黒の淵
浮上するハスターの屍肉が開けた竪穴に飛び込んだジジは、
途中何度か閉鎖された隔壁に行き当たったが、今の状況では隔離対象はこの施設ではなく、9柱に囲まれた
躊躇なく人工神“
施設内に常駐する人数は、常に最低限に限られている。
それが幸いしたのか、浅い階層にいる者はすでに避難を済ませており、深い階層に進んでも、未だ誰とも出会わない。
もっとも、この状況下で残ったところで、魔術班の人間でもなければ、出来ることなど残されてはいない。
緩い繋がりでしか縛られていない魔術師達が、都合よく居合わせているはずもなく。居たとすれば、何か思惑あってのことだ。
己の利益最優先の彼ら相手では、協力を得られるどころか、交戦を覚悟する必要さえあるだろう。
気掛かりなのは、巻き込まれた
軟禁され、逃げ遅れてはいないだろうか。ジジが案内した応接室には姿がなかった。
話し声に気付き、所長の私室のドアを開ける。
そこでようやく、仔猫を抱えた朱鷺乃と、手にハンカチを巻いた
「なんだジジ、ボロボロじゃないか。うん? そのコートは……」
ジジの姿に苦笑した裁が、懐かしげな口調でコートの肩に触れる。
めったに見れない人間らしい裁の表情に、ジジは何故か狼狽し、コートの前を合わせた。
「イカサマの賭けで、メンアに巻き上げられた一張羅だ。良い品だから、大事にしろよ」
「あの……オサリバン先生も、すぐに来るはずだから……」
ふと、閉ざされた隣室のドアの向こうから、狂乱する男の叫び声が聞こえた気がした。
興奮する仔猫をなだめる朱鷺乃も、不安げな表情でドアを見詰めている。
裁はタバコを取り出すと、目顔で二人に了解を取り、火を点けた。
唇の端にくわえたタバコを吸うでもなく、ドアを見やりながら手にしたライターを弄ぶ。
「今すぐにでも焼き捨ててやりたい気分だが、預言なしじゃあ、一柱目の始末さえままならない」
深くひと息分だけ吸い込み、タバコを揉み消すと、朱鷺乃に向かい右手を差し出した。
「すまない。やはり俺にはその鍵が必要だ。渡しては貰えないか?」
朱鷺乃は無言で裁の目を見詰めていたが、頷くと革紐に下がる古い鍵を手渡した。
扉を開け、裁は一人隣室へ入る。
事情を把握しきれないまま、ジジは朱鷺乃を背に庇い、隣室の様子を伺う。
「お互い長い付き合いだ。それと分かっているなら、耐えようもあるはずだな……さて、覚悟を決めるか」
机の上には鎖で縛られた、一冊の黒い本。
裁は朱鷺乃から受け取った鍵で、錠を外し鎖を解く。
ジジの目には、開かれた本から上半身だけの老人が這い出し、裁の背にへばり付くのが見えた。
『黒の淵』から得られるのは、記された文字情報だけでなく、霊体となったアルハザードの託宣も含まれる。
裁は以前紐解いたハスターについての預言を辿りなおし、狂えるアルハザードの呻き声から、意味のある情報を拾い集める。
「名付けざられしものは、依然我々の切り札だ。殲滅より、感応適性の高い者――アスキスの確保を優先とする」
「所長!」
預言を読み解いた裁は、憔悴し切った様子で膝を付いた。
支えようと駆け寄るジジを制止し被りを振ると、壁に背を預け座り込む。
ジジは、アスキスが銀貨と共にハスターに取り込まれるのを目にしている。
この地でもう一度神殺しをやってのけるのに比べれば、幾らか難易度は低いのかもしれないが、身柄の確保は容易とは思えない。
困惑の表情を浮かべるジジに、裁は一つの指示を下した。
「まずは朱鷺乃を安全な所まで送ってやってくれ。何かあったら紅劾に申し訳が立たない」
「慧士郎もいっしょに――」
「俺は平気だ。少し休んでから後を追う。まだやることも残っているからな……ジジ、そこの引き出しに銃が仕舞ってあるはずだ。ここへ」
手渡された自動小銃のマガジンを引き抜き、一つづつ弾を込め始める。
朱鷺乃は逡巡する様子だったが、ジジに促されると、一礼して部屋を後にした。
二人の足音が充分に遠ざかるのを待つ。
裁の脳内では先ほどからずっと、アルハザードの哄笑が響き続けている。
冷静な思考を保つのは、そろそろ限界のようだ。
「畜生、どこでしくじった? ……やっぱりメンアがいないと、まるで格好が付かないな、俺は……」
呟くと、裁は手の中で弄んでいた拳銃のスライドを引き、こめかみに銃口を押し当てた。
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