第二学年

1 第二学年のはじまり

「これが今回の実験データか。ふうむ……まだまだだな。これではずいぶんと効率が悪い。もっと精度を上げて欲しい」


 注文の多い客が金貨を置いて出ていくと、男は「このデータの本質を理解できないなど……馬鹿め」と吐き捨ててためいきをつく。だが、すぐにニヤリと笑い、気を取り直して作業に取りかかった。

 濃い夜の闇の中、ケージの中では赤い目をした《検体》たちが、無邪気に餌を食べている。

 彼らに対する『哀れ』という気持ちはいつのまにか消えてしまった。

 そうだ。自分がこの《検体》と同じ立場になってからは。憐憫に似た感情を抱いたとしても、それは共感でしかない。

 一日一食のパンは、近所の酒場の残飯だった。飢えて渇いて干からびて。そんな男に聖人の顔をした人間がをくれた。おれと来れば、力が手に入れられる、そう言った。

 男は生きるためについて行った。そうして確かに力を手に入れた。だが所詮作られた紛い物だ。すぐに故障し、使い捨てられた。

 掃き溜めに戻りたくなくて、他者を踏みつけにして地位を手に入れた。これで高みに登れた――そう思ったのも束の間だった。高く登ったつもりでも、まだ上はあった。手を伸ばしても空には届かなかった。たどり着いた場所はまたしても掃き溜めだった。

 青く澄み切った空が恋しくてたまらなかった。汚い灰色の雲を突っ切って、本当の高みまで飛び上がりたい。そのためには男は犠牲は惜しまないつもりだった。

 自分さえ良ければいい。自分さえ命を繋げればいい。

 もとより人間という生き物は利己的な生き物だ。他を貪って生きている。


(そう。これでいい。おれは、いつか高みにたどり着いてみせる)


 隣室に移動する。中央にはガラスのケースが置いてある。上部にフィルターと送風装置がついている無菌装置クリーンベンチだ。

 赤みを帯びた瞳が覚悟を問うようにこちらを睨む。それを睨み返すと男は手を消毒してマスクをし、手袋をはめた。

 中では一際小さな検体が震えている。餌は全く減っていない。これではあと何回、手術に耐えられるだろうか。

 そっと中に手を入れると中はふんわりと温かい。蒸気暖房で適温に保たれているのだ。

 だが、触れた体は随分と冷たい。体温の調節機能ももう危ういのだろう。

 骨張った体を撫でると、色を失った目がこちらを見た。

 なんの感情も浮かんでいない。いや、あるとすればそれは諦めなのだろうか。食うものと食われるものとして振り分けられてしまった運命に対しての。


「悪いな」


 それはおそらく心にもない言葉だった。男は息を止めると、痩せた体に細い針を刺した。



 1 第二学年のはじまり



 空に薄い雲がかかっている。イゼア王国の王都の空はあいも変わらず灰色だった。

 空に手を突き出すようにして、ミアは大きくのびをした。

 今日からミアは二年生。明日は入学式で新入生が入ってくる。

 一年生の時は薬のことしか頭になくて周りが全く見えていなかった。上級生の存在は空気のようなものだったけれど、いざ自分がそうなってみると、ほかの上級生が気になってくるものだ。

 各学年各学部で四十名、学年全体で百六十名が定員である。六年在籍するので、学院全体では九百六十名。ただ、中退する者もいるので、だいたい九百名くらいだと聞いている。

 辺りを見回していたミアは、はっと目を見張った。少し小柄な体格だけれど、妙な存在感を放つその少年。銀色の髪に緑色の目を持つ、天才――いや、秀才のたぐいだとミアは思う。ヘンリック=ヴィーガント。首元のタイは青。医科の印だ。実家は大きな施療院で、後を継ぐために医者になろうとしている。努力家で、そして皮肉屋だ。

 思わず足を進めると、さらに漆黒の短髪に赤い瞳の男の子が視界に入った。いや、「子」をつけるのをかなりためらうような、立派な体格の男子生徒が立っている。魔術科のマティアス=ヴァイスだ。気むずかしそうな顔をしているため、誰も彼に声をかけられないでいる。だが、ミアは彼の意外な一面をよく知っている。

 マティアスの後ろからそっと近寄った人影が、ばん、と背を叩くと彼は周囲の方が驚く勢いで飛び上がった。


「進級できてよかったな! なあ、マティアス!」

「……それはおれがおまえに言う台詞だ!」

「ははは、今、びびっただろ? 笑えるな、その体に似合わない臆病さ!」


 遠慮なく笑う顔は太陽のようだ。

 周囲を照らす底なしの明るさに、ミアの胸はなぜかきゅっと縮む。

 太陽に似た金色に輝く髪。海のような青い瞳の男の子が立っている。それはフェリックス――フェリックス=カイザーリングだ。

 彼を見るときミアは目を細めてしまう。なんだかとてもまぶしく思えるのだ。


「あっ、ミア! 久しぶり!」


 フェリックスはぼうっと彼らのじゃれあいを見ていたミアに気づくと、あっという間にやってくる。その勢いは飼い主を見つけて駆けつける大型犬だ。

 勢いで抱きついてきそうなので、ミアはたいてい気づくと同時に一歩下がっている。それを知るとフェリックスは少しだけさみしそうに眉を下げるのだった。

 ヘンリックが騒々しさに気づいたのかゆっくりと近寄ってきた。


「久しぶり? ってほどでもないか」

「……だね」


 ミアはくすりと笑う。


「ど、どういうこと。ヘンリックおまえ、抜け駆けか!?」


 フェリックスが青くなっている。それを呆れた目で見つつ、ヘンリックは鼻で笑った。


「抜け駆け? 休み中も図書館で勉強してただけだけど? ミアも毎日図書館にいたから」


 そうなのだ。といってもミアには帰る家がないからずっと学院にいただけなのだけれど。


「なんだ、と……おれも行けばよかった……」


 フェリックスが頭を抱える隣で、マティアスが大きくため息を吐いた。


「フェリックス、おまえさ。イメージががたがたにくずれてるけれど大丈夫か?」


 ミアもひっそりうなずく。周囲を見渡すと、数人の女子が顔をひきつらせていた。


(あぁあ。黙っていればかっこいいのに……)


 彼はいわゆる残念なイケメンなのだった。





 全体の集会が終わる。それぞれの学科担任の挨拶後、解散となる。これから明日の入学式の準備に入るのだ。といっても、二年生には飾り付けなどの手伝い、講堂の掃除など、することはさほど多くない。

 作業が終わった後、四人は図書館の談話室に集まった。本格的な授業が始まる前に、「これから」を話し合うためだ。


「さて。我々は無事に二年次になったわけだが」


 えへん、という咳払いとともにフェリックスが口火を切った。


「無事、とか言ってる時点でどうかと思うけど。もう下手に単位落とすなよ? 留年されたらシャレにならない」


 ヘンリックが冷ややかに口を挟み、フェリックスが顔をしかめる。


「話の腰を折るなよ。それにもう留年はしない」


 後半がやや自信なさげだ。目が泳いでいる。

 ヘンリックはまったく取り合わずにさらに言った。


「あと、フェリックスが司会役してたら話が進まないと思うんだけど。向き不向きがあるんだから、僕に任せてほしい」


 マティアスがうなずき、フェリックスが「ほんとに?」といいたげにミアを見る。ミアは頬を引きつらせ、ごまかし笑いを浮かべた。ごまかしついでに話を進める。


「え、えっと……去年は病素がわかったところまで、終わってたよね」


 ミアたちは、去年一年で考えた研究の計画書で学院特別賞をもらった。


『《悪魔の爪》は本当に感染するのか?』というテーマが認められて、研究費をもらうことになったのだ。

 ミアの母は《悪魔の爪》に罹患している。その病を治すために、ミアはこの学院で学ぼうと必死で受験勉強をしてきた。だから母の病が回復する足がかりを得られて、ひとまずホッとしていたのだった。

 だが、戦いはまだ始まったばかり。入学して一年経つというのに、未だ病素しかわかっていないのだ。


「病素は、体内の魔力不足か……」

 ヘンリックがうなり、

「ってことは、目指すのは、体内の魔力不足を直す薬だよな?」

 フェリックスが端的にまとめる。

「……」


 とたん、皆一様に黙り込んだ。ミアと同じ気持ちなのだろう。魔力を補う薬──そんなものどうやって作ればよいのか、見当がつかないのだ。


「そもそもさ、魔力ってなんだろな。どこでどうやって作られているんだ?」


 フェリックスが首をひねりながらマティアスを見た。この中で強い魔力を持つのは魔術科のマティアスだけ。ミアたちも微量な魔力は持っているらしいけれど、魔術を使えるほどではない。

 だが、大量に魔力を持っているはずのマティアスも、その実態についてはわからないようだ。フェリックスと同じ方向に首を傾げている。


「それに、問題は薬を作ることだけじゃないからな」


 ヘンリックが難しい顔をしてさらなる問題提起をして、皆の口からため息が漏れる。だがヘンリックの攻撃は終わらず、おもむろにフェリックスの方を見る。


「臨床に入るときには絶対に法科の人間が必要だ。役に立ってもらうつもりだから、そのときまでにしっかり法律を勉強してほしいんだけど……」


 期待薄だな。と小さくつぶやき、フェリックスが目をつり上げた。


「さっきからなんだよ。単位落とすなとかなんとか、喧嘩売ってんのか! それなら買うぞ!」

「僕らは四人で一つのチームだ。一人だって欠けられない。だからこそ戦力にならないのは困るって言ってる」


 ぎろりとにらまれてフェリックスはうっと言葉に詰まった。


「べ、勉強する……するけど! おまえのためじゃなくってミアのためだからな!」

「ガキか」


 ヘンリックは冷たく笑うとフェリックスがまなじりをつり上げる。


「おれはおまえより年上だぞ!」


 絶対に自慢にならないことを言い出したフェリックスに、彼以外の三人はため息を吐いた。ついつい忘れそうになるけれど、たしかに彼は年上。だけど、留年しているからなので、決して威張れるようなことではないのだ。

 マティアスがフェリックスをなだめる。


「おまえは黙ってろ。話が進まん」

「人ごとのように言ってるけど、マティアスにも役立ってもらうから、しっかり勉強してくれ。魔術に関してはあんたがしっかりしてくれないと、ほかは魔力がないんだからそれこそ代わりはいない」


 マティアスが赤い目を泳がせる。血のような赤は、体内の魔力量が多いことを表している。彼は生まれながらのエリートなのだ。


「うっ」


 言葉に詰まるマティアスに、フェリックスがそれ見たことかとにやにやと笑う。

 ヘンリックは「それから」とミアを見つめた。


「ミア。僕たちはこれから薬を作る。そしてもし薬ができたとき、それが効くかどうか――安全かどうかを……どう確かめればいいと思う?」

「……!」


 ミアは思わず口を手で覆う。

 知らないわけではなかったけれど、いざ自分が行うと思うと震えが湧き上がるのがわかった。

 薬の安全性を確かめる。そのために、ミアが乗り越えなければならないことがあった。いままでは安全性の確かめられた薬を使っていただけだから必要なかったこと。答えを教えてもらうまでもなかった。――動物実験だ。


「十年前から臨床に入る前には動物実験が義務付けられている。ミアは覚悟を決めておいてくれ」


 ぎくりとする。ヘンリックはミアに『覚悟』がないことを鋭く見抜いていた。

 ヘンリックは淡々と話を進める。

 彼には迷いがないのかもしれない。おそらく、命を扱う職業につくという覚悟をすでに持っているのだ。


(すごいなあ)


 ミアは尊敬のまなざしをヘンリックに向ける。彼はミアの視線に気づいたのか、やや気まずげに顔を背ける。


「さっきから人のことばっかり言っているけれど、ヘンリック、おまえはどうなんだ?」


 フェリックスが不満そうに口を挟むが、ヘンリックは肩をすくめる。僕にこれ以上何を求めるんだ? とでも言っているようだった。

 主席合格で一年の時は学年一位を保ち続けた。たゆまぬ努力の人だとミアは思っている。

 それを知っているだろうにと見つめると、フェリックスは失言に気づいたのかそのまま黙り込んだ。マティアスがやれやれとため息を吐くが、ミアもこの不毛な小競り合いには辟易しかけていた。


(どうしてフェリックスはこんなにヘンリックに突っかかるの……?)


 ミアが同意を求めてマティアスを見つめると、彼はなぜかため息を深くした。


「ま、僕は僕で頑張るよ。──で、最初の問題に戻るけど……薬はどうやって作るつもりだ?」

「ええと……病素は、魔力不足だよね」


 ミアが言うと、ヘンリックはうなずいた。


「つまり、魔力不足をどうやって薬で補うかってことになる。だけど、体内でどうやって魔力が作られているかがわからないし、そもそも魔力がなにかさえもわからない。……休み中ずっと考えていたけれど、僕には、どうやって薬を作ればいいか見当がつかないんだ」


 ヘンリックは難しい顔をして考え込む。ミアもそのことを考えると迷子になったような気分になる。体力を補うには滋養強壮の薬があるけれど魔力はまた別だろう。

 だが、フェリックスが首をかしげた。


「魔力不足なら、魔力をそのまま患者に足してやればいいんじゃないの?」


 思わずミアは顔を上げる。ヘンリックもフェリックスを見て唖然とした顔をしていた。

 ミアもヘンリックと同じく、魔力というものが体内で作られると考え、薬でその機能を補うことばかり考えていた。だから、目から鱗だったのだ。


「どうやって?」

「んー?」


 フェリックスはわずかに首をひねったあと、マティアスを見ながら言った。


「魔術師っていうのはさ、魔力が余ってる状態なんだろ? 余ってるなら分けてやればよくない? 患者に直接魔力を注入するんだよ」


 単純な足し算のようにフェリックスは言う。だけどそれができればこんなに悩んでいないのだった。


「だから、どうやって? そもそも、魔力ってなに?」

「それは――」


 ミアは食い入るようにフェリックスを見つめる。答えがあるならすがりたい気分だったのだ。

 だがフェリックスは「んー……あれ? なんかひらめいた感じがしたんだけど」と困ったように首をかしげてしまう。


(あぁ……フェリックスって、なんていうか……)


 ○○と天才は紙一重──という強烈に失礼な言葉が浮かび上がりそうになり、さすがにひどいと自分で思ったミアはその思いをぐっと押さえつける。

 あれは、きっと一種の才能なのだ。彼と宿題などを一緒にやっているときも、過程なしで答えにたどり着くことが多々あった。それであっているのだから驚きだ。回路が普通の人間と違うから理解されにくいけれども、天才とは多分、こういう人のことを言うとミアは思う。

 思わず、羨望と嫉妬の混じった息を吐いた。

 時折信じられなくなるのだ。

 これだけの人材の中に、ごく普通の才能しかなく、努力だけで這い上がってきたミアがいることが。

 ふとヘンリックがつぶやいた。


「おまえって、やっぱりただの馬鹿じゃない」


 ヘンリックは苦笑いをしてフェリックスに言うが、彼は「馬鹿とはなんだ」と逆上する。


「ほめことばだろうが」


 マティアスに取り押さえられて「え?」とフェリックスは目を瞬かせる。ミアも目を丸くする。あのひねくれたヘンリックが――わずかだったけれども――フェリックスを褒めたからだ。


「薬にこだわりすぎてたけど。魔力を人間に注入する方法、あるだろ。それのせいで苦しむのは《悪魔の爪》の患者だけじゃない」


 ヘンリックの言った言葉に四人は顔を見合わせ、同時に叫んだ。


「《天使の涙》!?」


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