3「Diverse distraction」

「ようこそいらっしゃいませ」

 コンクリートの駐車場に車を停めて、二人は降りた。無意味に白線を踏みながら背伸びをして、周りを見渡す。彼らの他にも招かれた客は多いのだろう、種々様々な車が駐車場を埋め尽くしている。藤元が運転する車はその中では相当地味な属性だろう。

 その駐車場の端、草とコンクリートの境界線付近に一台の自転車が停められて、正確に言うのであれば自転車らしい物体が置いてあった。後輪のタイヤは丸つぶれで、フレームが前衛的な角度に変形している。既にサドルは存在せず、前カゴは無惨にもモノが入るスペースがなかった。街からここまでの距離はかなりあるため、これを移動に使う人間はいないだろう。彼は、この自転車らしき物体の存在理由は思いつかなかった。

思いつかなかったので、意識から排除しておいた。

「藤元様ですね、お待ちしておりました」

 そんなつまらないことを色々と考えては潰して、彼は藤元の横について歩く。玄関では使用人が出迎えをしていた。老紳士、と言えば良いのだろうか。

 一瞬だけメイドと使用人の語彙の差について考えてみたが面白そうなことは浮かばなかったので記述しない。性別は確定だとしても年齢でわけるのには若干の抵抗があった。

「そちらの方は」

 そんな物思いに耽る少年を訝しげに思ったのか、使用人は丁寧に藤元に問う。

「連れだ」

「申し訳ございません」

 期待されていた答えではなかったらしく、眉毛が少し上がったが、職業意識でもあったのだろう、老紳士は深くお辞儀をした。

 藤元の答えは、回答そのものを拒否しているのと同じだ。どのような関係であれ、『連れ』以外にはありえないのだから。

 玄関を抜けると、そこのエントランスホールがそのままパーティ会場になっていた。大勢の人が会話をしている。正面に階段があり、左右はバルコニーになっているようだ。時代劇の階段落ちを思い浮かべたが、思いのほか痛そうだった。階段の裏には奥へと続くドアがついている。今度はロールプレイングゲームのダンジョンを思い出していた。どちらかが罠である。無駄足を省こうという趣向なのか、それともその目的のために造られた建物かのどちらかだろう。

 彼は大理石の床に足を叩きつけて直接触れたら冷たくて気持ち良いだろうな、と思っていた。実際にやるには注目を無視するだけの勇気が要求される。

「ようこそ」

 エントランスに足を踏み入れた藤元に男が手を差し伸べた。背丈は藤元と変わらない。色白で、笑顔ではあるが、神経質そうな雰囲気を漂わせていた。

 男の立ち位置からして、今夜のホストであるらしい。つまりは、この男が藤元を招待し、藤元が彼を連れ出した。今の状況に作り出した間接的な犯人である。もちろん総合的に考えれば藤元が悪いに決まっている。

「ああ」

 藤元は面倒そうに男の挨拶を返した。

 当然のように差し出された手には触れない。

 男はしばらく自分の伸びた手を見ていたが、静かに手を戻した。

 これだけで、彼には藤元が相当この男に対して悪い印象を持っていることがわかる。藤元はあれでいて、彼以外には戦略的に好意的な会話をすることを心がけているようだ。彼にとっては、自分に優しくないことが大いなる問題である。

「あの話は」

「乗るつもりはない」

 男の言葉を一蹴する。

「相変わらずで」

「ふん」

「貴方に息子がいたとは」

 男が彼に視線を送る。

 何だか気分が悪い。

 これはあの信号だ。

「護衛だ」

 藤元のジョークである。しかも、瞬時に理解できそうな人間はこの場には彼しかない。彼は突っ込みようがないので無視をする。対象の男は、はは、と曖昧な笑みを浮かべているだけだった。残念だが、意味がないものを意味がないまま受け入れることができなかったのだろう。

「旦那様」

 老紳士が男に歩み寄る。次の来客があったのだろう。

「あの件については、後ほど」

「意見は変わらんがな」

「それなりの条件は用意していますよ」

 そう告げて、男は玄関へ向かっていった。

 取り残されたのは彼と藤元の二人である。

「どう思う?」

 藤元は、一言で彼に聞いた。

「別に」

 彼も一言で返した。

 肯定も否定も、結論として、関心があるという点では等しい。

「だろうな」

「ですね」

 藤元が気に入らない人物が、彼に気に入られる可能性は限りなくゼロに近い。特に直感による範囲では、二人の感覚は似通っている。似通っていること自体は、彼の気に入るところではない。

 二人はそれ以上の会話はせず、建物の内部に入る。

 大理石はどこまでも続く。線路はない。

「そうだ、言っていなかったが」

「はい」

「今日は帰れないぞ」

「はい?」

「ここに泊まる」

「はあ」

 曖昧な返事をする。ここまで来るのにそれなりの時間がかかっている。時刻は夜を過ぎているから、一通りのことをこなしてから家路に着くとなれば、日を回ってしまうだろう。

「夜中に運転したくない」

 直接的な理由だった。

 ある意味正統派だ。

「それにしても」

「なんだ?」

 彼は、先ほどからの疑問を口にする。

「出来れば、多少の解説をお願いします」

 これほどまでに人が多いとは思わなかった。

 会場にいる人間は、老若男女、格好も様々である。日本人を適当にセレクトすれば、この図に近いものが得られるかもしれない。

 しかし、ここにいる客の共通点は、金持ちである、ということだろう。普段着のような格好をしている人間も、よくよく見れば身なりはしっかりとしている。職業も偏っていないようだ。

 彼は誰の誕生日とも説明を受けていない。あの男が主催ではあるのだろうが、あの男、というだけで苗字も知らない。

「簡潔で良いか?」

「はい」

「飯屋だ」

 簡潔すぎた。

 しかも表現がその辺の下町のラーメン屋と変わらない。

「もう少し詳しく」

 毎度のことながら、藤元の性格はわからない。とりあえず、人を大真面目にからかうのが好きだというのが今のところの統一見解である。誰と誰の統一見解かは、確認する必要はないだろう。

「飲食チェーン、北条グループだ」

「初めて聞きました」

 一人暮らしのせいか、大抵の料理は適当に作ってしまう生活をしているため、外食をする機会があまりない。ファーストフードやファミリーレストランにも縁のない。自分で質素に作って食べるか、藤元の家でたまに質素に食べるか、どちらの選択肢も、豪華という言葉にはほど遠い。

「店名には出していないからな。レジャー部門も製薬部門もある」

 それで、彼には藤元が北条を良く思っていない理由がわかった。

 藤元は、多角経営というものが嫌いなのである。一つのことを地道に、一筋に、丁寧にこなしていく、というスタイルが好きなのだ。職を変えてしまったとはいえ、それは代々呉服屋を営んできた藤元家には確固たるものとして息づいている。

「それとどう?」

 二人の前にグラスを運んでいるウェイターがやってきた。藤元はウーロン茶を、彼はアップルジュースを受け取る。彼はもちろん未成年であるし、見かけによらず藤元もアルコールは苦手だ。

「気にすることはない、不健康な取引の話だ」

「そうですか」

 言う気がない、という意味だ。健康的な取引を想像してみたが、不健康な取引より怪しい空気が漂っていた。二人は会場の端に立っている。周囲を観察しているようにも、後発のために入り込めなかったようにも見えた。彼には最初から興味がないことなので、どうでもよい。

 歓声が上がった。

 二階の奥の部屋から男に連れられて少女が出てきたのだ。

ゆっくりと、一歩一歩、階段が存在しているのか確かめるように下りてくる。優雅と表現できないこともないが、危なっかしいと彼は思う。少女の存在そのものに、不安定さを感じたのだ。

 少女は白いドレスに身を包んでいる。

 それに負けないほど覗く肌も白い。

 肩に触れる髪は、緩いウェーブがかかった焦げ茶色だ。微笑みもなく無表情だが、その瞳は髪の毛と同じ焦げ茶色をしていた。焦点をどこかにあわせている様子もなく、けれどぼんやりとしているようでもなく、プログラムされた行動を続けていく。歩くのに目はいらない、とでも言いたげだ。

 階段を下りきって、高さが会場の人間達と同じになる。

 彼女の身長は、彼と同じくらいだった。彼が平均的な身長だから、彼女もさほど高くも低くもないのだろう。

 年齢も同じくらいか、と思ったが、上下二歳程度の誤差はあるかもしれない。

 父親が彼女の背中に触れる。

 彼女が一礼をした。

 何度も練習したかのように、角度は三十度だった。分度器代わりにできそうだ、と彼は思う。

 何かアナウンスをしていたが、拍手で聞こえない。

 彼女の名前はわからない。

 口々に少女を褒める言葉が上がる。

 綺麗とか、可愛らしいとか、お人形さんみたいだとか、バリエーションの少ない言葉達だ。

 少女はその言葉に、潤滑油を入れられたあとのロボットのようにお辞儀をする。

 彼は、吐き気をもよおす。

 飲み干したアップルジュースは、いつもの胃酸の味がした。

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