5「Duplicator and dissociation」

「ここ、空いている?」

 彼はレストランの相席を求めるような聞き方で彼女に尋ねる。彼女が座っていたのはソファーではなく白い木の長椅子だ。人の溢れる会場からするりとバルコニーに出た彼は、ぼうっと、これは彼の主観によるものだが、意味もなく空を見上げている少女を見つけた。

 コクン、と小さく彼女は頷いた。

 彼の顔は見ていない。

「ありがとう」

 簡潔にお礼を言って彼は彼女の横に座った。

「戻らないの?」

 彼の問いかけに彼女は同じく頷いただけだった。肯定とも否定とも取れるが、立ち上がらないところを見ると肯定する気なのだろう。

 彼にもこのパーティそのものが建前であることは理解している。口実をつけてこの手の人間達が集まるということが重要なのだ。顔合わせの意味もあり、商談を行う人間がいるかもしれない。藤元でさえそうでなければ顔を出さないだろう。彼女の父親と何らかの商談でもあったのかもしれないがあっさりと藤元は断っていたようだ。内実に関しては彼の管轄外であるし、藤元がそう簡単に教えてくれるとも思えない。第一、彼が知る必要もない。

 お前が跡を継げばな、と冗談を言われるに決まっている。残念だが、それだけは明確に断っておかなければならない。その意味がわからない歳でもない。

 彼も、彼女も、この場においてオマケであることは一緒だ。

 形式的な言葉を最初に言われて、それで終わりである。

 気まずい雰囲気だった。

 会話にさほど価値を見出していない彼でも、この空気は慣れるものではない。自分から話すのが苦手な以上、勝手に喋っていてくれる人物といるのが楽だ。相槌を打つ程度ならいくらでもできる。

 必殺のジョークでも、と思ったが、一つも必殺のジョークなどないので諦めることにした。

 何か話すことはないか、と彼は視線を泳がす。

 すると、バルコニーにネジが転がっているのが見えた。ネジといっても、時計を巻くようなものではなく、釘と役目がさほど変わらない方だ。五センチほどの長さで、どこからやってきたかは空ではないことしかわからない。空からならラピュータ島だ。

「ネジを巻く男の話、って知ってる?」

 ネジを見て思い出す。

 彼女は、五センチほど首を横に振った。

 知っているわけもない。

 知っていたら、知りたいことがあるからだ。

「昔聞いた話だけど」

 と前置きをして、彼は話始める。

 彼自身、それが誰から聞いたかを覚えていない。古い絵本かもしれないし、いまはなき肉親からだったかもしれない。

「昔々、丘の頂上に一軒の家があって、そこに男の人が住んでいました」

 ひょっとすると、彼が勝手に考え出した物語かもしれない。夢が、何度も考えるうちに現実のように見えるのと同じ理屈で、空想が確固たる姿を持った情報になってしまったのかもしれない。

「その男の人は、毎朝目が覚めると、テーブルにあるオルゴールのネジを回す。でも、オルゴールは鳴らない。実はオルゴールは随分前に壊れてしまっていて、直らないのは男の人も知っているんだ。それでも、彼は毎朝必ず一定のリズムで、ネジを一杯まで回す」

 イメージするのは平凡な景色。

 粗末な家で無表情の男が、木のテーブルに乗せられたドラムがむき出しのオルゴールのネジを回す。巻かれたネジはゆっくりと戻る。ドラムに動力は伝えない。ネジだけが静かに空転するだけだ。

「あるとき、彼の知り合いがやってきて、彼に聞く。『どうして壊れたオルゴールなんて回しているんだ。音楽が聞きたいなら新しいものを買えばいいじゃないか』って。でも、彼は、質問にはきちんと答えない。一言、『回すしかない』としか言わない。知り合いも呆れてしまって、もう放っておくことにする」

 その知り合いは、オルゴールに大事な意味があるとは思っていない。特殊な形状をしているわけでもなく、男の自作というわけでもなく、どこにでも売っていそうなオルゴールだ。

 知り合いは男の頭がおかしくなってしまったのだと思っている。義務感に駆られて、毎朝を無駄に費やしていると、思っていた。それでもそれは男には言わない。男はいつも丁寧に、時間をかけて、ネジを回しているからだった。

「彼が何を望んでいたのか、一切明らかにならない。わかるのは、彼はオルゴールが鳴らないことを知っていて、それでもネジは巻き続けなければいけないと思っている、ということ」

 物語では当人の心理描写はなされない。男が何を思っているのか、何を考えているのか、全く記述されない。

「彼は、オルゴールとは関係なく、最後には病気にかかって死んでしまう。それで、この物語は終わり」

 本当に、物語はこれだけである。

 続きもなければ別な話の挿話でもない。

 本だとしたら裏側を見てしまいそうである。

「この話、オチがないんだ」

 元々存在していないのか、彼が覚えていないのか、それは彼自身ですらわからない。気紛れに出所を探してみたが、出典は見つからなかった。出典がないとしたら、今まで出会った誰かが創作したものである可能性が高い。創りそうな人間はあらかた死んでいるだけにこれは惜しいことだった。

 知りたいか、と言われてもまた微妙な問題である。

「変な話だよ」

 彼は最後に付け加えた。

 彼女は何も言わない。

 空振りに終わってしまったようだ。

 そもそも、彼も彼女の返答など期待していない。

「人形と人間の違いってなんだと思う?」

 思い出したように話を変える。

 彼女は聞いているのかいないのか反応しない。今までの傾向から、彼女が答えることはないと思うが、耳は傾けているのだろう。

 それについては数分で慣れてしまったので、彼は話を続ける。

 ここまだ質問の本題ではない。

「僕の知り合いに、人形を作っている人がいるんだけど」

 知り合いという表現が微妙なところである。

 細かく言えば、友人ではない。向こうはどう思っているかは知らないが、彼はそうは思っていない。友達だと思っても欲しくない。それは『模倣者』と名づけられた、超一級の人形製作者であり、彼が十数年の奇妙な生活で出会った中でも、孤独にして飛び切りの殺人鬼だ。あの壊れ具合に比べれば、自分はまだまだ序の口だと思ってしまうほどの、人殺しである。

 一時間のうちに五人を解体し、動く人形を残すことで、その場を逃れることに成功した稀代の人形師、人形を作るために人間を殺す、ネジを回すという強迫観念にとり憑かれた最低最悪の同類である。

「その人は、その違いをこう言っていたんだ」

 何年も前に終わったことを、今更思い出すのは気が休まることではないが、非常に印象に残っている出来事でもある。

「『人形も人間も、ネジを回すのは他人。ただし、ネジの巻き方を知っているのは人間だけだ』」

 今はどこにいるのだろうか、あの模倣者は。

 今も高らかに笑いながら、世界のどこかで、ひっそりと人形を作り続けているに違いない。それとも、望み通り、世界の全てを自分の人形で埋め尽くしてしまったのかもしれない。

 いずれにせよ、もう関わり合いにならない人物だ。

 なりたくもない人物でもある。

「『人間は個では人形と変わりない、実行して他者に作用するものだけが人間となる』ってね」

 模倣者の言葉はここまでだ。

 ただそれだけのために、模倣者は人間を殺す。

 いや、模倣者に言わせれば人間に成り損なった人形を解体しているのだろう。自分が作った人形よりも不出来な人形は要らないという理由でだ。

「僕は、その知り合いが言っていることに一つだけ疑問がある」

 そのときには、彼は模倣者には言わなかった。聞こうとする前に、太平洋のど真ん中に、飛び込んでしまったのだ。

「巻き方を知っているならどうして自分のネジが巻けないんだろうって」

 自分で巻けば他人に巻いてもらう必要がない。自分ひとりで全てがまかなえるのである。

 彼女が少しだけ彼に顔を向けた。視線は合わせず、ウェーブがかかった髪が微かに揺れている。

「背中にネジがあるの」

 風で消えそうな小さな声で彼女は、ぽつりと言った。

 それが彼の疑問に対する解答だと、彼が理解したのは二秒後だ。

「だから、手が届かない、か」

 考え付けばとても簡単なことだ。どうしてそこに気が回らなかったのか不思議に思ってしまうほど、難しくない。模倣者のインパクトが大きすぎて、疑問を持ちながら思考を放棄してしまっていたのかもしれない。修行が足りない、と彼は自分を反省する。

「なるほど、そうか、そうだね、それが正解だ」

 彼女の解答を受け入れる。これで二年に渡る疑問に終止符が打たれた。少し物寂しい気もするが、確認する手間が省けたので次に模倣者に出会ったときは、いの一番にネジをぶち壊してやろう。

「じゃあ、酢を飲んで体を柔らかくしないとね」

 これは少しネタが古いか、と思ったが、彼女はくすりと笑った、ように見えた。唇は二ミリくらいしか動いていないだろう。

「変な人」

 小声ながら、直球な返し方だった。

「よく言われる」

 大体会った人間には言われる。その事実は捨てきれない。その一方で、そう言った人間が、大抵生き残っていないのも事実である。人を変人扱いするものは、それより飛び抜けて変人であった。それでも『自分と似ている』と言った人間よりは、僅かながら生存率が高いことも付け加えなければいけない。

 普通ならここで打ち解けて会話が弾む、というのが通常なのであるが、またも会話がそこで打ち切りとなってしまった。

「人形なんかじゃない」

 空を見上げて、彼は言う。

「君は、生きているよ、まだネジの巻き方を知らないだけだから」

 彼は、彼女にそう言った。

 言った瞬間、口が滑った、と思った。

 彼女の顔は完全に彼を見ていた。初めて二人の視線が合う。焦げ茶色の瞳は月に照らされて潤んでいるように見えた。コンタクトに隠された青白色の瞳が、取り込まれてしまいそうだった。

「え?」

 蚊の鳴くような小さな声で彼女は彼に聞き返す。蚊が鳴く声は鬱陶しいが、彼女の声は、声の大小に関わらず、澄んで聞こえる。

「いいや、何でもない」

 何の気の迷いだ、と彼は自制する。

 模倣者の言う通り、人間でいるために、誰かのネジを回したいとでも思っているのだろうか。

 くだらない。

 彼は自分を否定する。

 否定するのは自分ではない自分。

 くだらないから、そんな映像を見せるな。

「何でもない」

 繰り返し、彼女の視線を逃れようとする。

 今のままでは、彼女の視線にすら耐え切れなくなってしまう。

「こんなところにいたのか」

 バルコニーへの入り口に男が立っていた。

 腕組みをして、男は二人を見ている。

「若菜、ちょっと来なさい」

 男は、一瞬だけ彼を睨むと、彼女が立ち上がるよりも前に会場に戻っていった。

「それじゃ」

 彼の言葉を聞いていたのか、彼女は無言で立ち止まり、お辞儀をした。

 お辞儀の意味はなんだろう。

「さあて、良い夜だ」

 一人になり、普段よりも低い声で、彼は呟く。

 ゲームの開始時刻は迫っている。

 吐きそうだ。

 彼は目の前にあったネジを思い切り蹴りつけた。

 ネジは、バルコニーから庭へ飛んでいった。

 闇に溶けていく。

 キックオフ。

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