プールに行こう!

 昼食を済ませた後は、聖ルヒエル女学園での探索を続けることにした。

 前日朱鷺乃ときのの聞き込んだ噂話の中に、アスキスが違和感を抱く物がないか、実際目にして確認して歩く手はずになっている。


「まずはプールだな」

「何故ですの? 私、図書館の方が優先度が高そうに思いますけど?」

「水場での怪異だったからな。何かあったら、一般の生徒の危険度が高いだろう?」


 アスキスから英国庭園での出来事を聞かされていた朱鷺乃は、神妙な表情で頷く。


 冬には温水で使える室内プール。

 お嬢様学校だけあって、不埒な輩が簡単に覗いたりできないよう、セキュリティが行き届いている。

 10本ある25mのコースのうち6本は水泳部が練習に使い、残りは生徒が自由に使えるよう解放されていた。

 真剣な表情でタイムを計る水泳部員たち。解放コースでは、初等部や中等部の子達が歓声を上げている。


 いいね。競泳水着とスクール水着、両方が一度に堪能できる。


「何が良いんですの?」

「何も言ってないだろ!?」


 危ない、知らないうちに思考が言葉で漏れていたか?

 慌てるアスキスに、朱鷺乃は訝しげな表情を見せている。


「見学かな?」


 プールサイドに制服で来たのが目立ったのか、部長らしい水泳部員が声を掛けてきた。


「はい。でも、わたし泳いだことがなくて」

「最初は誰でもそうだよ。予備の水着があるから、顔を漬けるところから始めてみるといい」


 よそ行きの声で応えるアスキスに、朱鷺乃は生暖かい視線を向ける。


「なに猫被ってるんですの?」

「制服じゃ不自然だろ? プールに入って調べられるなら御の字だ」

「それはそうでしょうけど……」


 アスキスはいそいそと水着に着替え、プールサイドに戻った。

 呆れ顔の朱鷺乃は付き合おうとはせず、ものみと共に見学を決め込むつもりのようだ。

 プールの2m以内に近づこうとしないものみは、猫だから水が怖いのか、水面の反射を警戒しているのか。


「ほら、手を伸ばして」


 水泳部部長は、休憩時間を使いアスキスの泳ぎを見てくれるという。

 アスキスは手を引かれるまま、水面に身体を浮かべ、足でぱしゃぱしゃと水しぶきを上げる。

 ぎこちなく泳いで見せながら、水中を伺った。

 しなやかに水をかく女生徒達の素足。

 艶めく水着に包まれた、引き締まり滑らかな下腹部。

 息継ぎで顔を上げれば、目の前にはぱつぱつの胸元。


「まーだーでーすーのー?」


 退屈そうな朱鷺乃の声で我に返る。

 しまった。楽しすぎて本来の目的を忘れるところだった。


 水の中に怪しい影は見られない。

 英国庭園の蛇のように、天屍の羽根を取り込んだ生物がいたのなら、少しは騒ぎになっているだろう。

 こうやって平和にプールを使っているはずがないではないか。


 どうやらこっちはただの怪談の類だったようだ。

 名残惜しいが、そろそろ切り上げて次へ行かなければ。


「ぷぁッ。わたし、泳げるようになれますか?」

「今からじゃ、選手は難しいかもだね。泳げるようになりたいだけでも、また練習付き合うよ」

「ありがとうございます!」


 プールサイドに上がると、朱鷺乃の姿がなかった。

 ものみは窓ガラス越しに午後の日差しを受けて、うとうとしている。


「朱鷺乃は?」

「ふあッ! えーっと、先にとしょかん調べにいくって」


 遊びすぎたか。

 アスキスは手早く着替えを済ませ、寝ぼけまなこのものみを連れて図書館へ向かった。



 夏休みの昼下がり。

 少なくはない生徒たちが、お行儀良く読書に勉学に励んでいる。

 一見しただけでは、ここでも怪しい気配を感じ取ることはできないが。


「なあ、派手な縦ロールの女見なかったか?」


 アスキスが声を掛けると、貸し出しカウンターに座る眼鏡の少女はビクリと身をすくめた。


「今日は何? 縦ロールの次は金髪の外人? 忘れるわけないでしょ、見たわよさっき。2階に上がってったから」


 吹き抜けを見上げると、書棚と学習スペースが見える。


「ここには何か怪談話があるのか? 幽霊が出るとか聞いたけど」

「ああ、あれ。アレはただの勘違いよ」

「どういうことだ?」


 メガネの少女の返答は少し引っ掛かるものだった。

 アスキスは問いを重ねる。


「閉館作業始めて、まだ一人残ってるはずだと思ったらいないとか。施錠した後に館内で人の気配がするとか。勘違いでないのなら、誰かが小細工して潜り込んでるんでしょうね。そういうイタズラをするバカはどこにでもいるものだけど、手間ひま掛けて警報解除までやってんなら、本当にご苦労様って感じだけど」


 学園の図書館に、そこまでする価値のある本は収められていないと彼女は言う。


「人を喰う本とかって話は――」

「それこそ漫画か映画の話でしょ? 怪物と戦いながらのお勤めだってんなら、わたしは2年も図書委員続けてらんないわよ」

「身も蓋もないな!」


 実際はそんなところだろう。

 だがいたずらだとしても、警報を切った抜け道が、館内のどこかにあるのかもしれない。



 朱鷺乃を探して2階も歩いてみたが、どこにも姿が見当たらない。トイレまで調べたのにだ。

 行き違ったかいかとも思ったが、階段と出入口はカウンターから見える位置にある。


「これが消える生徒ってやつか?」

「ゴスロリちゃん。ここ、トキノの匂いがする」


 くんくんと鼻を鳴らしていたものみが、アスキスの袖を引き呟いた。


 2階一番奥の書架の陰。

 郷土史や学園史などが収められた、人気ひとけ人気にんきも無い棚だ。

 アスキスが膝を付き、あたりを丁寧に調べると、奥の壁に白いチョーク跡が残っているのを見付けた。

 幾何学模様に刻まれた文字らしきもの。


「門を作った跡か?」


 同じような物を何度か見たことがある。

 無限回廊と呼ばれる、何処にでも繋がる何処でも無い場所への扉を作成する、“門にして鍵”の呪印のようだ。

 特定の場所へのショートカットや、長距離移動を可能にする。

 アスキスにはまだ自分で作るだけの力はないが、ありものを起動させることくらいはできる。


 持ち歩いているチョークで呪印をなぞり修復すると、壁だった場所に扉が形成された。

 押し開け中を覗くと、奥にはどこまでも真っ直ぐな廊下が続いている。


「どうやら当たりを引き当てたようだな」

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