9 冬休みの約束
ミアは理事長室から飛び出したヘンリックを追いかける。だがなかなか追いつけない。待っていてくれても良いと思うのだけれど、そういうものをヘンリックに求めるのは無駄な気がする。彼の頭はすでに次のことでいっぱいで、すでに一緒にいたミアのことなど消えているのだろう。
「施療院かぁ」
ミアは呟く。最初に思いつくのは自分の勤めていた施療院だ。だが雇ってくれていたレッツが亡くなってから、ミアは施療院を追い出される形になっている。スタッフは総入れ替えしているから、訪ねて行ってもきっと相手にしてもらえないだろう。
(それにしても……)
施療院のことを思い出すと、先日のブラルの話が急に頭の中に蘇った。レッツ先生の死因は本当に病気だったのだろうか。ミアにそれを確かめる術は本当にないのだろうか。
談話室に入るとマティアスが一人でウサギを撫でていた。机の上に『ウサギの飼育方法』という本が投げ出されているので、一応世話をする気になったらしい。
それにしても、マティアスにはウサギがあまりにも似合わない。だが本人は満更でもなさそうだ。
柔らかそうな毛を撫でてはちょっと嬉しそうにしている。
(わかる、気持ちいいもんね……!)
笑いそうになったミアは思わずそっと目を逸らした。
するとマティアスは少し不満そうに尋ねた。
「どこに行ってたんだ?」
ミアは少し悩む。理事長のところにいたことを告げれば、どうしてと尋ねられるだろう。となるとクリスのことを告げなければならなくなる。
どう答えようかと考えあぐねていると、
「ミアは今年の冬休みはどうするの」
ヘンリックが突如問いかけてミアは目を瞬かせた。話が飛びすぎて混乱する。とたん、彼はさらに爆弾を投下した。
「もしよかったら僕の実家に来ない?」
「はぁ?」
思わず間抜けな声が出たとき、
「――な、なんの話!?」
大きな声が上がって振り向くと、いつのまにかフェリックスが戻ってきていた。彼は見開いていた目を瞬く間に吊り上げていく。
だがヘンリックは涼しい顔だ。
「さっきの話の続きだけど」
サラリと言われてミアは目を白黒する。
「え、どういうこと?」
「僕の実家は施療院をしているんだけど」
そういえば理事長がそう言った。ヘンリックが大きな施療院の跡取り息子というのは有名な話だ。自分の出身にばかり気を取られていたミアはハッとする。
「あ、そっか! さっきの理事長の話!」
ヘンリックは涼しい顔でうなずいた。
「そういうこと。ついでに家の手伝いもしてくれるとありがたい。年末は風邪が流行るし人手が足りなくて」
「――行きたい!」
ミアは即答する。一歩前進しそうだと思うと心が昂ったのだ。
「ホームパーティくらいしかもてなしはできないけど」
「充分よ!」
去年、皆が冬休みをどこで過ごすと話しているのを聞いて羨ましく思ったものだ。
だが、
「み、ミア、ヘンリックの家に行くって、それってあの、どういうことかってわかって言ってる?」
フェリックスが蒼白な顔でふるふると首を横に振った。その後ろでマティアスが息を呑んで様子を伺っている。
どうやら何か誤解があるみたいなので、ミアは経緯説明をした。
「理事長にヒントをもらったの。《天使の涙》も《悪魔の爪》も、最初は原因不明の奇病だったと思うの。でも、最初から大きな病院にはかからないでしょ。かかりつけのお医者さんに行くと思うの。もしかしたら古いカルテが残ってるかもしれない」
だがフェリックスは未だに呆然としている。話がまったく耳に入っていない様子だ。
ミアは首を傾げた。
「どうしたの?」
「だ、だって、ミア。おれとの約束は?」
フェリックスはなぜか涙目だ。
「約束?」
何かしただろうか? ミアは思い出そうとするが何も思い出せない。
「え、フェリックスは冬休みって用事あるの? 一緒に行けない?」
「は?」
ミアが当然のように誘うと、ヘンリックが目を瞬かせた。
「いや無理だろ。確か冬至祭には宮廷晩餐会があるはずだし」
その言葉でフェリックスの本当の身分を思い出して、ミアは瞠目した。
(宮廷晩餐会!? きらびやかすぎる!)
だが青い顔をしていたフェリックスは、一瞬キョトンと目をまたたかせた後パッと顔を輝かせた。
「いや、もちろん! おれもついていく! マティアスも行く!」
「おい」
黙って笑いを堪えるような顔をしていたマティアスが、焦ったように立ち上がった。とたんウサギが肩からずり落ちて、マティアスのポケットに入り込み、ひょこっと顔を出した。
「今年は、ヘンリックの家で新年を迎えよう!」
人の家にお邪魔するというのに、勝手に盛り上がったフェリックスが宣言して、マティアスが喧々諤々と説教を始めた。
「どうするつもりなんだよ……ほんと付き合わされるこっちの身にもなってくれ。おれだっていろいろ忙しいんだよ! だいたいおまえだって出ろって言われてるだろ!?」
「大丈夫だ。あれは形だけの誘いだ」
「大丈夫じゃない!」
終わりそうにない説教に背を向けると、ヘンリックがげんなりと肩を落とした。
「あーあ、めんどくさいことになったな」
うんざりとした様子にミアは尋ねる。
「あれ、フェリックスたちは呼ばないつもりだったの?」
ミアたちはチームだ。てっきり去年のようにみんなで過ごすのだと思っていたのだが。
違うとするとどういうことだろう?
最初、彼はミアしか誘わなかった。異性を家に連れていく――その意味を考えて、ミアはハッとした。
(え、両親に紹介とかそんなやつ!?)
だとするとフェリックスの様子がおかしかった理由にも納得がいく。
(で、でもまさか。いや、そんなまさか。だって、ヘンリックだよ? お手伝いって言ってたし)
恐る恐る様子を窺うと、ヘンリックはいつも通りの顔で肩を竦めた。
「いや。来れないだろって思ってただけ。まぁ……調査には手が多い方がいいと思う……ただ、施療院ではまったく役に立たないだろあいつら。タダ飯ぐらいのくせにたくさん食べそうだし。あ、ミア、家の仕事、相当忙しいから覚悟しておいて」
どことなく不機嫌な――、だけどいつも通りの彼に安心する。うん。やっぱりヘンリックだった。
(フェリックス、心配しすぎだよ……――っていうか、約束って何!? 約束なんかしてないから!)
フェリックスの頭の中では、ミアの母の病が治れば、ミアが彼と交際することになっているらしい。
(あ、ありえないから!)
想像すると顔が赤らむ。ミアはぶるぶると頭を振ってフェリックスを頭から追い出すとヘンリックに向かって元気よく言った。
「もちろんそのつもりよ。久々にお仕事するの楽しみ」
任せておいて。そう言うとミアはどんと、胸を叩いた。
ふと、頭が痛え……と声が聞こえてそちらを見ると、フェリックスがニコニコとこちらを見つめていた。
そして隣では、説教が効果をなさなかったらしいマティアスが憂鬱そうな顔をしていたのだった。
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