11 看護師長メアリー
翌朝、ヘンリックの機嫌を窺うと、彼は普段どおりの彼だった。その様子にホッとしていると、ヘンリックはいつもの調子で言った。
「ミア、朝食後、さっそく手伝ってほしいことがある」
ミアは顔を引き締めてうなずく。ここに来た一番の目的だ。
だが、ヘンリックはフェリックスたちを一瞥すると、
「君たちは夜までゆっくりしてて。ちょうど祭りもあってるし」
と言った。だがフェリックスは食い下がる。
「手がかりを見つけるんだろ? おれたちもミアと行く」
「手伝いがカルテを見せてもらう条件だ。怪我人や病人の看護ができるならいいけど、血を見て倒れるようなやつはさすがに足手まといなんだけど……やってみる?」
そう言うとフェリックスは青ざめて引き下がった。さすがに力不足を感じたのだろう。
ロビーの内側、ドーナツの穴の部分に当たるには治療エリアが広がっていた。中では白衣を着た集団が熱心に打ち合わせ中だ。
壁に張り巡らされた真鍮のパイプが音を立てている。開院に合わせて蒸気が張り巡らされ、暖気が満ちていっているのがわかる。
独特の静謐な空気に気圧されるミアの隣で、ヘンリックが口を開いた。
「これがミア。色々教えてあげて」
中央にいた一人の婦人が振り向いて微笑んだ。ミアは一瞬たじろぐ。というのも彼女がとてもふくよかで迫力のある人だったのだ。
「ここで看護師長をしているの。メアリーよ」
「ミア=バウマンです。よろしくお願いします! 施療院で見習いをしていました!」
ミアが勢い良く頭を下げると、「よろしくね」メアリーは大きな口の端を持ち上げ、豪快な印象のする笑みを浮かべた。
(な、なんだか威圧感がすごい……)
「さっそくだけど、ロビーの掃除をお願いしてもいい?」
「ろ、ロビーの……?」
てっきり治療の手伝いかと思っていたミアは、雑用に目を瞬かせる。そしてこのエリアを取り囲んでいたロビーを思い出す。確か、ものすごく広かった。
「あら。できない?」
どこか挑発するような笑顔に反射的に返事をする。
「や、やります!! やらせていただきます!」
「じゃあ、お願い。病院の顔だからね。ホコリひとつ落としちゃダメよ!」
「はいっ」
と返事をしたものの、泣きそうになる。ここまでの重労働だとは思わない。ちらりとヘンリックを見ると、彼は彼で壁に貼り付けられるように並んだ薬棚を指差され「ここの整理をお願い。瓶はピカピカに磨いて」とやはり雑用を言いつけられてげんなりとした顔をしていた。
だが、ミアはすぐに気を取り直した。見習いでしかなかったミアが最初から治療などおこがましい。
幸い体を動かすのは好きだし、レッツとの暮らしを思い出せて懐かしい。腕まくりをして、髪をリボンでまとめる。
(やるわよ!)
久々にスイッチが入る感じがした。ミアはモップを手にするが、「ちがうちがう」とすぐにメアリーにダメ出しをされた。
連れて行かれた倉庫にあったのは長い金属製のホースのついた円筒型の機械だ。ミアは目を丸くする。
「こことパイプを繋ぐと動くから、蒸気で消毒して。あ、熱いからちゃんと手袋をしてね」
言われた通りに渡された分厚い手袋をはめてバルブを繋ぐと、たちまちホースの先から蒸気が漏れ始める。どうやらアイロンの要領で床を洗うのだ。
(うわあ……すごい)
汚れがどんどん溶けていく。床は見る見るうちにピカピカだった。初めての作業にミアは夢中になる。
掃除が終わるころになって、患者が次々に入ってきた。するとメアリーが一気に殺気立つ。てきぱきと指示を飛ばし、ほかのスタッフを動かしていく。
患者は様々で、怪我人、病人はごったになっている。しかも重症軽症も混じっていた。
こんな大きな施療院で働いたことがなかったが、とにかく目まぐるしい。
高熱を出した子供を見るとメアリーはすぐに診察にまわし、順番を飛ばされた老人を「あんたはまだまだ元気元気!」とにこやかになだめる。
「ミア、包帯は巻けるわね!」
「はいっ!」
「ヘンリック、消毒液を持ってきて!」
「わかった」
指示も的確だ。とにかく手際がいい。この人がいなければこの施療院が回っていかないのはすぐに分かった。
夕方に診療が終わる頃にはミアはヘトヘトで床に座り込んでいた。
ヘンリックに至ってはソファに倒れ込んで眠っている。
だがメアリーはまだピンピンとして、後片付けに奔走していた。
(メアリーって、何者……!?)
凄まじい体力だ。と思っていると、メアリーは「それじゃあ、これからはお楽しみの時間よ!」とミアとヘンリックを屋敷の方へと引っ張っていく。
引きずるようにして連れて行かれたのはミアが借りている客室だった。入ると、部屋の中央にもみの木の鉢植えが置かれている。朝にはなかったものだった。
もみの木はミアと同じくらいの身長で、星やステッキなど色々なモニュメントで飾り付けがされている。
「うわああ! いつのまに!?」
ミアは感動する。今までこのように冬至祭をお祝いしたことがないのだ。母がサナトリウムに入る前の記憶は曖昧で、ぼやけている。 鮮明な記憶は、母がサナトリウムに連れて行かれたことだけ。
ふと足元を見ると、大きな箱がいくつか置いてある。なんだろうと思って見ると、『ミアへ』と書いたカードが置いてあった。
一番大きな箱を開けてミアは目を丸くする。そこには緑色のドレスが入っていたのだ。しかもベルベット。かなり上質なやつだ。
「な、なにこれ」
「冬至祭の贈り物よ」
「贈り物!? そ、そんなイベントがあるの!?」
だとするとミアも用意しなければならないではないか。と思った直後、ミアは何か違和感を覚えて振り向いた。
(え、今の声……だれ?)
メアリーの声に聞こえたが、本人が見当たらなかったのだ。瞬いて確認するが、一人のふんわりとふくよかな女性がいるだけだった。
「え」
二度見する。白衣を脱いで髪を解いたため印象がかなり違ったが、それは確かに先ほどまで一緒に働いていたご婦人。
「さあ! 支度を手伝ってあげて!」
メアリーが言うと、わらわらと扉からメイドらしき人たちが現れる。
「今日は本当に助かったわあ! ヘンリックが言ってた通り、本当に働き者なのねえ。ありがたいわ」
溌剌とした口調で話すメアリーはにっこりと微笑んだ。
「疲れたでしょう。ごめんなさいね、根性がないとここではやっていけないからちょっと試させてもらったのだけど、想像以上だったわ。あの子が女の子を連れて帰ってくるなんて言うからもう張り切っちゃって。私ねえ、娘が欲しくてしょうがなくて昔からヘンリックが女の子だったらどれだけいいかしらって――」
すごい勢いでメアリーが話し、ミアは目を白黒させた。
「あ、あのっ」
ど、どういうこと!?
あわあわと口を動かすと、メアリーは笑った。
「あらあらごめんなさいね、私、ヘンリックの母でメアリーですわ」
「お母さま!?」
聞いてないし、なによりどこも似てない! と言いそうになってミアは口をつぐんだ。
「似てないでしょう?」
だが顔に出てしまっていたらしい。悪戯っぽく笑われるが、その笑顔がすごく可愛らしくてよけいにびっくりしてしまう。やっぱり似ていない!
「ああああ、あのっ、きょ、今日はありがとうございました!!!! 忙しかったけどすごく充実してました!」
大慌てでお礼を言う間にもメイドが服のボタンを外していく。
「あの!?」
「これからお祭りがあるけれど、その格好じゃあちょっと寒いと思うのよ。ここは王都より北だから」
「いえ、あの! 着替えはなくって!」
と断ろうとすると、目の前に先ほどのドレスが現れて目を剥く。これを着ろと言うのだろうか。
「あ、私のお下がりだから、遠慮しないで! もらってちょうだい」
「え、もらうって――困ります!」
「大丈夫。私若い頃には痩せていたのよ。どうしても捨てられなくてねえ」
そういう問題ではないというか、そう取られてしまったのならば申し訳ない。
ドレスを着せられる。冬物だからなのかあまり襟ぐりは開いておらず、装飾もシンプルな刺繍と控えめなフリルが入っているだけでミアの雰囲気にしっくり馴染む。落ち着いた緑色は髪の色を綺麗に見せてくれる。ミアに一番似合う色だった。
「今風にちょっとだけ丈は短くしてあるのよ。昔の丈じゃあ、ダサいもの」
メアリーが言う通りデザインはたしかに今風の膝丈だった。ブーツを合わせたら可愛らしいと思う。だが、初めて味わう暖かさと柔らかさと滑らかさには動揺するしかない。
(絶対これ、高いよ!)
慌てたミアは小さく叫ぶ。
「あ、ああの、こんなの受け取れません!」
「私の趣味だから本当に受け取ってちょうだい。……お願い! 息子が女の子を連れてきたらこうするのが夢だったのよ!」
目を輝かせるメアリーには、多大な誤解があるような気がしてしょうがない。ミアは顔を引きつらせる。
誤解をしているのならば解いておかなければ!
「あのっ、ヘンリックと私は良いお友達なんですけど、ここまでしていただくようなことは……」
「あらあ、ヘンリックもそう言ってたけど……二人とも恥ずかしがり屋さんなのね」
にやにやと笑いかけられる。どうやら疑いはまったく晴れてない。
客観的に見ても異性を家に連れてくるというのは、特別な存在だと言っているように見えなくもない。たとえ、ただのお手伝いだったとしても。
(これはヘンリックにきっぱり言ってもらうしかない!)
ガックリとしつつ、ミアは遠慮無くドレスを借りることにする。
(きっと明日にはがっかりすることになると思うけど……)
キラキラした目を見ていると厚意を無駄にする方が失礼だと思えたのだ。
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