瑛明の書斎で
彼がこの宮に来てから、すでに一ヶ月半ぐらいの時が経っていた。
そんなある日の朝、白竜宮の下級女官の寿晏こと晏如は、瑛明の自室の掃除をしていた。
実を言うと、初めのころは庭の掃き掃除や、廊下のふき掃除くらいしかさせてもらえなかった晏如。
しかし、徐々に信頼を得ることに成功したのか、最近では、瑛明の自室の掃除まで、任せてもらえるようになったのだ。
そんなわけで、晏如は今、瑛明の書斎の掃き掃除をしているのである。
今日は珍しく、瑛明が自室の書斎で書き物をしていた。
彼はいつも、日中は宮を留守にしていることが多い。行き先がどこなのかは、まったくわからないが。
だが、下手に首を突っ込んでいけない気がしていたので。瑛明に行き先を尋ねたりしたことは、一度もなかった。
はたきを持った晏如は、書類の山々に降り積もったほこりを一つ一つ、丁寧に取りのぞく。
どうやら、瑛明は掃除が苦手らしい。というか、そもそも整理整頓自体が苦手のようだ。
何でも、一度読んだら忘れないという、うらやまし~頭脳をお持ちのようで。読み終えた書類や本は、片っ端から脇に積んでいってしまうらしい。
その結果。いろいろな種類の書類や本が、ごちゃ混ぜになって、いくつかの山をつくっていた。
だから、初めて瑛明の書斎に入ったとき、あまりの山の多さに晏如は絶句した。どうしたら、こんなに山をつくることができるのか…………、と。
それでも、胡蝶などの女官が、定期的に掃き掃除はしているらしく、ものすごく汚れている、というほどのものではなかったが。
その後、瑛明を遠慮なく叱り飛ばした晏如は、彼の書斎の書類整理を始めた。
その日以来、毎日コツコツと整理をしているので、十個ほどあった山を、半分までに減らすことに成功した。
よって少しずつ、書斎はきれいになってきている。
そんな風に、晏如が掃除に励んでいたら。
「失礼いたします、殿下。
「ああ。ご苦労さま」
差し出された書簡を受け取り、そう言って胡蝶を下がらせた瑛明。
すぐにそれに目を通した彼は、掃除をする晏如の方を見た。
「
「え、えぇ――――っ!? 僕、ですか?」
晏如は驚いた。
まあ、それも無理はない。齋王宮に入れ、かつ齋王陛下と謁見が可能なのは、かなり高位な者に限られるからだ。
つまり、齋王宮以外の宮に仕える女官なんかは論外。
だから、齋王陛下どころか、宮廷に仕える官吏すら、晏如は見たことがなかった。当たり前と言えば、当たり前なのだが。
驚きのあまり、持っていたはたきを落とした晏如。
そんな彼の様子など一向に気にすることなく、瑛明はうなずいた。
「ああ。わたしの側仕え(男の
さも当然、とばかりに言う瑛明。
我に返った晏如は、ふつふつとわき上がる怒りを抑えつつ、瑛明に聞いた。
「……恐れながら、申し上げます。いつ、僕は、あなたさまの側仕えなんかになったのですか?」
「ん? ああ、それはだな……今、この時をもってだ」
「はぁっ?!」
晏如の口から、すっとんきょうな声が出た。な、何だって!?
「おめでとう、寿晏。そなたは今日から私の側仕えだ。ほら、“光栄なお役目、ありがたく存じます”と泣いて喜べ」
「ちょ、ちょっと! ま、待ってください!!」
何だこの人は!?
女装しろ、掃除をしろの次は、側仕えになれだと!? 側仕えと言う名の
ふざけてる、ふざけるだろう!!
「ほら、喜べ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべ、両手を広げる瑛明。
晏如は、なおも食い下がろうとした。
「だから、本当に待、」
「待たぬ」
瑛明は、一言で晏如の言葉を封じた。
「寿晏。支度をせよ。そして、ついてこい」
こう有無の言わさぬ王子の口調で命じると、瑛明はパンッパンッ、と扉に向かって軽く手をたたく。
すると扉の向こうから、音もせずに胡蝶が現れた。
「胡蝶」
「はい」
「後は頼む」
即座にこの場の状況を理解した胡蝶は、「承りました」と言って、
「ではまた後でな、寿晏。門の前で、待っておるぞ」
バイバイと、手をふる瑛明。
そのまま、彼は奥の部屋に引っ込んでしまった。
「で、殿下ぁ〜」
我ながら、情けない声が出る。
そんな晏如は胡蝶に腕をつかまれた。
「寿晏。行きますよ」
振り返った晏如は、その次の瞬間、ひぃっと声をあげそうになった。胡蝶の顔が…………コ、コワイ。まさに、ヘビににらまれるカエル。
「…………はい」
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