第8話 花火大会

 引きずられること数分、途中から彼も自分の足で歩いていた。

 夜店の立ち並ぶ河川敷から少し離れて、土手に近いところまで彼らは一緒に歩いた。人込みは多少減ったものの、それでも花火を見るためには高い方がいいと判断した人や、ゆっくりと会話をしようと腰を下ろしている恋人や友達のグループがいくつも見られた。

「何よ、北条ばっかりじゃなくて、あんなに可愛い子といるだなんて、モテモテだな」

「質問の意図が理解できません」

 できるだけ不必要なことはスルーをしてみようと思った。

「んで、どっちが好みなわけよ?」

 酔っ払いオヤジと同格の質問を、ニヤニヤとしながら彼に投げかける。

「回答の意味がありません」

「つれないなー」

「いつものことです」

 本気で相手をする必要はないので、適当に受け流す。彼女もそんな反応も予定調和の一部だと思っているのだろう。別に怒っているのではなく彼をからかっているだけだ。

「猫威(ねこい)さんは? いないのですが」

 彼はいつもなら彼女の横にいるはずの相棒とも分身ともいえる黒猫を『さん』付けで呼んだ。

「ああ、ちょっとごねちまってストライキ中。てのは嘘で、怪我して寝てる」

「倉木(くらき)さんはともかく、猫威さんが怪我を?」

「そ、ちょっとばかし危ない橋を渡ったからな」

 猫は猫でも、彼女と共に行動している『猫威さん』はただの猫ではない。彼も倉木も、猫としてではなく、一個の人格、猫格かもしれないが、として扱っているのもその優秀性によるものである。

 その猫威が怪我をしたということからその危ない橋が並々ならない状況であったことを推察するには想像に難くない。倉木の普段の行いが悪いというのも相まって猫威がごねているのも事実だろう。

「で?」

 何かを催促する、右手を引く仕草をしたのは倉木だった。

「何が、です?」

「は?」

 事情を掴めない彼よりも、彼女が素っ頓狂な声を上げる。

「いや、だって、お前、連絡来てないの?」

「誰に、です?」

「ほら、例のアレだよ」

「アレから連絡があったら、まず一番に連絡するはずですが」

 みるみる倉木があからさまに余計な落胆を込めた表情に変化する。

「はあーなんだよ、仕事の報告後に連絡があるからお前に当たれって」

「また依頼を受けたんですか、それで猫威さんまで怪我を」

 仕事、依頼。

 彼女、倉木珠子の職業は、『解決屋』というものである。

 言ってしまえば、『便利屋』とも『何でも屋』とも言う、世界のありとあらゆる問題事を金銭と引き換えに代行して解決をする。小さな差異を上げるとすれば、彼女が依頼を受けるのは、迷い人探しから暴徒鎮圧まで、依頼主が『悩んでいる』と彼女自身が認定し、彼女自身の正義に基づいて行っても良いと判断したものである。その信念を貫くため、彼女は信頼のおける仲介者しか相手にしない。が、今回ばかりは状況が違いこの世で最も善悪に関心のないアレから依頼を受けたというのだ。

「こっちも事情ってもんがあるんだよ。大人の事情ってやつ」

「そうですか」

 特に意味もなく、ぼんやりと彼が返す。どうせ碌な大人の事情でないことは確かなはずだった。

「で、アレがお前と会えって言ったからには、何か理由があるんだとは思うが……」

「お久しぶり、『雑種』と『欠陥』のお二人さん」

 人込みの中、二人の前に声がした。

 二人にとって非常に聞き覚えのある、幼いが落ち着いた少女のような、否、少女そのものの声だった。

 瞬時に彼と倉木は臨戦態勢を取る。実際には、いつでも動けるように逃げ道をどこかに探しただけであっても。

 その相手は声から察するものと同じ、どう見ても彼より五歳は年下の少女である。小学校高学年くらいだろう。彼女は白いひらひらとしたワンピースの裾を両手でつまんで、まるで上流階級のお嬢様のように可愛らしく膝を曲げた。表情も穏やかで、むしろ子供らしく無邪気という表現が適切だろう。恐らく生来あまり切られていないだろう髪はうなじの辺りから二つにされている。柔らかそうな頬も愛嬌たっぷりで、可愛がられることはあっても、決して嫌悪される対象にはなり得なさそうではある。普通の人にとって、は。

「赤辻(あかつじ)、お前」

 倉木が、声を絞り出す。拳を握り、誰が見ても敵意をむき出しにしている。今にも掴みかかろうかという勢いだが、彼女も、そんな愚行をするつもりはないはずだ。

 そこまでにこの少女が持っている赤辻という名の意味は深く実力は高く、距離は遠い。

「やだ、殺すつもりなんてないのに」

 二人の気配を悟ってか、彼女が小首をかしげる。その仕草に、彼は一瞬後輩である神楽美咲を想像した。なぜか、同質なものを感じたからだ。

「はい、これ」

 少女は満面の笑顔で彼に黒いモノを投げた。彼は避けようとも思ったが、その前にそれが何であるかを確認したので素直に右手で受け取った。

 彼がその手の平大で細長いアンテナ付きの物体の表面を見ると同時に、まるで『今受け取ったのを相手が見ていたかのように』着信が入った。

『ハロハローご両人とも元気ー?』

 ハンズフリー状態なのか、その声はその場にいる三人によく聞こえるように響いている。見るからに合成音で、合成していることをあえて強調しているかのようだった。

「ラピスラズリ!」

 相手が誰であるかは二人には言うべきでもなかったが、倉木は彼が持っている電話に向かって叫んだ。

『やあやあ、よく生きて帰って来たねー解決屋』

 合成音は、無闇に陽気な声で返す。

「お前、『あんなこと』になるのをわかっていて、私を送ったんだろ!」

 彼は、倉木が『どんなこと』に出会ったのかはまだ聞いていないし、正直言ってあまり聞きたくないような気がしたので、疑問を自ら黙殺することにした。

『やだなー因縁つけないでよーあれは予定外もいいところさー。こっちだって報酬は払っているんだしー』

「ムカつく野郎だな」

 続けたそうな倉木に左手で軽い制止をして、彼が受話器に気持ち顔を近づける。

「それで、何の用です?」

 あくまで、冷静に、状況が全て。状況を把握しなければ条件は次第に消去法を取らざるを得なくなる。

『あはは、さすがに自分殺しの賀茂だねー、そういう態度は好きだよー』

 馬鹿にしているのか褒めているのか、あるいはその両方なのか区別のつかない声で『ラピスラズリ』という存在は告げた。

『一つ飛び入りで仕事を頼みたいのさー』

「拒否してもいいか?」

 即座に返したのは倉木だ。

 よほど、前回の依頼で彼女は痛い目に遭ったのだろう。

『まーちょっとしたバカンスだと思って気楽に受けて欲しいな、それに色々と困っているのはそっちだと思って親切心からの依頼なんだけどー』

 うぐ、と彼女は声を呑み込む。

 彼の知っている限り、『天下無敗』『世界の敵』『正義の味方』と自称他称含めて通り名の多い彼女であるが、彼が最も身近に、稀に切実に感じている彼女の別名は、『万年金欠』なのである。とにかく、彼女はいつも持ち合わせがない。高校生である彼に、幾度となく食事をせびりに来るレベルである。

 陽気な声が甘く誘う、困っている、というのはそういう意味だ。

「なぜ僕まで?」

『そっちの方が解決屋的にはいいかなってねー、何しろ今回は君たち向きだからー』

 つまり、声が主張するところによれば、解決屋であるところの倉木が得をするのであって彼が得をするわけではない、ということである。この時点で、彼の人権はどこかしら無視されている。

「内容は?」

 張り詰めた声で倉木が聞いた。

 お金に目が眩んだな、と彼は思うまでもなく、慎重な声のはずの倉木の目は輝きつつあった。全くもって文字通り現金な人である、と彼は思った。

『オーケー契約成立だね。詳しい情報は瑠璃が持っているから、二人には三泊四日、瀬戸内海の小島で幽霊退治をしてもらうよー』

 幽霊退治。

 声は当たり前のようにそう言った。だが、少なくとも冗談だと笑う人間はここにはいない。

 確かにそんなものが真実として存在する依頼なら適任なのは彼と倉木の二人である。が、別に彼自身生活費に困っているということはない。強引という成り行きで、手伝いをさせられているだけに過ぎないのだ。あまり、いや、ほとんど彼にとってメリットはない。強いて言えば『多少の無茶が許される』ということくらいだろうか。

「報酬は?」

『前1、後2、成功上限は7』

「乗った」

 彼女らが会話している金額の単位は百万である。声の指示が正しければ、三泊四日で最高一千万の報酬を与える、ということである。しかしこれはこの手の依頼では割りと標準、もしくはやや標準以下の値段である。金銭としては彼の貯蓄額の数十分の一程度に過ぎない。

 それだけの仕事をしてなぜ倉木が金欠なのかは未だに謎の多い部分ではあるが、やはり彼にとって知ってさほど意味があることではないので聞かないことにしている。大方、損害賠償でも払い続けているのでは、と予想している程度だ。

『契約成立っていうことで、瑠璃ー書類をー』

 声に従って少女が二人に数枚の紙を手渡す。掴んだのは倉木で、彼は横から少し覗き込んだだけだった。そこには島の見取り図らしきものと、文章が書かれていたが、明かりが足りないのか、文字が小さいのか、読むのは困難に思われた。

「今回はあたしも同行するの」

「あ?」

 倉木が疑念の声を上げる。彼も声には出さないが、少し口元を曲げる。少女が同行する、ということは、彼にとってもあまりよろしくはない事態であった。

「誤解しないでね、あたしは単なるお休みとして行くだけ。ドゥー・ザ・ロコモーションよ、お仕事はなし」

 お仕事、少女は簡潔に表現したが、この『死筋』八織の第二家、別名『灯篭』を持つ『赤辻』が行う仕事は、たった一つしかない。

 彼は自分の実力を良く知っているし、倉木も自身を過大評価することはない。だから彼らは決してこの少女にケンカを売ろうなどとは思わないのである。倉木に至っては二回り近い歳の差があるとしても、この少女がいかに華奢で清廉に見えようとも、もし正面切って相手をすれば結果は先ほどのチンピラ程度で済まされないのは明白すぎる事実だった。

『まーそーいうことでー』

「危険はないんだろうな?」

『危険がない仕事なら君になんて頼まないよー』

「そりゃそうだ」

 当たり前の返答に、倉木ものんびりと返してしまった。

『それじゃーねー、健闘を祈るよーせいぜい死なないようにねー』

「おいこら、不吉な言葉を残すな!」

 倉木の返しもむなしく、あとにはツーツーと通信が途絶えた音が広がるだけだった。

「何か、一気に疲れたな」

「同感です」

「で、出発は?」

「これから」

 さらりと、少女は答えた。

「車が用意してあるからそこから近くの空港まで飛行機、降りたら高速艇。島の集合は明日のお昼前」

「ホントに飛び入りだな、何かあったのか」

「事前連絡をしておいた『拝み屋』が、別件で」

 そこまで言って、少女は口を閉じてにこりとした。これ以上は言わない、という軽い合図である。

 別件で、どうしたというのか。

 余計な詮索はしない、というのもこの世界のルールの一つだ。どうせ、同時期にある別件で仕事をしているか、少し前の別件で死んだかそれに近い傷を負ったかのどちらだろう。身動きが取れないという意味では同じことだ。


「あーいたよ、若菜ちゃん」

 そこへカラコロと下駄を鳴らして倉木によって引き裂かれてしまった二人がやってきた。花火大会の時間が近づいたので、探しにきたのだろう。

「もう、探しちゃった」

 若菜の手には途中成宮によって買われたと思われる、わたあめが握られている。まだ減っていないようで、どうやって食べたらいいのか、彼女は判断がついていないのかもしれない。そのままかぶりついて口の周りにべっとりつけると、彼としては愉快なのだが、多分、それはさすがにしないだろう。

「お久しぶり『お姫様』、そして初めまして」

 少女は、彼らにした時と同じ動作で挨拶をした。

「うわあ、可愛い子」

 この中で、唯一少女に面識のない成宮が、ぬいぐるみでも見つけた女子高校生のように赤辻に近づいて頭をなでなでしている。こうしてみると、二人は仲の良い姉妹みたいだ、と彼は思った。顔つきだけではなく、悪戯が好き、という共通点もある。

 その質の違いを知らないのは良いことだな、と彼は思ったが、少女は少女でまんざらでもなさそうな顔をしていた。褒められると嬉しいのは彼女も同じだということだろう。

「それで、武ちゃん、その旅行楽しそうね」

 と、彼女はひとしきり少女を愛でたあと、唐突に言った。

 表情は笑顔のものの、普段と違うのは、彼女を良く知っている人間なら誰でもわかる、簡単に言えば『悪巧み』をしているというものだった。彼らの話を聞いていたのか、それともこの紙から予想を立てたのか、あるいはその両方から情報を組み立てたのか、彼女は何か言いたげである。

「残念だけど、楽しそうではない」

「一緒に連れて行って。もちろん若菜ちゃんも。それとも、二人じゃないといけないヤマシイ旅行なの?」

 悪戯っ子気質本領発揮の瞬間だ。

 ヤマシイ、にアクセントを置いてある辺り、相当の手錬である。

「いや、でも」

「何? 何か問題でもあるの? 若菜ちゃんも行くよね?」

「問題ない」

 ためらいも見せず若菜が返した。

「ちょっと若菜まで……」

 質問攻めをし、期待されうる回答を『別な』質問で第三者に言わせるという既成事実を作り、外堀から埋めていく作戦である。

「おいおいおい」

 小声で、横にいた倉木が彼に告げる。

「人形姫はともかく、『何か』あったって、お前じゃないし、責任が取れないぞ?」

 やはり、安全を保証する権利は最初から彼には与えられていなかったようである。

「いざとなれば猫威さんに守ってもらうというのは?」

 可能性として、彼は提示をする。

「それこそ、いざっていうときに私が危なくなるじゃないか」

「それは、僕が何とかするとして」

「やけに向こうの肩を持つな? ええ、武ちゃん?」

 微妙に成宮の声色の真似をした。

「この状態の彼女を引き止めるのは、僕には不可能です」

 強いて言えば、リミット解除。一度決めたら、そこをあらゆる手段によって周囲に気が付かせないほどいつの間にか押し通すのが、彼女の特徴である。策士という役職が適任かもしれない。実際、彼ら生徒会執行部内においては、ほぼその役割を担っている。

「断るのなら、なんとかそっちでやってください」

「あーそのなんだ、連れて行ってやりたいのはやまやまなんだが、こっちも仕事だし、未成年を勝手に連れていくっていうのも」

 彼自身も未成年に含まれているはずなのだが、彼女にその辺りは関係していなさそうだった。

「でしたら、許可があれば良いのですね」

 成宮は平然と言ってのけると、自分の浴衣からケータイを取り出して短縮ダイヤルを押した。

「もしもし、私です。これから旅行に出かけることにしました。ええ、わかっています、それまでには戻ります。四日間です、いえ、友人と一緒です、付き添いは要りません。かわりに至急二人分着替えを用意してください。ええ、二人分、もう一人は北条さんです、服はサトに自由に選ばせるよう」

 若菜の分まで勝手に用意して持ってくるつもりだ。

 電話中の成宮を斜めに眺めた倉木が、彼の耳を引き寄せる。

「なあなあ、もしかして、アイツ、金持ちなのか?」

 高校生に食事をたかりに来る人間に比べれば大抵の日本人は金持ちと言えるかもしれない、と彼は内心思っていたが、耳を取られそうだったので言わないことにした。

「比較対象を僕にすれば」

 より平均に近い方に照準を合わせることにした。彼が多額の貯蓄を持っているとしても、それが彼の生活を平凡以上に引き上げているわけではなく、また彼は豪華な暮らしにも興味はない。常に平凡、平穏、在り来たり、が彼の望む世界だ。それが時折『解決屋』などという得体の知れない人物によって乱されることはあるとしても。

「ちなみに、北条を比較対象にすると?」

 彼の答えが気に入らなかったのか、更に限定した情報を得たいのか、彼女は五ランクほど保有財力のレベルを上げた。

「どうでしょう。ただ一つわかるのは、『どれだけ持っているのかわからない』ということでしょうか」

 それが彼の率直な感想だった。いかに彼が他人の財力などを知ろうともしないとしても、普段共に話していれば推測はできる。推測をした上で、彼女は底が知れない。彼女が高級なブランド品ばかりを身につけているわけでも、金使いが粗いわけでもない。好きな食べ物は、学校近くにある、ごく普通の甘味屋のタイヤキである。

「ええ、関西です。詳しい場所は追って連絡します。帰りがけにでも、支社の方に顔を出します。それでお父様にも認めていただけるはずです」

 倉木は彼の答えに満足した様子で一人なにやら指折りをしていた。

「それでは、後ほど、車を回してください」

 車と表現された、一般車よりも長い黒塗りの車が来るのは時間の問題である。

「それで、私の方の話はつきました。あとは、そちらの許しをいただくだけなのですが」

 ケータイを切ると、いじらしく、これ以上ないほどの上目遣いで、成宮は倉木に聞いた。世の男性であれば、これほどまでに攻撃力のあるものはないだろう、というジェスチャーである。彼は若干世の男性からは外れているし、倉木は女性なので威力は軽減されているが、それでも頼みごとを断る気が薄れてしまう効果はあった。

「そこまで言うのであれば」

 と妙に優しげに倉木が応えた。

 再度、今度は彼が倉木の耳元を引き寄せる。

「いいんですか?」

「ほら、いざとなったら猫威に任せれば」

「さっきと言っていることが。倉木さんの方はどうするんです?」

「お前が私を守れ」

「そんな無茶な」

「さっきと言っていることが、だ」

 後手後手に回る彼。丁々発止では、彼女の方が一枚上手だった。

「それでは、決まりですね」

 喜びを隠さない表情で、成宮が手をパチンと合わせる。

「あとは、私が良くても、だが」

 倉木は、ちらりと少女を見る。

「あたしに権利はないよ」

 首を振って、少女は応える。

 すると、彼が持つケータイに着信音が再度流れ、今度は触れる前に、自動で通話状態になった。

『そこのお嬢さん二人分もついでに手配しておいたからー楽しい夏休みをー、瑠璃ー場合によってはー君が彼女達の安全をー確保してあげてーねぇー』

 声は、繋がっていないはずの間の会話を把握した上で、突然割り込んできた。

「わかった」

 少女が返事をする。

『あーそうそうーこのケータイねー、あと十秒で自爆するからー、やっぱり自爆はロマンだよねー』

 とついでに勝手なことを言って、プツンと切れた。

 残されたのはそのケータイを握る彼に、苦い顔をする倉木、にこにこ顔の赤辻、何が起こったのかわからない成宮、相変わらず無表情の若菜、の五人である。

「冗談、だよね」

 彼は少しだけ笑った。

 心の中で否定をしながら、しっかりと頭では時間をカウントしている。

「冗談だろ」

 返した倉木も、苦笑いを浮かべてそれでも体は確実にケータイから離れ気味である。

「ですよね」

 一応の同調をして、彼は残り時間を数えた。

 残り、五秒。

「どうぞ」

 彼は、無造作に、そのケータイを倉木に投げた。

「うわ、お前馬鹿か!」

 熱いものを触ってしまったかのように、あたふたと倉木がケータイを宙に浮かせる。

「残り三秒」

 彼が最終カウントをする。

 一秒後、つまりは残り二秒になり、ケータイを握り締めた倉木が、投球のポーズを取る。

「食らえ、消える魔球!」

 全力で倉木が海に向かってケータイを投げた。

「あー」

 それに対して感嘆とも落胆とも取れない声を上げたのは赤辻だった。

 高く高く放り投げられたケータイはエネルギーを失って自由落下に移行する寸前で威勢良く爆ぜた。しかも、その遠目に見てそれが木っ端微塵になったのが確認できるほど潔いまでの自爆だった。まさに『消える魔球』だな、と彼は思った。

 証拠隠滅という意味ではない、趣味の力が随所に見られ、すだれのような火花が、青から赤へと色を変えつつゆっくりと散っている。

 その様子を見て、気の早い花火だと思ったのか観客の何人かが歓声を上げた。そう思うのも無理はないし、そう思うように意図されて作られていたのだろう。それだけでも電話の主の趣味嗜好は読み取れる。最低限、悪質な愉快犯だ、ということを。

「あいつ、本気でやりやがった」

 大魔神並みの投球を見せて、倉木は悪態をつく。

「それで、どうするよ? 私は一回事務所に行って猫威を『回収』してこないといけないけど」

 倉木がこの後の行動について彼に聞く。出来の悪い引率者がクラスの優等生に行き先を聞いているようにも見える。

「そうだね、とりあえずは」

 と彼が言いかけて、それに最高の笑顔で成宮が重ねた。

「花火を楽しみましょう」

「うん、そういうこと」

 彼が返して、空を指差す。

 全員が、もちろん、若菜だけは少しだけ顎を上げただけだが、彼の指を追う。

 そして花火大会の開始を告げる大きな花びらのような特大の一発目が上がった。色彩豊かな光に照らされる地面に、やや遅れて盛大な破裂音が届く。彼は無意識にそこから距離を計算していたが、別に意味があるわけでもなかった。日本人の習性なのか、大きな花火が上がるごとに周りからは拍手が鳴り響く。誰に対しての拍手なのか、きっと誰も考えていないだろう。成宮も赤辻も一緒になって拍手をしていた。

 横にいた若菜を見て、表情は変えないものの花火から目を逸らしていないのだから少しは楽しんでいるようだ、と勝手に彼は結論付けた。ついでに彼女のこげ茶色の瞳に花火が映って少しだけ綺麗だなとも思った。

 花火に団扇、おまけに浴衣とやっぱり夏はこうでないとな、と何かしらの肯定的な要素を自分に組み込むことで、彼はこれから始まるだろう最悪の四日間のことを忘れようとしていた。

 そして、この予感は、彼の思う通り、残念ながら、それも予想以上の事態に発展することになるが、それはまたどこかの話である。

 そして全く無駄な補足だが、花火が上がる中、

「たーまやー」

 と、叫んだのは、最年長倉木珠子ただ一人だけであった。

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