瑛明殿下の生い立ち《2》


 とうとう、瑛凛王女殿下が、白家本邸にお移りになる日がやって来てしまいました。

 その日は、王妃さまに仕えていた者をはじめとする多くの後宮の官(後宮付きの職員。主に、女官や侍従など)が、見送りに参りました。

 そこには、瑛明殿下のお姿もありました。

 瑛明殿下は、泣きじゃくる妹君の瑛凛殿下をおなさめになり、軒車けんしゃ(馬車のこと)に乗るようにおっしゃいました。

 兄君に説得された瑛凛殿下が、泣く泣く軒車にお乗りになります。

 今まで涙を流すのを我慢なさっていたのでしょう。

 その時、瑛明殿下の瞳からも、小さな雫が落ちてきました。

 瑛凛殿下がお乗りになった軒車が、動き出します。

 それを、瑛明殿下は何もおっしゃらずに見つめていらっしゃいました。

 軒車の窓から顔を出して、こちらに手をおふりになる妹君を心配させないように、震える声を押し殺しながら。

 そうして瑛明殿下は、軒車が完全に見えなくなる時まで、その場を動こうとはなさりませんでした。

 そして、頬をつたう涙を一度もぬぐうことなく、白竜宮の中に帰っていかれました。

 それが、瑛明殿下が人前で見せた、最後の泣いていらっしゃるお姿でした。


 それからのことです。

 瑛明殿下がすっかり様変わりしてしまわれたのは。

 瑛明殿下は、私のようなご誕生のときからずっとおそばでお仕えしている者の前でさえ、子どもらしい仕草をお見せにならなくなってしまいました。

 まるで、一気に大人になってしまわれたかのように。 

 おおやけの場にお出ましになる時はもちろんのこと、どんな時も大人びた振る舞いをなさるようになりました。


 しばらくしてから、瑛明殿下は私たちにあるご命令をなさったのです。

 "今までわたしが使っていた物を、ほぼすべて、わたしの部屋からなくしてほしい。物置かどこかで、大切に保管してもらいたい"、と。

 そうおっしゃって、ご自分のお持ちの物をすっかり分けてしまわれました。

 妹君の瑛凛殿下とよく一緒に遊んでいたおもちゃや、手習いの本、しまいには亡き母君との思い出の品もみな、箱の中にしまってしまわれたのです。

 私は、瑛明殿下のお部屋のお片付けをお手伝いしました。

 その時、殿下にお尋ねしたのです。

 "なぜ、このようなことをなさるのですか?"、と。

 瑛明殿下は、しばらく黙ったまま、何かをお考えになっていらっしゃるようでした。

 それから、ずいぶんと時間が経った後、こうおっしゃったのです。

 "もう、わたしのそばには…………一緒に遊んでくれる妹も、笑いかけて、ほめてくださる母上も、頭を優しくなでてくださる父上も、いない。だから…………必要ないのだ"、と。

 この時、私は思わず我慢できずに泣いてしまいました。

 瑛明殿下は、この国で一番偉い齋王陛下のご子息という、誰もがうらやむ地位におられながら、本当はずっと一人ぼっちでいらっしゃるかもしれない…………。たとえ、私たち女官がそばでお仕えしていても…………それでも決して消えることない孤独感を常にお感じになっていらっしゃるのではないか…………と。

 そう思ったら、私は涙が止まりませんでした。

 そんな私に、瑛明殿下は励ますように"大丈夫だ"、とおっしゃり、こう続けられたのです。

 "わたしは、この国の王子だ。わたしには、愛すべき民が、国がある。だから、早く父上を…………齋王陛下をお支えできるような、立派な王子にならなければ"、と。

 そのどこまでも健気で痛々しいお姿に、私は今さらながら、気が付いたのです。

 このお方は、名実ともに龍国の王子殿下なのだ、と。

 このお方が立派な王子さまになるように、お支えしてくことこそ、亡き王妃さまに私ができる、恩返しなのだと。

  

 

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