いきなりの無理難題《3》


「何を怒っておる。そなたには、少しばかり女装してもらうだけだ」

 その後。

 言いたいことをはっきりと口に出した晏如は、開口一番、優雅に椅子に座る瑛明に詰め寄った。

「少しだけ!? どういうことですか!? というか、なんでこんな場所で僕は女装することになるんですか!?」

 そうだっ! 僕は女装するために都に来たわけではない! 決っして!

 実は晏如自身、女物のきぬを着ること自体に抵抗があるわけではない。もともと晏如の家は、貴族とは思えないほど貧乏な家だった。

 だから、亡き母の衣を仕立て直したりして、着ることはよくあったのだ。

 そのため、もともとただでさえ女の子に間違われやすいのに、さらに間違われやすくなっていたのではあるが…………。知らぬのは本人ばかりかな、そんなことは一切気が付かなかった晏如である。

 そもそも、この国の衣の根本的な構造に、明確な男女の違いはない。ただ、色使い、柄などで、男女の違いが出てくるのだ。

 だから、と言っても、こんな薄桃色・花柄・フリフリの衣なんか、着たくない! いや、そもそも女装自体、お断りだが。 

 そんな、晏如の訴える声など、まったく気にすることなく。

 瑛明は、「そうだ。そなたに新たな名を授けよう」と、少しばかりウキウキとした様子で考え始めた。

「うむ………確かそなたの名は、晏如であったな。ならば、"寿晏じゅあん"、と言うのはどうだ? そなたに似合う、良い名であろう?」

「ちょっと待ってくださいっ!! そんなもの、いりませんからっ!」

 何言っているんだこの人はっ! っというか、人の話を聞けよっ!

 この時ほど、目の前にいる王子殿下に怒りを覚えたことはなかった。と、のちに振り返った晏如が言うほど、瑛明はまったく聞く耳を持とうとはしなかった。

「いらない、だと? そなたは何を申しておる。このわたし自ら授けた名ぞ。それを気に入らぬというのか?」

 うっ…………と、晏如が一瞬口ごもったその瞬間を、彼は見逃さなかった。

「まあ、そなたも喜んでいるようだし、これで決定! というわけで、仕事の話に移ろう」

「いいから僕の話を聞いてください!!」

 晏如は叫んだ。

 それはもはや、絶叫に近かった。

「ん? 話か? それは後ほど、女官長の胡蝶にでもしてくれ。わたしは忙しい。そなたとゆっくり話してすほど暇ではなくてな。すまぬ。許せ」

 すまぬ、許せ、と言っているが、完全に悪いと思っていない。

 その証拠に大して悪びれることもなく、話を続けようとしている。

 晏如のこめかみに、青筋が浮かんだ。

 しかし、晏如のはらわたの煮えくり加減など一切気にしない瑛明は、彼の姿を上から下までじっくりと眺めたあと。

 うん、と満足そうにうなずいた。

「何も気にすることはない。大丈夫。にバレたりなど、せぬ」

「だから、何気に僕が一番気にしていることを言わないでくださいっっ!!!!」

 晏如は、すかさずツッコミを入れた。

 そこは…………そこは、一番触れてほしくなかったことなのにぃぃ――――っ! もう、イヤだぁぁ――――っ!!

「ああ。悪かった。しかし、我慢してくれ。ここは、原則男子禁制。わたし以外の男が入ることは、禁じられておる。齋王陛下のご命令によってな。だから、こうでもしなかったら、正真正銘の男であるそなたをここには置けぬのだ」

 こう、サラっと重要事項をおっしゃる瑛明殿下。

「………………だから、ですか」

「その通り」

 晏如は。そうか、と。

 この時の晏如ほど、自分の中性的な顔立ちを恨んだことはなかった。

 ただでさえ、この顔立ちのせいで昔から女の子に間違われることが多かったのだ。彼が、自分の容姿に劣等感を抱くのは、当たり前のことだろう。

 それに。

(…………いや、それよりも先に言えよ。ここが、原則男子禁制だって。こんななんて、いらないし)

 晏如は、もう内心げんなりとしていた。

 もはやおこりたくても、どこからつっこめばいいか、まったくわからない。

 晏如は、それでも口を開く。

 ここで、何となく晏如の逆鱗げきりんに触れてしまったことに気が付いたのだろう。

「まあ、そういうことだ。ほら、もう今日は遅い。室に戻って早く寝なさい」

 瑛明は、晏如にさりげなく退出するよう、促した。話はもう終わりだと、言わんばかりに。

 彼は、まだワーワーギャーギャーとわめきながら抗議を続ける晏如の背を無理やり押し、扉まで連れていく。

 そして、廊下に向かって彼の背を、ドンっと強く押し出した。

「おやすみ、寿晏。明日から、よく励め」

 扉の向こうからひょっこりと顔を出してそう言うと、瑛明はどこまでも鮮やかな笑みを残して、扉を閉めたのだった。

 バタンっと、晏如の目の前で、扉が閉まる。

「ちょ、ちょっと!」

 ほぼ強制的に瑛明の部屋を追い出された晏如は、ドンドンとあらく扉をたたいた。

 しかし、鍵でもかけたのだろう。

 扉はびくともしない。

 しばらく、そうやって扉を開けようとしていた晏如であったが、それが無理だということを悟ると。

 怒りに肩を震わせたまま、自分に与えられた部屋に向かうのであった。

 もう一度立ち止まって、瑛明の部屋の方に振り向く。

(あの我がまま王子め――――、覚えていろ!!)

 捨て台詞とばかりに心の中で吐くのを最後に、晏如は廊下の角を曲がった。

 夜の離宮は、今日も静かであった。


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