10 旧ラディウス王都グランツ

 ミアたち四人は、冬休みに入るとすぐにヘンリックの家に向かった。

 ヘンリックの家があるグランツは元ラディウス領で、王都から汽車を乗り継いで三時間の旅だった。

 古い駅舎を出たところでミアは大きく目を見開いた。

 駅前には円形の広場があり、丸いフォルムの小型自動車オートモービルが停まっていた。

 そこから放射状に延びる道は赤や黄色のカラフルな石畳だ。両脇には店が並んでいて、花や食べ物を売っていた。


 元ラディウス領ということで、未だラディウスの文化が色濃く残っているらしく、ところどころ見たことのないような建造物が多々あった。

 立ち並ぶ三角屋根の家の壁が各々着色されていてなんとなく可愛らしい。屋根にあるえんとつから、白い煙が青空に向かってもくもくとなびいている。

 同じ石畳の街だというのに、同じように屋根には煙突があるというのに、真鍮と煙と石炭で灰色に染まった王都とはまったく雰囲気が違った。

 空気の綺麗さと空の青さはミアの住んでいた村と同じだが、村とは違って人の手が行き届いて整然としている。おとぎばなしに出てきそうな街だと思った。


「カラフルですごくかわいい……」


 うっとりとしていると、ヘンリックが説明をくれた。


「イゼアでは石造りの建物が多いけど、元ラディウス領は森の都と言われていただけあって、木材がよく採れるから木造の住宅が結構ある。イゼアには石しかないからね。石造りの家が多い。石造りの家を見たら最近のものって考えてもいいかも」

「そうなんだ」


 元ラディウス領という言葉にどきりとする。どうしても抗争――ブリュッケシュタット紛争のことを思い出すからだ。

 今は亡きラディウス王家がこの地に王都を築いていた。この土地はイゼアのローエンシュタイン家の直轄地となって久しいと聞く。

 当時のことを歴史の授業で学んだが、未だ紛争の傷痕は残っているらしい。ラディウス王家に忠誠を誓っていた者たちが、復興を願い、イゼアを倒す力を蓄えているという噂もある。

 足元からぶるりと寒気が立ち上ったが、それは寒さだけのものではないだろう。

 そろりとフェリックスをみやる。彼の隠された立場を思うと、このような影の濃い土地にやってきても大丈夫なのだろうかと心配してしまう。

 フェリックスはどこか物憂げな顔をしていた。


「つまり、あのレオナルト王の石像は比較的新しくできたものだな」


 彼の視線の先――広場の中央には石像が立っている。彼の手には奇妙な形の石がのせられているが、それはきっと彼がノイ・エーラを発明したという話をモチーフにしてあるのだろう。

 当時貧しかったイゼアのレオナルト王が大国ラディウスの姫、ルルディア姫に求婚するためにノイ・エーラを発明したというおとぎばなし。レオナルト王は知力という武器を手に、大国の姫を手に入れたという美談ハッピーエンド


(だけど、その力は、姫の祖国を滅したの)


 だとすると、なんて悲しいおとぎばなしだろう。

 レオナルト王の像が泣いているようにも見えてしまう。

 ミアたちはブリュッケシュタット紛争を知らない世代だ。そしてその紛争を直接知っている人間ももうすでにいない。

 だけど、国は無くなっても、人は生きている。命を繋いでいる。そしてきっと記憶も繋いでいる。

 傷痕は確実に残っている。

 ミアだってその傷痕に未だ苦しんでいる人間の一人なのだ。

 息苦しさを感じて目を閉じると、両肩をぽん、と叩かれた。


「行こうか」


 ヘンリックがいつもの無表情で指さし、


「大丈夫か?」


 フェリックスが心配そうにミアを覗き込んだ。


「だ、いじょうぶ」


 彼らの顔を見ると視界が広がっていく。マティアスがハラハラした顔でこちらを見つめているのをみて、自分が冷静さを取り戻したのを自覚した。




 広場から北へ向かうと、丸いドーム状の屋根をした大きな建物が見えてくる。


「ここは昔ラディウスの聖堂だったんだけど。このとおり見事だから壊されずに残っている」


 壁一面にターコイズで模様が描かれている。見事な建築物だった。

 ぼうっと見上げていると、ヘンリックが扉の隣にあるボタンを押した。するとがちゃん、がちゃん、と音を立てて重そうな扉が動きはじめた。見上げると扉の上に歯車があり、それがぐるりぐるりと回っている。

 ミアは驚く。どうやらこれは自動ドアのようだ。初めて見た。


 扉が開いてしまうと、ふんわりと暖かい空気が足元にまとわりついた。

 床には上質そうな絨毯が敷かれていた。ぐるりと見回すと、ドーム状の天井には神々しい宗教画が描かれていた。だが円柱状の壁には、暖房用の真鍮のパイプが張り巡らされている。伝統的な建物と科学が不思議な融合を起こしていた。

 見惚れているとヘンリックが一歩踏み出す。


「勝手に入っていいの?」


 ミアが尋ね、ヘンリックがきょとんとした顔をした直後。


「ヘンリック様、おかえりなさいませ」


 フロックコートを纏った立派な紳士が颯爽と現れ、ミアたちに向かって丁寧なお辞儀をした。


「セバスチャン、大袈裟にしないでくれってあれほど言っておいたのに」

「そうはいきませんよ。ご挨拶が遅れました。私はヴィーガント家の執事、セバスチャンでございます」


 ミアは卒倒しそうになっていた。


(執事!? 貴族でもないのにそんなのいるの!? ――っていうか!)


「こ、こここ、こ、ここって、ヘンリックの家!?」

「ここは施療院だよ。家は別にある。こんなとこ住むには辛い。天井が高くて寒いし」


(いや、ちょっと別宅があるって!?)


 古い聖堂を所有し、執事までいる。ヘンリックの家は想像より遥かにお金持ちのようだった。


「す、すごい」


 同意を得ようとしてフェリックスをみたけれど、あまり驚いていない。すぐに思い出す。


(そうだった。王子だった……)


 王宮に住んでいるような人に同意を求めても意味がなかった……。

 頼みの綱のマティアスを見るが、彼もさほど驚いていない。やはり庶民はミアだけみたいだった。


「院長がお待ちです」

「……」


 ヘンリックは執事の言葉を無視すると、「客人を案内してくれ」と命じる。執事は片眉を上げたが黙ってうなずいた。


「お荷物をお預かりいたします」


 そしてフェリックスに特上の笑みを向け、マティアスには穏やかな笑みを向ける。だが彼はミアを一瞥すると笑みを引っ込めた。


(えっ)


 ミアは動揺する。そしてシルクハットにフロックコート姿のフェリックス、そしてボウラーハットとラウンジスーツのマティアスを見て、自分を見下ろした。自分の古びた安物のワンピースを思い出し、かあああと頬が赤らむのがわかる。

 そうだ。ここは学院ではない。階級が存在する世界を忘れかけていた。


(あぁ、服を買っておけばよかった……)


 だとしてもミアが買えるような服などたかが知れている。結果は変わらないだろう。

 しょんぼりとした気分になっていると、ヘンリックが「セバスチャン!」と鋭い声を上げた。執事は肩を竦めた。


「こちらへどうぞ。お食事の準備が整っております」


 執事は態度を改めて、丁寧に腰を折った。



 *



 施療院のドーナツ状となったロビーを通り抜けて庭に出ると木造の大きな屋敷が現れた。

 ターコイズがあしらわれた壁を見るに、どうやら施療院とデザインを合わせたらしい。外観を損なわないように計算されて作られているように思えた。ミアは驚くばかりだ。


「こちらがヴィーガント家でございます」


 執事が案内し、ミアたちは後に続いた。


「……すまない」


 ヘンリックがぼそっと呟いた。先ほどのセバスチャンの態度についてだとすぐにわかるが、「当たり前のことだし」とミアは肩を竦めた。


「今は逆に珍しいけどなあ」


 フェリックスがあからさまに顔をしかめている。彼は彼で特別扱いに腹を立てているらしい。


「当主の影響だろ」


 ヘンリックが吐き捨てるように言うと、前を行く執事が眉を上げてため息を吐いた。



 食堂で催されたのはミアが申し訳なくなるくらい立派な晩餐会だった。


(こ、これがホームパーティ……!?)


 大きな楕円形のテーブルには、真白なクロスがかけられていて、ピカピカに磨かれた銀食器に繊細な造りのガラスの器たちが整然と並んでいた。中央には美しい花がこんもりと生けられている。

 そしてテーブルの奥には一人の紳士が腰掛けている。顔を見たとたんに血のつながりを感じるほどにヘンリックと似ていたが、とにかく威圧感がすごい人だった。

 だが、ヘンリックは黙り込んだままで気まずい空気が流れていた。

 やがて紳士が口を開いた。


「次期院長の坊ちゃんはご機嫌ナナメのようだね」

「……」


 ヘンリックは眉間にひどいシワを寄せたが、それでも黙り込んでいる。どうやら不仲のようだが、これは反抗期か何かなのだろうか。


「ようこそ。私はヘンリックの父で、ルドルフ=ヴィーガントだ。ヘンリック、客人の紹介もしてくれないのかね。困っているようだよ」


 その言葉で困惑するミアたちに気づいたのか、ヘンリックは渋々と言った様子で口を開いた。


「…………紹介する。ミア=バウマン。薬科の主席。将来有望な薬師の卵だ」


 珍しく褒められて照れるよりも驚いてしまう。


「み、ミアです。よろしくお願いします」


 下に見られることには慣れているが、持ち上げられるのには慣れないので動揺してしまう。

 テーブルにぶつける勢いで頭を下げるとルドルフは、息子によく似た冷たい表情を緩ませる。それは今までの冷たさが嘘のような温かさで、部屋の空気が一新するほどだった。

 その差異が、ヘンリックが笑ったときとよく似ていてどきりとしてしまう。

 ヘンリックは紹介を続けた。


「で、こっちは男爵令息のフェリックス=カイザーリングとマティアス=ヴァイス、どっちも法科と魔術科の落ちこぼれ」


 フェリックスとマティアスは顔を引きつらせつつ頭を下げた。


(ああああ、もうヘンリック!)


 なんなんのだろうこの差は。


「ヘンリック。失礼はやめなさい。すまないねこんな息子で。三人とも仲良くしてくれてありがとう。ゆっくりして行ってくれ」


 そう言って微笑むと、ルドルフはヘンリックに声をかけた。


「ヘンリック、おまえにはあとで話があるから部屋に来なさい」

「行かない」


 ヘンリックは即答する。


「じゃあここで話をするしかないが?」

「すればいい」


 ヘンリックは鬱陶しそうに吐き捨てた。


「どうせ、進路についてだろうけど。僕は見捨てられた難病の人を救う研究医になるつもりだから」


 熱い言葉にミアは目を見開いた。フェリックスもマティアスも同様だったらしく、驚いた顔をしている。クールな彼の内にここまでの情熱が眠っているなど思いもしなかったのだ。

 ルドルフは苦笑いを浮かべた。


「おまえは跡取りだが?」

「僕は、父さんと違って誰も見捨てない。父さんみたいに営利主義の医者には絶対にならない」


 激しい反発にもルドルフは動じなかった。


「それでもおまえは跡取りだ。おまえが継がなければ、この街の人間を見捨てることになる。誰も見捨てないという主張には矛盾を感じるね」


 ぐっとヘンリックは詰まる。

 ははは、と笑うとルドルフは「こんな息子ですまないね」ともう一度言って「では、楽しい食事をはじめよう」と手を叩く。

 すると扉が開きどんどん料理が運ばれてきた。

 ラディウス風なのだろうか、大皿からどんどんと注ぎ分けられていく。前菜のチキンサラダ、トマトのスープ、川魚のマリネ、羊肉のソテー……と多種多様の料理がずらりと並んでいく。

 だが皆が黙り込んだままではとてもじゃないが味がしなかった。

 空腹感だけは消えた食後、ルドルフがにこやかな顔で立ち去ると、ミアはようやく肩の力が抜けるのを感じた。


(……親子……って感じ……)


 なんというかヘンリックの親だとものすごくしっくり来てしまった。と同時にヘンリックでも敵わない人がいることに驚いてしまう。

 見ると、ヘンリックの前の皿からは一つも料理が減っていない。ぎゅっと唇を噛み締めていて、今にも泣きそうにも思えた。

 そしてヘンリックがミアを誘った理由が急にわかった気がした。彼は父と二人で話したくなかったのだ、きっと。

 どうやって慰めよう、と思ったとき、


「なあ、あんなふうに喧嘩売ったら、協力してもらえないんじゃないの。昔のカルテ見せてもらうつもりなんだろ?」


 フェリックスがぼそっと呟き、そういえばそうだとミアはヘンリックを見た。


「…………どっちにしろ頼る気なんか全然なかったし」


 彼は眉間にシワを寄せている。それを見てフェリックスが「ま、おまえでも敵わないものがあるんだなあ。安心した!」とヘラヘラと笑った。

 ヘンリックは一瞬氷のような眼光でフェリックスを睨んだ後、「うるさい」と言ってガツガツと料理を頬張った。張り詰めていたヘンリックの顔が元に戻っているように思えてミアはほっとする。


「おまえのそういう空気が読めないところ、ごくたまにだけれどおれは羨ましい」


 ミアと同じく固唾を飲んでいたらしいマティアスがフェリックスに囁く。

 フェリックスはキョトンとしていたけれど、ミアは心から同意した。そして彼を誘ってよかったと思う。ミアにはとてもできない芸当だったからだ。

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