二章

月明かりの下で


「今日も、きれいだな…………」

 誰かがポツリと、つぶやく声がした。



◆◇◆◇◆



 少年は、露台ろだい(テラス。バルコニーのこと)から外の景色を眺めていた。

 

 少年の、色白の細面ほそおもてに、整った鼻筋。

 彼の黒曜石のような両の目が見つめる先には、夜空に浮かぶ金色こんじきの月。

 今日は上弦じょうげんの月(月の右半分が輝く、半月のこと)だ。

 りゅう国の二龍大祖神にりゅうだいそしん二龍神にりゅうしん、または王祖神おうそしんとも)が一柱ひとはしら白龍神はくりゅうしんは、水と夜をつかさどる。月は、その象徴だ。

 雪のように白い肌をもつこの少年にとって、夜は一番過ごしやすかった。昼の日の光が苦手なのだ。もともと病弱だった彼の身体には、日の光はきついらしい。

 そのせいか、彼は同い年の男の子よりも、ずいぶんと小柄だった。


 少年の名は、さい瑛明えいめいという。性別は、男。

 ここで、なぜ白竜宮はくりゅうきゅうにいる王子と同じ名前かと、疑問に思うかもしれない。

 実は、白竜宮にいる王子は、正しく言うとさい瑛凛えいりんという名の、王女だ。

 それは、なぜか。

 彼らの父・今上きんじょう(現在、王位についている王さまのこと。当代、とも言う)の齋王さいおう陛下が、ある理由から、双子であった二人を入れ替わって育てるように、密かに命じたからだ。

 それ故に、齋瑛明であった王子は、王女・齋瑛凛として、王妃であった母の実家に引き取られ、齋瑛凛であった王女は、王子・齋瑛明として、白竜宮という離宮で育てられることとなった。

 こうして、性別を偽って育てられた双子の姉弟きょうだいは、それぞれの場所で、大きく成長しているのであった。

 ちなみにこれは、彼らに深くかかわる一部の人しか知らない、齋王家の隠された大きな秘密でもある。

 そんな秘密を、双子の姉と抱えている少年が、月のかがやきに酔いしれていたら。

「瑛明。何、たそがれてんの?」

 ひょいっと、露台の入り口に、一人の女の子が現れた。

百合ゆり、戻っていたのか?」

 瑛明は、彼女の方を見ると、少しばかり驚いた声をあげた。

 もう、戻ってきたのか。早いな。

「ええ。白家大武術合宿が今日終わって。早馬とばして帰ってきたところよ。ただいま、瑛明」

 百合、と呼ばれた女の子が微笑む。

「ああ。おかえり、百合」

 瑛明も微笑んだ。

 彼女は、瑛明の又従兄妹はとこだ。

 瑛明の祖父と彼女の祖父が、兄弟だった。

 百合は産まれてからすぐに、両親を流行病で亡くしたらしい。

 彼女の祖父、つまり瑛明の大叔父にあたる人も、その奥方もとっくに病気で亡くなっていたため、瑛明の祖父に引き取られたのだ。

 そんなわけで、瑛明と百合は幼馴染みのように育った。

 ただ、彼女は白家のお家芸である武術の方が向いていたらしく、今は瑛明の母の伯父が束ねる近衛隊の稽古合宿に、時々参加していた。

 将来は、女武官になるのが夢らしい。

 龍国では、女性でも武人になれる。

 男子禁制となっている神殿内での警護や、後宮内での警護には女性の方がいいからだ。

 とは言っても女武官は滅多にいない。

 なぜなら、まだ武官は男の仕事という意識が根強く残っているからだ。だから当然、軍の中での女性差別はかなりある。

 その中で、たくましくがんばろうと努力する百合はすごいと、瑛明は思っている。

 まあ、本人の前では絶対に言わないが。

 瑛明はふと、百合の髪を見た。

「あれ、おまえ湯浴みしたばかりか?」

「ええ。そうだけど」

 百合の黒髪が、濡れていたのだ。

 実は、白家本邸のすべてが一つの聖域となっているため、外から入って来たければ、みそぎをしなければならない。

 百合は、禊の後に湯浴みをしたのだろう。寝間着を着ている。

 そんな彼女は、瑛明のいる露台から、建物の中に歩を進めた。

「ねえ、瑛明。あなたの部屋に、入ってもいい?」

 そう言うと、百合は露台から、そのすぐそばにある瑛明の部屋に上がった。

「別に構わないが…………。それにしてもなあ、おまえもよくこんな夜に、人の部屋に普通に入るよな」

 瑛明は、思わずため息をつきたくなった。

 表向きは姉・瑛凛王女のふりをしているが、自分は正真正銘の

齋王の息子だ。

 そんな相手の部屋に、よくもまあ自分の部屋のように入るものである。

 しかも、常識的に考えても、事前の約束なしに人の部屋を訪ねていい時間ではないにもかかわらず。

 王子である自分に、そんな風に何の遠慮もなしに関わろうとする人間は、後にも先にも彼女だけであろう。

 しかし、瑛明のそんな思いを知らない百合は、瑛明のケチー、と言って唇をとがらした。

「少しぐらい、いいじゃない。あなたの部屋にいたって」

 ね、そうでしょう? そう言うと、百合は、微笑む。

 その笑みを向けられた瑛明は、視線をさまよわせた。

 百合が、瑛明の部屋の寝台しんだい(ベットのこと)に潜り込む。

「これでもね、合宿期間は、とっても疲れるの。昼は稽古で厳しいし、夜は何かと用心しなければならないし。正直、いつも神経を張り詰めている状態なの。だから、昔のように、あなたの部屋で寝たいわ。いけないかしら?」

 百合はため息をついた後、少し苦笑した。

 瑛明は、思った。

 彼女がこんなに自分を信じてくれていることが、うれしいと。

 それと同時に彼女をこの手で守りたいと、強く思った。

 しかし、瑛明はこの感情の名をまだ知らない。

「わ、わかった……」

 瑛明は不自然なせきをした。照れ隠しだ。

 百合はそんな瑛明の姿がおかしくて、クスっと笑った。

「あ。あと琵琶びわも弾いて欲しいわ。お願い、瑛明」


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