銀の月への道しるべ
夜空に浮かぶ月を背に、名付けざられしものの残骸が浮かんでいる。
以前まで浮かんでいた物とは違い、今は実体を備えている。
無名都で空を見上げる者がいたなら、魔術の素養がなくとも、このおぞましい姿を目にしているはずだ。
月の光が照らす聖ルヒエル女学園の校庭に、アスキスは一人立ち尽くしていた。
身を包むのは黒のゴシックドレス。
ハスターに取り込まれ、一度は身体を失くしたアスキスに、銀貨が選んでくれた衣装だ。
東の夜空にアルデバランが見えるまで、まだ数十日の猶予がある。
銀貨がその気になれば、ハスターの意思が目覚め、霊体までもが取り込まれるその日までの時間を、永遠にまで引き延ばし、二人で過ごすこともできたはず。
白い羽根が音もなく降り続く。
拒絶されたような思いに囚われ、アスキスはスカートを強く握りしめる。
『立ちなさい。上を向きなさい。あなたはわたしが選んだんだから』
地上を見下ろす神だったものは、今でも支配者としてアスキスに影響を及ぼしている。
気を抜けばすぐにでも侵食を始め、意志までもを奪い去るだろう。
『大丈夫。ちゃんと見ててあげるから』
それでも。
銀貨が信じてくれるなら、あたしがそれを裏切れるわけないじゃないか。
とんでもなく強引で我がままだ。
そばにいてさえくれれば、あたしはそれで幸せだったのに。
銀貨はやがて人の枠を逸脱する。
あたしが人であり続けるなら、二人の関係性はいずれ確実に終わりを迎える。
故に、あたしを同じ場所まで引き上げる。それが銀貨の出した最適解。
初めて出会ったときから何も変わらない。
自分勝手に一人で決めて、ほほ笑みながら押し付ける。
あたしにとっての最善の結果を。
どこまでもあたしに執着し、決して手放すつもりはない。
甘く優しく絡め捕られたあたしには、それがどれだけ厳しくても、示された道を歩くしかない。
体育館のほうから物音が聞こえる。
裏手にある管理室から出てきたのは、仔猫を抱いた
“門”が開いた感覚はない。隠し通路でもあったのか。
「アスキス! 無事でしたのね!」
別れてからまだ数時間しか経っていないのに、感極まった笑顔で駆け寄る朱鷺乃。
鳴き声を上げるものみに促され夜空を見上げると、ぎょっとした様子で足を止めた。
「な……何ですの、あれは」
この街へは一緒に来た朱鷺乃も、現物を目にするのは初めてだったか。
夜闇に紛れ、おぞましいフォルムはおぼろげにしか確認できないだろうが、あれはただそこに在るだけで、人に影響を及ぼすに十分な存在だ。
「銀貨はどこ? ……あれに取り込まれたんじゃなかったの? 説明してもらう。一緒にきて」
要請じゃなく宣告のつもりだろう。
ジジの手には既に短剣が握られている。
「お前と遊んでる暇はねえよ。あたしはもう行かなきゃならない」
どこまで力を引き出せるのか。
アスキスがその身を中心に巻き起こした風は、以前とは比べ物にならない勢いで吹き荒れる。
風を起こすことだけは、何故だかアビゲイルに師事した時から得意だったが、今となっては当たり前だ。
生きながらえたあの日からずっと、銀貨を通してハスターの加護を受け続けていたのだから。
ジジの背後に、大剣を持つ甲冑の右腕が形を現す。
アスキスが抱くのは、ハスターとは別種の不快感。
恐らく成り立ちに起因するものだろう。
紛い物であろうとも、人が神を造るなど、まともなやり方でできるはずがない。
「何だ、その無様で醜い出来損ないがお前の切り札か?」
「この子は希望。わたしたちの明日を切り開く剣」
見下す言葉に、ジジの得物が短剣から長剣に変化する。
「くだらない。唄うじゃねえか小娘!」
ジジには無限回廊での借りがある。
アスキスは自らのエーテル体を直結し、ハスターのエーテルを奪えるだけ奪い取る。
「……あのおぞましい残骸があなたの力?」
「これは絆だ。あたしをたった一つの銀の月へ導く、かけがえのない道しるべ」
霊体・アストラル体が眠っているとはいえ、直結しても飲み込まれずにいられるのは、銀貨のおかげだ。
「違う! それは先生や所長がたくさんの犠牲の上に手に入れた力。あなたが勝手に使って良いものじゃない! 絶対に行かせない!!」
初めて感情を露わにし、斬りかかるジジ。
風を纏った高速移動でかわすも、後を追うようにナイフの雨が降る。
「しゃらくさい!」
真正面からの風圧で、ジジごとナイフを吹き飛ばす。
空中で体勢を立て直し、“英雄”の大剣を足場に高く飛んだジジは、頭上からアスキスに剣を振り下ろす。
避けたとしても、ジジに重なるように“英雄”の大剣が振り下ろされている。
「砕けろ!!!」
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