第5話 二人はいない
優しい雨の降る月曜の放課後、私はこうして生徒会室にいる。梅雨のない北海道でも天気が愚図ついて雨がちになる。私が誰か、という問題に関してはそれほど重要ではないだろう。それよりも問題であるのは(そう、私にとってではなくこれを読むことになるであろう誰か、にとってであるが)今回あの二人の出番は全くないということだ。
なぜ、彼らがいないのか。
私がその場にいたわけではないので詳しい記述は不可能であるが、三時限目の物理が終了したあと、二人とも保健室に行き、そしてそのまま早退をしたということである。
文面をそのまま取ると、色々と妄想を膨らませてしまうこと必至なのだが、この場合、「保健室」に行った、ということが重要である。保健室と聞いていかがわしい予想しかできない方には恐縮であるが(実は私も少しだけ、本当に少しだけそのイメージは捨てきれない)、私達の保健室には、奇妙な保健医が生息している。生息している、というニュアンスが正しいかどうかは別にしても、彼女は、いついかなるときに行っても、保健室にいるのである。たとえ早朝、もしくは深夜部活動が遅くなったあとでも、彼女は常にその部屋にいる。よって、生徒からは諸々の緊急避難先として重宝されている。かわりに色々な貢物を差し出さなければいけないという交換条件を多くの生徒は理解しているし、教職員も黙認している状況なのだ。
そして、彼女と彼らの関係であるが(もちろん、彼女と私の関係でもある)、彼女は私達生徒会執行部の顧問なのである。執行部はその建前上「部」であるため、それには五名以上の部員と顧問が必要になる。(しかし、部員数に限り執行部は特権的に免除されている)
名前を、桜田柚子、まだ三十代ではないと言い張っている二十八歳の校医である。もし万が一貴方が彼女の名前を、ユズコ、と読んだとしよう。その場合、貴方の生命に危険が及ぶような薬品を注射されてもいたし方ない。彼女はユズであって、ユズコではない。彼女がユズコと呼ばれることにそれほどまで抵抗がある理由は今もって聞けないので、不明であるが、ともかくそういうことなのである。彼女のことを誤ってユズコと呼んで、無傷でいられたのは将来の副会長候補の賀茂武人、ただ一人であると言われている。さすがはあらゆる攻撃からの回避力(言い換えれば、のらりくらり、である)に定評のある彼である。
話が逸れてしまったようだが、彼らが率先的に保健室に向かったということは、すなわちそれは彼女に呼び出されたという結論に他ならない。何か厄介ごとを押し付けるのが彼女の役割であって、事件を解決するのが我々執行部という図式が出来上がっているのだ。
そしてそれを受けて二人が消えた。
本来であればその事件は執行部全員で対処をするのだが、それが危険であればあるほど逆に人員は削減され、最も危険であると判断された場合には、実質引退済みの三年生を除いて北条若菜、賀茂武人の両名のみになる。彼らが私達に何か個別の依頼をするまで私達は待機状態となる。私以外の人員も口には出さないがそのためにこの部屋にいるようなものなのだ。
さて(実際に「さて」と会話で使ったことはほとんどない、さてさて、なんてもってのほかだ。「さて」を使うのは、彼らの方である)、この辺りで、現在のこの部屋の状況を見てもらおう。
横では私にとって友人であり、二人の関係としては友達なのか、恋人なのか、非常に微妙なラインを辿っている男女がお互いの意見をぶつけ合っている。その内容は、予算の概算を出す書式が互いに違うということが主な原因であったはずなのだが、今はタイヤキにはアンコかクリームかで言い争っている。要するに、平静であり、平穏である。あまりに微笑ましいので、実は最近何かを仕掛けてみよう、と賀茂武人に提案してみた。(そしてこれは了承されたが、未だに実行にはいたっていない。残念だ)ちなみに私は断然アンコだと思う。後発のくせに、クリームが市民権を得すぎなのだ。甘さに惑わされて、あの奥深い小豆の味が理解できないだなんて、私には許せない。
そうだ、今日は帰りに伊東屋のタイヤキを食べよう。
また話が逸れてしまった。
少しこの学校にある安定的な勢力について考察をしておこう。
生徒会執行部と聞くとあらゆる校内権力の中心部に座して裏表で絶対な力と信頼を持っている、とよくある漫画のように思う人もいるかもしれない。しかし、実際に校内の権力は三分割されていると言える。
まず、私達生徒会執行部。
私達の表の仕事(裏の仕事については後述する)は予算決定権と各行事の取りまとめに集中していると言っていい。全体としての上部機関であるが、直接的に下にいると言っていいのは部活動を二つに分けた「文化部連合」と「体育会連合」、それに「放送局」、「新聞局」、「応援団」、「吹奏楽団」である。そして、残念だが(これは賀茂武人の口癖だ、肯定でも否定でも使うことがある)、これらは決して味方であるとは言えない。私達が予算決定権を持っている以上、彼らが希望の予算を求める以上、対立は免れないといえる。
三権分立でいえば「行政」だろう。
次にクラス委員会、通称、コミッションブルーだ。(執行部内の会話では、「青」が良く使われる、委員腕章が青いからだ)
彼らは各クラスから選出された代表によって成り立っている。主な仕事は、クラスの意見をまとめること、その意見を他委員会等々に伝達をすること。執行部が関与していない、その他の委員会を取り仕切ること、新しい校則を生み出すこと、古い校則をなくすこと、それから予算請求の計算も行う。予算委員会が開かれるのはこの内部であり、執行部も全員出席する。春と秋に行われる半期予算委員会は、その後の部活動会議とあわせて、阿鼻叫喚である。
彼らは「立法」だ。
比較的私達執行部と仲が良いかもしれない。
最後に風紀委員会。(もし、私達執行部が、「監査」とか「審査」とか「機構」、最終的には「天敵」と呼ぶとすれば、それは大抵この委員会のことである)
彼らにとっての仕事は、唯一「学内の治安を守ること」、その一つに集約していると言っても過言ではない。校則を遵守することはもちろんのことながら、彼らは選挙管理委員会であり、予算監査委員会でもある。少々(私達にとっては少々だ)、独自的で破天荒な行動を許されている執行部にとって、彼らの存在は目の上のたんこぶそのものであるし、彼らにとってみたところでも、煙たい存在であるのは間違いないだろう。
彼らは「司法」である。
以上、この三つが平均的に牽制を繰り返しながら、この学校は成り立っている。
委員会でもない生徒会執行部がこれら二つの委員会に対して、同等の地位を保っていられるのは、単にある特殊な機能を持っているゆえの、生徒からの信頼関係、といえる。それは「独自裁量権」という、学内限定の超法規的措置である。私達は事前に風紀委員会に知られない限りにおいて、校則を徹底的に無視することが許されている。もちろん実際の法律に触れることは不可能であるし(色々な手段によって、人に言えない範囲で触れていることは多いが)、それらは事後に書類にまとめて風紀委員会に提出をしなければいけない。つまり、後から「実は校則破っていましたすみません」と書くのである。知られていないのにわざわざ書くとは非常に奇妙な話だ。しかし風紀がその校則を無視したことによって、執行部以外の生徒が得られる有用性を認証し、かつ私達が計画また実行をしている間に行動を悟られなければ、それらは不問とされるのが定例である。なぜ不問になるのかは彼らの誇りに関わっているせいもある。
この独自裁量権を駆使し執行部がやっていること、それは平たく言えば、校内の何でも屋である。生徒は悩み相談などを匿名で生徒会室前の箱(黒い箱なので、ブラックボックスと一般生徒は呼ぶ。私達は、単に「箱」としか言わない。たまに皮肉めいて「厄介箱」ということはある。現在は、主に現会長の葛原(くずはら)と将来の会長候補である北条若菜宛てのファンレターもといラブレターが八割を占めている)、もしくは執行部の机など私達がわかる場所に投函する。例外としてユズに直接話す(彼女には守秘義務が課せられている。それ以前に彼女が言うとは思えないが)。その内容を判断して、必要とあれば、私達が独自裁量権を駆使して相談を解決する。そういった実行力と能力を兼ね備えているため、生徒は執行部を信頼し、執行部は他の委員会と対等になるのである。
私がこうして今も机に座っているのは、彼らが現れるかもしれない、という事情と、前回の事件に関して風紀委員会に対して「すみません」の書類を作っている、という二つの理由からである。決して暇だからという理由でも、誰かに校内構造を説明するため、という理由でもない。断じてだ。
ここまで二人はいないと書いたのは、実は説明上の嘘、つまりは叙述トリックである。彼らは先ほど生徒会室に現れ、そしてなにやら工具を探している。なにやら怪しい雰囲気のまま、私達とはまだ主だった会話をしていない。
今、ペンチとニッパを持った賀茂武人が、ここにいる北条若菜(彼女は無表情でハンダゴテセットを持っている)以外の三人に向かって口を開いた。
「皆、ちょっと相談があるんだけど」
賀茂武人がそう話しを切り出す。北条若菜は、今日も無口だ。
そして、私達の騒動は幕を開ける。
今日の事件は、伊東屋閉店時間(九時半だ。九時過ぎに行くとおまけをしてくれる確率が上がる)までに解決するのだろうか、それが私にとって一番重要な問題である。
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