第3話

 街の奥にたたずむ家。平屋だがその大きさはこの街で一番だ。大型玩具の破壊も届かなかったこの場所は、平穏な生活を既に取り戻しつつあった。二、三層の積石の上に、日干しの泥レンガを積み上げて造られた壁。外壁には水漆喰が塗られ、大祭司の家である証の象牙や金をはめ込まれた飾りが戸口に掛けられている。

 ピスカは扉を叩いた。

「祭司ピスカが参りました」

「ああ、入りなさい」老人のしわがれた声がこたえた。

 目を瞑り、一度深い呼吸をした。胸元に手をあて、気持ちを落ち着ける。

 ピスカは戸を開けた。視界に入ったのは大祭司シェケムと相談役の老婆。厚い石を幾らか削って造られた腰掛けの上に二人は座っていた。その上には木の格子が取り付けられた窓。そこから指す月の光が室内を少し明るくしている。

 石を敷き詰めた床の上に足を踏み入れた。

 ゆっくりと進み、ピスカは大祭司の前で片膝をついた。

「あんた、それはなんだい?」相談役が低い、責めるような物言いで訊ねた。

「玩具です」

 ピスカは視線を地面に向けたままはっきりとそう言った。

「そんなことを訊いてるんじゃないよ! なんでそれがここにいるんだい!」

 相談役の声は震えていた。腰を浮かせたのを大祭司が手で制した。

「ピスカ、それはお前の手でなされたことかい?」

 首肯した。大祭司は眉根を寄せた。

「その、玩具とやらを立たせなさい」

 ピスカは隣で同じように片膝を地面につけている玩具に「立ちなさい」と命令を与えた。玩具はゆっくりと立ち上がった。ピスカと同じ澄み切った白髪。外套は着ずに、膝までの衣を身につけている。その瞳は無機質な視線を壁に向けていた。

「その玩具には、名前がありますか?」

「ユイルと申します」

 大祭司の質問にピスカはこたえた。相談役の眉が逆立ち、顔が震えて耳飾りが音を鳴らした。

「あ、あんたなにをしてるんだい」

「見た通りのことです」

 相談役は目を剥いた。

「あんた、まさか外のもんを使ったんじゃないだろうね?」

「いえ、違います」

 七日前に街を半壊させた大型玩具。その体となっていた材は、決して手で触れないようにと道具を使ってすべて街の外に運ばれた。火で燃やすことも、近づくことも禁じられ、大祭司の関わるな、という言葉で比喩的な意味で封印されたのだ。

「それがなんなのか分かってるのかい?」相談役が訊ねた。

「あなた方よりは理解していると思います」

 ピスカの言葉に、相談役はさらに目を見開いた。

「穢らわしい! 穢らわしい! あんたは既に腐っているよ! なんで、あんた何かが祭司に選ばれていたんだろうね。大間違いだったよ!」

 と、相談役は唾を飛ばしながら言った。なおも言葉を続ける。

「七日前のことを忘れたのかい? 何が街を壊したのか、もしかして覚えてないとでも言うのかい? それを作ったあんたの手は穢れているんだよ。いや、それよりも、あんたの血が既に罪なのかもしれないね」

「父上に対する侮辱は相談役とはいえ許しませんよ?」 

 ピスカは面を上げて睨んだ。相談役はたじろぐ。

「なんだい、事実じゃないか。あんたの父親は玩具なんてもんを作ったから追放されたんだ。大祭司としての道もあったのに、馬鹿な男だよ。そもそもあたしは嫌だったんだ、あの男の娘というだけで街から追放してやっても良かったのにさ」

「父上は魔術と玩具が相対するものではないと言っていました。何度も試行錯誤をし調和出来る道を探していたんです。それをあなたたちは――」

 相談役は鼻で笑った。

「欲望はね孕んだ時に罪を生むんだ。玩具を触ろうとした時点で堕罪したも同然なんだよ。魔術は心が平安な人間しか使うことが出来ない。あんたはもう祭司なんかじゃないよ。ほんとにもう、こりゃあもう一度ちゃんとした祭司で贖罪の儀をする必要があるね」

 相談役は蔑むように眉をひそめてピスカを見た。

「あんな意味のない儀式なんてする必要ないです」吐き捨てるように言った。

 相談役の肩が揺れる。

「あれは代々伝わるレイビ族の誇りある神聖な奥義の一つだ。それをあんたは――、意味がないのはあんたの存在そのものだろう」相談役はピスカを指差した。

 ピスカは唇を噛み締めた。玩具を見上げ、何かを言おうとした。

「落ち着きなさい」大祭司がそれを制した。

 長く伸びた髭を撫で、悲しげに玩具を眺めた。嘆息し、言葉を吐く。

「まるで人間と変わらないではないか。肌も瞳も髪も、私たちと同じようだ」

 大祭司は立ち上がって玩具の髪をさわった。玩具は反応を示さず、ピスカの指示通りにただ立っていた。

「ピスカ。魔術を使ったね?」

 相談役は目を剥いて大祭司を見た。

「はい」

 ピスカの返事を聞き、相談役の視線が移った。

「どうやったんだい?」

 大祭司はピスカに哀しみの篭った視線を向ける。

「木を切り、その生命力が消えないよう魔術をかけました。それを骨の代わりとして使いました」ピスカは大祭司の瞳を見据えてそう説明した。

「そうか」大祭司は掌で玩具の頬を撫でる。「体躯すべてに魔術がかけられているね」

 ピスカは首の動きでそれを肯定した。

「瞳と肌はどうした?」

「それは――」ピスカは言葉に詰まった。

「まあいい。だいたいの予想はつくし、それを問いただしたところで何も変わらないのだから」

 大祭司は腰掛けに座った。

「それで、お前はその玩具と共になぜ私のところに来た? 何を伝えたかったんだ?」

「その質問にこたえるまえに、わたしから一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」

 大祭司の肩が動いた。

「ああ、いいよ」

 ピスカは立ち上がって、大祭司と相談役を見下ろした。

「なぜ街を破壊した人間を許しているのですか?」

 大祭司はピスカの顔を少しの間眺め、口を開いた。

「どこの誰がしたことかも分からないではないか」

「それは調べる努力をしていないからです」

「知ってどうするというのだね?」

 ピスカは息を吸い込み、吐き出した息に言葉を混ぜた。

「すべての関わった人々を殺します」

 大祭司は視線を落とし、かぶりを振った。

「裁き人にでもなったつもりかい?」相談役が皮肉を込めて訊ねた。

 その問いにピスカは鋭い視線を返した。大祭司は頭を上げ、言葉を発した。

「暴力ではなにも解決しない。そこに生まれるのは新たな憎しみだけだ。この苦しみは耐えなければいけない。それこそが私たちレイビ族の教えであり、愛だ」

「そんな綺麗事を並べてなにか解決するのですか? 大祭司シェケムあなたは怯えているのですか? 復讐のあとに返される更なる報復に恐怖しているだけなのではないですか?」

 と、ピスカは嘲笑った。

「あ、あ、あんた誰に対してものを言っているのか分かってるのかい?」

 相談役は立ち上がりピスカを指差した。肩が小刻みに揺れている。

「黙りなさい。わたしは大祭司と話しているのです。あなたなんかと言葉を交わしたくない」

 それは幼い容貌からは想像出来ないほど冷たく鋭い口調だった。相談役は気圧されて、そのまま後ろに下がり、腰掛けにもたれかかった。

「心を闇に囚われたか、祭司ピスカよ」大祭司は重く低い声で言った。「その玩具と共に復讐の道へと足を踏み入れることを私たちに言いに来たのか?」

「そうです」

 食卓の上に置いてある燭台の炎が揺れた。

「しかしどうする? あの大型玩具がどこから来たのかどうやって調べるつもりだ?」

「跡を辿ります」

「もし、途中で分からなくなったらどうする?」

「その時に考えます」

 大祭司は溜息をついた。

「しかし、祭司ピスカよ、お前が仮にその復讐を果たすことが出来たとしても、お前がレイビ族の人間であることは変わらない。では、レイビ族が新たに植えつけた憎しみの胤はどうするつもりだ? またこの街に攻めてくる人間が生まれてしまうかもしれないんだぞ?」

「その時は――」ピスカは瞼を閉じ、そしてゆっくりと瞳を開いた。長い睫毛が揺れる。「その人間を殺します」

 大祭司は頭を左右に振った。

「それでは憎しみが増えていくだけじゃないか。いったいその連鎖はどこで切られるというのだ?」

「相手が諦めるまでです」

「教えを忘れたのか? 人界は今憎悪で埋め尽くされている。疫病、飢饉、貪欲、そして争いだ。我らはそれらから離れるため、真の平安を見いだすためにこの地に来た。またそこに戻ろうというのか? 耐えなければならんのだ。ピスカよ、我々は耐え忍び、強さを見せなければいけないのだ」

「それは弱いだけでしょう? 意味の分からない儀式。いなくなった人を本気で探そうともしない街の人々。ただ殻に篭ってるだけじゃないですか」

「我々に真の平安をもたらすのが儀式だ。言い伝えにもある通り、いつか太陽が二つになった時、この世の悪は断絶される。その時を待っているのだ。それに失踪した人が戻ってこれるように、目印を絶やすこと無く続けているではないか」

「詭弁ですし、他人任せですね。それに太陽は、一つですよ?」ピスカは嘲笑った。

 大祭司は大きな吐息を漏らす。

「とにかく、我々はそんなことを許すわけにはいけない」

 大祭司はきっぱりとそう言った。そして視線を地面へと落とした。

「あなたの了承を得られるとは思っていません」

 ピスカは隣でじっと立っていた玩具に「出るよ」と言い、そのまま出口に足を向けた。

「どこに行くんだ、まだ話は終わっていないぞ」

 大祭司の声に振り向きもせず、ピスカは戸口に手を掛けた。

「元から何考えてるか分かんない餓鬼だったけど、まさかここまで腐った心を持っていたとは思わなかったよ。今まであんたたちを育てた恩を忘れたのかい?」相談役がピスカの背中にそう言葉を投げた。

 ピスカは唇を噛み締め、ささやくように言葉を地面に落とした。

「ふざけないでよ。あなたたちがわたしたちのためにしてくれたことなんて、少しもなかったじゃない」。

 ピスカは緩慢な動作で戸を開いた。そして見返らずに言った。

「あなたたちを殺さなかったことを感謝して下さい」

 玩具が後に続いて外に出た。扉が閉まる。

 幾つかの灯火が消えていて外は暗かった。人々は寝ているのだろう、仮小屋から漏れる光も少ない。静寂の中に竪琴の音色だけが奏でられていた。

 ピスカは空を仰いだ。

「そうか、まだ見つかってないのか」

 それは太陽の光がなくても街の場所を辺りに知らせるための目印。何ヶ月か前から街の人々が突然失踪することが起きている。総出で捜索をしたが見つけることは出来ず、また原因も分からなかった。近くの森などで迷ってしまったのだろうと、まだきっと生きて街を目指して歩いているだろうと、その日から夜になると音楽が流された。落ち着いているが力のある旋律。七日前からはそこに哀しさも加えられた。

 ピスカは少しの間その音に耳を傾けた。

「よし、行こう」

 ピスカは自分の家に戻った。荷造りを始める。サンダルを脱ぎシカの皮で作った靴を履いた。飾り帯と腰の間に金銭の小袋を挟む。そして少しの衣類と乾燥させた食物を袋で包み、皮の紐で縛った。

「ユイルちょっと腕上げて」

 ユイルと呼ばれた玩具は指示通りに体を動かした。ピスカは背伸びをして白い肌着を脱がせたあと、木綿で作った衣を着せた。それは膝より少し上までの長さだった。

「足上げて」

 藍色の股引きを履かせ、皮の靴に足を入れた。腰帯を巻き、左側に剣が納められた鞘を挟む。

「どう? ちょっときついかな?」

 ユイルは問い掛けにはこたえなかった。ピスカは頬を緩ませ声を出す。

「狩人の服装してるの見たのは初めてだね。でも、似合ってるよ」

 ユイルの視線は動かず、ピスカと交わることはなかった。

 部屋の中に置かれている薪の中から細めのものを取り出し、油を片側に染み込ませた。もう片方の手で机の上にあった書物を手に取った。そして大きな袋をユイルの肩に掛け、外に出た。ピスカは小走りで灯火の元に行き、手に持った薪に火を移した。手元が明るくなる。次に書物に視線を向け、それを灯火の中に投げ入れた。羊の皮で造られた書が燃えた。

「行こう」

 ピスカが先導する。瓦礫の山はまだ至る所に残っていた。既に取り除かれた所では切削されていない大きな石が家の枠組みとして築かれていた。その隙間には岩のかけらが詰め込まれ、粘土と藁を混ぜたものがその上に塗られている。おそらく明日には泥レンガが積み上げられ外壁が出来るだろう。

 ピスカは荒れた地面の上を歩いた。ところどころにある大きく深い穴は大型玩具の足跡だった。それはピスカが座り込めるほどの大きさだった。

 ピスカは足を進める。そして街に一つしかない出入口で止まった。振り返って視界を巡らせる。生まれ育った街。一度出たらもう戻ってくることはないだろう。

 決意を心に宿す。玩具はこの街にいる最後の理由を消してしまった。復讐心がピスカの足を急き立てる。犯人を見つけ、そいつを殺し、首をさらしてやるとピスカは決心した。

 地面を蹴る。最初の一歩は大きく、そして徐々に勢いは遅くなる。少女と玩具の足跡が夜陰の中に消えていった。

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