6 廃墟と魔術授業
朽ちた煉瓦の壁から折れ曲がったパイプが覗いている。窓は真っ黒に塗りつぶされ中は見えない。扉は釘打たれ、立ち入り禁止のロープがあちらこちらに張られている。
ここは昔の校舎。確か薬科か医科かで事故があってそれ以来、校舎のみ封鎖されているらしい。だが、園庭がちょうど良い広さと言うことで、魔術科の屋外実践訓練場となっているのだ。
呪文と共に杖が次々に空を切っていく。
「ウォカーレ・スケープトス・フォリウム、ヴェントス・フルーメ」
杖の先から風が起こり、地面に生えている雑草を揺らす。もしくは枯れ葉を舞いあげる。湧き上がる微風に一喜一憂するクラスメイトたち。
今は基礎魔術の授業で、各々属性に分かれて練習中だった。マティアスも列の端に並んでいたが、まるで気持ちが入らない。ただ指揮者のように杖を振るだけだった。
(あー……患者について聞くって言ってもなあ)
そのことを考えてばかりで、鬱々としてしまう。授業もまるで身に入らない。
例の《天使の涙》に罹患した生徒の名は、オリバー=アドラー。一年次のクラス名簿で調べた。だが彼について尋ねる前に、マティアスには人見知りという大きな壁があった。
タイミングを逃し続けて、早くも一週間。情けないとは思いながらも動きが取れない。
再び深いため息を吐くと、マティアスは周りを見回す。
課題をクリアしたクラスメイトたちはそれぞれ友人たちと騒ぎあっている。
砕けた雰囲気は、話を聞くにはちょうど良さそうだった。
きょろきょろと探りを入れる。だが目線の高さが違うためか、誰とも目が合わなかった。こちらから声を掛けるしかなさそうだ。
(ううむ……)
マティアスは勇気を振り絞る。そしてひとまず一番近くにいた生徒に声をかけることにした。
「あの」
すると女子生徒が振り返った。そしてマティアスを見上げてわずかに目を見開いた。
と、そのとき大きな鋭い声が訓練場に響き渡る。
「マティアス=ヴァイス。サボるんじゃない!」
急に名指しされマティアスは飛び上がりそうになる。トラウトがマティアスをじっと睨んでいた。
だが睨みたいのはこっちだった。せっかく声をかけることができたのに!
「――サボってませんが」
思わず反論すると、トラウトは目を吊り上げた。
「本当にできたのか? 見ていたが呪文を唱えているようには見えなかったが」
(……ばれたか)
マティアスは舌打ちしたい気分になる。どうもこの間から目をつけられている気がする。成績もミアやヘンリックのおかげでなんとか落第を免れているし、問題行動もした覚えはないのだが、去年の事件のせいで目立ったせいだろうか。
「やってみろ」
命じられ、マティアスは渋々杖を構える。
そして呟く。課題は風を起こして葉を浮かせるという簡単な魔法だった。だが、自分がやると面倒を引き起こしそうなことも知っていた。
(目立つのは嫌なんだ)
気は進まないけれど、やるしかない雰囲気だった。
幸い訓練場は広く、危険な魔術を使えるように塀で囲まれている。旧校舎は廃墟同然で、今は使用禁止だ。おそらく壊しても問題は無い、はず。
マティアスは渋々口を開く。
「ウォカーレ・スケープトス・フォリウム、ヴェントス・フルーメ」
ぶわり、と風が吹き込み、葉を舞い上がらせる。その力は他の生徒とは比べものにならない。
他がそよ風ならば、マティアスのそれは嵐だった。
風はぐるぐると訓練場を駆け巡り、地面の雑草をたなびかせ、廃墟の窓ガラスを揺らした。
ぱりん、と高い音がして黒塗りの窓が一枚割れる。そして校舎の内部でガシャンとひどい音がした。
「も、もういい!」
トラウトが青い顔で止める。
杖を収めると、風がピタリと止む。クラスメイトがうわあああ、と歓声を上げる。
「今のすごくねえ!? もしかしたら先生より……」
一人の生徒がつぶやいたとき、
「騒がしい!!」
金切り声とでも言う怒鳴り声が響き、訓練場が静まり返る。皆がじっとトラウトを見つめると、彼はコホンと小さく咳払いをした。
「今日の授業はここまでにします」
トラウトがそのまま青い顔で出ていくのを見て、マティアスは思う。
(これはただじゃ済まないな……)
薄々感じてはいたが、プライドの塊のような男だった。
ため息が出たとき、周りに数名のクラスメイトが近寄ってきた。興奮した様子でマティアスを見ている。
「すげえな! おまえ!」
「すごかった! どうやったの?」
周囲を取り囲む熱い眼差しに思わず逃げたくなったが、マティアスははたと思いつく。
これは例の彼について聞くチャンスではないかと。
「あ、あの、聞きたいことがあるんだけど……オリバーについてなにか知ってるか?」
「オリバーって?」
皆一様にキョトンとした顔をした。マティアスはなんだか苛立つ。クラスメイトの一人だというのに。その感情は、自分にも向けられる。忘れんなよ、あれからたった一年だろ。
「入学式の時の……《天使の涙》の患者だ」
そう言うと皆、一気に顔を恐怖に硬らせた。
「……ああ、あの……」
場の興奮が一瞬で消えた。気まずそうに目を逸らすと一人、また一人と輪から外れていく。
禁忌に触れた、という様子だった。
どうやら焦って質問を急ぎすぎたようだった。《天使の涙》が魔術師にとっては忌むべきものだということを忘れていた。
マティアスは悔やむがもう遅い。
「あ、おい! まってくれ!」
最後の一人をなんとか引き止めると、彼は小さな声で恐る恐る言った。
「たしか軍の病院にいるはずだよ」
そう言い置くと、彼までもが訓練場から走り去った。
しんと静まりかえった訓練場にはマティアス一人が茫然と立ちすくんだ。
訳がわからなかった。《天使の涙》は魔術師しかかからない奇病だが、《悪魔の爪》とは違い、感染しないと言われている。原因が明かされていないとはいえ、どうしてあれほどの反応をするのか。
「なんなんだ、よ、一体」
そうつぶやいたときだった。
足元を黒い塊が走り抜ける。
目を凝らすと、草の陰に二つの目。ぎょっとしたとたん黒い塊がはねた。
そっと近づいてかがみ込むと、《それ》はマティアスの方に飛び乗った。
「……一体何なんだ????」
肩の上に載ったそれをそっと掴む。柔らかくなめらかな毛をもつそれは、一匹のうさぎだった。
マティアスの大きな手のひら二つで支えられるくらいのサイズ。
色は黒に近い茶色。一見普通のうさぎなのだが、違和感があった。観察して理由を察する。目の虹彩が赤いのだ。
ふと見ると足に血が滲んでいた。すっぱりとした切り傷。マティアスは先程自分がガラスを割ったことを思い出してにわかに慌てた。
「おまえ、どこから紛れ込んだ?」
もちろんウサギは答えない。鼻をくんくんと動かすとマティアスの拘束を嫌がって暴れた。地面に置くとウサギは雑草を食べ始める。
学院内に動物の飼育施設はないはず。あとペットは飼育禁止だ。迷い込むにしても、市街地なので野生のうさぎはいないだろうから、どこかで飼い主が探している可能性はあると思った。
置いておくべきかと思ったが、足の傷が脳裏をちらついた。一考してマティアスはため息を吐く。
そしてハンカチを出してウサギの傷口を縛る。
そして抱き抱えると図書館へと向かった。
ひとまず仲間に相談しようと思ったのだ。
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