7 大男と迷子のウサギ
「あれからもう一週間だぞ。アイディアひとつ出てこないのか」
「舌打ちするな! ――ヘンリック、おまえだって大した前進はないだろ!」
「僕はもう手がかりは見つけてる。一緒にするなよ、留年生」
「留年は関係ないだろ!」
「ちょっと二人とも、うるさいよ! 図書館で喧嘩したら追い出されちゃう!」
放課後の談話室では三人が喧々諤々と話し合い中だった。どうやら誰も目立った進捗がないらしい。
「あ、マティアス」
ミアが振り返り、目を丸くした。ヘンリックも続く。
「――お、おまえ、なにそれ、その肩の上のやつ!」
一番に噴き出したのは予想通りにフェリックスだった。この男は空気が読めない。絶望的に。いや、読まないといえばいいのか。
慣れているのでなんとも思わなかったが、俯いたミアとヘンリックの肩がわずかに震えているのに気づかないわけはない。
密かに傷つきながらもマティアスは顔に出さないように気をつけて本題に入る。
「見ての通り、ウサギだが」
「なんで肩に乗ってるわけ……その顔と体でそれやられると破壊力がすごすぎる」
ヘンリックが堪え切れないとでも言いたげに噴き出した。
「なぜかここを気に入られてしまったんだからしょうがないだろうが」
マティアスだって、このような形を人目に晒したくはない。だが、隠したくてポケットに入れようとしたが嫌がられた。ウサギは肩を気に入ってしまったらしく、爪でしがみ付いて離れないのだ。無理に離せば服が破れるし、どうにもならないではないか。
むっつりしていると、ミアがウサギにそっと手を差し伸べた。
「怪我してるの? おいで」
その目は発作を起こしたフェリックスに向けるのと同じような目。病人をいたわるような目だった。穏やかで柔らかい熱に満ちていて、ホッとする。フェリックスが癒される気持ちもわかる気がする。
ウサギはミミをぴんと伸ばす。しばらくピクピクと様子を伺っていたけれど、やがて安心したように足の力を抜き、マティアスの肩の上から降りた。
ここに来て良かったとホッとする。あのままマスコットのように居座られたらたまったものじゃない。
「居心地が良かったんだよね」
ミアは笑いながらウサギの背を撫でる。動物の扱いにも慣れているのだろうか。
彼女は手早く自分の鞄から道具を出すと、傷の手当てする。
「やっぱり慣れてるね」
ヘンリックがマティアスの心の声をそのまま口に出した。
「そっかな?」
ミアは首を傾げながらウサギを撫でた。その手の動きに何か既視感がある、と感じたマティアスは思い当たった絵に思わず噴きそうになった。
(フェリックスを撫でるのと全く同じ……)
見るとヘンリックがニヤニヤしながらフェリックスを見ている。同じことを考えているらしい。
当の本人だけは「ミアが優しいのはウサギにもわかるんだな」などと能天気な発言をしていて余計に笑いがこみ上げた。
ウサギの治療を終えたミアがふとこぼした。
「……目が、赤い」
マティアスはうなずいた。ただし、マティアスほどは赤くない。赤みがかった茶色。見ているとトラウトを思い出す。
「ウサギだからそうおかしくないんじゃないのか?」
フェリックスは言った。たしかにとうなずきかけたが、ミアが小さく首を横に振って遮った。
「白うさぎなら赤い目は珍しくないけれど、このウサギ、黒いから珍しいかも」
フェリックスが唸った。
「で、これどうすんの」
「飼い主を探さないといけないと思うんだが……」
マティアスはそこで言葉を切った。相談したのはそう簡単に行かない気がしたからからなのだ。
「飼い主って言っても、ここってペット禁止だよね?」
ミアが困惑した顔をし、フェリックスも顔をしかめた。
「じゃあ、内緒にしてるとか? だとすると呼びかけても名乗り出てこない可能性があるってことか」
マティアスはうなずいた。すると黙っていたヘンリックが呟いた。
「ペットじゃない可能性もある……けど、だとしたら余計に名乗り出てくることはないかもな」
ミアがハッとしたような顔をした。
「このウサギ、どこにいたの?」
「魔術科の訓練場の中だったけど」
「魔術科? 医科とか薬科の校舎じゃなくて?」
マティアスは「ちがう」と首を横に振った。ヘンリックとミアが目を見合わせる。
「じゃあ逃げてきたのかな……」
「それにしても距離があると思うんだけど」
二人でぼそぼそと相談し始めるが、マティアスには全く話が見えなかった。
この賢い二人の頭の中は一体どうなっているのだろうかとよく思うけれど、頭の出来が全く違うので、きっと見てもわからないだろうとも思った。
仲間意識を持ちたくてフェリックスに視線を送ったときだった。
ミアがマティアスに向き直った。
「マティアス、お願い。ウサギ、ヘンリックと私で心当たりを探してみるから、それまではひとまずマティアスが預かっておいてもらえる?」
マティアスはのけぞりそうになった。
「な、んだって? でも、学院内ってペットは禁止だろ!?」
「ペット禁止なのは皆共通だ。だけど、マティアス、君って魔法が使えるだろ。気に入られてるみたいだし、なんとか保護しておいて」
ヘンリックは飄々と言った。
「ま、あ……そうだけど」
頭の中にトラウトに言われた陽炎の魔法が思い浮かぶ。
「ウサギ一匹くらいなんてことないだろ? 飼い主見つかるまでだし、その様子だと、人見知りが邪魔をして患者探しの進展もないんだろう。少しは役に立てよ」
フェリックスに痛いところを突かれて、おまえだって役に立ってないだろ、おまえがやれよ――と、反論しかけたマティアスだった。
だが、ウサギのつぶらな瞳を見て、同じように無邪気に自分を見つめ返すフェリックスの瞳を見て踏みとどまった。
フェリックスに動物の世話ができるとはまるで思わなかったのだ。
そこで放課後を知らせる鐘が鳴った。会合が解散になり、それぞれが談話室を出て行く。
「そうだ。フェリックス、一緒にメシに行くか?」
そう言ってフェリックスを誘う。二人で世話をするなら少しはマシだろうと思ったのだ。が、
「あ、いや。ちょっと用事あるから先に行っててくれ」
彼はのらりくらりと躱すと法科の棟の方へと早歩きで行ってしまう。
こういうときはたいてい彼の別の顔が絡む用事であることが多い。おそらくは呼び出しがかかったのだ。
(あー……面倒なことを引き受けちまった)
ポツンと残されたマティアスがそんなことを考えながら、のろのろと歩き出した時だった。
「マティアス、ちょっと」
ヘンリックがマティアスを小声で呼び止めた。なんで今さら? と思いつつ振り向くと、彼がフェリックスが角を曲がるのを黙って見ているのに気づく。
すぐに察した。
フェリックスについて話したいことがあるということだろう。
「なんだ?」
「君のクラスメイトについてはなにも進展がなかったのか?」
「軍の病院にいるってことだけだが……誰もそれ以上は話したがらなかった」
そう言ったあとに、マティアスはそれ以上はだれも知らないだろうなとも思った。軍があの情報を外部に漏らすわけがない。だからこそ軍の病院に入れるのだろうから。
ヘンリックはため息を吐いた。
「やっぱり難しいか。じゃあ、最後の手段に出るしかないかな」
最後の手段? マティアスは不穏な言葉に構える。ヘンリックは構えたマティアスが倒れそうな言葉をぶつけてきた。
「クリスについて知っていることを教えてくれないか」
胸を殴られたかのような衝撃で息を呑む。
「知らない」
反射的に口にするとヘンリックは肩をすくめた。
「マティアスが知らないのならフェリックスに聞くけど?」
こいつは悪魔か。マティアスは舌打ちする。目的のためには容赦しないことを知っているだけに本当にやりそうで怖いと思った。
「クリスは……あいつと、おれの幼馴染で……」
マティアスはフェリックスにはじめて出会ったときのことを思い出す。
マティアスとクリスは王子の友人となるように、と命じられて連れてこられた。身元の確かな良家の子息というやつだった。
友人など普通は親にあてがわれるものではない。だが、フェリックスは何事にも政治が絡んでくる立場の人間だった。彼は幼かったけれど、それをよく理解して諦めているようだった。
フェリックスは発作が収まった直後で、げっそりと痩せた青白い顔をしていた。
警戒心の強い捨て猫のように見えて、どう付き合えばいいのか怯んだマティアスの前で、クリスは屈託のない笑顔でフェリックスに近づいた。そして「外で遊ばない?」と提案したのだ。
クリスは空気を読まずに、自分のしたいことをする子供だった。それが、顔色を常に窺われているフェリックスには新鮮で気楽だったように見えた。
フェリックスは発作がないときは、普通の少年だった。いや、普通というと語弊がある。天才肌ではあったが、ふざけ、遊び、さぼる、そういう年相応の面がきちんとある、健全な子供だった。だから、クリスとはすぐに打ち解け、親友という関係を築き上げた。
マティアスといえば、人見知りが激しすぎて、しばらくはフェリックスとクリスが親交を深めていくのを傍観していた。だから、自分はクリスのおまけだと思っていた。
だが、二人は不思議とそんなマティアスを友人だと認識してくれていた。慣れるのに時間がかかっているマティアスのことを理解してくれて、マティアスの亀にも似た歩み寄りを受け入れてくれた。
そうして、三人は本物の友人となっていったのだ。
だが、その関係も長くは続かなかった。マティアスが王立学院の入学を拒んだからだ。
赤い目を持って生まれてから、マティアスは魔術師になることが運命付けられていた。皆、それがおまえの義務だと言い張った。だが、言われれば言われるほど拒絶してしまった。
――マティアスの中で価値のあるものは魔力だけだと言われているような気がして。
だから彼は反発するように体をひたすらに鍛えたし、魔術師としてではなく普通の兵士として軍に入ることを選んだ。武術を極めてフェリックスの片腕となるつもりだったのだ。そうして自分の存在価値は魔力だけでは無いのだと証明しようとした。
だが、マティアスよりも自分の立場をよくわかっていたクリスは、最善を尽くさないマティアスを非難した。
『マティアスはずるい。魔術師になってフェリックスを守れたのに。どうしてそんな勿体無いことをしたんだよ!』
『……』
真正面からの非難に言葉を失っていたマティアスに、フェリックスは笑って言った。
『マティアスの人生なんだ。好きにすればいいさ』
だが、激昂していたクリスは、認めなかった。
『じゃあ、だれがフェリックスを守るんだよ? それなら――僕が、魔術師になる!』
『魔力もないのに何を言ってるんだ』
『――なるったらなる!』
自信満々なクリスに、フェリックスとマティアスはそんなの無理に決まってると苦笑した。
だが、あのときクリスは魔術師になる方法を知っていたのかもしれないと、今になって思う。
だけど彼を失った今、真実は闇の中。だれも――彼の両親さえもクリスが魔術師になった経緯を知らなかったのだ。
クリスが魔術師になったのは、そして《天使の涙》に罹患したのは、マティアスのせいだ。クリスを思い出すと、自分が卑怯で、最低な人間だと突きつけらる。しかもマティアスはフェリックスのように病むことができなかった。のんきにのうのうと生きている。
フェリックスの発作を見るたびに、マティアスは自分が冷たい人間なのだと思い知る。
マティアスは自分のことが嫌いだった。
せめてこれ以上嫌いになりたくない。だからフェリックスのそばにいる。クリスの代わりにフェリックスを守る。それがマティアスのクリスへの贖罪なのだ。
「クリスのことは……本当に、知らないんだ。だれも彼も知らないって言う。突然、フェリックスを守るために魔術師になるって言い出して、そして……本当に魔術師になった。もしあんな方法だって知っていたら、絶対に止めた」
思い出すたびにあの日が昨日のことのように鮮やかに蘇る。心が血まみれになる気がする。
呻くように言うと、ヘンリックは鋭かった眼差しを緩めた。マティアスがフェリックスと同じく、少なからずトラウマを抱えていることに気づいたのかもしれない。
「そうか」
「すまん」
「じゃあ、他を当たるしかないか」
「他?」
マティアスは思わず聞き返した。
「君、だれも知らないと言うけれど、そんなわけないだろ? 誰かが、クリスを魔術師にした。その方法は軍部にある。じゃあ軍部とクリスを繋ぐ線が必ずどこかにある」
そう言われてみればそうだ。
「誰かが、軍部にクリスを連れていった」
目が覚めた気がしてヘンリックを見つめ返すと、彼は笑った。
「思考停止する気持ちはわかる」
「……あてがあるのか?」
「まあね」
ヘンリックはふっと笑みを浮かべる。雪の中から花の蕾が顔を出したかのようだった。
その顔はひどく魅力的だったが、マティアスには嫌な予感しかしなかった。
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