15 ヴィーガント家の薬草園
ミアが目を覚ましたときには夜が明けていた。
そして枕元には手紙が二通置いてあった。一通はヘンリック、そしてもう一通はフェリックスからだ。
夢じゃなかったのかと、ミアは再びベッドに潜り込み毛布を頭からかぶった。頭がゆだって起きていられなかったのだ。
全部なかったことだったらよかったのにと思う。
しばし目を閉じて呼吸を整える。そして手紙を手に取る。悩んだ末にヘンリックの手紙から開く。
『冗談だよ。ちょっとからかっただけ。ほんとバカだな』
止めていた息が一気に漏れた。
「な、なああんだ……」
からかわれたのだとわかっても怒りよりも安堵が大きかった。同時にかあああと顔が赤らむ。自意識過剰もいいところだ!
「そ、そうだよね、わたしったら本気にしてバカだ……!」
強張っていた頬が緩む。息苦しさが少し和らぎ、その勢いでフェリックスの手紙を開ける。
『ごめん、カエルが嫌いとか知らなかった! というか本物が混じってるとは思わなかった! 今度はちゃんとした贈り物にしたから!! 冬至祭の贈り物だから、気にしないでくれ!』
こちらは必死すぎて逆に笑ってしまう。いつも通りのあのフェリックスだ。まるで大型犬がご主人様に嫌われたくなくて必死になっているような。目に浮かぶとふふ、と笑みが漏れた。
とりあえずチームのバランスは崩さずに済みそうだ。
ほっとして小さく息を吐いたミアは、だが、枕元にちょこんと置いてある贈り物を見つけて目を見開いた。
一つはブローチ。そしてもう一つは髪飾り。どちらもかなりデフォルメされていて、かろうじてそう見えるくらいのものだが、確かにカエルの形をしていた。
(あぁ、そっか。ちがう……)
二人があえてこうしてくれたのだと、わかってしまった。ミアがそれどころではないと知って、ミアの望み通りに昨日のことを無かったことにしてくれたのだと。
ぎゅっと胸が痛み、鼻の奥がツンとした。
(ありがとう。ヘンリック、フェリックス)
二つのカエルを手に握るとミアは涙を二つぶこぼした。
*
診療所に手伝いに行くとすでにヘンリックがメアリーにこき使われていた。
「おはよう!」
ミアは大きな声で挨拶をする。ヘンリックの気持ちを無駄にしないために。いつもどおりの自分でいようと思ったのだ。
(お母さんの病気を治して、もしそのときにまだ二人の気持ちが変わってなかったら……ちゃんと返事をするからね)
ミアが二人に誠意を示せるとしたら、とにかく自分のやるべきことをしっかりやってからだった。それはフェリックスについてもだ。
取り返しがつかないから。絶対に後悔はしたくないから。
お腹にぐっと力を入れてヘンリックを見つめる。すると彼はわずかに目を見開いたあと、微かに微笑んで「おはよう」と言った。
だが、
「あらあ」
メアリーがヘンリックを見て「あぁ、ふられちゃったの?」と言った。その顔には哀れみが浮かんでいる。
ミアが顔に貼り付けていた『何事もありませんでした』という仮面は あっという間に剥がれた。
(ちょ、ちょっとメアリー!!!!)
せっかくの覚悟が台無しだ。あわあわとしていると、ヘンリックが噴き出した。そしてそのままアハハ、と笑う。
それを見てメアリーが目を丸くする。ミアもだ。彼がここまで笑うことは滅多にない。
「……まあね」
やがて笑いを収めたヘンリックが軽く言うと、メアリーは「なあんだ」と肩を竦めた。「せっかく働き者のお嫁さんが来るかと思ったのに……ま、こればっかりはしょうがないわねえ」と残念そうに言う。
(よ、嫁!?)
その言葉にミアは固まったが、直後、メアリーが笑顔で「じゃあ今日は 裏で薬草摘みをお願いね!」と大量の仕事を言いつけたので悩む暇は全くなくなった。
薬草園は本当に広かった。広い屋敷のさらに数倍という敷地が小道で綺麗に区画分けされている。その一つ一つがガラスで覆われていて温室状になっている。中には同じ種類の薬草がみっしりと植わっていた。
庭園を管理するのは一人の老人らしく、じょうろを手に忙しそうに動いている。水やりの時間らしい。
ミアはメモを手に薬草を探す。
水を浴びたばかりの薬草が日光にてらされてキラキラと光っている。
(まずはノースティカにアムレンスね。咳の薬と、鎮痛剤……風邪薬かな)
昔レッツにずいぶん鍛えられたおかげですぐに見つけられる。施療院での生活を思い出して懐かしくなりながらミアはそれらを手早く摘み取った。得意なことが活かせてうれしくなる。
(ええっと、それからモタナの根、それからエフドラの茎、シモンの木皮、ジジバの実)
どれも聞いたことのない薬草だった。場所がわからずに老人に尋ねると奥にある大きな温室に案内された。
老人はブルーノと名乗った。
そしてミアに靴を履き替えるように言う。
どうしてだろうと思ったがすぐにわかった。そこは他の薬草と明らかに管理の方法が違ったのだ。他の薬草が日光からの熱に頼っているだけなのに、温室の隅では石炭のストーブが焚かれていて、真鍮のパイプが張り巡らされていた。
ムワッとしたぬるい空気にむせそうになる。
「南の方から特別に取り寄せてるからここでは栽培が難しくてねえ。寒さに弱くて病気になりやすいから、量もあまり取れない」
なるほどとうなずいてミアは言われた通りにする。
手袋を嵌めてモタナを掘り起こし、エフドラを摘み取り、シナンの皮を剥ぐ。少量なのでそっと運ぶ。この分量では大した量は作れないだろう。
そんなことを考えてミアはヘンリックが気に病んでいたことを思い出した。
(あれ? 希少な薬……ってもしかしたら、これ?)
貴族にしか処方しないというあれだろうか。
胃のあたりがずんと重くなるのを感じながら、ミアは薬草を施療院へと運ぶ。
施療院の一角には調剤室があった。たくさんの薬草が置いてあり、何人かの薬師がそれらを乳鉢で粉にしたり、湯の中で煮込んだりしている。
独特の匂いは懐かしさを誘った。昔、レッツを手伝った時に日常的に嗅いでいた匂いに後ろ髪を引かれる。だが邪魔だろうと、薬草を置いて去ろうとしたら、後ろから声がかかる。
「すまないがちょっと手伝ってくれないか? 手が足りなくてね」
それはヘンリックの父――ルドルフだった。
「え、でも」
ためらう。素人同然だがいいのだろうか?
「ヘンリックが優秀だと言っていたが……やってみたくはないかい?」
喉に言葉が詰まったままミアはうなずいた。
ルドルフに対する反発はあったのだが、それ以上に大きな施療院での作業も、先程持ってきた希少な薬草がどのような薬になって行くのかも気になったのだ。
ルドルフはそのまま調剤室で作業を続けた。診察はいいのだろうかと思っていたが、流行り風邪で薬が切れてしまったのだそう。
「冬至祭のせいで流行に拍車がかかってしまってね。毎年のことだが今年はいつもより貴族の患者が多い。彼らは往診を当然と思っているものだから、いくら医師がいても足りない」
貴族。その言葉にヘンリックの苦々しい顔が浮かぶ。グッと拳を握るとミアは尋ねた。あんな顔をした彼を放っておけなかった。
「あの……どうして貴族と庶民で処方を変えるのです?」
ルドルフは眉を上げた。
「ヘンリックに聞いたのか。へえ、あの子が自分の弱みになるようなことを……ねえ。なるほどなるほどメアリーが騒ぐわけだ」
感慨深そうに彼はミアを見た。
メアリーとの間で何を話したのか。居心地が悪くてもぞもぞとするとルドルフは話を戻す。
「うん。ちょうどいい。君が薬を作ってみたらいい」
提案にミアは目を剥いた。
「えっ」
「そっちは素人じゃないだろう? 手順は簡単だから大丈夫」
「で、でもこっちの方、高級なんですよね!?」
ミアは先程希少だと言われたモタナを指さした。
「大丈夫。手順はそこに書いてあるから。その通りに作ればいいだけだ」
そう言うとルドルフは任せたよ、と診察室へと戻って行く。
*
薬ができるなり他の薬師たちはルドルフに続いて飛び出していき、調剤室には呆然としたミアだけが残された。
途方に暮れながらもミアはメソッドが書かれたノートを開いた。
そして先に経験のある、ノースティカとアムレンスの精製をやってみることにした。
ノースティカは実を乳鉢で擦り、外皮を取り除く。そして、種子の核を煮立て、煮詰めて行くのだ。これがよい咳止めになる。
そしてアムレンスの方は、葉を擦り潰してアルコールにつける。そして濾して液体だけを残す。これは解熱鎮痛剤となる。どちらも昔からある安価でよく効く良薬だった。
(ええと次は)
恐る恐る次の作業に入る。
例の高級薬のメソッドには主効能が書いてあり、その精製方法がその次にあった。
「……あれ?」
だがその効能にミアは見覚えがあり、首を傾げた。
モタナは今の今まで作っていたノースティカと同じく咳止めだ。そしてエフドラはアムレンスと同じ解熱鎮痛剤だった。
(んんん?)
ミアは他のページも読んでみる。すると高級薬とされている薬の効能は、全部今までの伝統薬で代替できるものだった。特に難病に効くというような特別なものはなかった。
(どういうこと?)
どうしてわざわざ同じ効能の薬を何種類も作るのだろうか。ミアがいた施療院では効能ごとに一種類の薬しかなく、体格などによって量を調節して処方していたものだ。
庶民と貴族で処方を分けているというから、特殊な効果があるものなのかと思っていたのだけれど。見る限り、効能はさほど変わらない。希少価値が高いだけだ。
「どうした?」
考え込んでいるところに、ちょうどヘンリックが調合室に入ってきた。
「ちょうどよかった!」
ミアは今の発見をヘンリックに伝える。
父の話ということで、最初眉間にシワが寄っていた彼だが、ミアが効能が同じことを伝えると急に顔色を変えた。
「ヘンリック?」
彼は踵を返すと診察室に入って行く。そこではルドルフが診察中だった。寝台に寝かされている患者は熱を出した子供。親が隣で心配そうに見つめている。
簡素な服装を見るに、庶民のようだ。
「先生、もっとよく効く薬を出してくれませんか」
「心配せずとも、いつもので大丈夫ですよ」
「貴族にはもっといい薬を出してるって聞きました! 新しくできたお薬を! お願いです、そっちをお願いします!」
ルドルフはため息を吐く。
「またそれですか。この薬も十分良い薬ですよ」
「でも……治ったと思ったらすぐにぶり返しますし……お金ならありますから!」
「お金の問題じゃないんです。お金があるのなら栄養のあるものをもっと食べさせてからゆっくり休ませてあげてください。もちろん薬は忘れずに飲ませてね。それ以上に効く薬はありませんよ。お大事に」
ルドルフは薬を渡すと、まだ不満そうな患者を追い出す。
そして部屋の隅のミアたちを振り返った。
「新薬の宣伝が行きすぎてしまったかな。……困ったものだね」
「効果が変わらないってのは、本当だったのか?」
「おや、うちの頑固息子はようやく聞く耳をもったのか」
ルドルフは笑った。軽口にヘンリックの目が吊り上がる。
「じゃあなんで、そんな紛らわしいことするんだ?」
「もちろん、新薬を作りたいからだよ」
「どういうことだ?」
ヘンリックが眉をひそめる隣で、ミアも目を瞬かせる。ルドルフは椅子に深く腰掛けると言った。
「年に何人も、薬がなくて死んでいく患者がいる。なにも難病と言われるものだけではない。ラディウス熱など、いい例だろう? あれだけ有名なのに未だ特効薬が未だ見つからない病がこの世にはたくさんある」
ミアは薬科の授業を思い出して苦い顔になった。ラディウス熱は恐れられているが難病と言われない。あれだけ流行しても一過性のせいか、季節性の災害のように思われている節があった。
「あれで何人死ぬかわかるか? 体力のないものから人は死ぬ。貧富の差を超えてね。そういうときにもっと力があればとなんど自分を悔いたことか」
ルドルフは物憂げな顔をしてため息をついた。
「病はどんなものでも、一律に恐ろしいものなんだよ。どんなありふれた病気でも、人は死ぬ」
それは《悪魔の爪》も同じく。治療するときに差などつけてはいけないのだと言われている気がしてミアは自分を恥じる。
自分の母だけが特別に哀れなのだと思っていた。治療方法がわからないから。だけど、分かっていても、人は死ぬときは死ぬ。そこには差はないのだと。
自分の視野の狭さを諭されたような気になって、ミアは黙り込む。
ヘンリックも、刺さった部分がミアと同じだったのか口をつぐむ。
ルドルフはそれ以上は追及せず、書庫から古びたバインダーを取り出した。机の上に置かれたそれには大量の紙が挟まっている。
なんだろう? とミアが目で問うと、ルドルフはわずかに笑った。
「先史時代、人々は病気に苦しめられるとそのあたりに生えた木の葉や木の根を齧った。そうして苦痛を和らげる《薬》を探したんだ。だが、科学や技術が進歩した今でも、昔から薬の作り方はさほど変わっていない。気が遠くなるくらいの多くの物質を丹念に試し、効能があるかどうかをいちいち確かめる。それしか方法がないのだ。――君たちは去年のことがあるから知ってると思うけれど。新薬を作るには途方もない時間と、なにより金がかかる。そして、金がなければ新薬は作れない」
「…………」
ミアは黙ってうなずいた。だからこそミアの母をはじめ、《悪魔の爪》の患者は未だ捨て置かれているのだ。
だがこの話はどこへ繋がるのだろう? そう思ったミアは今までの話をひっそり頭の中で組み立てた。
(ん? 薬を作るのにお金がいる……? そして効果の変わらない二つの薬を貴族と庶民に分けて売る?)
ミアの思考に被さるようにルドルフが言った。
「そして、金は持っている人間と持たない人間がいる。ただそれだけのことだ」
ルドルフのやっていることの意味が予想とは全く逆のものに見えてしまい、ミアは感嘆と呆れの混じったため息をついた。
それはヘンリックも同じだったようだ。
「じゃあ、父さんは……つまり、金があるところからは、ぼったくってるってことなのか……? 新薬の開発のために?」
あまりにもあけすけな言葉に、ミアは苦笑いをする。
「新しい薬を欲しがるのは彼らの方だし、栽培が難しく希少なことには変わりはない。そこに嘘はない」
そう言うとルドルフは楽しげににやり、と笑った。
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