8「Daydreamers on a disallowed game」
走り続ける彼。
青白色の瞳が静かに光る。
足音はなく、速度に乱れもない。
無音歩行術、安定呼吸法。
練習をしなければ使えないくらいなら、覚える価値もない。
感覚で使えてこその技術だろう。
意識をちょこっといじくるだけで、肉体をちまっと敏感にさせるだけで、これくらいは何とでもなる。
気分は軽い。
高揚感はなく、点に昇華される意識の束。
より合わされて空想は現実に、虚構は真実に。
壊れたまま、正常起動する。
目的地へ向かって一直線、ガードレールを越えて暗黒の世界を駆け抜ける。
体は軽く、生茂る草を踏みつつ、しかし一本の草も折ることなく浮遊感はなくならない。体重が抜けてしまったような奇妙な感覚だ。肌に触れる風は優しく心地良い。まだまだ速度は上げられそうだった。一歩、また一歩、限界へと近づける。木が、虫が、彼の行為を肯定し、一切の邪魔をしない。
自然は常に世界は常に彼の行動を束縛しない。
昔からそんなことを思っていた。
もちろん、それで今しようとしていることが正当化されるわけでもない。自分が行っていることは、『社会』という前提に対しての罪であることは理解している。理解しているつもりだ。
だから何だ。
そんなものを遵守するのは生まれて『性質』に気が付いたときから、とうに諦めている。
自分は排除される側でいい。
こんなとき、彼はいつも考える。
誰かに守られているような。
誰かに見られているような。
見たこともない大きな気配に、覆われているような。
気のせいに違いないと思いつつ、その考えは全体を支配していた。
「あれ?」
呑気な声で彼が言う。唇を動かしただけで、声には出していない。
それと同時に、無音で足を止めた。
彼は遠くから衝突音を聞く。
視覚ではまだ感知されていない。
進行方向の途中だ。
予定時間を多少繰り上げて、彼はそちらに向かう。
何かムカついたので、彼は標的をある男にしていた。
普段なら、感情でこんなことはしない。
感情があれば認められるわけもない。
過去の清算でもなく、現在の復讐でもなく、未来の希望でもなく。
複雑な経路に興味はなく、結果の一点のみを突出させていた。
もっと、彼は純粋な位置で命のやり取りをしたいのだ。
感情で行ったのは、ただの一度だけ。
最初の、混乱の憎悪だけだ。
標的の行き先はわかっていた。
車に乗り込むところを、きちんと間近で見ていたからである。あの場でやってしまおうとも考えていたが、標的外の二人も処分しないといけなくなるため躊躇していた。殺すのにためらいも労力も必要としていない。近場でやれば中にいた人間に疑いがかかる。さすがに自分が捕まる心配などしていないが、万が一という可能性もある。事後処理でここに無駄に足止めされる気分もない。
そうして判断を三秒鈍らせている間に、猫威がやってきたのである。
これから向かう先は別邸だろう。移動中に見つけておいた。何をするつもりかは知らないが、用心なことだ。
いや、本当は知っている。
彼らが個室で会話をしている間、ドアに張り付いて聞いていたのだ。
会場にいるのも飽きて、何か面白いことでも落ちていないかとふらふら歩いていたところだった。誰にも注意されなかったので、うろうろしても問題ないと判断していた。当然、誰にも気が付かれないように移動していたのは彼自身である。
そこで会話を聞いた。
特徴的でもない、ありふれたストーリーだ。
誰にでも好き嫌いはある。
そういうものが趣味嗜好の人間の存在を否定するつもりはない。殺人が趣味の人間よりは多いはずだろう。単純に、彼がその存在を認め、その上で嫌っているだけだ。
多くの人間が殺人を嫌悪しているように、同じ人間であるなら、殺人鬼も何かに嫌悪をする。
彼女に同情などするつもりもない。
少しだけ、運が悪かった。
それで済まされる。
同情はない、それによって中身が壊れてしまった人間を何人も見ている。それらを見て、人を精神的に殺す方法もあるものだ、と妙に納得したくらいだ。恐怖で支配するのではなく惰性を植え付ける。中身を空っぽになるまでくり貫いて役に立たない綿を詰めていく。
ひとおもいにやるより性質が悪い。
よほど可哀想なほど精神がねじれているんだろう、と彼は彼らに対して思っている。
しかもその対象者が弱者ともなれば余計に感じが悪い。気色悪すぎて、あの会話を聞いたあと、トイレで夕食を吐いてしまったくらいだ。他人の内臓を見ても何とも思わない彼でも全ての事柄に耐え切れるわけでもない。本当ならあの部屋に突入して一番惨たらしい方法で、二人、もしくは三人ともバラバラにしてやりたかった。
被害者への精神的同情はなく、加害者への生理的嫌悪があるだけだ。
「どういうこと?」
衝突音がした現場が見える位置まで移動して、彼は不思議な声を出す。
思考予想では五割を超えていたとはいえ、ちょっと信じ難い現象ではあった。
追いかけていたはずの車がガードレールを突き破って一メートルほど落下している。運が良いのかどうかはわからないが、そこは比較的柔らかい土の上に草が生えている広場だ。車はそこで衝撃を吸収し、その先にある木で止まっている。衝突したことには違いないが、フロントがへこみすぎていないところを見ると、木に助けられたということだ。更に下に、崖と言ってもいいくらいの大きなへこみがある。
「ま、いいか」
二秒で状況を理解して彼は立っていた、大きな木から飛び降りる。
「死んでないといいな」
これから殺すから。
ぼそりと呟いて、彼は駆ける。
「スイッチ、オンと」
脳内に張り巡らされたスイッチを入れ替えする。
メインスイッチを譲渡して、サブスイッチを保留状態にする。
鍵盤でも叩くほど陽気に、頭のスイッチを押したり引いたり繰り返す。
スイッチを押す人間は、無遠慮に、他のスイッチが壊れても構わないつもりで叩いて引っ張る。
思考と肉体は、正常に機能。
真実に還る。
舞台に登場するには、十秒とかからなかった。
放り出されたのだろう、小太りの男と少女が草原に倒れていた。男は膝をつき、乱れた呼吸を戻そうとしている。目立った外傷は見当たらない。少女は、ドレスの左半身が所々赤く染められている。
コントラストが綺麗だ、と彼は思った。
男は無視して、彼は少女の前に立つ。
しゃがみ込んで、少女と目を合わせた。
「どうしたい?」
彼は彼女に質問をする。
どうして欲しい、ではなく彼女がどうしたいのか彼は聞く。
「たす、けて」
焦げ茶の瞳が彼を捉える。怯えているかとも思ったが、その瞳はバルコニーで会ったときよりも生きているように見えた。
彼は、その瞳が気に入った。髪の色ととても合っている。
それだけの理由だ。
「オーケイ、契約をしよう。俺が君のネジを回す」
傷ついていない彼女の右側に回り、彼女の右手首を左手で支え、簡単に指きりをする。歌は歌わなかった。
彼は彼女の手を取って優しく立たせる。
「それほど酷い怪我はしていないね」
彼女の体を見渡す。出血はしているようだが、骨が折れたり、肉が裂けていたりする様子はない。傷が残るかもしれないが、放っておいてもすぐに命が危なくなることはないだろう。
「おい、はやく救急車を呼べ」
「あ?」
後ろにいた男が怒号を上げる。
もっとも怪我のせいか緊迫感だけが伝わり、凄みは全くない。
「ごめん、良く聞こえなかった」
ナイフを取り出す。無骨なサバイバルナイフでグリップは指にしっくりくるように樹脂製だ。愛用していているわけではないが、威嚇には十分な役割を果たしてくれる。
彼にとっては武器に意味はない。銃でもナイフでも素手でも石でも、同じ結果をもたらす道具となる。
男の顔つきが変わった。
「さて、とこうしよう。この馬鹿は助手席に座っていた。それで君の父親と口論になった。金銭の貸し借りについて、だ。ここまではオーケイ?」
大手を振って、立会い演説をするかのように二人に聞こえる声で説明をする。
ついでに、ぽいっと、ナイフを男の前に投げ捨てた。
「そこで、馬鹿が怒ってナイフを取り出し、彼に切りつけた。それを避けるために、彼はハンドルを思い切りきった。その結果が」
「クソガキ!」
男は罵声を上げながら彼が落としたナイフを掴み、後ろから切りかかった。宣言する余裕は、ないはずなのに。
彼は突きたてられるナイフを見もせずに避け男の背後に回る。右手でナイフを持つ男の手首を握り、心臓の中心よりも五センチ左側に先端を当てる。
結局その程度か、わざわざ反撃の機会を与えてやったというのに、張り合いがない。
「ゆっくり歩け、今死にたくなかったらな」
液体窒素のように冷たい声で、彼は男に告げる。それに入れられたバラみたいに、男の足は硬直していた。
バラがバラバラだ。
つまらない。
「ま、どうせすぐ死ぬんだけどね」
「き、貴様、何を」
「質問するんじゃねえよ、馬鹿」
ナイフを喉元に当て威嚇をする。
「ひいい!」
勢いは霧散してしまい、男はB級ホラー映画くらい安い悲鳴を上げた。
「だ、誰にも言わない! 金もやる!」
「俺に命令するな」
彼の一言で、男の喉は震えるのを止めてしまった。
「続けてよろしゅうございますか?」
ガン、と男の膝を蹴る。
「よろしいか、って聞いているんだよ、ゴミ野郎」
返事がないので反対側の足も蹴った。
「で、今度は君がいた理由をどうするかだ」
二人が争っていたことは周知の事実らしいし、何かしらの取引があって場所を移したのもとりあえずは理解される。だが、それに彼女を連れて行く必要がない。誰でもそこを疑問に思うだろう。
「真実を告げても良いけど、あんまり気分が良い話じゃないね」
証言するのは彼ではなく彼女である。気分が良くないのは彼の方だったが、彼女自身も無闇に言って回りたいものではないだろう。
「偶然とか、まあ、そんなので。向こうに必要なものがあったとか。大切なのは、何を言うか、じゃなくて、どう言うか、だから」
曖昧な設定を付け加える。別邸に何があるか彼は知らないので、この方便が使えるかどうかは、彼女次第である。
「ああ、俺は報酬を言っていなかったな」
彼女はきょとん、とした顔をしている。
彼に言われて今したのか、元からそういう表情なのか、彼は思い出せなかった。
「報酬だよ、報酬。君はこの場を逃れたかっただろう? 誰かに助けて欲しいと思っただろう? どんなことしても、今を変えたいと思っただろう?」
彼は勝手に話を進めていく。
この無表情の彼女に、生きる意志を確認しておきたいのだ。二人の死は決定している。彼女はまだ猶予があるのだ。生きたくもないのにここで見逃してしまっては見逃し損一つ、となってしまう。
彼は彼女の言葉を待つ。
男には注意を払わない。おかしな動きをしたら、サクっと殺してしまうつもりだ。この男にそんな度胸があるとは思えないが。
「報酬を払う意思は?」
「金なら」
「黙れっての」
男の嘆願も放っておく。あまりにうるさいので、今すぐ喉元掻っ切ってやりたいが、全身に返り血を浴びるのは控えたい。
「どうする?」
彼が念を押す。
彼女が頷く。
「声に出して、契約を」
「払います」
「よし、依頼と契約。動機を明確にしておこう」
動機は元々ない。動機があれば行為が不純になってしまう。ジョークの一種のつもりなのだが、彼女に伝わるわけもないだろう。
「俺は割りと親切だから。低賃金で働く」
ケラケラと、彼は笑った。ここまでがジョークだったのだが、掴まれてる男も視線を合わせている彼女もそれに対して何の反応も取らない。
「こいつの命でいい」
「ひっ!」
引きつった叫び声だ。
息を吸い込みながら声を出すのは難しそうだ、と彼は思う。
「お前が、あの女の言っていた殺し屋か?」
「何それ?」
男に彼が反応する。
女、と聞いて、すぐに倉木が思い浮かんだ。男の口調から言って倉木が殺し屋ではないことはわかる。その他にそんな存在がいたのだろう。
ならばどうせ自分が殺しても同じことか、と彼は安心した、わけはなかった。
「そんなのと一緒にしないでくれる?」
彼は心外だった。
仕事意識からの行為ではない。趣味や仕事よりも、もっと根幹を成していることだからこその意味があるのだ。人を殺して金銭を得るなどもっての他だ。目的が手段に取って代わられているではないか。
「さあ、入った入った」
背中をナイフで押して、男を助手席に押し込める。
「あ、そうだそうだ。ナイフは止めよう」
突きつけていたナイフを懐に戻す。
彼の言葉に、少し緊張感を緩める。
「ちょっと座っていてね」
言葉使いは優しいが抵抗はできないと悟ってしまったのだろう、男は大人しくしている。逃げ出す機会を狙っているのかもしれないが、彼と男ではいる地点が違いすぎる。
「えーと」
男を無視しながら、彼はダッシュボードを開けて中身を探る。領収書の束が多い。目当てのものはきっとあるはずだ。
それを見つけて、右手に握り締める。
「た、頼む」
武器というのはそぐわなすぎるそれを、彼は男に見せる。男も何をされるか、想像がついてきたのだろう。拳を握っている。体からは冷や汗が流れている。
「寒い? クーラー入れようか?」
心底心配した顔で、彼が男に聞く。
「待ってな、直に熱くなる」
月夜に黒く光るそれをくるくる回す。
「死んだあと見えないのと、聞こえないのと、話せないの、どれが良い?」
「ま、まってくれ」
「うるさい、喉にしよう」
選択を放棄されたので、彼は勝手に方法を決めた。
「角度よーし」
彼が手を振り下ろす。
男が、彼の言葉に従って軌道の先にある喉を両手で押さえた。それだけで防げるとでも思ったのだろう。
「ぐあ」
しかし、彼が手にしていたただのボールペンが突き刺さったのは、男の左目だった。
「あちゃー運が悪かったねー」
ピクリ、と男が指を動かす。苦痛にのた打ち回るよりも早く、ショックが訪れてしまったらしい。
「間違えちゃった」
ぐりぐりと、ボールペンを捻り込ませる。
脳髄まで達したところで、彼は手を止めた。
男はもう動かない。
「ばっかじゃねぇの?」
彼はボールペンを見つけた段階で、殺す方法は決めていた。喉は急所だが一本のペンだけで殺すには多少面倒な手順を踏まなければいけない。耳に刺しても仕方がない。
脅しに負けずに脳を働かせて目をかばえばもう少し丁寧に殺してやろうかとも思っていたが、結局彼の言葉を信じてしまった。これから殺す人間を信じるなど、馬鹿げているのにもほどがある。
「グッバイ」
手を振って、助手席から離れる。
「一個目終わり」
オマケを処分して、彼は車を回る。
彼女に視線を送ったが、彼女は反応しなかった。
「こっちは、もう助からないな」
反対側に回りこんで、彼は運転席でハンドルにもたれている男を見る。微かに呼吸をしているようで、絶命には至らなかったようだ。彼は助からないと言ったが、直感で行っているだけである。今病院に担ぎ込めば一命は取り留めるかもしれない。
「このままだと、君が殺したことになるね」
こちらを不安げに、当然彼の主観でしかない、様子で彼女が彼を見る。
「せっかくだから、サービスしてあげよう」
サービスといいつつ、彼の本命はこちらの方だった。あの男の分はちょっとした余興のつもりだった。あんな団子を潰してもつまらないだけだ。彼女の処遇については考えていなかった。特別な事情でもない限り、子供は殺さない。無抵抗ともなればなおさらだ。それが数少ない性質に対しての制約だった。理由はない。理由がないから、意味をなしている。
彼は倒れている男を見る。
せっかく殺しに来たのにもう瀕死とは、なんとも今日は運が悪い。
左手で無造作に男の後頭部を掴む。呻く男は、抵抗をしない。
その血で汚れた思考は、何を思っているのだろう。理不尽な事故が起こったと思っているのだろうか。因果応報だとでも思っているのだろうか。助けが来たとでも思っているのだろうか。助けられたあとでの彼女に対する折檻でも考えているのだろうか。
知るか。
湧き上がる、知りたがりの別思考の疑問達を、今や肉体の主導権を手に入れた彼は封殺をする。
そんなものに興味はない。
俺に余計なものを見せるな。
今の彼の手は当然天使の腕ではなく、死神のそれでしかない。その手で、男の額をハンドルに打ち付ける。
一度、二度、三度。
殴打の音は、グチャグチャとした音に変わる。
思わず、彼女は顔を伏せてしまった。
「見てろよ、誰が起こしたのか忘れたわけじゃないだろうな」
そうは言っても、彼が標的にしていたのはこの男だ。彼女が何かをしなくても、数十分後には同じ結果になっていたはずである。
的確に、寸分の狂いもなく、同じ箇所に同じ強度で当てる。万が一でも不審な点が見られないように、衝突の一度で致命傷だったと見せるために、僅かでも違和感を残してはいけない。
完全に絶命したのを確認してから一度予備として叩きつけて、彼は席を離れる。ドアも鍵がかかるようにしっかりと閉めた。
作業を終えた感触を味わいながら背伸びをする。
運動後の体操のように、腕を捻り、彼女に近づく。
「忠告しよう、綺麗なお姫様。この世の中には、原因と結果しかない。原因が結果を生み、結果が次の原因を生む、その繰り返しだ。どこか一つでも間違ったら」
彼は懐からナイフを取り出した。男に見せたいかにもな戦闘用のナイフではない。装飾のない金属製の柄に、飾りもない細長い刃。手術に使うメスや、高級な食事用のナイフを連想させる。フォークとともに食事に使っていても誰も何も言わないだろう。
これは彼専用のナイフだ。ある一件で奇妙な人物から貰い受けた。シンプルを信条とする彼ならではの独特の切れ味を誇っている。
アクションは一度切り、数メートルの距離を詰め彼は彼女の白い喉元にナイフを押し当てた。
「そこでゲームーバー」
彼女の焦げ茶色の髪が、彼の青白色の瞳にかかる。
「私を、殺す?」
「誰かと違って、平和主義なんでね」
ナイフを喉から外し、しまう。
冗談を言ったつもりなのだが、彼女は何も言ってはくれなかった。
「それに、君とはもう契約をした」
笑顔で彼女の手を取り、握手をする。
「あ、さっきの話を変えないと。ナイフじゃなくて、ボールペンにしておいてくれる? いかにも馬鹿っぽくて良いね」
彼女の手を離すと彼は車に戻っていく。空いてある助手席の下にもぐる。死体が邪魔だった。
発炎筒を助手席の下から外し、彼女に手渡す。
「もう少ししたら、使うといい」
ボールペンが刺さったままの男の背広をまさぐる。そこから、ライターを抜き出す。
「えーと、こんなもんか」
チ、チと着火するかどうかを確かめる。
「衝撃がこの辺で、と」
車の位置を計算して、細工を施していく。胸から取り出したのは爆薬の一種だ。暇なときにいくつか造っておいたものだ。何に役立つかはわからないが、とりあえずやり方は知っているしと思っていたものだった。まさか、こんなに早く使い道ができるとは思っていなかった。最小限、爆発しても何ら奇妙ではない機関部に取り付ける。
結局は彼女の証言がモノを言うはずだ。
セットを完了し、彼女の傍まで歩み寄る。
「君が守るべきルールは二つだ。俺が言ったことを正確にトレースすること。ついでに、俺の存在を誰にも言わないこと」
「もし破ったら」
「『僕』は、君を殺す。誠心誠意、徹頭徹尾、原型を留めないほど繰り返し、一撃の死を永遠に、痛みを感じないほど簡潔に、早急な死を渇望するほど醜く、僕は君を殺す」
最初に出会ったときと全く違わない安穏な笑みで、彼は死の契約を結ぶ。
「理解した?」
彼女も、最初に出会ったときと全く違わず、コクリと小さく頷いた。
「それでは、誓いのキスを、お姫様」
右手で、彼女の頬に触れ、耳元まで手の平をもぐりこませる。
そして、唇を重ねた。
お互い、初めての行為のように。
繰り返されたどこかの通過点のように。
「ん」
舌を入れ、彼女の内部に侵入する。
血の味がした。
甘い血の味だ。
時は動き出し、彼女から離れる。
「それじゃあ、お元気で」
彼は後ろ向きに立ち去りながら、手を振っていた。
彼女はその場に立ち尽くして、彼がいなくなるのをずっと見ていた。
ずっと。
やがて車に火がついて、奇妙な音を上げて爆発をした。
それでも、彼女は彼の向かう場所を眺めている。
ずっと。
熱に体が負け、内部にあった破片が彼女の腕に突き刺さっても。
光は暗闇を白く照らし、新しい時の始まりを告げていた。
それでも、彼女は彼がいた場所を眺めている。
ずっと、ずっと。
多分、永遠に。
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