17 無謀な駆け引き
少し時を遡る。
(柄じゃない)
フェリックスは葛藤していた。
アンジェリカの父が魔軍大臣ならば。そこから少しでも情報を引き出したかった。となるとガードの弱そうな娘を足がかりにするのが最適だと思った。
だというのにすでに失敗したような心地になっているのは、自分にその適性がまるでないからだと気づいたからだ。
人を利用するなど自分には無理だとこの数分でひしひしと理解した。
しかも、やろうとしているのは色仕掛けというやつだ。
(どう考えても無理だろ、おれ……)
だけど一歩踏み出してしまったからには後に引けない感じもした。
「どういう風の吹き回しなのですか? あれだけ私のことを邪険にされていたのに」
アンジェリカの質問はもっともだった。フェリックスはミアが好きだと公言してきた。簡単には他の女性に目がいくとは思えないはずだった。
「こんなところで偶然会えたんだ。せっかくだから少し話してみたくなったんだ」
無難に返すが、
「そう、ですか? てっきり嫌われてるのかと思っていましたわ」
彼女の目の中の疑いは晴れなかった。
「そんなこと、ない。近寄りがたかっただけだ。き、君はきれいだし、家柄もすごいし、おれとは釣り合わない……高嶺の花っていうか」
慣れない褒め言葉が喉につっかえる。うっすらと額に汗が浮かんでくる。
そんな自分を叱咤しながら劣勢をどうひっくり返すか考える。
相手はフェリックスより上手だ。駆け引きなど無謀でしかない。
(怪しいよな、どう考えても)
去年、言い寄ってきていたアンジェリカを無視してあれだけミア、ミアと言い続けていたのだ。彼がどれだけ彼女が好きなのか、わからないのは、きっと当人のミアくらいだろう。
だが、心変わりだと誤解させないときっと情報は得られない。アンジェリカはミアを目の敵にしている。ミアのためになどと言っても協力は得られないだろう。
(振られたから、とか?)
だから諦めたと言えば納得するだろうか? だが何度振られても諦めきれずにくっついている自分を思うと、やはり信憑性がない気がする。それに本命に振られたからとすぐに寄ってくるような男など最低の部類ではないか。
とそこまで考えてフェリックスは慌てて首を横に振った。
(いや、振られてないし! あれは振られたんじゃないし!)
自分を励ましていると、アンジェリカが「あら、ちょうどいいわ」と笑った。そしてフェリックスの腕に自分の腕を絡めた。
ギョッとしたものの、自分から誘った手前振り払うわけにはいかない。
アンジェリカは上目遣いにフェリックスを見つめてきた。その顔は美しいけれど、表情は男の好みを計算尽くしている――とフェリックスは思う。
柔らかな体が押し付けられる。だが、腕にぶら下がる重石くらいにしか思えなかった。しかもひどくそれは重い。心までもを重くするのは、フェリックスの中の罪悪感だろうか。
「でも、ミア=バウマンはどうするのです? あれだけ熱心だったのに?」
アンジェリカはその罪悪感に遠慮なしに触れた。
「彼女のことは」
フェリックスは葛藤する。諦めたと言う? だがあからさまな嘘を吐く自信はない。
頭に浮かぶのはミアの決意の顔だ。母の病を治すまでは、彼女はきっと自分自身の幸せなど考えもしないだろう。
彼女の覚悟の顔がフェリックスの背を押す。
「忘れた」
そう真っ赤な嘘を溢こぼすとアンジェリカは視線を鋭く尖らせた。
「うそ」
「いいや、本当だ。……薬のことはわからないから一緒にいても疲れるだけだし、もっと有意義に時間を使いたくなったんだ。君となら、楽しい時間を、過ごせそうだし」
漏れた嘘の言葉にはほんの少しの本音が混じっていた。薬のことはやはりわからない。その分野ではフェリックスは全く役に立たない。
それに――一緒にいたいのに、一緒にいると嬉しいのに……一緒にいるとどうしても心が疲れてしまう。
いつになったらこの想いが報われるのか。先の見えない不安はつねにフェリックスを蝕んでいたのだ。
憂鬱さにため息が漏れそうになるのを堪えながら見下ろすと、
「嬉しい」
アンジェリカがしてやったり、という顔で微笑んでいた。
嫌な予感が襲った。
「――ミア!」
聞き覚えのある声。ギョッとして振り向くと視界で赤い髪が翻った。それを白金の髪の男が追っていく。
「ミア? どうしてここに――」
鉄の柵越しに、マティアスが馬鹿か、と言いたげな呆れ返った顔でこちらを鋭く睨む。
「追いかけろよ、今すぐ! それから、あやまれ! すぐにだ!」
怒鳴られて、足がぴくりと動いた時だった。
アンジェリカがクスクスと笑うと、「どうされましたの?」と問いかけた。その顔には疑いが貼り付いている。
『たった今、忘れた、って言いましたよね?』
フェリックスは我にかえる。何の情報も手に入れられないままに、作戦は失敗しそうになっている。ここでミアを追いかけたらすべてが無駄になるどころか、情報を引き出すのが困難になってしまうだろう。
フェリックスは歯を食いしばって笑顔を浮かべた。
気を抜けば足が勝手にミアを追いかけようとする。そんな自分を叱咤する。
(ここで追いかけたら全てが水の泡だろ。役立たずの自分はもう嫌だろう?)
口の中はいつしか血の味がしていた。
「悪いが、おれはチームを抜ける」
そう言ってマティアスに背を向ける。そしてアンジェリカに向き直ると彼女の手を取る。
「もっと根性があると思ってたんだが――見損なった」
マティアスが言い捨てる。足音が遠ざかっていくのがわかった。
ゆっくり五つ呼吸をして、フェリックスは振り返る。
去りゆく友人を見て、フェリックスは自分が取り返しのつかない間違いを犯したような心地がした。
*
駆けに駆けたミアがたどり着いたのはヘンリックの家の薬草園だった。
人気のない庭の真ん中で、ゼイゼイと上がった息を整える。薬草の匂いを嗅ぐとわずかに自分を取り返すことができた。
(わたし、わたし……どうしよう)
混乱していた。フェリックスが、まさかあんなことを言うなんて。
『疲れたんだ』
思いあがっていた自分を張り飛ばされた気がした。彼がずっとミアのそばにいてくれると、あの言葉の通りにずっと自分を慕ってくれていると、なぜか信じていた。
――彼だけは。最後までミアと共にいてくれると。
ざく、と足音が後ろで響く。わずかな期待を込めてのろのろと振り向く。だが、そこには怒りを目に湛えたヘンリックがいた。
そこにいるのがフェリックスではないことが、どうしようもなく辛かった。
「ヘンリック……わたし、どうしたらいいの」
すがるように見つめると、ヘンリックはミアを抱き寄せた。
「僕がいる」
ヘンリックはミアの髪に顔を埋める。
いけないと思っても跳ね除ける力が今のミアには少しも残っていなかった。
何かにすがりつかないと、深い闇の海で溺れてしまいそうな気がした。
「僕がいるから、大丈夫だ」
ヘンリックが不器用な仕草でミアの髪を撫でた。彼の懸命さがじわじわと身に染みていく。
「ほんとに?」
あなたは、私を一人にしない?
ミアが顔を上げて見つめると、ヘンリックが息を呑む。一瞬の躊躇ののち、彼はミアの頬に触れる。
(え?)
その指の冷たさと、それに反した眼差しの熱さに本能的に怯んだそのとき、マティアスの声が割り入った。
「――おれだっているぞ」
ヘンリックがびくりと体を震わせ、腕の力が緩む。ミアは反射的に彼から離れた。
マティアスはぜいぜいと息を上げていた。
数回の深呼吸ののち、彼は苦しげに言った。
「ミア……フェリックスは、チームを抜けるって」
絶望が心を覆う。膝の力が抜け、その場にしゃがみ込む。
マティアスはそんなミアに言った。
「どうせ血迷ってるだけだ。すぐに戻ってくる。だから……元気出せ」
そう言った彼こそが絶望の海で足掻いているのが見て取れて、ミアは思わず泣きそうになる。
「……うん」
ヘンリックの言葉より、マティアスの言葉の方が嬉しいのは、ミアがまだフェリックスを諦め切れていないからなのだろう。
ミアはポケットの中に入れていたブローチをそっとにぎる。するとわずかに心が上向いた。
(きっと、何か事情があるはず)
あの手紙をくれたのは今朝のことなのだ。
ミアはぐっと手に力を入れる。そして自分を叱咤するようにして膝に力を入れて立ち上がる。
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