猫とお風呂と夕食と
「それじゃなにか、羽根のかたまりを食べたから
「変な物拾って食べちゃダメって、いつも言ってますでしょ!?」
「食べてないよう。くわえただけ」
家への道中、アスキスは朱鷺乃の助けを借りつつ、ものみの語る内容をなんとか繋いでみた。
仔猫であるものみが人の姿を得たのは、
英国庭園で異形の蛇を見たアスキスには、信じられない話でもない。
ものみが羽根を持つ猫ではなく、人の姿になったのは、本人の望みもあってのことだろう。
ふわふわしているようで、案外使い魔としての適性があるんじゃないか。
例え納得できなかったとしても、全裸の少女をあのまま放り出しておくわけにもいかない。
案外、理解を放棄し状況に流されているだけなのかもしれないが。
「あれが本当にものみなのですか?」
「猫とはお前の方が親しいだろ。本人に聞いてみろよ」
執事はしかつめらしい表情のままそわそわしている。
家出した猫が人の姿で帰ってきたと聞かされても、素直に受け入れられるはずもない。
これが常人の反応だ。
汗とほこりを流したいと、朱鷺乃はものみを連れて風呂場に向かった。
帰る前に朱鷺乃が入れた連絡のおかげで、執事が風呂と食事の支度を済ませてくれている。
順番を待つ間、リビングのソファに寝そべりうたた寝するアスキスの脳裏には、処理しきれない記憶と情報が渦巻いていた。
“鍵”。
眼帯の女と黒い犬。
空を覆う天屍。
自傷した探索者。
ひまわり畑と銀色の天使。
「いーやー!!」
「こーら! お待ちなさい!!」
けたたましい悲鳴に、半ば眠りに落ちかけていたアスキスの意識が引き戻される。
朱鷺乃に連れられて一緒に浴室へ入っていたものみが、泡まみれでリビングに飛び出してきた。
また全裸だ。
「しみるの!! いーたーい!」
「ちゃんと目を閉じていないからですわ!」
タオルを巻いただけの朱鷺乃と、リビングで追いかけっこを始める。
「猫だから風呂は苦手なんじゃないか?」
「毛皮がないのだから、平気だと思いましたのに」
「毛、ねえ……」
確かに生えてない。
「そこ! 私のものみを性的な目で見るのは許しませんわ!」
「そんなにたわわなんだ、見たくなるのも仕方ないだろ」
ものみはアスキスの視線に気付き、何度か視線を往復させ自分の胸と見比べた。
「ゴスロリちゃんはなんで付いてないの?」
「よく見ろよ!! ちゃんとあるだろそれなりによお!?」
「あまり明け透けに言っては可哀そうですわよ、ものみ?」
「トキノみたいになにか詰めればいいのに」
「ものみ!!」
アスキスは激昂し上着を脱ぎ捨てて胸を誇示する。
失笑していたところ不意打ちを喰らい、顔を真っ赤にした朱鷺乃は、再びものみを追いかけ始めた。
「お嬢様、こちらを」
ひとり淡々と荷物を探っていた執事が差し出したのは、樹脂製のドーナツ状の器具。シャンプーハットだ。
「ずいぶん手まわしがいいよな、おい?」
「お嬢様が中学に上がるまで使っておられたものです。こんなこともあろうかと保管しておきました」
「物持ちが良いな! っていうか、中学までか! なんで持ってきてる?」
肩をすくめ口元だけで笑って見せた執事は、朱鷺乃と二人がかりでものみを捕まえる。
嬌声とも悲鳴ともとれる声が、浴室へと遠ざかっていった。
「アスキス様、空きましたよ」
執事の声に、アスキスは着替えを手に浴室へ向かう。
ものみは洗面台を前に、下着姿の朱鷺乃にドライヤーを掛けて貰っていた。
目を閉じ気持ちよさそうにしている。シャンプーは苦手でもブラッシングは好きなのか。
ちらりと横目で見ると、朱鷺乃はまたくろねこなんとかの猫パンツだ。
よほど好きなのか、これしか持っていないのか。
シャワーだけで済ませるつもりだったが、バスタブに張られた湯を見て、気が変わった。
ライトブルーの入浴剤。バブルバスとは違う日本式。
せっかくだから少し浸かることにする。
「日本人はほんとこういうの作るの好きだよな」
ミントの香りと清涼感が、身体の疲れだけでなく、気持ちまで癒してくれる気がする。
「朱鷺乃と上手く交渉して、鍵を手にすることさえできれば、あたしの仕事は一段落なんだけどな」
あまりに突拍子もない展開に、最初は眼帯女の仕込んだ罠かとも考えた。だが、こんな茶番を演じる理由が見当たらない。
ものみの話通りなら、今ごろ眼帯女は手に入れたはずの鍵を失くし、訳も分からず大慌てだろう。
正直気分は悪くはないが、このままで済むはずがない。すぐにここを嗅ぎ当て、再び襲撃してくるはず。
アスキスの
それとも、鍵を餌に眼帯女をおびき寄せ、捕まえて裏を吐かせるか。アスキスが眼帯女を圧倒することが前提になるが、朱鷺乃の依頼を遂行するには、まだ手元に鍵を抑えておく必要がある。手放せば切り札が無くなってしまう。
悩ましいが、今回アビゲイルはアスキスの独り立ちを匂わせた。魔女として一人前になるには、この程度の状況判断は独りでこなさなければならない。師であるアビゲイルに知恵と力を示せなければ、いつまで経っても半人前のまま。
「それにこれはもう、あたし自身が解決すべき問題でもあるんだろうな」
口元まで湯に沈み、ぶくぶくと独り言ちる。
この街で天屍を目にした瞬間から、引き返せない確信めいたものがある。
やるべきことはもう決まっている。ならばこの繰り言は迷いではなく、ただのためらいだ。
バスタブを出て、頭から熱いシャワーを浴びる。
そうやってアスキスは弱気な自分を流し落とせた気がした。
髪を乾かしリビングに戻ると、ものみの着せ替え大会が開催されていた。
「尊い……」
「これもはかどりますわ!」
「なんでこんななってる? こいつら適応力ハンパないな!?」
愕然とするアスキスを後目に、執事は真顔でものみに注文を付ける。
「ご奉仕するにゃんって言ってみてください」
「なんで?」
メイド服にアオザイ、チャイナドレスまである。丈が余って胸元が苦しそうだから、朱鷺乃のものだろう。
ものみは迷惑顔をしてはいるが、構って貰えるのは嬉しいのか、大人しくされるがままになっている。
「なんでこんなに持ち込んでたんだ? ここには遊びに来たわけじゃないだろ?」
「変装に使うつもりでしたの。まさか、こんなことに役に立つとは思いませんでしたわ」
「いやほんとあんたの発想力と応用力がまさかだよ!」
「もういーやー!」
ものみがむずがりだしたので、部屋着は大きめのニットワンピで落ち着きそうだ。
締め付けるものやホックは嫌がるみたいだが、ちゃんと下はつけてるんだろうな?
「それより飯にしてくれよ。そろそろ限界だ」
「その前に、大事なお話しがありますの」
「“鍵”の話だろ。確かに大事だが、食べてからにしないか?」
「そうではなくて。ものみには、カリカリと私達と同じもの、どちらがいいと思います?」
「そんなのどっちでもいいだろ!?」
鍵より大事な話なのか。
真剣な顔で何を言い出すかと思えば。
「人間用の味付けは、猫には塩分が多すぎると言うでしょう?」
「今は人間なんだから、同じもの食べさせてやれよ!」
「いつ戻って来ても良いよう、専用の皿は用意しておりましたが」
よどみない仕草でペット用の皿を持ち出す執事。
「なんか特殊なプレイに見えちゃうだろ! それに、こいつ一人だけカリカリとか可哀想だろ?」
「ものみカリカリより缶詰がいい!」
「ややこしくなるから、おまえはちょっと黙っとこう、な?」
らちが明かない。
最終的に執事がもう一品、ツナ缶で薄味のあんかけスープを作ることで収まった。
気に入ったのか、ツナのスープばかりおかわりしていたものみは、今は朱鷺乃の膝枕、ソファで丸くなって眠っている。
「いつまでこの姿でいるのでしょうね」
ものみの髪を手櫛で梳きながら朱鷺乃が呟く。
「戻らなきゃ困るのか?」
高位の魔術師の使い魔なら、人の形をとるものも存在する。
それでも、単純な命令をこなすだけの、人に似たモノにしか過ぎない。
まだ使い魔を持たないアスキスには、少し羨ましくさえ思えるのだけれど。
「困る、というわけではありませんけど……」
「このままの姿だったとしても、
悪そうな笑みを浮かべるアスキスの提案に、朱鷺乃は曖昧な微笑みを浮かべただけだった。
「それよりも、“鍵”の話だ。約束通り、あたしに売り渡してくれないか?」
「…………」
「持っていれば、あんたらに危険が及ぶのはわかってるよな? 裁を探したいなら、改めて契約してやる。約束する」
「それでは、一日分の報酬と必要経費を差し引いて、キリの良いところで――」
朱鷺乃の提示した8桁の数字は、アスキスが手に入れたい代物に対して、決して高すぎる額ではない。
だが、アスキス個人の出せる限度を超えているのも明らかだ。
想定外の出来事で簡単に手元に戻ってしまったため、相殺を要求する分の報酬が少なすぎるのだ。
アビゲイルの指示は「買い取り」ではない。ただ弟子に持って来いと告げた物に対し、一セントだって出す気はないだろう。
「無理でしたらこのまま契約続行ですわ。お父様の死の真相を探ることと、その間のボディーガード。それに、この子を元の姿にするための情報を得られれば、追加でボーナスを差し上げますわ」
「……ま、そんなところか」
子供の使いではないのだから、鍵を持ち帰り、師匠に頭を撫でて貰って終わりにする気などない。
第一ラウンドは劣勢だったが、黒犬遣いの眼帯女にも、やられっぱなしで済ませるつもりもない。
鍵を朱鷺乃に持たせたままなのは心配だが、朱鷺乃の依頼とアスキスの関心は、同じ方向を指し示している。
「分かった、それで手を打とう。なあに、心配するな。あたしは依頼人が幼児パンツ愛好家でも、ちゃんと契約は果たしてみせるぜ?」
「誰が幼児パンツ愛好家か! くろねこミシェールはフランスのデザイナーズブランドで、歴としたティーン向け商品ですのよ!?」
「ローティーン向けじゃないのか?」
たまにはサービスで、もうちょっと大人なヤツも穿いて見せて欲しいものだが。
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