第2話 惨劇


 靴音も高らかに、ふたりの不穏な闖入者は、奥へ奥へと校舎を踏破していく。

「我々人類は、バカ」

 絞り出すような低い声で、三助は歌い始めた。

「過去・現在・未来、バカ」

 廊下を進むたびに、薄闇がその濃さを増していく。

「正義はあったのか、バカ」

 血に濡れた足跡を残しながら、忍足は階段をひとつ、またひとつ昇る。

「正義は勝ったのか、バカ」

 その跫音は三助のそれとかさなり、なにかを警告するかのように盲学校じゅうに響き渡る。

 校舎内の見取図はつぶさに頭に入っている。校舎二階東棟には理科室や図書室が並び、西棟とを繋ぐ中央部には職員室が設けられている。中等部の通常教室があるのは、西棟である。職員室前を横切って、ふたりは西棟へと向かった。廊下に教師の姿はない。実包を無駄にできないかれらにとっては、願ったりのことだった。

 教室の引戸の前に立つ。中のようすは視えないが、数人の息遣いと談笑の声がきこえた。

 教室前には銀色の手すりが備えられ、生徒たちの皮脂でべっとりと汚れている。点字でなにか表示されているが、忍足も三助もそんなもの読めやしないし、読む気もさらさらない。

 ゆっくりと左脚に重心を置き――呼吸を止める。

 忍足が大きく息を吐いたその刹那、安普請の引戸が教室内にふっ飛んで割れたガラスを辺り一面に四散させた。

「マーチンのブーツは破壊力抜群っスね」

 三助が嫌味なことをほざく。

「爪先に鉄板が仕込んであるんでしたっけ?」

 忍足はふんと鼻を鳴らして三助の痩躯を見下ろした。ブーツの重みだけでこれほどの芸当ができるわけがない。忍足は大学では空手道部に所属し、すでに黒帯の腕前だ。日々の鍛錬により膨れ上がった拳だこは、かれにとって勲章も同然。しかも空手だけでなく、キック・ボクシング、カポエラ、テコンドーと、あらゆる立ち技格闘技を学んでいる。女のように華奢な三助などとは、鍛えかたがちがうのだ。

教室の敷居をくぐり、狭い教室内を見まわす。少人数制なのだろう、椅子も机も八つほどしかない。

 外の寒さを嫌い、小さな仔猫を囲んで談笑していた盲学生たちが、突然の乱暴な訪問客へ一斉に視線を向けた。

 視線――? いや、たむろする盲人たちの眼の焦点は、まったく合ってはいない。六――いや、ぜんぶで七人、その眼差しは灰色に濁り、すべての光を失っている。

 忍足は、かれらのようすに異質なもの、不吉ななにかを感じて一瞬、息を呑んだ。盲人たちの口もとは、なにかいいたげに、ひくひくとピンク色の芋虫のように蠢いている。

 チェ……ッ!

 チェ……ッ!

 耳障りな舌打ちを鳴らす盲学生が眼についた。一六〇センチにも満たない小柄な体躯ながら、奇妙な肥りかたをしており、学生服の袖と裾はまるでハムのように張り詰めている。頬は膨れ、眼は細い。頭が大きく、まるで小人のように等身が異様だった。まぶたの隙間から覗くうつろな両眼が、じっと忍足を見張っている。不自然で無機質な視線――おそらくその両眼は、義眼だろう。

 その手前には、猿に似た盲学生が椅子に腰かけ、鼻糞をほじっていた。粘液まじりの固形物を指につけながら、そいつはじぶんの学生服で、おもむろにそれを拭き取ろうとする。

 ドン――ッ!

 銃声がその場の沈黙を切り割いた。盲学生の猿に似た顔面が、花火のように四散する。

「ひとつ! ふたつ!」

 三助の掛け声を、烈しい銃声が追う。

 舌打ちを鳴らしていた小人のような盲学生の左腕が、学生服ごとふっ飛んだ。

盲学生は何事かわからないようすで、細い眼をいっぱいに見開き、ぶ厚い唇をひくひくと動かしていた。だが、すぐに舌打ちをやめ、こんどは狂ったように大きな悲鳴を上げた。

 排莢された空の実包が、カラカラと血まみれの教室の床を転がっていく。

 真っ赤な血の霧が、教室を覆い尽くした。にわかに騒然となった教室の一角で、忍足は感嘆の溜息を漏らしていた。夕陽に照らされるその光景は、案外、幻想的で美しかった。やつらに見せてやれないことが、惜しく思えるほどだった。

「そいつのとどめは刺さないでくださいよ、忍足さん」

 三助が新たに実包を再装填しながら嗤う。左腕を失った盲学生は、床にのたうちながら呻き声を上げていた。

「ツラが気に入らなかったんでね、ちょいといたぶってやろうと思いまして。何分ぐらいで気を失うのか? 出血多量で死ぬのかどうか? こんな実験は、そうそうできやしませんからねえ」

 まったく呆れるほど悪趣味だ――だけど忍足は、三助の気の済むようにさせる気でいた。

 いかにも血の巡りの悪そうな残り五人の盲学生たちも、ようやくじぶんたちの身が危険だということを理解したようだった。盲学生たちは腰を抜かし、犬のように四つん這いになり、手さぐりで机や椅子を掻き分け、必死にその場から逃れようとする。  

 いちばんすばしっこいのは、球児のように肌の浅黒い坊主頭の盲学生だった。齢は十四か十五のはずだ。躰つきは、まだ小さいながら、男のそれになろうとしている。幼い頬にはうすぼんやりと髭が生え、オス特有の攻撃的な体臭がぷんと鼻をついた。落ち窪んだ眼つきは、盲人の多くがそうであるように、物憂げなようであり、また、醜かった。

 ふだんの動きはうすのろだが――と忍足は思った。動こうと思えばずいぶんすばしっこく動けるものじゃないか、と。

 しかし出口をめざして動いているのは予想済みだったため――狙撃するのは、わけもない。

 三助に先を越された鬱憤を晴らすように、つぎの散弾を撃ちこんだのは、忍足である。一撃めで球児のような盲学生の足をふっ飛ばし、二撃めでそのけたたましい悲鳴を止めた。三撃めでさらに死体を粉々にふっ飛ばす。四散した内臓が、ビチャリと忍足の顔にかかった。

 手早くポケットから取り出した十二ゲージの実包を込め、フォアエンドをスライドさせる。ジャキン!――金属音が響き渡り、教室の窓ガラスを震わせた。

盲学生たちは、床に這いつくばったまま、もうだれも叫ぼうとはしなかった。逃げ出そうとも、しなかった。動けばつぎに殺されるのはじぶんだ――そのことを、ようやく理解できたからである。

 残った五人のうち、女生徒はひとりだけだった。古めかしい紺のセーラー服を着て、仔リスのように震えている。あとは全員、男子生徒だ。

 左腕を飛ばされ、その激痛に嗚咽を洩らす、小人のような醜い盲学生。その短い黒髪は、脂汗に濡れてぬらぬらとなめくじのように光っている。

 そして、級長じみた雰囲気の上品な顔だちの盲学生。その指はバイオリニストのように白く繊細だ。

 その横にいるのは、背がひょろりと高く、長い髪を後ろで束ねた盲学生。頬は思春期特有のにきびで醜く埋め尽くされ、そのうちひとつが潰れて血と脂をドロリとだらしなく溢している。

 いちばん手前にいるのはおそらく一八〇センチ近くあろう、浅黒い肌の大柄な盲学生。

「おまえたち」

 その大柄な盲学生が、いかめしい面構えを歪めながら立ち上がった。

 忍足は、思わず息を呑んだ。盲学生の強靭な四肢の躍動が、学生服越しにも伝わってくる。生まれつきのせいだけではないだろう、盲人野球かフロアバレーボールか知らないが――なにかスポーツによる鍛錬によって、作りこまれた躰だった。

「いったいどういう――」

 銃声が、その言葉を遮った。三助がまた引き金を引いたのだ。空気が一瞬でその温度を下げ、静寂が教室を支配した。

 鉄製の冷たい風が吹いた。大柄な盲学生はぐらりとよろめき、自身の頭部からぶち撒いた鮮血と脳漿の海の中に、ゆっくりと沈みこんでいった。

 持って生まれた恵まれた体躯も、苦しかったであろう日々の鍛錬も、この場においては意味も持たなかった。なぜならかれは盲人であり、忍足と三助は盲人ではなかったから。熊や虎といった猛獣でさえ、視力を失えば自己防衛力はゼロに等しい。ましてや忍足と三助が持つレミントンM870は、あまりに強力で無慈悲なジョーカーのカードだった。

 三助はうつろな眼つきで排莢と装弾を済ませた。金属音が冷たく響き、しん、と教室が静まり返った。

 静寂のなか、ひときわ呼吸を荒げていたのは、級長然とした盲学生である。艶のある黒髪に白い肌、上品な顔だちは恐怖に憑かれ歪んでいる。一秒ごとにその顔色は蒼白になり、白く整然と並ぶ歯がかちかちとぶつかり合っている。腰が抜けているのか、息を乱しながら立ち上がろうとするも、すぐに血に濡れた床に何度もぶざまに膝をつく。

 逃げるつもりか、それとも抵抗するつもりか――、

 忍足がそう訝った瞬間、盲学生は、その場にただひとり居合わせた小柄な女生徒の前に、その身を挺して立ちはだかった。

 女のように頼りなげなその童顔は、恐怖を必死に呑みこもうとしていた。女よりも細腕のその盲学生は、それでも男として、女生徒を懸命に護ろうとしていたのである。

四辻よつつじくん」女生徒が盲学生の名を呼んだ。

千条ちすじ。きみは、きみだけは」

 四辻と呼ばれた盲学生は、蒼ざめた顔でごくりと唾を呑みこんだ。

「ぼくが。ぼくが――」

 ふう――その感動的な光景に、忍足は溜息を漏らして下を向く。

 しかしすぐさま顔を上げ、ショット・ガンをぶっ放した。

 痩身を揺らし、大量の血を吐きながら、四辻と呼ばれた盲学生は、惚れていたのであろう女生徒の前に仆れこんだ。そして血に濡れた顔をそっと寄せ、咽喉から必死に言葉を絞り出した。

「……逃げて。早く。いままでいえなかったけど、ぼく、きみのこと――きみのこと――」

 苦痛に歪む童顔は、あっというまに何十年も老けこんでいく。ふっ――と苦悶がその表情から去ったと同時に、最期の言葉も残せないまま、かれは女生徒の胸に顔を埋めるように事切れた。

「あたし、女よ」

 四辻の死体をふり払い、千条と呼ばれた女生徒はいった。

「なんでもするわ。なんだってできる。そりゃ中学生だけど、処女ってわけじゃない。ね? いいでしょう? あたしの命だけでも助けて。わかるわ、あんたたち、何者か知らないけど、女を殺すほど悪い人じゃ――」

 情け容赦なく銃声が鳴った。

 少女は――スカートの中から大量の内臓と粘りつくような血を溢しながら、その場に膝をついた。

 その表情は、絶望ではなかった。悲哀でもなかった。ただ、信じられないようだった。現実を受け止めきれないようだった。いままで女だというだけで、すべてが許されてきたのだろう――もとより女の少ないこの盲学校のなかでは、女帝のように振舞ってきたにちがいない。

 忍足は、ゆっくりふり返った。撃ったのは、三助のほうだった。

「うぜえんだよ、ブス」

 三助は、ぺっ、とその場に唾を吐いた。

「ま、鏡も見れないんじゃ、自覚しようもねえだろうけどなッ」

 排莢の音が、無慈悲にもまたひとつ響く。

 五体満足、無傷の盲人は、もうすでに一人を残すのみだった。時刻は午後四時五十分――ゲームが始まって、まだ二分ほどしか経ってはいない。

 七分という制限時間すら、このゲームには長すぎた。

 あっけない。弱すぎる。あまりにも、つまらないゲームじゃないか。

 辺りは血の霧と猛烈な火薬の臭いに覆われていた。陽はすでに落ち、わずかな残光が教室の地獄絵図を照らすばかりである。数人の脳漿と内臓、脂肪が飛び散り、乱れ、床の上で溶けて混じり合う。その凄惨な光景には、独特の、奇妙な、しかしたしかなエロティシズムがあった。

 死体の腹部から泡立ちながら溢れ出す胃液の異臭がつんと鼻をつく。

土方ひじかたって名まえの生徒は」忍足は吐き捨てるようにいう。「おまえか?」

「そうだよっ」残るひとり、髪を後ろで束ねた盲人は、にきび面を震わせながら名乗った。「おまえら、おれがだれだかわかってんのかよ? こんなことして、ただで済むわけねえだろ? おれの爺さんはな、おれの爺さんはなあ!」

 その怒声を遮ったのは、忍足の猛烈な蹴りだった。

 その場に膝をつき、胃液を吐きながら、土方はのたうちまわる。

「な、なんで」

 土方が歯をカチカチと鳴らしながら必死に訴える。

「なんでこんなこと、するんだよおおお」

「なんで?」

 三助は嗤いながら、盲人の言葉をくり返した。

「なんでこんなこと、するんだろうねええええええ?」

 三助はそばにあったパイプ椅子をゆっくりと持ち上げ――それをちから一杯ふり回した。

 眼の視えない土方に、それをかわす手段はない。瞬間、血に濡れた黄色い歯が数本、折れて床に飛び散った。土方の口からは、だらだらと涎まじりの鮮血が零れ落ちる。

 土方の束ねた髪を掴み上げ、三助は真顔に戻った。

「おれの名まえは品川しながわ三助さんすけだ」

 それを聞いて、土方はさっと顔を蒼ざめさせた。

「おまえらの担任教師だった、品川香織かおりの弟だよ。ちなみにそっちにいる忍足さんは、姉さんの恋人さんね。いや、恋人さんだった――かな?」 

 三助は放り投げるように盲学生の髪を離し、静かに銃口を向けた。

 止める気なんて、毛頭なかった。忍足自身が三助に代わって銃を向けたいぐらいだった。

 しかし、忍足は意に反し、三助の肩を掴み、かれの発砲を制止していた。

 訝しげにふり向いた三助は、忍足に促され、盲学生の足もとに視線を落とす。

薄闇のなか、ぬいぐるみのような仔猫が、そのちいさな茶色い背中を震わせていた。飼い主なのであろう、土方のほうへとことこと力なく歩いていく。途中、床をべっとりと濡らす粘りつくような血で滑り、その場で転びながら、またけなげに立ち上がり、土方のそばへ、さらに歩み寄ろうとする。

「甘いですね」

 拍子抜けしたように、三助がそう溢した。そしてすぐに嗤って言葉をついだ。

「でも、そういう忍足さんって嫌いじゃないですよ。無口で愛想は悪いけど、じつはやさしい忍足さん、ってね。仔猫を散弾の巻き添えにするのが、そんなにいやですか」

 冷やかすような三助の物いいに、忍足は、また不愉快そうに鼻を鳴らした。

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