観察した。ユイルの顎が咀嚼を始めたのを見て、思わず、
「玩具も食べれるんだ」
と、感嘆の声を漏らした。地面にぺたりと座り込み、ピスカも頬の動かしながら噛み砕き、味わった。袋の中に手を入れ小さな木材の破片を取り出す。昨晩、街を出るときに手掛かりになると思い拾ってきたものだった。木材を裏返し、そこに書かれている文字を目で追った。
「何かの番号、なのかな?」
並ぶ数字の列が何を表しているのかピスカは分からなかった。木の幹にもたれ、水が流れる音に耳をすませた。瞼を下ろし、ゆっくりと呼吸をする。
昨日の夜から歩き続け、疲労は溜まっていた。手元の灯を頼りに、大型玩具の通った道をひたすら辿っていた。容易にその根源となった発信場所まで辿りつけると思ったが、進みに連れてその痕跡が徐々に弱くなっていることにピスカは気づいていた。
一週間。その間に大型玩具が踏みつぶした草木も太陽に向かってまた伸び、地面にできたへこみも風が土を運んで覆い隠していた。それでも懸命に足を進め、ようやく街から大分離れた森へとたどり着くことが出来た。
太陽は空の中心で輝き、樹木の枝葉の間からさしこむ陽光がピスカの顔に光の欠片を届けた。風が吹くたびに頬の影模様が変わる。
ピスカは瞳を開けた。小川の向こうにある根元から倒れた幹の太い木が視界に入った。視線をめぐらせると、同じように地面に這いつくばっているものが道をつくるように連なっている。この跡をたどっていけば、おそらくあの大型玩具の本拠とでも言うべき場所に至るはずだ。
「跡が無くなる前に森に着けてよかった」
とその時、人の声と聞き覚えのある風切り音がピスカの耳に届いた。慌てて体を起こし、耳をそばだてる。
「あっちか」
ピスカは首をよじり丘の上を見た。立ち上がり、ユイルに声を掛ける。
「行くよ」
足早に駆け、坂の上にピスカは出た。
「あれは――」
ゆるやかな傾斜の下り坂。その下に弓を構えている男が数人いた。矢の先端には炎が燃えている。男が手を離すと火矢は緩やかな放物線を描いて木製の柵に刺さった。火が燃え移り火勢が増した。
囲いの内側では畑や牧草地から人々が逃げていた。その向かった先にあるのは緻密ながら抒情性を感じさせる巨大な城壁だった。
「王都、カエサリウム」
ピスカがそうささやいてすぐに男の大声が響いた。
「そこにいんのは誰じゃい!」
体の向きを変え視線を動かした。男がこちらに先程の矢とは異なる鋭い先端を向けていた。
「誰じゃと訊いているんじゃ! こたえい!」
見下ろしたままピスカの表情は変わらない。
「こたえい言うてんのが分からんのか!」
男の指から矢が離れた。矢音が空気を裂く。
矢尻が眼前に迫る。けれどピスカは身動ぎもせずに言い放った。
「弾いて」ピスカがそう言うとユイルは瞬時に剣を抜き出し、振り下ろした刃で矢を地面に叩き落とした。折れた矢が地面に転がる。男が目を見開いてユイルを見た。と、なぜか男の形相が不気味な笑みに変わる。
突然ピスカの右腕が掴まれ、口が塞がれた。体が宙に浮き。ばたつかせた足のつま先が地面を掻いた。声にならない振動が男の掌に吸収された。
「まったく、なんなんだよこいつは」
下で弓を撃ってきた男よりも一回り体格が大きい男が暴れるピスカを抑えていた。男の視線がユイルに向く。
「おい、こいつの命惜しければ剣を地面に捨てな」
ユイルは男の方に顔を向けたが、それ以上の動作は起こさない。
「訊いてんのか!?」
男の力が強くなり、ピスカの表情が歪んだ。下にいた男たちも丘を登りピスカとユイルを取り囲んだ。どの顔もいやらしく頬を緩めている。男の一人が剣を抜き、ユイルに近づいた。剣先を眉間の辺りに向ける。
「おい、あんまり調子乗ってるとお前も殺すぞ?」
周りから笑い声が漏れた。男は剣身をユイルの頬にあて、ゆっくりと刃で撫でた。皮膚が薄く裂ける。と、男の顔つきが変わった。
「なんだこりゃあ?」
刻まれたユイルの表皮の線から、出るはずのものが流れなかった。
「こいつ、血が出ねぇぞ」
男たちが顔を見合わせた。ピスカの口を覆っていた力が刹那弱くなる。その一瞬出来た唇と掌の間の空間に歯を突き出し、ピスカは男の手に噛み付いた。男は低い悲鳴を上げた。束縛から解放されたピスカは地面に手をついて顔を上げ、荒い口調で言った。
「こいつらを動けなくしなさい」
ユイルが垂れ下げていた剣を振り上げると、鈍い金属音が辺りに響いた。
「えっ?」男が声を漏らし震える自分の腕を見た。剣身が半分無くなっている。折れた切っ先が宙を舞って地面にささった。男は身をよじってそれを視認した。もう一度その視線がユイルに戻る前に、男の体は呻き声と共に折れ曲がった。ユイルの拳が鳩尾に捻り込む。体が吹っ飛び囲む男たちを巻き込んで大木に叩きつけられた。
ユイルは地面を強く踏み込み、一瞬にして別の男の懐に入る。男がそれを自覚するよりも早く、軸足を中心に体を旋回させ遠心力の加わった右足を腹部に捩じ込む。男は口から液体を飛び散らしながら空中に浮いた。その者が地面に落ちる前に、すべての男が地面に倒れた。
呻吟が辺りに充満する。
ピスカは自分の胸元を掴みながら呼吸を整えた。立ち上がり、衣服についた汚れを払う。
「なんだったのかしらね、こいつら」
男たちを見回したあと、視線を先程燃えていた柵に移した。男たちが土を被せ、すでに火は消えていた。黒く焦げた丸太からはまだ煙が出ている。その脇に目の前の男たちと同じ格好をした者たちが縄で捉えられていた。傍らには農作物が置かれている。賊が食料を盗もうとしたのだろうか。
「動くな!」
ピスカの背中から声が掛けられた。肩越しに振り返ると枯れ枝を踏み下ろす音を伴って男が現れた。手には槍を持ち、鋭く尖った刀身の先端はピスカとユイルに向けられている。
「隊長、怪しい奴らを発見しました」
奥から幾つかの人影。その中の一人が声を出した。
「ふむ、地面に伏しているのはどうやら賊と見て間違いないようだが」口許に手をやり、訝しそうな目つきでピスカを見た。「はて、そちらの方々も同じかな?」
「そうですよ隊長! さっさと捕らえましょう!」
男の声は興奮しているのか震えている。隊長と呼ばれた男は目を細めピスカを観察した。ピスカも同じように隊長を注視した。銅で出来た軍用の頭当て。小札かたびらを身につけ、腰帯にはユイルのものよりも長い鞘。すね当てを付け、足は革のサンダルだった。
隊長が何かに気づいたように目を見開いた。
「その外套はもしや――」
視線がピスカの着ている緋色の法衣に集まる。
「あなたはレイビ族の祭司ではないですか?」
ざわめきが起こる。
「レイビ族ってあの都市エリツヘレムのか?」
「でも確かあそこは今贖罪の儀式の最中じゃないのか?」
「なら偽物?」
「いやしかし、あの緋色の外套は確か祭司しか着れないもののはずだ」
口々に疑問の声が出る。
「静まれ皆の衆」
隊長は低いが良く通る声でそう言った。視線がピスカと交わる。
「それで、どうなんですか? あなたは祭司なのですか?」
ピスカは顎を下げた。またどよめきが起こる。
「静かにしなさい」隊長が言った。「ならばなぜこのような場所におられるのですか? 祭司の勤めは如何なされた?」
ピスカはそれにはこたえず、じっと地面を見続けた。隊長は溜息をつく。
「それにこの地面に転がっている男たちはどうしたのですか? レイビ族は確か他者を傷つけるという行為は禁じられているのではなかったでしょうか?」
沈黙をピスカは返した。と、倒れている男が呻き声をあげた。
「とにかく、賊を捕らえなさい」隊長の指示で後ろの男たちが動いた。
「あなた方はこれから向かう先があるのですか?」
ピスカは首を動かし、巨大な城壁を見た。
「王都カエサリウムに寄るつもりです」
同じ方向に隊長の顔が向いた。なぜか、という質問はされなかった。
「それでは、また会う機会があるかもしれませんね。その時はどうぞよろしくお願いします」
隊長は丁寧にお辞儀をし、連れられた賊とともにその場から去っていった。
ピスカは袋から木材を取り出し、自分が歩いてきた道を確認する。大型玩具の通った道。それはおそらく王都カエサリウムへと続いている。この場所からあれは出てきたのかもしれない。
ピスカは手を強く握り固め、そびえ立つ城壁へと足を向けた。
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