8 嘘つきな大人

 翌日、ミアはヘンリックと手分けをしてあることを調べていた。

 ウサギが紛れ込んだのでもペットでもない場合。それは医科や薬科での実験に使われているウサギが逃げたのではないかと思ったからだ。

 医科のことはミアにはわからないが、薬科では薬の効果を試すために動物実験が頻繁に行われる。ネズミやウサギは飼育が簡単なので使用頻度が高い。


「ヘンリック、医科のウサギだった?」

「いいや。全部揃ってるって。ミア、そっちは?」

「こっちも全部いるって」


 薬科の管理者はリューガーだ。リューガーは迷子のウサギについて聞くと渋い顔をしていた。学院内の責任者がブラルなので不祥事にはうるさいらしいのだ。リューガーにも苦手なものがあると思うと少し親近感が湧いた。


「じゃあ、あれは一体どこのウサギなんだろ」


 ヘンリックが難しい顔でつぶやく。学内の女子に密かに氷の貴公子と言われていることを知っているが、たしかにそんな感じだ。だが氷よりはよく切れる刃物の印象があった。ミアが彼の毒舌を知っているからかもしれない。


「ほんと。医科のウサギでも薬科のウサギでもないのなら、一体どこのウサギなのかな。ペットなら必死で探していそうだけど……」


 飼い主に想いを馳せているとヘンリックが突っ込んだ。


「そもそも、ウサギの飼い主探しをしてる場合じゃないんだけどな。どうしてこうなった」


 苦笑いをしながらもミアはうなずく。確かにそうだが、困っているマティアスを見ていると手を貸さねばと思ってしまったのだった。

 ミアは騒動の前の出来事を振り返り、問いかけた。


「ヘンリック、《手がかり》ってなに?」


 マティアスがウサギを連れ込む前、ヘンリックは確かに言っていた。手がかりをつかんだと。

 ミアはヘンリックと同じく過去の論文を調べていたけれど、やはり治療は対処療法ばかりで大きなヒントになるようなことはなかったのだ。その結果にミアは随分とがっかりしていた。

 彼はぐっと唇を引きむすんだ後、小さなため息をついた。


「――クリス」


 ミアはぎくりとする。ミアはその名を聞くとどうしても胸が波打つ。あの太陽みたいなフェリックスをあれほど病ませる存在。胸の中に刻み込まれた人の名。

 ミアが思わず顔をしかめると、ヘンリックはわずかに片眉をあげた。


「クリスは《天使の涙》の罹患者だった。重要な手がかりだ」

「でも、それは」


 フェリックスの発作を思い出してミアは顔をしかめた。発作の発症の原因は大抵がクリスに関することだったからだ。


「だから、あいつの前では言わなかったんだ。だから、フェリックス以外にも事情を知ってそうな人間に聞くことにした」

「マティアスのこと?」


 ミアは顔をしかめた。ミアの目から見て、マティアスもその事件で少なからず傷ついているように思えたからだ。


「マティアスにはさっき聞いたけど、詳しいことは知らないようにみえた。というより、感情的になりすぎて見えないものが多すぎる」


 ヘンリックが苦々しい顔をした。多分、ミアの予想通り、マティアスもトラウマを抱えている。頭の中に彼の苦しそうな顔が浮かぶ。知っていたとしても、あまり追及したりしたくない二人だ。


「じゃあどうするの?」

「他にも当てがある」

「え……だれ?」


 もっと距離を置いた人間がいるのなら、その人に話を聞きたいと思った。縋るように見つめると、ヘンリックはわずかに眉を寄せた。


「理事長さ」



 *



「悪いがねえ、私はなあんにも知らないな」


 上質な革張りのソファに座った理事長――ランドルフ・マイヤーは言った。


(うわああ……嘘吐いてる!)


 笑いを堪える顔を見てもそれはあからさまだった。ミアの周りにはどうにも癖のある大人が多いと思う。いや、癖のあるのは大人だけではないけれど。


「嘘ですね。フェリックスの留年を決めたのはあなたでしょう。だとするとその周辺の事情はご存知のはず」


 答えを無視するかのように、ひるむことなく質問を続けるヘンリックを見てミアは恐ろしくなる。


(ちょ、ちょっと、この人確か王族って言ってた! 偉い人のはず!)


 前にフェリックスがやはり馴れ馴れしい態度を取っていたが、彼の出自を知った後は納得したものだ。だが、ヘンリックにはこの態度の理由は当てはまらない。

 不遜さに気を悪くしたらどうしようと怯えるが、マイヤーは全く気にしていない様子だった。


「あの子が病んだことしか把握してないね」

「クリスは《天使の涙》にどうして罹患したのですか?」

「知らないって言っているのに……君も懲りないねえ」

「僕たちは《天使の涙》について調べてます。突破口が欲しいんです。ご協力していただけませんか」


 マイヤーは渋々と言った様子でため息をついた。


「突破口ねえ。……クリスについては『言えない』としか言えない。だが――」


 どういう意味だろう。ミアは眉を寄せたが、ヘンリックはなるほど、とうなずいた。


「だが? なんです」

「ヴィーガント。君の父上には相談したのかね?」

「はい?」


 ヘンリックは怪訝そうに首を傾げたが、直後「そうか!」と目を見開いた。そして踵を返す。

 わけのわからないミアは理事長を振り返った。もう少しヒントをください、と目で訴えると彼はニヤッと笑った。


「《天使の涙》の罹患者は最初から軍の病院にかかったのかね?」


 その言葉にミアははっとした。大病でないかぎりいきなり大きな病院にかかることはない。最初にかかるのは、きっと地元のかかりつけの医者。


「――ありがとうございました!」


 叫ぶように言うと、ミアはヘンリックを追いかける。



 *



「なんで隠れるんだ? エミル」

「その名を呼ぶのはやめてください。誰が聞いているかわからない」


 フェリックスはカーテンの影から現れる。

 まさかミアたちがここにやってくるとは思いもしなかった。そしてクリスのことを尋ねるとも。

 気を遣ってくれている、それがわかって嬉しいのと、自分が情けないのと。フェリックスは複雑な心境だった。


「おれも同じことを尋ねてもいいか?」


 フェリックスは問いかける。

 マイヤーはやれやれと肩を竦めた。


「聞いても大丈夫な話か? 特効薬の子は行ってしまったが」

「…………」


 フェリックスは大きく息を吸ってうなずいた。ミアがいないとしても、聞かなければならない話だと思った。


「クリスは入学の許可を得るために君の父上に話をしに行った」

「父、上……」


 フェリックスにとっては父は鬼門だった。病を発症してからは疎まれていたため、月に一度会うかどうかだった。兄二人も同じく。留年したあとは王家の恥さらしと言われ、見捨てられたも同然だった。

 息苦しさを感じると、叔父は口を噤んだ。この叔父だけは親族の中でもフェリックスに唯一温かく接してくれる。彼もまた末の王子だったので、フェリックスの立場を理解できるのだろう。


「おまえの入学準備のときだが……ちょうど護衛となりえる歳近の少年がいなかったから、ヴァイス家の倅を連れ戻そうとしていたんだ。だが、急にその話がなくなってね。あの子は――クリスは足りない身分と寄付金の代わりに、魔力を手に入れて入学してきた」


 叔父はそこまで言うと、ため息をついた。


「なんにせよ、詳しい話を聞くのなら、兄上に直接聞くしかないよ。それから、この間の『頼み事』も、あれは私にはどうにもならないよ。兄上に頼んでみるべきだね」

「…………」


 フェリックスは思わず顔をしかめた。フェリックスには、放置している父の命令が一つある。父に頼み事をするならば、それを実行せねばならないだろう。

 わかっているのだけれど……どうしても気が進まない。


(だが……おれに出来ることが他にあるだろうか)


 昨年度末の計画書グランドプラン紛失事件で、フェリックスは自分の無力さをまざまざと突きつけられた。王子のくせになんの力も持っていない。好きな女の子一人守ることができない。結局己に流れる血だけしか価値のあるものはなかった。

 情けなかった。それもこれも自分が王子の仕事をしていないからなのだ。

 そして、フェリックスには、切実に叶えて欲しい願い事があった。それはきっと何かを引き換えにしなければ手に入らない。

 フェリックスは大きく息を吐く。


「わかった」


 告げると叔父は「え」と目を丸くする。


「父上の命令どおり、夜会に出る」

「え、え、でも餌食になるよ?」

「それでも出る」

「宮廷晩餐会に?」


 フェリックスは目を泳がせる。父と兄全員に会うのはさすがに荷が重いし、あちらも今のフェリックスにそれを望んでいないだろう。


「いや、あんまり大袈裟じゃないやつ教えて。あと……手紙を書くから、届けてくれ」

「……わかったよ」


 フェリックスは予定を聞くと渋面を作り、理事長室を出て行く。




「ありゃあ、ホンモノか」


 マイヤーはひっそりとつぶやく。


「思い込んだら突っ走るのは若さかねえ。だとするとあいつが行くのは茨の道だねえ」


 権力と恋。両方を手に入れることは難しいのではないかと思ったのだ。

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