クリームパンと迷い猫
翌日、朝食を摂ってすぐに調査を開始した。
執事が手配してくれた黒曜石に、夜なべで呪印を刻み、詠唱省略の魔石を作っていたアスキスは、少々睡眠時間が足りない。
なぜだか
「なんだ? 寝かせて貰えなかったのか?」
「言い方がいやらしいですわね! ものみが猫だった時と同じつもりで、私の胸の上で眠ろうとするものですから」
一軒家なので部屋は余っている。私室を用意してあげたのに、当たり前のように朱鷺乃のベッドに潜り込んで来たのだという。
主人と違いものみ本人は充分な睡眠を取れたようだ。
朝からごねて騒いだ結果、同行を許されたものみは、上機嫌で辺りを見回している。
「その首輪、手首にはめてブレスレットにしておきなさいな」
「いーや!」
お気に入りの物なのか。
ものみは主人の気遣いを顧みず、聞こえよがしに涼し気な鈴音を響かせる。
「しゃれたデザインだから、チョーカーだと見えなくもないか」
ものみは首から紐の付いた小さながま口も下げている。
中身はGPS発信機と迷子札、それに少々の現金。
朱鷺乃が持たせたものだ。役立つ場面が来なければいいが。
ものみの記憶から眼帯女の居場所を突き止める試みは、全くの徒労に終わった。
さっきから目立つ看板や良い匂いに反応しているが、道順を思い出してる風には見えない。
ものみは気が付いたら知らない部屋にいて、抜け出したあと偶然主人を見付けただけの仔猫でしかない。
アスキスの望みが勝ち過ぎているだけなのかもしれないが。
「あら、アスキスの言う鐘楼、この場所からは見えてますわね?」
朱鷺乃が指す方向には、建物の間からのぞく古い鐘楼が見える。
特定の場所からは確認できるが、一度前景の建物に遮られ視界から外れると、あったはずの位置にはもう何もなくなっている。
「なんだか騙し絵みたいですわね。学園の礼拝堂とは別に、近くに教会があるのではなくて?」
地図にはそれらしき建物は記されていない。
記憶を頼りに歩き回ってみても、正確な位置が把握できない。
「ずれた空間に、重なって存在しているのか?」
認識阻害の類に引っ掛かっているのなら、アスキスの手には負えない代物だということだ。
あるいは、そこが探している眼帯女の隠れ家なのかもしれない。
せめて仕掛けが見付かれば、解除を試みることもできる。でなければ、中から招いてもらうしか辿り着く方法はない。
「お腹空いた……」
とっくに散歩に飽きていたらしいものみが、朱鷺乃の服の袖をつかんで足を止める。
収穫もないまま歩き回るうち、時刻はすでに正午近くになっていた。
「今日はしっかり昼食を摂りますわよ」
朱鷺乃は携帯端末を取り出し、検索を始めた。
「アスキス、貴女のご希望は? フレンチ? イタリアン?」
「このなりならファミレスかファストフードだろ」
「ものみちゅーるがいい!」
「少し歩けばヌーベルシノワのお店がありますわ。席は少ないみたいですけど、ここにしましょう」
せっかくの学生姿の変装も、高級店ではかえって目立ってしまう。
アスキスの異論を聞き流し、歩き出した朱鷺乃が、ぴたりと足を止める。
「ものみがいませんわ!」
「そういやそうだな」
「貴女が見ていてくれたのではありませんの!?」
「あれはあんたの管轄だろ? なんだこのケンカ、子育て初心者の若夫婦か?」
うんざり顔でぼやくアスキスを後目に、頭を抱え取り乱す朱鷺乃。
「あああ! あんなに可愛らしく育ってしまったんですもの、きっと攫われてしまったに違いありませんわ!!」
「うろたえんなよ。そのためのGPSだろ?」
「そ、そうでしたわ!」
アプリを起動し反応を調べると、意外にもすぐ近くにいる。
角を一つ曲がった先の商店街。
ものみはパン屋の前にしゃがみ込み、見知らぬ少女と並んでパンを食べていた。
雑に伸びた黒髪。
黒のタンクトップに同色のスパッツ。
アスリートらしいしなやかな体つき。
細い手首に、不釣り合いなごついデジタル時計を巻いている。
ランニング途中の中学生だろうか。
ものみとは違った意味で猫っぽい。飼い猫に対して野良猫か。
「なんだ、お前の知り合い――なわけないな。元猫がそうそういるはずもない」
無感動にもそもそとパンを齧っていた少女は、アスキスの声に顔をあげると、大きく目を見開いた。
奇妙な間。
なにか物言いたげな気配を感じたが、アスキスに覚えはない。
「なんだ? あたしの美しさに驚いたのか?」
少女は無言のまま視線を落とす。
「ものみ! 勝手に離れると、また迷子になりますわよ!」
「だって美味しいにおいがしたんだもん!!」
「だってじゃねえよ……」
朱鷺乃の叱責にびくりと身をすくませるも、ものみはすかさず口答えした。
「それで、この子は?」
「あ、そうだこの子! この子がおなかがすいて動けなくなってたから、早くごはんあげないと、っておもって!」
「アンパンマンかよ」
貧血か低血糖でも起こしていたのだろうか。
少女はやりとりに興味を示さず、一定のペースで栄養補給を続けている。
二人が食べているのはクリームパン。間に置かれた紙袋には、口まで一杯パンが入っている。
「ちゃんとお買い物出来ましたのね。えらいわ」
ものみを見付けて安心したのか。朱鷺乃は相好を崩し、ものみの頭を優しく撫でた。
「幾ら持たせてたんだ?」
「10万円ですけど。足りたようで何よりですわ」
「棚ごと買えるだろ!? 持たせ過ぎだ、千円入れときゃ充分だろ?」
昼時に買い占めやらかさなかっただけでも、褒めてやるべきだろうか。
それにしたって買い過ぎだ。買い方が分からなくて、陳列用のトレイごとレジに持って行ったというところだろう。
「あたしらも、これで済ませるか」
「せっかく良いレストランを見付けましたのに……」
買ってしまったものは片付けなければならない。
何より高級レストランでの食事より、ずっと学生らしく見える。
アスキス達は自販機で飲み物を調達し、休める場所を探し歩く。
ほどなく、商店街中央の広場に空いているベンチを見付けた。
クリームパンの味は、素朴だが悪くない。
愚痴をこぼしていた朱鷺乃も、気に入ったのか満足顔で頬張っている。
紙袋の中身は本当にぎっしりクリームパンで、四人で食べてもいい加減飽きてしまったが。
黒髪の少女は何もしゃべらず、ただもそもそとクリームパンを齧り続けている。
気に入られたのか、とりとめもなくおしゃべりを続けるものみに、こくこくと目顔で頷いている。
ちゃんと意思疎通できているのだろうか。
3個目のクリームパンを食べ終わると、少女は無言で立ち上がり、膝の屈伸や腕の曲げ伸ばしを始めた。
またトレーニングを再開するのだろう。
「貴女、お名前は?」
「……ジジ」
「そう。ジジ、ものみと遊んでくれてありがとう。これ、お持ちなさいな」
朱鷺乃はほほ笑みながら紙袋を差し出した。
中にはクリームパンがまだ5、6個は詰まっている。
「いや、走るのに邪魔なんじゃないか? 今度からウエストポーチに小銭と携帯食でも入れとけよな」
ジジはほんの少し考え込む様子を見せたが、小さく頷いて紙袋を受け取ると、そのまま走り去った。
「ばいばーい!!」
ジジの姿が見えなくなるまで、ものみは大きく手を振り続けた。
「しかし、この国の街中で行き倒れとか初めて見たぞ。動けなくなるまで走り込みとは熱心なことだが、何の選手なんだろうな?」
§
胸が苦しい。
動悸が治まらないのは、走り続けているせいばかりじゃない。
一目見て気が付いた。
当たり前だ。ジジはずっと見ていたのだから。
でも、きっと彼女はジジを覚えていない。
当たり前だ。目立たないよう、注意深く過ごしていたのだから。
あの頃から、感情を隠すのだけは上手かった。
痛くない。苦しくない。そう言い聞かせて、全てをやり過ごす。
元気な
泣き虫のリィズアンナもいなくなった。
あの女の目に留まらぬよう、興味をひかないよう。
彼女もすぐに目を付けられた。
当たり前だ。黙っていても目立ち過ぎるのだから。
でも、天使に選ばれたのも彼女だ。
石ころのようにうずくまっていただけのジジを素通りして、全ては終わって始まった。
一体わたしはどうすれば良かったんだろう。
クリームパンはあんなに美味しかったのに。
ジジは胃に硬いものを詰め込まれたように感じている。
腕の端末が鳴っている。倒れていたせいで、定時連絡が滞っているのに気が付いた。
『何かあったのか? 報告を』
「なんでもないです。鳥型5体。獣型3体。欠片の回収は14」
『昨日から数が異常だな。分かった、清掃はこちらで済ませておく。続けて実戦になりそうだが、行けるか?』
「問題ないです」
『何か食べておけ。すぐに動いてもらう』
ジジは紙袋の中のパンを取り出し、口にする。
味のしないそれを噛み砕き、無理矢理飲みくだした。
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