遠くで眠る、きみのもとへ

        §


 人気のない神智研しんちけん地下施設を、スケアクロウは一人歩き続ける。ハスターの組織に取り込まれた、生徒達の魂を解放することは出来たが、傷を負い過ぎた。多量の出血に朦朧とする意識のまま歩を進める。


 シュブ=ニグラスの祝福はこの身にまだ残っている。供儀を捧げれば失った腕を再生することも出来るが、もう二度とこの力を使うつもりはない。遅すぎる決断だと自嘲する。


 一体どこで間違えた? ディー博士の隠し部屋で、黒の淵を探し当てた時からか? アンダルシアの丘の上で、2万8000の人命を奪った時か? それとも、罪の重さに耐えきれず、結界に籠り案山子かかし役に徹すると決めた時なのか?


 何のことは無い。上辺だけの信仰しか持たず、相棒の判断に頼り切り、都合の悪いものを見ないようにしていた。間違っているとするなら、自分の在り方そのものか――


 廊下の先に人影が見える。直接会うのは数年振りだが、見間違えるはずがない。黒いスーツに身を包むのは、スケアクロウの相棒にして、神智学研究所所長、裁慧士郎さばきけいしろう。左手に包帯を巻き、左頬の真新しい傷からは血を流している。


 ――いや。間違ってはいけないのは今だ。自分の最高の相棒で、最良の探索者である彼を信じ切る。


 黒い本を携える裁の肩にしがみ付く異形の影。上半身だけの乱れた白髪の老人が、内臓を引き摺りながら、哄笑を上げているのがはっきりと見える。疾走し聖別済みのナイフを振りかざす。刃は狂人の亡霊に届く前に、裁の拳銃で撃ち砕かれた。


「安心した……。裁があんな蛮行を許すはずがない。僕にはもうお前を滅ぼす力はないが、お前のような存在に、裁が負けるはずがない!」


「かつて君臨し、今君臨し、やがて君臨するものを全て壊し尽くせ。矮小なるヒトが愚鈍なまま生きる道を否定しろ。ヒトヒトとして生きる道を探し出せ。神化しんかへの可能性を模索しろ。今ここに螺旋の探索を開始する」

『……ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがふなぐる ふたぐん……はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ……』 


 精気のない瞳で呟く裁の言葉に、狂人の呻き声が重なる。裁の身体と意識を支配したアルハザードは、形成した巨大な鉤爪でスケアクロウを捕まえた。


「お前が!! お前ごときが慧士郎より強い存在である訳が無い!! 滅びが怖いか、この浅ましい敗残者め!! 予言してやる。お前に滅びは生易しい。狂気と恐怖を抱いて、永遠に苦しみ続けるがいい!!!」


 呪いの言葉を吐き続けながら、スケアクロウは巨大な鉤爪に潰され、貪り食われる。廊下には、黒い本に憑りつかれた男と、僅かな血溜りだけが残された。


        §


 ジジは身体を弄られる感覚で意識を取り戻した。


 直前の記憶が蘇る。必滅の一撃を放った“英雄エロー”の大剣は、アスキスの前で白い羽根と化し舞い散った。ジジが短剣の雨を降らせる前に、白い羽根は無数の刃に再構成され、さかしまにジジを貫いた。――完敗だ。


「お前……生えてないのな」


 目の前で指を舐めるアスキスに、直前まで弄られていた部位に思い至り、一瞬で理解し激昂。


「殺す!!」


 形成しながらの長剣の一撃は、嘲りながら飛び退くアスキスに易々とかわされる。


「ハッ! それだけ動けりゃ上等だ。 そのまがい物の神をちゃんと育てておけよ。充分に育ったら、あたしが毀して喰らってやるよ!」


 飛び退いた勢いそのまま、アスキスは風に舞うように、白みかけた空へと消えた。街並み越しに、昇りかけた朝日が見える。


「あの子はどうしてこう、一言多いんでしょう……傷、治ってますでしょ?」


 すぐ近くで見ていたらしい朱鷺乃ときのが、頬に指をあて苦笑する。コートがある程度は軽減してくれたが、身体中に刃を受けたはず。コートを脱ぎ確認する。タンクトップやスパッツは穴だらけだったが、身体には傷一つない。


 まただ。また同じだ。選ばれたあの子は鳥籠を飛び出したのに、自分は地面に這いつくばったまま。むき出しの肩に、血が滲むほど強く爪を立てる。


「……あの子が覚えてなくても……わたしは忘れない」


 朱鷺乃はどう声を掛けたものか迷っていたようだったが、無言を選択した。


 空に繋がれていた異形の影は見当たらない。風花のように流されてくる白い羽根は、地面に着くと淡雪のように消えて行く。


「これでさよならかしらね……」


 名残惜し気に白い羽根を手に受ける朱鷺乃の目の前で、一際大きな羽根の塊にものみが飛び付いた。


「にゃ? トキノー!?」

「あら? あらあらものみ! ダメでしょペッしなさいペッ!!」


 騒ぐ二人を、ジジはしばらくの間茫洋とした表情で眺めていたが、ものみの肩にコートを掛けると、衣服を探しに校舎へ向かった。


        §


 風を渡りながらあたしは思う。ハスター自身の意志が眠る今、本来得るはずだった、巫女の権限を越えた力を振るっている。銀貨は黒きハリ湖に眠るハスターの中。あたしが望めば、夢見ながらでも駆け付けてくれる。


 人類を素材にした、神化実験は始まったばかり。神が次々と顕現するというのなら、好都合じゃないか。あたしが強くなれる機会が、それだけ多くなるって事だから。


 どれだけ長い道のりになろうとも、必ず彼女を迎えに行く。


 信じて待っていてくれる、銀貨の微笑みを想い浮かべ、あたしは東の空へと速度を上げた。


                          ep.WalpurgisGarden END

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