怖いですわ……魔女怖いですわ

 天使の屍骸で天屍てんし。アスキスは仮にそう名付けた。

 見上げれば空にまだはっきりとその異形を晒している。

 もう体調を崩すようなことはないが、心理的な圧迫感は半端ない。

 簡単に説明してはみたものの、朱鷺乃ときのと執事には、アスキスの抱く危機感や焦燥感までは上手く伝わらなかったようだった。


「安心なさい。活動拠点として無名都市に、庭付き一戸建てを手配しましたわ!」

「極端だな、おい!」

「さすがです、お嬢さま」


 恐らくだが、この街全体が天屍を繋ぎ止めるための装置のようなものだ。

 その代償に、この街は何らかの形で天屍の影響を受け続けている。

 朱鷺乃が一軒家を借りたのは、前夜のような襲撃を警戒してのことだろう。

 だが、空を覆うあの異形の影響からは逃れられるものではない。

 朱鷺乃のことを思えば追い返すべきなのだろうが、彼女は一人でも父親の死の真相を追うつもりだろう。


「あんなのでも、財布代わりとしちゃありがたいしな」


 無意識のうちに一人ではない心強さを感じている。

 そんな自分をごまかすように、アスキスは呟いた。

 

 借り上げた家の敷地全体に簡易の結界を張る。侵入感知と低位の魔除けだが、眼帯女レベルの相手には無いよりはマシという程度だ。

 朱鷺乃が大荷物を運びこんでいる間に、アスキスはあてがわれた一室を工房にすべく、器具や材料の発注を済ませた。

 簡易な工房だが、触媒の補充と製作くらいはこなせる。

 通常の流通で手に入るものに限れば、経費で落とし放題というのも魅力だ。


 眼帯の女はなりこそ目立つものだったが、魔術を使って移動しているのなら、足取りを掴むのは不可能に近い。

 手掛かりをたぐるなら、アビゲイルも欲する使い道の分からない“鍵”のほうだ。


「親父さんのオカルト趣味の絡みだろ。封筒の筆跡に心当たりはないのか?」

「これだけ乱れていては、例え家族の書いたものでも分かりかねますわ。ましてお父様の知人だとしても、私には……」


 別宅から持ち出した、紅劾こうがい の手帳をめくりながら首を捻る朱鷺乃。

 仕事用ではなく、趣味の交流に限った連絡先が記されている。

 数は多くないが古い情報も多く、連絡が取れなかった者もいたが、確認できた範囲では差出人の該当者はいなかったという。


「あとは封筒のほうか」


 幸い現物が残っている。

 弔事の直後で確認すべきものも多く、開封し中を改めたただけで放置していたのだという。

 安いボールペンで記された震える文字。

 極寒の中、利き手じゃない方の手で書けば、こんな風にもなるだろか。

 消印は無名都中央郵便局。貼ってあるのは切手ではなく、料金証紙とかいうものだ。


「局で直接出した時に貼るやつか。窓口で顔を見た奴が覚えてやしないか?」

「それですわ!」


 片付けを執事に任せ、朱鷺乃は勇んで中央郵便局へと向かった。

 ようやく手掛かりらしきものを得られるかと思ったが、そう上手く事は運ばなかった。


「個人情報だからお教えできませんって何ですの!? うちに届いた封筒だと言ってますのに!!」

「まあ、モノを送り届けるまでが仕事だからな。警察相手でもなきゃ、教える筋でも無いだろうし」


 地団駄を踏んで憤る朱鷺乃を引っ張って、アスキスは局の裏手へ回った。窓口で騒がれては目立ち過ぎる。

 非合法な手段や、暗示や呪い試すかと思案していると、折良く外に突っ立って、煙草を吸っている中年の男性局員の姿が目に付いた。


「仕方ない。少し手伝ってやるか」


 朱鷺乃にここは任せろと合図をし、アスキスはよそ行きの声を出し、上目遣いで話し掛けた。


「あの……」


 面倒くさそうに振り向いた局員は、アスキスを二度見した後、煙草を靴で揉み消し愛想笑いを浮かべた。


「なんだい、ルヒエルの生徒さんかい? どうしたのかな?」

「この封筒を持ち込んだ人のことを、教えて欲しくって」


 アスキスの声色に口を開け、唖然とした表情を浮かべていた朱鷺乃だったが、我に返ってまくしたてた。


「そうですの!! 窓口では断られましたけど、どうしても教えて頂く必要がありますの!!」

「窓口で……?」


 局員の表情が渋いものになる。


「あー、ごめんね。決まりごとだから」


 ややこしくなるから、お前は黙ってろ!

 目顔で朱鷺乃を牽制すると、アスキスは息を詰め顔を赤らめると、指を組んで局員を見上げた。


「わたし宛に、その……いやらしいものが届いて……警察に相談しても、話を聞くだけで何もしてくれなくって……」


 恥ずかし気にうつむき、肩を震わせる。目元には涙まで滲んでいるはずだ。

 金の髪に碧の瞳。人形のように整った少女の浮かべる羞恥の表情に、局員の態度が変わる。


「あ、うーん、それは酷いな。それで、ど、どんな物が送られてきたの?」


 食い付いた。

 上っ面の正義感に、下卑た好奇心が隠しきれていない緩んだ表情で、局員は問い掛けてくる。

 もう一押し。


「……ビニール袋の中いっぱいに……ベッタリと……いやッ! ヤダあぁ!!」


 顔を覆いしゃがみ込み、アスキスは嗚咽を漏らした。


「ご、ごめんね。許せないな。分かった、お兄さんに任せて」


 手で顔を覆っているのは、泣きまねが面倒になったからだと気付かぬまま。

 朱鷺乃から封筒を受け取ると、局員は建物の中へ消えた。


「なーにがお兄さんだよ、図々しい」

「呆れた化けっぷりですわね……怖いですわ……魔女怖いですわ」


 立ち上がり面倒そうに首を鳴らすアスキスに、朱鷺乃は戦慄の視線を向ける。


「下半身で同情させる手だ。呪いを使うまでもねぇ。性欲に正義感のお墨付き与えてやりゃ、男なんざ面白いようにハマりやがる……っと、戻って来やがった」


「分かったよ。でも、本人じゃあないのかもしれないな。中央病院の、女性看護師が出したものの一通だったって」


 アスキスは朱鷺乃と顔を見合わせた。

 確かに当たりじゃないかも知れないが、何も手掛かりが無いよりはマシだ。


「また何かあった時のために、君の連絡先を――」

「ありがとうお兄様! マリア様のお恵みがありますように!」


 ニヤけた中年男の戯言を断ち切って、アスキスは笑顔で踵を返した。

「怖いですわ……魔女怖いですわ……」という朱鷺乃の呟きは、タクシーに乗り病院が見えるまで続いた。



「今度は上手くやりますわ!」

「お手並み拝見といくか」


 勢い込む雇い主に、アスキスは生ぬるい微笑で応えた。


「――苦しい息の下で送って頂いたのだと思いますの。でも、残念ながら父は他界したばかりで、手にすることが出来ず。ご報告とお見舞いを兼ねまして、娘の私が参った次第ですの」

さばきさんですか? 処置だけされて、入院はされてないんですけど」


 自分を真似て、色仕掛けでも始めれば面白いと見守っていたアスキスだったが、受付で朱鷺乃が始めた説明は真っ当なものだった。

 半分は事実の説明に、看護師も不審の色は見せない。「怪我か病で入院し、看護師に投函を依頼したのですわ」という朱鷺乃の読みは半分ほど外れていたが、意外にもあっけなく差出人の名前が判明した。


さばき……慧士郎けいしろうでしたのね」


 紅劾の連絡先リストに名前があるだけでなく、朱鷺乃とも面識のある人物だったらしい。連絡が取れなかった者の一人だ。


「探索者――冒険家のようなことを生業にされていた方ですわ」

「……胡散臭いな」


 朱鷺乃の身に付けていた護符だけでなく、紅劾の書斎には“本物”が幾つも紛れ込んでいた。

 魔力の込められた品物に鼻が効くなら、ただの盗掘屋の類ではなさそうだ。


「随分ご無沙汰ですけど、以前はパートナーの、メンア・オサリバンさんと連れ立って、よくお父様に会いに来て下さっておられたのに……」

「その、処置だけ済ませたってのはどういう意味だ?」


 アスキスの問いに受付の反応は渋い。

 ここでもまた情報を伏せられるのかと思ったが、今度はそうはならなかった。


「あの切腹の人? 手当て済んだら一晩で出て行っちゃったからねー」

「ちょうど良かった。院内いんないさん」


 どこか無責任そうな軽い口調。

 ふらふらと廊下を歩いてきた薄いピンクのナース服の看護師が、受付の代わりに応えた。


「その封筒? 出したよわたしが。頼まれたから。夜勤明けだから、ちょっと遅くはなったけど」

「切腹? 何の冗談だ、穏やかじゃねえな」

「嘘じゃないよ。三島リスペクト? 流行ってるのかな? 自分で刺したとかいう話だったけど、割腹までは至らなかったね! ゴメン、盛りすぎた!」


 なんだこの女?


 べらべらと回る軽口に、アスキスでさえ鼻白む。

 病院に必須の命に対する真摯さを、欠片も持ち合わせてなさそうだ。

 よくクビにならないものだ。


「そ、それじゃあ、おなかを縫ったあと、ご自宅ででも療養されてるいらっしゃるのかしら?」

「さあ、どうだろう? まだ若くて丈夫そうな人だったけど、3日は絶対安静レベルなはずだったんだけどな。目を離したら、本当にふいっといなくなっちゃったから。動けるなら治療費くらい払いに来てくれれば良いね、みたいな!」

「みたいなじゃねぇよ」


 また厄介な展開だ。

 だがこの看護師の話が事実だとすると、誰かに命を狙われたというのでもないらしい。

 病院を抜け出したあと行き倒れていれば、新聞沙汰か警察沙汰になっているはずだ。


「もしまた来院されたなら、ご一報頂けますか」

「かしこまり!」


 安請け合いが胡散臭いが、朱鷺乃は院内に携帯端末の番号を教えた。

 看護婦はアスキスたちが病院を出るまで、ずっと目を離さず、笑いながらひらひらと手を振り続けていた。


「あの女……出てくるタイミングを計ってやがったか?」

「考えすぎじゃありませんの?」


 違和感を覚えるアスキスだったが、空振りに気を削がれたか、朱鷺乃は気のない様子で返した。

 市内の病院に片っ端から電話を入れてみたが、結局裁が来院したという情報は得らずに終わった。

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