12 ラディウスの祝祭

 結局マティアスはフェリックスを連れて、ヘンリックの提案通りに街に出た。というのも、一日中屋敷の中にいたらフェリックスが腐ってしまいそうだと思ったからだ。

 たとえ本当に手伝いだったとしても、ミアとヘンリックが一日中一緒でのけ者にされてしまったのが堪えたのだろう。


 繰り出した街は祭りで活気づいていて、人も多かった。だがフェリックスがどんよりとした空気を背負っているせいで人が避けていく。悪目立ちしているせいで、護衛としては気が気でない。


「おい、しゃんとしろよ。目立つだろ」

「目立つのはマティアスのウサギのせいだと思う……」


 フェリックスが反論し、マティアスは自分のコートのポケットを見下ろした。そこには預かり物のウサギが顔をピョコンと出していた。置いてくるわけにいかず連れてきたのだ。だが、学院内でもないので、あえて魔法を使って隠す必要を感じないし、ウサギは小さいし暗い色だしそれほど目立つとは思えない。


「そんなわけないだろ」

「そう思ってるのはマティアスだけだと思うけど」


 どんよりとフェリックスが言う。視線がまとわりつくのが気持ち悪い。

 

(身分は完璧に偽ってあるし、大丈夫だとは思うが)


 びくびくと周りに注意を巡らせていると、


「あーあ。おれは一体何のためにここにいるんだ」


 石畳を踏みながらフェリックスがぼやいた。


「――ほんとにそうだな!」


 さすがにマティアスは爆ぜた。保護者として付き合う身にもなってほしい。


「こんなところまでついてきて一日無駄にするとか。あんた、この時期ってものすごく忙しいだろうが。宮廷晩餐会もサボってどうする気だよ。去年はまだ病気が理由で断れたが、今年は無事進級したから無理だろ」

「……ちゃんと手は打ってあるし。っていうか、何度も言うけど、父上は建前で言うだけで、本心ではおれの出席を望んでない」


 フェリックスは不貞腐れている。彼と親との軋轢をよく知っているマティアスは、それ以上の説教は飲み込んだ。


「あーあ。ミアたち今頃なにしてるんだろ……おれが居ないからって迫ったりしてないだろうな……」


 フェリックスの顔が見る見るうちに険しくなっていく。頭の中を覗くのが怖いとマティアスは思った。


「ヘンリックは少なくともミアの気持ちを無視したりはしないと思うんだが」


 おまえと違って。そう付け加えたくなる。あの押しの強さを跳ね返すミアはすごいと思う。


「ミアはそういうところ、ものすごく疎いから危険すぎる」


 そこには同意する。じゃないとこんなあからさまな誘いに乗ったりはしないだろう。


「プレゼントも渡せなかったし」

「仕事が終わってでいいだろうが」

「絶対ヘンリックに先越される……被ったらどうしよう」


 こと恋愛となるとどうしてここまで鬱陶しいのだろう。

 いつもはカラッとした脳筋を装っているが、本来の彼の繊細な性質が表面化するのかもしれない。

 愚痴を止めようとマティアスは方法を考えて思いつく。ヘンリックが言っていた言葉に聞き覚えがあったのだ。


「そうだ。カエル祭り」

「カエル祭り?」


 珍しい響きにフェリックスはようやく耳を傾けた。


「ラディウス風の祝祭だ」



 *



「え? カエル祭り?」


 ミアは鸚鵡のように繰り返した。着替えが終わる頃にメアリーが言ったのだ。これでカエル祭りで運命の相手に会えるわ、と。


「レオナルト王とその妻となったルルディア姫の馴れ初めを擬えた祭りのことよ。王都の人でも、おとぎばなしは知っているでしょう?」


 ミアはうなずく。

 国中に伝わるおとぎばなしだ。当然ミアも大筋は知っている。

 だがカエルが大々的に主役となるのはどうなのだろうと思う。

 ミアは薬科の――生物学を専攻する人間としては恥じるべきかもしれないが、カエルが苦手なのだ。というのも、昔母のことでいじめられた時に大量のカエルを投げつけられたことがあるのだった。

 しかもカエルはミアにぶつかったせいで死んでしまい、その脆さをミアは母と重ねてずいぶんと泣いた。

 あれ以来、嫌な思い出と結びついてしまう。作り物だと知っていても、モチーフにしたものは見るだけで鳥肌が立つし、触るなどもってのほかだった。

 顔をしかめていると、メアリーがころころと笑った。


「この土地にはもうちょっと詳しい伝承が残っていてね。初期のノイ・エーラがカエルの形をしていて、カエルに変身する魔法が込められていたというのよ」


 今となってはその後の決裂がよぎってしまうが、レオナルト王の治世ではイゼアとラディウスは良好な関係を築いていた。その生涯はきっと幸せなものだったのだろう。だからこそこの祭りがいまだに行われているのだと思えた。

 そんなことを考えて憂うミアの前で、メアリーはウキウキと続けた。


「だからカエルのおもちゃを、好きな女の子に渡すのよ。そして返事がOKなら、女の子は男の子にキスをするの」

「キ!?」


 レオナルト王への憂いが一気に飛んだ。ミアが目を剥くと、メアリーはコロコロと笑った。


「あらあら、うふふ、今時の子にしては随分うぶなのねえ。キスはね、運悪く変身してしまったルルディア姫を、レオナルト王が愛のこもったキスで元の姿に戻したっていう伝説をなぞらえてるの。私、そのドレスを着てて、ルドルフに告白されたのよ!」


 きゃっと顔を赤らめられて、ミアは呆然としてしまう。

 このご婦人はあまりにもヘンリックから遠すぎる。もしかして血が繋がっていないのではと思ったが、そんな込み入ったことを尋ねられるわけがない。


「他の二人も出かけてるけど……さあ、あなたの心を射止めるのは一体誰かしらね?」

「えっ、フェリックスたちも来るんですか」

「もちろん! じゃないとフェアじゃないでしょ。うちの子はうまく恋を実らせることができるかしら」


 すごく面白そうにメアリーは言ったが、フェリックスの名前を聞いたとたん、ミアは逃げ出したいような気分になった。



 *



 せっかく準備してくれたメアリーの気持ちを汲むと逃げ出すわけにもいかず、ミアはメアリーのドレスを着てヘンリックとともに夜の街に出かける事となった。

 ドレスで着飾ってお出かけなど、初めてのことだ。ミアだって女子なので、綺麗な服を着れば気持ちは盛り上がる。だがワクワク感を打ち消す勢いで不安が膨らんでいた。


(す、好きな女の子にカエルを渡すって……っ)


 その催し自体がカエルが苦手なミアにとっては苦行でしかないが、どうしても思い出すのは、昨年学期末のフェリックスの言葉だ。


『この気持ちを言葉にさせるなら――』


 あの時のフェリックスの顔を思い出すと心臓が変な動きをする。不整脈でも起こしたかのようだ。

 だけどミアは彼の気持ちを受け入れるわけにはいかなかった。どう考えても、恋などしている場合ではないのだ。

 一瞬一秒でも前に進まねば、母の病気が治らない。考えないようにしているけれど、治らないままに永遠の別れを迎えてしまったらと考えると気が狂いそうになる。

 フェリックスはミアの気持ちをわかってくれていると思う。

 だけど、ミアは怖い。いつか自分から、罠にかかってしまうのではないかと。使命を忘れて恋に溺れてしまうのではないかと。

 そんな事になったらミアは自分を許せない。

 だから心にはガッチリと鍵をかけ続けている。どんな誘惑にも揺るがぬように、と。


(だから、困る)


 こういうイベントは心の鍵をうっかり壊しそうで怖いのだ。


(フェリックスがお祭りのこと、知りませんように)


 願いながら歩く。足元を冷たい風が吹き抜けミアは体を震わせた。

 空を見上げて目を見開く。王都とは違ってここの空はくすんでいない。澄み切った空から星が降ってきそうだった。

 だがその分冷え込みも厳しいようだ。ドレスは厚手だが、一枚で歩くには冷えた。


(あぁ、いつものショールを持ってくれば良かったかな……でもあれじゃあドレスが台無しだし……)


 そんなことを考えているとふわり、と肩が覆われた。それは厚手の毛織りのショールだった。

 淡いベージュのそれはドレスの色を引き立てている。柔らかくてなめらかでとても暖かかった。貸してくれたのだろうかと思ってお礼を言おうとしたが、疑問がよぎる。


(あれ? ヘンリックがショール???)


 しかも女性ものに見えて首を傾げていると、ヘンリックは苦笑いをした。


「冬至祭のプレゼント」


 まさかヘンリックからもとは思わず、ミアは飛び上がった。同じ国のはずなのに。文化が近いすぎて驚くことばかりだ。


「え! 私、用意してない!」

「別にいいよ。こっちでの風習だから。贈らないのは失礼だって母が言うし」

「だめだよ、あとでお返しさせて!」

「……ま、好きにすれば」


 ヘンリックは素っ気なく言うとミアの一歩前を歩いた。だが歩幅は狭く、背の低いミアに合わせてくれているのがわかった。


「街、すごく綺麗ね。おとぎばなしの中みたい」

「ああ」


 ヘンリックはいつになく無口だった。いつも物静かだけれど、沈黙の種類がなんとなく彼らしくない感じがする。


(うーん、きまずい!)


 話題を探して「あ、そうだ!」ミアは思いついた。一言言っておかねばと思ったのだ。


「メアリーがお母さんだったのね」

「言ってなかったっけ」


 ヘンリックは楽しげに笑った。これは絶対わざとだ。反応を見て楽しんでいたのだ、きっと。

 ミアは頬を膨らませた。


「言ってないよ! びっくりしたでしょ」

「似てないだろ」

「……うん」


 お父さん似なんだね。そう言いかけてミアは口をつぐんだ。それを察したかのようにヘンリックの纏う空気が冷たく尖った。


「……聞いていい?」


 迷ったが口を開いた。話すと楽になる、そういうこともあるのだ。


「いいお父さんに見えたけど。どうして?」


 するとヘンリックは一瞬ためらった後口を開く。


「うちの親父さ。昔から貴族とそれ以外で処方が違うんだ。庶民がいくら薬を出してくれって言っても、絶対に処方しない薬がある。どうしてと聞いたら父は言ったんだ『彼らには相応しくない』って。父のことは尊敬していたけど、それから嫌になった」


 ミアは思い出す。フェリックスが前にミアにくれた薬は一般に流通していなかった。貴族にだけ処方される、高級な薬。

 いくら貧しくとも、命が買えるのならば薬が欲しいだろう。だけどヘンリックの父は売らないと言う。それは、貧富の差がそのまま命の重みになっているということだ。

 学院を出るとその辺に普通に転がっている、貧富の差と命の重みの差。胸のあたりがどんよりと重くなりため息を吐く。

 ミアが憂鬱な気分になった時だった。


「僕は、ミアに会わなかったら何も考えずに父の跡を継いだと思う。薬の違いにも違和感を持ちつつも流されたと思う。だけど、苦しむ人の顔が見えた今は……痛みのわからない医者になるのなんかまっぴらだ」


 ヘンリックが立ち止まった。ミアは足を止めて彼を見上げる。


「ミアと一年研究したから、自分がおかしいって気がついたんだ。……視野を広げることができて感謝してる」


 心の奥から熱いものが込み上がってくるのがわかった。


「私も、ヘンリックにはすごく感謝してるよ。ヘンリックが居なかったら、きっと私の夢はもっと早く潰えてた。ありがとう」

「これからも……よろしく」


 ヘンリックが手を差し出し、ミアはその手を握った。思わず笑顔が溢れたあと、ヘンリックが手の向きを変えてミアの手を握り直す。


「え?」


 ヘンリックは手を繋いだまま歩き出す。


(え、え……?)


 動揺しつつも、ミアは彼に引っ張られてついていく。


(え、この手をどうすればいいの、私!)


 居心地が悪くてもぞもぞすると、ヘンリックが肩を竦めて言った。


「広場は人が多い。君、ぼうっとしてるしすぐにはぐれそうだ」


 前を見ると広場に向かうにつれ人が増えている。大きなもみの木でできたゲートの内側には人垣が見えた。


「あ、なる、ほ……ど?」


 納得したようなしないような気分だが、ヘンリックがあまりに普段通りの顔をしているので、意識している自分が変な気がして来た。

 結局無理に振り解くこともできぬままミアは歩いた。

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