僕はどこから間違った?

「状況が変わりました」


 浮上するハスターの残骸を見上げ、スケアクロウは厳しい表情を浮かべた。


「名付けざられしものの肉体は、奪われ固定されたアストラル体と一つになり、力を取り戻そうとしています。今は9柱に囲まれた無名都市の中だけに、影響を留めることに成功しているものの、地平線にアルデバランが昇れば、再生のためハリ湖に還るか――悪くすればこのまま神化実験を再開するでしょう。肉体を変化させ、大気に広がりこの星を覆い尽くされでもしたら、もう僕たちにハスターを排除することは叶わない」


 黒い風に巻き込まれないよう、竪穴から距離を取っていたジジは、不安げな表情でスケアクロウに問い掛ける。


「先生……わたしはどうすれば」

「ここから先は自分で考えなさい」


 柔らかい微笑みを浮かべながら、スケアクロウは残った左手でかつての生徒の頭を撫でた。


 礼拝堂は黒い暴風に巻き込まれ半壊している。

 瓦礫を押しのけ自室に戻ると、スケアクロウは武器になる物を探し始めた。

 祝福であり呪いでもあるシュブ=ニグラスの豊饒の腕は、使われるたび供儀を要求する。

 10年前のあの日以来、スケアクロウは自分の魔力と生命力以外の物を捧げたことはない。

 街一つを捧げてようやく砕いた存在に対し、自分の残りの命を捧げたところで、どれほどの効果が期待できようか。


 掘り出したのは、聖別したナイフ。回転式拳銃。それに弾丸。

 かつて相棒とふたり、世界中を旅し探索していた頃に使っていた装備。

 隠者めいた暮らしのなか、あり余る時間で手入れは欠かしていないが、ハスターに対し効果は望めないだろう。


 スケアクロウが目的とするのは、裁の手元にある『黒の淵』。

 あの本になら、今のこの事態への対処法も、預言として記されているはずだ。


 壊れたクローゼットから、懐かしい物を見付けた。

 使い込まれた革のコート。

 案山子スケアクロウがメンア・オサリバンでいられたころ、相棒から譲り受けたものだ。


「羽織っておきなさい、ジジ。どうするか決まりましたか?」


 ぼろぼろのスポーツウェアで肌を晒していたジジは、大人しくコートを受け取り袖を通した。

 ポケットには呪符や護符を入れたまま。何かの役には立つだろう。

 ジジはハスターの残骸とスケアクロウの顔を見比べていたが、地面に開けられた大穴を見つめ呟いた。


「まだ残ってる人を助ける」


 スケアクロウが頷いて見せると、ジジは駆け出し亀裂に飛び降りる。

 ハスターはスケアクロウに任せると判断したということだ。


 封印の要は、成長さえ止め眠り続ける銀貨による類感魔術。

 スケアクロウはもしもの時のため、銀貨を見張っていた安全装置に過ぎない。

 10年の間自ら任じたその役割も、目覚めを望む銀貨自身の意思の前では、無意味なものに過ぎなかったというのに。


「信頼が重いですね……」


 スケアクロウは自嘲の笑みを浮かべた。

 まだ先生と呼んでもらえるのなら、それに応えねばなるまい。


 半壊した礼拝堂には、銀貨が出入りに使った“門”の痕跡が残っている。

 スケアクロウが隠遁生活を送っていたのと裏腹に、銀貨はアストラル投射を使い、聖ルヒエル、あるいはそれどころか、無名都内を自由に歩き回っていたようだ。

 辛うじて形を保っているかまちを門に見立ると、スケアクロウは神智学研究所の地下施設へと向かった。


 建設が始まったころには既に結界内閉じ籠っていたため、スケアクロウは無名都地下に、確保したハスターの研究施設があるということしか知らない。

 退避は済んだ後なのか、振動の続く施設内には人の気配はない。

 秘匿性の高い研究内容から、出入りする人員は限られている。

 そもそも最初からごく少数の者しかいなかったはずだ。


 裁の姿を探すスケアクロウは、人気のない施設を徘徊する異形の存在を目にした。

 羽毛に包まれ、前脚が触腕に変化した犬らしきものや、目を持たず、一枚だけの翼を生やした蛇らしきもの。

 保管されていたサンプルや試験体だろう。


 身を潜め、こちらから手を出さなければ襲ってくる気配はない。

 同じ方向に向かうあれらの目的は、ハスターの屍肉と同化することか。

 ハスターの活性を抑えることができれば、活動を止めるだろう。


 異形が這い出してきた部屋はやり過ごすつもりだったが、奇妙な胸騒ぎに襲われたスケアクロウは、立ち止まり中を伺った。

 墓石のように巨大なガラス瓶が並ぶサンプル保管室。

 幾つかは内側から壊されているが、未だ閉じ込められ、暴れ続けているものの姿が見える。

 ガラス越しに見えるシルエットが、歪められた人の姿であることを認め、スケアクロウは室内に足を踏み入れた。


茉莉まつり……」


 保存液に浮かぶそれに、かつての教え子の面影を見いだし、絶句する。

 黒髪の少女の右腕は白い羽根を持つ翼に変わり、左肩からは触腕を伸ばしている。

 一本足の鳥の身体を持つのは、本好きだったナイジェル。

 左半身を無数の翼に変えられたのは、泣き虫だったリィズアンナだ。


「お久し振りです、オサリバン先生」


 立ち尽くすスケアクロウに、奥の端末で作業をしていた修道服の女が声を掛けた。


「シスター・フランチェスカ、君にも会いたいと思っていた。現在、セントブリジット孤児院の責任者は君のはず。何故ここにいるんです? 孤児院の維持運営については裁と約束を交わしている。それなのに君は……子供たちに何をしたんですか!?」


「先生。残念ながらもう孤児院は存在しないの。でも安心して。この子たちはみんな、死ぬことのない身体を手に入れたのだから」


 操作を終え、情報メディアを抜き取るフランチェスカは、芝居がかった様子で試験体の群れを示す。


「役に立ちそうな子をスカウトしていたのは、貴方の代からでしょう? 私だって、使える人材は科学班や調査班に紹介したわ。でもね、をどう使うかなんて、いまさらの話だと思うのだけれど?」

じゃありませんよ。この子たちには一人ひとり名前がある」


 フランチェスカは魔術を使うことはできないが、魔術の素質を持つ者を見分ける程度の力を持っている。

 他の孤児院で虐待されていた彼女を連れ帰り、結界に籠る際、後継に指名したのもスケアクロウ自身だった。

 深く静かな怒りのこもる言葉に、フランチェスカは空々しい悲しみの表情を浮かべる。


「傷付くなあ。汚れ仕事だって、誰かがやらなきゃいけないっていうのは、先生が教えてくれたことじゃないですか。それに、実験にはちゃんと承諾を得てから参加して貰っているわ。そりゃあ多少はが必要な子もいたけれど。でもね、先生。貴方がやってのけたことに比べれば、私のしていることなんて、ほんの遊びみたいなものじゃないですか」


 ねっとりした笑い声。

 フードの下、金色の瞳が楽し気に細められる。


「それは――」


 シスターが端末に手を走らせると、ガラス瓶は次々と砕け散り、保存液を撒き散らした。

 解放された試験体の群れは、這いずり、羽ばたきながら出口へ――スケアクロウへと殺到する。


「――それは僕の罪だ。amen!」


 死霊を砕く聖別された銃と弾丸。

『黒の淵』に潜むアルハザードに対し用意したものだが、ハスターの屍肉に囚われたままの霊体を壊し、開放することはできる。


「あらあら。せっかく永遠の命を得たというのに。聖職者である貴方が殺してしまうというの? 罪深いことね」


 試験体を盾に、フランチェスカは階段を駆け上がり、キャットウォークの先にある地上への非常扉へ向かう。


「貴方はそこでせいぜい罪を重ねなさいな。私が後押しするまでもなく、じきに所長の正気も本に喰い尽される。騒ぎが治まるころ、私はまた人事の手配に努めるとするわ」


 試験体と戦うスケアクロウを後目に、扉を開けたフランチェスカは、目の前に牧師服の背中と試験体の群れを認め驚愕した。

 混乱のまま視線を走らせると、頭上に自分が潜ったはずの非常扉と、キャットウォークの手摺りにもたれ、嘲るように手を振る眼帯の魔女の姿が見えた。


「エステル、貴女!!」

「あんたは払いの良いクライアントで、グラムサイトの調整に必要な伝手だったけど。正直ちょっとイカれ過ぎ。ここらで手を切らせてもらうわ。そっちの牧師さんに借りもあったしね」


 振り向きざま、牧師は銃口をフランチェスカの額に突き付け、


「待って先生、私は――」

「これも僕の罪です。amen」


 表情を変えることなく引き金を引いた。


 弾を使い果たした後も、スケアクロウは片腕でナイフを操り、試験体を切り刻む。


「ズレた角度を見逃すのも落ち着かないものよ。それじゃあね、牧師さん」


 結末を見届けることなく、眼帯の魔女は姿を消した。


 どこだ?

 いったい僕はどこから間違った?


 スケアクロウは心の中で、己への問い掛けを呪詛のように繰り返し続けた。

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