5 一人一人ができること

 放課後は、図書館の隅のいつもの場所――談話室で作戦会議だった。


「フェリックス? どうかした?」


 考え事をしていたフェリックスは、はっと我に返った。目の前にあったミアのまなざしにどきりとする。くるくると良く動く瞳がフェリックスを心配そうに覗き込んでいた。


「いや、なんでもない」


 フェリックスが小さく首を横に振るとヘンリックが話を進めた。


「……というわけで、昨日ブラルという新たな壁が現れたことを知ったと思うけど。さて、どうする? 引き返して論文を書くってのも一つの手だと思う。皆を納得させてから先に進む」


 腕を組んだヘンリックがため息を吐く。フェリックスはたまにこの友人──というよりライバルがとてもうらやましくなる。鋭い観察眼、論理的思考。自分が持っていないものを大量に持っているこの男を。


「でもやっぱり、引き返してる場合じゃないよね。その間も患者さんは薬ができるのをずっと待ってるんだもの。患者さんには全く役に立たない証明より、役に立つ薬作りが私はやりたい」


 ミアが意見する。すべては患者のため。彼女はその部分については絶対にぶれないのだ。


「だけど、金が無いとなにもできない。……時代がついてきてくれたらいいんだけどな。一般人に理解させるのが一番難しい」


 ヘンリックが言う。ミアはしょんぼりと眉を下げたが、ヘンリックを見る目からは希望は消えていなかった。

 まだ、方法はある、そう思わせるだけの力がヘンリックにあると彼女は思っている。彼女の目からは尊敬という感情がきらきらと溢れているように見える。

 彼女がこの中で一番頼もしく思っているのはきっと自分ではない。もどかしい。考えているとフェリックスは、自分が内側から腐っていく気がした。


『おまえはどうしてそう、だめなんだ』


 耳に張り付く声を慌てて振り払う。こういった劣等感が一番まずいのは経験からわかっている。

 だが、もやもやが塊となってのどの奥に詰まる。視野が狭まる。息ができない。もっと、もっと息を吸わねば、苦しくて死んでしまう――。

 と、ぽんと背中を叩かれてはっとする。


「死にそうな顔してるけど、大丈夫か。特効薬は前にあるだろ。犬のふりをしてなでてもらえ」


 耳元で低い声が響いたとたん、視界が広がった。心が清涼な空気で洗われた気がする。

 マティアスがやれやれと言った様子でフェリックスをのぞき込んでいる。

 彼はフェリックスの弱さをよく知っている。発作の一歩手前だったことに気がついて助かったと心底思う。できることならばあんな風に情けない姿を晒したくない。


「犬……か?」


 声とともに吸い込み過ぎた息が漏れる。息苦しさが和らぐ。ミアたちはフェリックスの不調に気づかずまだ議論中だった。気づかれたくない。ミアに、これ以上弱いところは見せたくない。心配はさせたくない。

 そう思うと力が湧いた。


「まぁ、大型犬くらいにしか思われてないと思う……不本意だろうが」


 マティアスがハンカチを差し出す。フェリックスは額にかいた冷や汗を拭った。


「いっそ犬になりたい。ミアに飼われたい」


 そう言うとマティアスはまなざしに呆れと哀れみを込めた。ふと見ると、いつから聞いていたのか、ヘンリックが虫けらを見るような目でフェリックスを見ていて、さらに、ミアが顔をひきつらせている。


(あ、やってしまった)


 反省したけれどもう遅かった。

 どうも、時折、ミアへの愛が行き過ぎてしまうのだ。

 苦笑いを浮かべる。だが、どうやら調子が戻ってきた気がしてホッとする。


「で、僕たちは今、行き詰まってるんだけど、フェリックスはアイディアはないのか? 犬に高度なことを求めてもダメかもしれないが」


 ヘンリックがここぞとばかりに辛辣な言葉でフェリックスを刺した。

 だがへこたれてなるものか。

 挽回の機会だと切り替えるとフェリックスは頭をひねった。切り替えの速さには定評がある。しかもミア絡みであれば余計に。凹んでかっこ悪いままではどんどん差をつけられてしまう気がするのだった。

 だが相手はブラルという正論博士。


「犬にはたくさん美点があるぞ。耳はいいし鼻もいい。得意なことを活かせば全部やりたいことはできるはずだ――」


 とそこまで言うと、ヘンリックが目をまたたかせた。


「得意なこと、か。たしかにそうだな」

「へっ?」


 肯定された。意外すぎる。


「リューガーが言ってたろ。『君たちが力を発揮すれば、きっと全部うまくいく』って。今までって特に分担せずに一緒に作業してただろ? だけど、僕は医科。ミアは薬科、マティアスは魔術科、そして君は法科。それぞれできることが異なる。二年になって少しだど専門化してきたし。まとまってやるより個別に動くほうが大きな成果が得られそうだし、テーマに沿ってだって動くこともできるかもしれない」 

「個別?」

「今でも分担して調べれば成果が出そうなことはある。例えば、今休んでいる《天使の涙》の患者についてはマティアスが調べるのが最適だろ? 一応クラスメイトなんだから。入院している病院は誰か知っているかもしれない」

「お、おう。でも、おれ、なんか恐れられてんだよな……つーか、壁くらいにしか思ってないかも」


 是の返事をしつつも、どうしても気が進まないマティアスの様子に笑いが出そうになる。

 フェリックスはこの幼馴染の人見知りがひどいことをよく知っている。

 よし、任せておけ、と言いそうな頼もしい外見なのに、このギャップはどうしてだろうと思う。

 苦手意識で固まっているマティアスを見ると、いたずらごころと気の毒さが同時に湧き上がった。


「壁? なら余計に仲良くなるチャンスだろ? 友だちもできて一石二鳥だ。今までろくに役に立ってないんだからやってくれ」


 ヘンリックはそんなマティアスの杞憂をあっさりと踏みつけた。

 弱いところをもろに踏まれて、マティアスはぐえっとでも言いそうな顔をした。

 ひどいと思っているのか苦笑いを浮かべたミアが「マティアス、大変だろうけど、お願いね」と頼み込む。

 するとマティアスはしょうがないな、と肩をすくめつつも「入院先、だな?」とうなずいた。ミアに頼まれたらフェリックスでなくとも放っておけないと思うのだろう。


「で、フェリックスは……君はできることがたくさんあると思うんだけど……」


 さあ、どうする? とでも言いたげな挑戦的な目。フェリックスは少し考えて最適解と思える物を口にした。

 さきほど、授業中にふと思いついたことだった。


「おれは軍部に乗り込もうかと思うんだけど」


 学院内でその伝を見つけることは可能だった。法科には軍関係の人間の子供も通っている。


「……」


 三人が黙り込む。いい考えだよな? と思っていたフェリックスだが、どうやら突飛すぎたらしい。あまり自覚はないが、飛躍しすぎるとよく言われる。


「で、ミアはどうする? 僕はもう少し過去の論文を調べようかと思ってるけど、手伝ってくれると助かる。ほら、他の二人はろくに文字が読めないから」


 ヘンリックがフェリックスの答えをなかったかのように話を進める。


「さすがに文字は読めるって! スルーするなよ!」


 ひどいよな!? と同意を求めたが、ミアも困った顔をしてそっと目を逸らした。


(あ、傷ついた! 必要なものは全部軍部にあるはずだし、いい考えだと思うのに……!)


 今までに出てきた問題。魔力とはなにか。そしてノイ・エーラの作り方。魔力の注入の仕方。すべて軍部にある機密事項だ。

 フェリックスは肩を落としながらも、自分で口にした作戦を頭の中に広げることにする。


(だって……今、おれができることは、そのくらいしか無いんだ)

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