ネコなのか?
「遅いですわ!」
アスキスが待ち合わせの場所に着くと、
「そんなに遅れちゃいないだろ」
「5分前行動! って、貴女なに食べていらっしゃるの!」
朱鷺乃はアスキスがかじっている固形携帯食を指さし身を震わせている。
「なんだよ。欲しいのかよ意地汚い」
「買い食いなんてはしたないですわ!」
手を出しながらも詰るのをやめない。
戸惑いながらも口にすると、ようやく少し機嫌を直した。
「腹が減ってたのかよ。唸るほど金持ってるんだ、あんたも何か食べてりゃ良かっただろ」
「食堂がお休みでしたもの……」
時間は既に昼下がり。思えば昼飯を食べそこなっている。
育ちのいい朱鷺乃には、自分で買ったものをそこらで座って食べるという、選択肢自体が思い浮かばなかったのだろう。
朱鷺乃が聞き込みで集めてきた話は、学校の七不思議めいたものが主だった。
曰く、プールで足を掴む幽霊。英国庭園を這いずる化け物。図書館で消える生徒。人を食べる呪いの本。空に浮かぶ異形の影。
ありがちなものだけでなく、朱鷺乃も天屍に絡む噂に行きあたっている。
「英国庭園の化け物は退治してきたぜ」
「本当ですの? そういえば、私も一つ本物を見つけましたの」
朱鷺乃は得意顔でポケットからハンカチを取り出す。
包まれていたのは、一枚の白い羽根だった。
「幸運の羽根だそうですわ。見付けて持っていると、良いことがあるとか」
大きさは10cmほど。詳しく観察すれば、羽軸と羽弁が一体化し、鳥の物とは明らかに違うのが見て取れる。
色も厳密には白ではなく、半ば透き通り虹色に輝いている。天屍が降らせている羽根。あれの現物だろうか。
「とんでもなく密度の高いエーテル体か? ほとんど物質化してるようなものだな」
「なんですの、それ?」
放って置けば溶けて再び天屍の元へ戻るのだろう。
石柱による結界は、天屍の形を保つためのものではないか。
「願いが叶う、か……」
今まで見たことのない代物だ。
使いこなせるかは別にして、魔術の触媒としてはかなり効率は良さそうだ。
あるいは、この街に来てから触媒なしで風を操れるのにも、これが絡んでいるのか――
「あの護符のペンダント、いま持ってるか?」
「ここにありますけど。何に使いますの?」
鮮やかな青い石。大きめの欠片が一つ。台座には半分ほどしか残っていない。
2つに割れたラピスラズリに羽根を重ねて持ち、アスキスは加護を願う呪文を唱えた。
重ねた手のひらを開くと思った通り、白い羽根は消えていた。
「これでまた護符の役に立つはずだ。石を元に戻すまでは行かなかったが」
朱鷺乃はしばらく返されたペンダントを見つめていたが、台から外れた石の欠片を、アスキスの手のひらに戻した。
「御守りなら、貴女も持っておきなさいな」
「……ありがとな」
神妙な物言いに、何だか調子が狂ってしまう。
朱鷺乃にとっては形見の品といっていい物のはずだが、アスキスは素直に受け取っておくことにした。
「来るときから気になってたんだが、礼拝堂はどこにある? 外から鐘楼が見えてたはずなんだが」
「ルヒエルの礼拝堂には鐘楼はありませんわ。それも不思議な話として伝わっている様でしたけど」
鐘楼は旧校舎の時には学園のシンボルとして存在していたが、老朽化のため今は取り壊されてしまったのだという。
「なんでも、悩み事を抱えている生徒の目の前に現れることがあるそうですの。この世に存在するはずのないものだから、中に迷い込むと帰れなくなるとか。もっとも、鐘楼には天使ルヒエルが住んでいて、ちゃんと外へ導いてくれるそうですわよ」
「それじゃ、あたしは悩み事があるってことか?」
引っ掛かりを覚えたアスキスは、外から見えた方向に見当を付け探してみたが、煉瓦造りの古い鐘楼はどこにも見当たらなかった。
夕暮れの帰り道。
「危ないですわよ。ちゃんと前を向いて歩きなさいな」
アスキスは鐘楼が見えないかと、後ろに気を取られながら歩いている。
そのせいで、不意に路地から飛び出してきた影に対し、反応が遅れた。
「トキノー!!」
「えっ? 何、なんなの?!」
押し倒された朱鷺乃は、驚きのあまりキャラ作りを忘れている。
じゃれ付いているのは、一糸まとわぬ姿の少女――いや、チョーカーとネックレスだけは付けている。
小柄だが、ずいぶんとたわわな胸をしている。
危険はなさそうなので、アスキスは少女が混乱する朱鷺乃に抱きつき頬ずりする様を、しばらく堪能することにした。
「痴女か? ストリーキングか? 思ったより治安が良くないんだなこの街も」
「見てないで助けなさい! だ、誰ですの貴女! ちょ、どこ触って……放しなさい、はーなーしーて!」
「知り合いだろ? 名前呼んでなかったか?」
「……うん?」
もがいていた朱鷺乃が動きを止めた。
少女の肩を掴み、至近距離からまじまじと顔を観察する。
ふわふわと柔らかいミルクティーの髪。
栗色の瞳に不思議そうな色を浮かべている。
細い首には小さな鈴の付いた赤のチョーカー……いや、これは首輪か。
首輪に絡んだ皮紐の先に下がっているのは、錆の浮いた古い鍵――“鍵”?
「ものみ? 貴女、ものみですの?」
「うん! トキノー!!」
再びじゃれ付き始めた少女を、二人がかりで裏路地に引き摺り込んだ。
どこか犯罪めいた絵面だが、これ以上人目に付くわけにも行かない。
「なんだ、あんたの言ってた猫ってのはこいつのことか? いくら金持ちだからって、若いうちからこういう趣味は感心しないな」
「ち、違いますわ!! ものみは可愛い仔猫ですわ!!」
「ネコなのか?」
「そう、ネコ……って、違う! なにか違う!! 貴女絶対誤解してますわ!!」
「いいから落ち着けよ」
物陰でも騒いでいたら人が来るとも限らない。
とりあえず、朱鷺乃が着る物を調達してくる間、アスキスは身体で人目を遮りながら、少女から話を聞き出してみることにする。
「あのね、ゴスロリちゃんが来たよるにね、もうひとりお客さんがいて――」
「ゴスロリちゃんてのは、あたしのことか?」
うなづく少女。普段のアスキスの姿を知っているのか。
思い返せば、執事に見付かり屋敷の中を追い回されている最中、物陰から騒ぎを覗いている仔猫の姿を見たかもしれない。
ふわふわと要領を得ず、すぐに脇道にそれ始めるものみの話に、根気強く耳を傾ける。
どうやらあの夜、部屋の角から魔術で逃走した眼帯女を追いかけ、行き掛けの駄賃に鍵を取り返してきたと言いたいらしい。
鍵。
アビゲイルの言っていた“鍵”とは、これなのか?
何を開けるための鍵なのか。
「なにー、ゴスロリちゃん?」
身長の割に豊かな二つのふくらみと、桜色に色付くその先端に気を取られながらも、アスキスは谷間に収まる鍵をしげしげと観察した。
古い南京錠にでも使いそうな簡単なものだ。これで開く錠なら、アスキスのピッキング技術でもこじ開けられる。
だとすれば、この一本でしか開けられない特別な封印が掛けられている代物だと考えるのが正解だろう。
そこまで考え、ふとアスキスは気が付いた。
何を開けるかなんて関係ない。
「うん? ここでこれを頂いちまえば、あたしの
「お待たせですわ! さあものみ、早くこれを着なさい!」
時間切れだ。
アスキスが手を伸ばす前に、ものみは朱鷺乃のもとへ跳び出していった。
暴れるものみに服を着せるのは、また一苦労だった。
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