第7話 夏祭り
無料のシャトルバスを使って会場に着いた七人は、一人を除いて感嘆の声を上げた。言うまでもなく、一名とは北条若菜のことである。
若菜を除く六人はそれぞれ、思い思いにその光景を眺める。彼は、思いを馳せる見かけ上の『ポーズ』をしていた。内心は別にどうでも良い。
毎年の行事のことであるにも関わらず、一年に一度しかない、という限定条件は、それだけで人の心を魅了する力が備わっているのだろう。
七人は地元を一周できるように数年前に完成した橋のたもとの広場にいる。以前は会場は別な場所にあったのだが、より広く場所が取れ、かつ橋と花火のコントラストが見事だろう、という推測のもと今の場所にお祭りの会場が移転されたのだった。
そこでは、多種多様の出店が立ち並び、多くの人間で賑わっていた。色取り取りの風船や明かりと、それに合わせるように、年に一度とばかりに浴衣を着込む人々が、点描画のように、夏祭り、という一つの概念を構築していた。
「それじゃあ、行こう」
音頭を取ったのは成宮だった。どうやらかなりご機嫌らしい。それもいくつかの悪戯に対しての作戦を考えているからで、その作戦は当然ながら、当事者以外には知らされていない。
そして一番彼女の機嫌に影響をしているのは、ここにいる人間の服装である。
女性陣は、漏れなく、全員が浴衣を着ている。
生地の良し悪しは彼にはよくわからないので、それがどのくらいの値段がしたのかはわからない。若菜の浴衣だけは、集めた費用を合計した金額だろう。
彼女達が選んだ若菜の浴衣は、紺の生地に濃淡様々なアジサイがあしらってあるものだった。彼女のこげ茶色の髪の毛と合わせて、落ち着いた雰囲気である。もっと、明るい色、たとえば神楽と風見がおそろいで着ている桜色の浴衣や、須藤が着ている白い千鳥があしらわれた青色の浴衣という選択肢もあったのだろうが、多分、本人が嫌がるかもしれない、というので、無難な選択になったのだろう。ちなみに成宮は、三人よりも明るい緑色の浴衣を着ていた。
「歩きにくくない?」
「少し」
簡潔に、若菜が成宮の問いかけに答えた。
浴衣に合わせて下駄まで用意してあったのである。
反対に男性陣は、何ら変わりのない、普段着である。
二人とも、全くといっていいほどエネルギーが感じられない。
なるようになれ、がお似合いであった。
「行こう」
どうも、今日は成宮が率先的な働きをする日らしい。
この後も作戦があるから、そのためもあるのだろう。
七人は、まとまって人ごみの中を歩いていく。
そして、少し歩いたところで、
「せーの」
と成宮が言う。
それが作戦の合図だと知っているのは、七人中四人、つまり、罠に嵌められたのは二人である。計算が合わないのは、若菜が計画内容を知らないためである。
「ゴー!」
で、五人が逃げた。
「それじゃまた明日ねー!」
とは成宮。首謀者なので一番目の逃走である。
「お疲れ様でしたー!」
返すのは神楽を引っ張っていく風見。彼女達は成宮と反対方向に消えていくが、ここでお別れをする、というのは事前の打ち合わせ通りなので共犯者である。しかも浴衣の割りに速い。
そして、彼は成宮と一緒に、半ば強引に若菜を捕まえて逃げる。
「なんだ?」
「ちょっと、ナニナニ!?」
必然として残った二人、瑞貴と須藤は、あっけに取られてしまっている。成宮サイドと風見サイドに別れて消えてしまったので、どちらに動くか判断をこまねいているうちに、それらの姿は人込みに呑まれていく。単線での思考力に優れた永浦と、まず体が動く須藤、どちらの思考と動きも封じる最良の案であった。
つまり、これが成宮の作戦であり、彼ら二人が被害者、ということである。
成宮の言い分に従えば、『うだうだ進展のないままの二人に代わって、ここら辺でちょっとイベントを起こして、二人の関係をかき回してみよう』ということである。彼女によって設立された『ハプニング委員会』は、こうして第一回目の実行となったのである。
置いてけぼりの二人は、どうしようもなくなって、手分けをして五人を探すことも諦めて二人で行動をするだろう。
ここから先は、進むも引くも留まるも、彼ら次第、ということだ。
「さて、と。私達は私達で楽しみましょう」
するりと人込みの中から抜けて、小さなビアホールのような場所に出る。出店で買った食べ物をここにあるテーブルとパイプイスで消化できるスペースということだ。ゴミ箱も設置されていて、お祭り終了時にゴミが散乱しないようにするための主催者側の配慮だろう。
彼、若菜、成宮の三人は、今まで来たのと反対側、ビアホールの向こうに歩いていく。どうやらこの地点が、丁度出店ラインの中心点、ということのようだ。
出発前に、「私も消えた方が良い?」とにこやかかつ不敵な笑みで成宮は言っていたが、彼が「さすがにそれはどうだろうか」と言ったので、三人で行動することが決まっていた。一人きりになる成宮のことと、彼自身人ごみが得意でなく、お祭り自体それほど行ったことがないというのがあったからだった。何年か前に、世話になっている人物の子供を連れて見て回ったきりである。そのときも、結局何をしていいのかわからないまま、右往左往して、その子供が不機嫌になるという羽目にあった。若菜を連れて二人だけになれば、その可能性が更に上昇してしまう。ここでは、多少ずれてはいるが、ある程度の情報を持っているものと行動するのが安全である。
というわけで、先頭は成宮、それに続くのは若菜で、最後に彼である。若菜と彼の順番がこうなったのは、単に、若菜を最後尾にしておくと、無言のまま人波にもまれて消えていってしまうかもしれないという、成宮と彼との判断上のものであった。ましてや若菜は、着慣れない浴衣を着て、履きなれない下駄を履いている。後ろから見ていても、時々カツカツと砂利に足先を取られている。そのたびに、体が不自然に揺れるのだ。その上で、無表情を変えずに奇妙にバランスを取っているのである。彼女の動きに、思わず彼は吹き出しそうになった。
最初に「これが基本」として訪れたのは、金魚すくいだ。
彼は、これで金魚を救うんだね、というジョークが思い浮かんだが、つまらない上に文字にしないと伝わらないので、口に出すのは止めておいた。きっと賢明な判断だったに違いない、と彼は確信する。
それにしても、値段に対してゲームの時間が短すぎる気がする。上級者ほど長く遊べるのは当然だとしても、たかだか金魚を紙の網で捕るだけの遊びにこれだけ熱中できるというのはどういう気分だろうか。いや、短すぎる、高すぎる、だからのめりこむ要素が高いということか。リスクの高さは中毒を生む、というのは基本だし、自分にも当てはまる箇所はいくつもある。と彼は意味もなく冷静に金魚すくいのゲーム性について考察していた。
手本と称して惨敗した成宮の次に、若菜が挑戦をする。少しの思案があったようだが、速さが大事だよ、という夜店のオヤジに言われたのを真に受けたのか、思い切り水に突っ込んで、そして破いてしまった。速さが大事、とは言ったが、「速い方が良い」とは言っていない。角度を調節して、ゆっくりと、確実に行うのがこの手の遊びの鉄則だ。彼女は破けた網を手に握ったまま、一瞬静止していたが、無言で彼を見る。
お前がやれ、という合図だと悟った彼は、にこやかに財布からお金を出した。
イメージするのは、水の流れ。
金魚の動きを二手先まで読む。
そして、今だ。
彼は、滑らかな手つきで、網を水の中へ。
「そういうものだよ」
彼らは、金魚すくいを後にして、色々な出店を見て回っている。
誰の両手にも、金魚の入ったビニール袋などぶら下がっていはいない。
彼は挑戦の結果、ものの見事に敗退した。
全く予定外の事態、明らかにあの網では取れないであろう出目の黒い金魚が、いきなり彼の網に突撃をしてきたのだ。それを防ぐということは初挑戦の彼には出来なかった。殺気を感じた金魚が仲間を守ろうとしたのかもしれない。金魚すくいのオヤジによる策略の可能性もある。
ともかく彼はこの戦いに敗れたのだ。
少なからずショックを受けつつも、今は横に並んで歩いている。彼女の顔を見たが、「それみたことか」と言っている気がしてならなかった。もちろん、彼女は何も言わない。
「基本」の次は、「定番」で、カキ氷を歩きながら食べた。
ブルーハワイを食べさせると舌が真っ青になるので、それとなく若菜に勧めてみたが、こともあろうに悪戯好きの成宮が「そんな意地悪しちゃだめだよ、武ちゃん」と言ったので、あえなく失敗した。彼女の境界線が今ひとつ理解できない。
結局、若菜は練乳にした。
何故か彼は勝手にブルーハワイにさせられていた。どちらが頼んだのかわからないので、文句も言えない。彼は、仕方なくサクサクと、ブルーハワイという名前の、『何か味』を食べていた。成宮はイチゴ味だが、それも『イチゴ味』味でイチゴには程遠いな、と彼は思っていた。
「基本」「定番」とくれば、次は「応用」辺りがあるのかと思っていたが、「王道」らしい射的だった。
これも、決して景品が取れたものではなかった。
コルクの弾は不安定で、銃身は曲がっていて、おまけに景品は全て重心が下にある。これで、下に落とせたら、相当のプロフェッショナルか、まぐれ当たりを期待するしかないだろう。
この辺りでお祭りにあるアトラクションは景品や商品を稼ぐためではなく、雰囲気を楽しむものだということが彼にも伝わってきた。そう考えないと元が取れないという考え方もあるが、せっかくなので前者を採用することにした。
「それじゃあ次はね、あ」
二人に話しかけるため、後ろを振り返った彼女が、反対側から歩いていた人にぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
軽くよろけたが、すぐに立て直して、謝る。
「ああ、何ぶつかってんだ?」
「ヨソミしてんじゃねぇぞ?」
成宮がぶつかったのは、どう見ても柄の悪そうな三人の男達だった。髪の毛は色とりどりで、彼の青白色の目や若菜のこげ茶の髪と違い、合成色のようである。歳は彼らとさほど変わりそうになかったが、取り立てて髪の色以外に特徴を捉えるのが彼にはできなかった。簡単にいえば興味がない、ということである。
「ごめんなさい」
再度、お辞儀を加えて成宮が謝る。
「代わりにちょっと付き合ってもらえるかなぁ?」
成宮の容姿を確認したのか、ビチャビチャとした声で、金色の男が言った。
何の代わりだろうか。
「ちょっとだけでいいから、さ」
今度の男は赤い。
「楽しく遊ぼうよ」
最後の男はもはや色の形容詞がつかないので、とりあえずカキ氷色とした。
お祭りにはこういうのが付き物なのだろうか、と彼は呑気に考えていた。とはいえ謝るくらいの手助けをしようと前に行こうとしたが、成宮はこちらを向いて、男達に見えないように、にこり、と笑った。
その意味を、瞬時に彼は理解する。
「いいじゃねぇかよ」
男達はしつこく、彼女を誘っている。
彼女は、謝っているだけだ。
「止めて、ください!」
と、成宮の肩を掴もうとした、彼女よりも二十センチ近く背の高い男が宙に浮いた。
浮かせたのは他でもない、成宮自身である。相手の手首と腕を持ち、男の流れに逆らわずに、ただ方向だけを変える。
男は、コンクリートに背中を打ち付けてもんどりうっている。
残った二人は、ぽかんと口を開けている。
彼女は、護身術、という言い訳をしているが、格闘術の一つである合気道を嗜んでいる。専門的に格闘術を学んだことのない彼は、詳しい方法はわからないが、相手の力を利用して『軸を活かせてベクトルをずらす』というのが基本としてあるようだ。彼は、同じような戦い、いや、あれは殺し方をする人間を一人知っていたが、それと確かに、出で立ちといい振る舞いといい、成宮は似ているところがある。
彼は、倒れている男を見た。
大分痛そうにしているが、せいぜい骨折程度だろう。その点も踏まえて、成宮は頭から落ちていかないようにしていたのだ。もし彼であれば、頭から落とすと同時にかかとを入れている。
ようやく事態を呑み込んだ他の男が、途端に激昂する。
彼らの目に、彼と若菜の姿は入っていないようだ。成宮の両脇に、男が彼女を捕まえようと仁王立ちをする。
動け。
頭の中で、何かがずれる。
シミュレートをする。
この程度の相手なら、二人同時にであっても一瞬、刹那、何をされたのかもわからないまま、相手にできる。だが、逆に加減は利かないだろう。
やれよ。
セーブしろ。
場合によるね。
主導権はまだだ。
『何』に怯えている?
うるさい、黙っててくれ。
お前の本質は、
黙れ。
彼は、誰にも聞こえない声で、彼にだけ聞こえる声で会話をする。
「止めてください」
気を強くして成宮が言うが、男達は話を聞こうなどというつもりはないだろう。ましてや一人、浴衣を着込んでいるこんな女の子にやられているのだ。このままで済ませては男の意地が、などとどうでも良いことを考えているのだろう。
いくら成宮でも、二人を同時に相手はできない。今度は本当に、拒否をしている声だった。
悠長なことを言っていられる時間はなさそうだ。
そうだ、お前は正しい。
どうせ、こいつらが怪我をしても自業自得だ。
やれ。
彼は、絡んできた男達に一切の配慮をしない、という判断をした。
やるか。
青白色の眼球の奥、脳の片隅、いつでも押せる、何かへのスイッチ。
それを、自然と、力強く、押す。
「邪魔だー!」
彼がスイッチを押しかけた瞬間、人込みから、奇怪な声が聞こえた。
と彼が思った次には、目の前にいた金髪の男は顔面に横から衝撃を受けて吹き飛んでいた。綺麗な放物線を描き、男は地面を飛んでいく。無残にも物理の実験のような軌道を辿る男に、斜め上へのエネルギーを加えたのは、飛び蹴りをした正体不明の影だった。
「いよう、おひさ」
グリグリと、倒れている男の頬を真っ赤なハイヒールで踏みつけて、影が何気なく手を上げた。青と白のストライプのキャミソールと、裾の広がっている真っ白いパンツに、赤いハイヒールを履いている。髪はセミロングの外ハネで、色は染めていないようだ。
「お久しぶりです、タマゴさん」
「てめぇ、よくも!」
一人残った男を無視しつつ、色々な心持を込めて、彼が目の前に現れた人物に声をかける。
「ん、ん? 妙なことを言ったのはその口かな?」
薄く紅が塗られた唇をヒクヒクさせて、彼女は彼に返す。主だった化粧はそれくらいで、あとはほとんど何もしていないか、それとも彼がわからないくらいのナチュラルメイクか、そのどちらかだった。
「間違えました、タマコさん」
「ひでえことしやがって!」
「そろそろ冗談じゃなく、本気で教育しちゃうぞ?」
彼にタマゴと呼ばれた彼女も、怒りに任せて大声になっている男を無視して、笑顔で、恐ろしいことを言っている。既に半分ほど本気なのは、その目が笑っていないことからも容易に見て取れた。
「コラまて!」
「ああ? 無視してるのは見逃してやるってことだろうが。手加減しているのがわかんねーくらいなら、ケンカなんか売るな。お前馬鹿か?」
「な、なんだと!」
男が拳を振り上げる。
しかし、彼女は位置を変えずに、モデル並みのすらりと伸びた足で、それこそモデル並みの柔らかさを持って、自分よりも背の高い男の顔面にハイキックを叩きつけた。
グギ、と変な音がしたが、彼は聞かないふりをした。彼女に楯突いて鼻が変形するくらいで済むのなら、安いと思ったからだった。
男は鼻血を出して、自分の鼻を抑えている。男の目には、完全なる敗者の怯えしかない。
「さっさとお友達を連れてどっか行け」
「ひ、ひぃ」
彼女に敵わない、というくらいは悟れるほどの知能はあったのだろう、男は倒れている二人を無理やり起こし、自分の血にシャツを濡らしながら、どこかに逃げて行った。
「上向け上」
と、彼女は鼻血に対する要らないアドバイスをしていたが、男が聞いている余裕はなかっただろう。
周りにいた幾人かが、彼女の追っ払いぶりに感動したのか、拍手をしていた。はやし立てるような口笛も聞こえる。お祭りの余興で行ったかのような雰囲気でもあった。それに応えるように、彼女はひらひらと手を振る。
「あ、ありがとうございました」
結果的に助けられたと思っている成宮は、彼女に向かって丁寧にお辞儀をした。
「いいっていいって」
肩のゴミを取ってあげた、くらいの感覚で、タマゴは言った。
「またこんなところで会うとは、奇遇ですね」
「ふふふ、そういう言い方はどうかな、私はお前を探していたわけだし」
「残念ながら、何となく、そんな気はしていました」
意味深長な彼女の言葉をのらりくらりとかわす。この後起こることも確率八割以上で予測済みだった。
「じゃあ、北条、ちょっとコレ借りていくわ」
要するに拉致である。
その言葉が言い終わる前に、問答無用で誰の意見も聞かず彼の襟首を掴むと荷物でも持って行くようにズルズルと引きずっていった。
「また後で」
彼は、後ろ向きに連行されつつ、衆人環視を横切って消えていく。
「あの人、良い人? 悪い人?」
成宮は連れ去られる彼を見送りながら、心配そうに、ではなく楽しそうに若菜に聞いた。
若菜は、当然のことながら表情を変えず、
「最悪な善人だ」
と返した。
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