21 ウサギの正体

「ルナ、ルナ!」


 ミアはウサギの名を呼びながら学内を歩いていた。

 ルナというのがウサギの名前だと知ったのは先ほどのこと。マティアスがとっさに叫んだことで名がついていたことが発覚した。

 ヘンリックは引きつった顔をしていたが、責任を感じたのか辛うじて笑いを堪えることには成功したらしい。

 ちょっと言ってみただけだと言っていたけれど、本当だろうか。ヘンリックなのでちょっと疑ってしまう。


(うーん、こっちに逃げた気がしたんだけど)


 窓から飛び出したあと、ウサギは寮の方向に向かったのだ。

 男子寮の方はヘンリックが向かったので、ミアは女子寮の方向へと向かった。

 人参を餌に、隠れられそうな場所はすべて覗いてみたけれど、ルナはどこにもいなかった。

 男子寮の方へと戻って行くと、ヘンリックがこちらへ戻ってきた。目が合うと彼は首を横に振る。見つからなかったらしい。


「あーあ……どうしよう、マティアスが悲しむよね……」

「元の飼い主のところに向かったのかもしれないな」


 ヘンリックが言う。そうだった。マティアスのウサギではないことを思い出す。


(元の飼い主、かあ)


 いろいろあって飼い主のことが後回しになってしまっていた。だがやはり探しているということはどこからも聞こえてこなかった。


(こっそり飼ってるから、言えないのかもしれない、けど……なにか気になる)


 塀沿いに歩いて行くと、隣の建物が見えてきた。

 ミアの足が止まったのは、そこが慣れない場所だったからではなかった。

 敷地の隅に二つの人影。

 一つは遠目からも間違うことがない、黒髪の、この学院内で最大サイズの大男。

 だが、その隣にあるもう一つの人影にミアの目は縫い止められる。

 すらりとした長身に、太陽の色の髪。

 夢でも見ている気分だった。

 ミアは拳を握り、自分の掌に爪を立てる。痛いことが嬉しい、そう思った。


「フェリック、ス」


 マティアスの隣にフェリックスが立っている。気まずそうな笑顔を浮かべて。


「ごめん、ミア。疲れたとか言って逃げて」


 ミアはふるふると頭を横に振る。いつも通りの笑顔が、ここにある。それが信じられないくらいに嬉しかった。


「チームに戻ってきても、いいかな」

「当たり前じゃない……!」


 フェリックスはきれいに微笑む。それは最近彼がずっと顔に貼り付けていた笑顔とは全くちがい、思いやりに満ちて輝くようだった。


(ああ、わたし、この顔が好きだ)


 急にそんな想いが湧き上がりぼうっとなっていると、彼は困惑した様子でミアから目を逸らした。そしてヘンリックに向き直る。


「それからヘンリックも……心配掛けて、す、スミマセんでした」

「敵うはずないって思ってたけど、やっぱり失敗か?」


 ヘンリックがニヤニヤと問いかけると、フェリックスは「うるさい」とあっという間に殊勝な態度をやめて顔をしかめた。


「失敗?」


 ミアが問いかけると、ヘンリックがうなずいた。


「色――ぐっ」


 フェリックスが慌ててヘンリックの口を塞ぐ。


「色?」


 ミアが首を傾げると、フェリックスは


「何でもないから! 色――そうだ、色モノ! お、おれ、自分だけが色モノっていうか、役立たずっていうか……ちょっと自分に自信なくしてただけ!!」


 と物凄い勢いで誤魔化した。ミアは思わず真顔になり、ヘンリックとマティアスが呆れたようなため息を吐いた。


「と、ところで、ミアたちもウサギを?」


 さらにフェリックスはあからさまに話題を変えた。

 ここまで慌てられるとやましいことがあるのかなと思ってしまう。アンジェリカと何かあったのかなとか。

 いろいろと問いただしたい気もしてきたけれど、こうして戻ってきてくれたことだけでお釣りが来ると思った。

 怪しさ満点だが、それ以上触れずに彼の出した話題に乗る。


「フェリックスはマティアスの手伝い?」

「校舎と校庭は全部見てきた」


 ほっとしたようにフェリックスはうなずく。

 そしてふと塀を見上げた。


「ここは?」

「昔の校舎だって聞いたけど」


 ヘンリックが言うと、マティアスが付け加えた。


「ここは魔術科の訓練所だぞ。ここでルナを拾ったんだ」

「そうなの?」


 ミアは驚いた。確か今は使われていない旧校舎。高い塀が取り囲んでいて中は見れないが、建物が朽ちていて危ないので立入禁止だと説明されていた。寮から図書館へと向かうときにここの前を通るのだが、高く頑丈そうな塀のせいで中を覗いたことはなかった。


(魔術科が使ってるとか初めて知った!)


 よくよくみると、塀はひび割れていて、ウサギが通れそうな穴がある。


(こんな穴、あった?)


 首をかしげる。よく通るのに覚えがない。


「ウサギはこっち方向に逃げてきた。寮の個人の部屋を除くと、ここしか入る場所がなさそうだ。ここで拾ったんなら……ここに戻ったのかも」


 ヘンリックの言葉に、皆顔を見合わせてうなずいた。

 穴から覗くと、塀の中は廃墟と言っていいような建物だった。

 そのおどろおどろしさに驚く。

 建物は煉瓦造りで丈夫そうだが窓枠が所々朽ちて落ちているし、壁も一部壊れている。壊れた壁からは錆びたパイプが折れてはみ出していた。

 皆で顔を見合わせる。フェリックスが口火を切った。


「行ってみるか」



 *



「この辺にあったと思うが……あ、あった」


 マティアスの案内で塀伝いに歩いていくと、伸び放題の蔦に隠れるようにして扉があった。


「こんなところに扉なんてあったんだ?」


 ミアは驚く。何度も通っているのに気が付かなかったのだ。マティアス以外は「知らない」と首を横に振る。おかしいなと思いつつ扉に手をかける。

 鍵はかかっていなかった。

 塀の中は雑草が覆い尽くしていて、何かの気配がする。だが多分人ではない。

 ガサガサガサ………。

 目を凝らすと尖った茶色の耳がいくつかあって、ミアはハッとする。


「ルナ?」


 だが耳は声を聞いたとたん、怯えたように逃げていく。

 ガサガサと揺れる葉を頼りにどんどん追いかける。立ち入り禁止のロープの張られた壁際まで追い詰める。


「ルナ……おいで」


 ミアはそっと手を伸ばした。だが直後、赤い目がギラリと光った。ウサギが草むらから飛び出し、ミアの手に熱が走る。


「つっ――」


 手の甲に赤い線が走った。引っ掻かれたらしい。

 呆然と手を押さえる。

 あの凶暴なウサギが本当にあのルナだろうか?

 ぴょんぴょんと跳ねて廃屋の中へと消えたウサギを呆然と目で追った。


「ルナ! 待て!」


 マティアスが叫び、追いかけようとした時だった。


「こら、そこなにしてるんだ!? ここは一般の生徒は立ち入り禁止だ!」


 怒鳴り声と共に一人の教師が扉のところに現れた。魔術科の先生――確かバール准教授だ。


「早く出て行け! 崩れたら危ないだろう!」


 敷地から追い出されたところで、フェリックスがミアの手首を掴んだ。そして傷を確かめると、なにを思ったかそこに口付けようとする。


(ひゃあああ!)


 焦ったミアは手を振りほどこうとするが、彼の手はミアの手を離さない。

 これは『舐めておけば治る』だろうか!?


「ダメだって! 何が付いてるかわからないよ!?」


 ミアは慌てる。動物からの感染症は怖いのだ。だが言っても聞かないのはこれまでのことでよくわかっている。

 今にも唇が触れそうでパニックに陥りそうになっていると、ヘンリックががしっとフェリックスの首に手を回してミアから引き離した。


「馬鹿か。そんなことしても消毒にならない。すぐに石けんと流水で洗って消毒しないとミアが危ないだろうが」


 ヘンリックは冷静に言ったが、その口調には怒りがこもっていて怖い。

 直後、フェリックスがミアを抱き上げる。


「ちょ、ちょっとフェリックス!?」


 頭に血が上る。以前氷漬けにされて熱を出したとき、同じように抱き上げられた。けれどあの時は頭が朦朧としていたせいであまり意識しなかったのだ。

 意外に広い胸や、硬い腕の感触が腕や背中から伝わってくる。そしてすぐ真上に彼の綺麗な顔がある。彼は心配そうにミアを見下ろしていた。

 このままだと熱が出そうだと思う。


「フェリックス、わたし歩けるから!」


 頬が熱い。耐えられずにぎゅっと目を閉じる。


「緊急時だから、問答無用だ!」


 彼はミアとヘンリックとマティアスをその一言で黙らせると、風よりも早いくらいの勢いで保健室へと走った。

 


 *



 保健室に着くなり、ミアは保健医に傷を石けんでゴシゴシと洗われ消毒液をかけられた。痛かったが、動物からの感染症は恐ろしいものだと十分知っていたので大人しく治療を受けた。

 その間、フェリックスはおろおろと落ち着きなく部屋を歩き、ヘンリックは何か考え込み、マティアスは呻いていた。


「どうしてなんだ、ルナ」


 マティアスは頭を抱えている。可愛がっていただけに、ルナが人を傷つけたのが相当にショックだったらしい。


「凶暴化してたな」


 ヘンリックがボソッと呟くと、マティアスは鋭い目でヘンリックを睨んだ。


「おまえのせいだぞ! おまえが興奮させるようなことを言ったから――」

「興奮、か」


 八つ当たりにもヘンリックはどこか上の空だ。


「赤い目……興奮すると凶暴化……」


 ヘンリックの呟きにミアはハッと顔を上げた。


「それってまさか」


 とたん、フェリックスが痛みを堪えるような顔をした。

 ひどく嫌な予感がした。《天使の涙》の症状と特徴が一致している。これは本当に偶然なのだろうか?


「あのウサギ、どこのウサギかわからないままだよな。医科でも薬科のウサギでもないって言ってたけど」


 そう言うとヘンリックは立ち上がる。


「ちょっと行ってくる」

「え、どこに?」

正論博士ブラルのところ」


 話が見えなくて焦る。


「どうしてだ?」


 フェリックスが尋ねる。ちょうど治療が終わり、ミアは椅子から立ち上がった。一人で行かせるわけにはいかないと思ったのだ。


「ウサギの数を管理しているのがブラルだから」

「おれたちにもわかるように話せ」


 マティアスが苛立ったように問い詰めた。ヘンリックは言った。


「『臨床実験の前には必ず動物実験が定められている』からだ。そして《天使の涙》の動物実験には《天使の涙》に罹患したウサギが必要だろう?」


 ミアはハッとした。

 この学院では《天使の涙》の薬が作られている。その薬が臨床を経て承認されているということは、つまり動物実験も行われているということだ。そしてその実験には動物が必要で。さらにその動物は《天使の涙》に罹患させねばならない――。

 ミアの中で答えが出た。


「ルナ――あのウサギは、《天使の涙》のウサギってこと?」

「なんだって!?」


 フェリックスとマティアスが同時に叫んだ。

 ヘンリックがうなずいた。


「だけど、僕が確認した限りでは今の卒業研究では《天使の涙》に罹患したウサギは使用されていなかった。薬科ではどうだ? ミア」

「私も調べたけれど、今はそんな研究テーマは一つもなかった」


 今の上級生にはミアたちのように全く新しい研究テーマに挑む者自体が少なく、大抵が前年度の研究テーマを引き継いでいた。

 そして前に図書館で調べたとおり、新しい薬を作るというよりは予防、対処療法にテーマは移っていたのだ。そのため、実験はほぼ臨床実験だった。

 ミアにはそれが衰退にも見えたのだが――。

 もしも。同じようにもどかしく感じた人間がいたならば。本気で《天使の涙》の患者を救おうとするならば、新薬を望むはずだ。ミアのように。

 そして新薬の開発には疾病に罹患した動物が必要だ。

 ふるり、と体が震える。


「つまり、秘密裏に実験が行われている可能性が高い。そして学内でそれを簡単にできる人間がいる。ウサギの――動物の数を管理できる人間だ」


 ミアはその人間の顔を思い浮かべた。そしてリューガーが彼のことを『科学者である前に医者なのだ』と言っていたことを思い出す。

 医者ならば、人の命を何よりも優先させる、きっと。

 ようやく話が繋がる。

 ヘンリックがそのまま断罪しに行きそうな気がしてミアは釘を刺す。


「でも、正直には答えてくれないど思うけど」

「じゃあ、先に証拠をあげよう」

「どうやって?」

「秘密裏に実験ができるような場所も限られるだろ。そこにもし、ルナと同じようなウサギがいれば……」


 それが証拠になるというわけか。


「マティアスはあの廃墟でルナを見つけたんだよね?」


 急激に気になり始める。あの場所には絶対何かある。そんな確信めいたものが湧き上がった。


「もう一度、行ってみたほうがいいかも」


 ミアが言うと、皆同時にうなずいた。

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