25 今年得た、一番の成果
事件の後処理が密やかに行われる中、アインツ先生は、夏の訪れとともに学院を去った。表向きは軍部への出向だったが、本来の所属に戻ったということだろうか。
後任の助教はまだやってきていない。さすがに今度こそ中立の教師を入れなければならないとのことで、選考に時間がかかっているのだ。
空になった準備室の前を通るたびに、親身になってくれていた彼女のことを思い出す。凛とした佇まい。眼鏡越しの紫色の優しい瞳。そして数々の甘味。それらが蘇ると、夏だというのに心の中に隙間風が吹くような気分だった。
あの優しさが、ミアたちに近づいて情報を得るためだったと思うとやりきれなかったのだ。
彼女は最後まで謝らなかったし、これからも謝らないだろう。多数を守るためには、犠牲は仕方ない――それが彼女の正義だからだ。
(じゃあ、わたしの正義は逆を行こう)
全ての人を救いたいなどと傲慢なことは言えないけれど、せめて近くで助けを求めている人に手を差し伸べ続けるのだ。母だけではなく。
(国が《悪魔の爪》を切り捨てるのなら、彼らは、わたしが救ってみせる)
いつか、きっと――とミアは拳を握りしめた。
◇
季節は完全に夏に突入し、太陽が一番長く顔を出す、夏至祭当日がやってきた。
講堂には全校生徒がひしめいているが、魔術科の空調係が風を起こしているおかげで、比較的しのぎやすかった。
教授達がはっきりと誤解を解いてくれたけれど、ミアたちの周囲には、未だにわずかな隙間ができている。だけど今日が終わればひとまず夏休みだ。人の噂も七十五日というし、きっとそのうち収束していくだろうとミアは気楽に考えている。
――というよりは、それよりも遥かに気になることがあっただけなのだが。
今からコンペの結果が発表されるのだ。それに先立って、先ほど一年間の成績発表も行われたのだが、ヘンリックはすべて《優》の成績で、見事学年一位を勝ち取り、ミアはそれに及びはしなかったものの、薬科でのトップの座を守った。そして、フェリックスとマティアスは計画書の単位以外はすべて《可》か《不可》という残念な結果だったが……幸運にもなんとか留年は免れた。それもこれも計画書の出来が唯一の《優》と良かったからで、もしミアとヘンリックと組んでいなかったら、落第していた可能性は高かった。
「できないふりしてるのかと思ってたんだけどな。僕は国民として恥ずかしい」
「俺も、保護者として情けない」
「マティアス、おまえが言うな」
辛辣な言葉の応酬にミアが苦笑いをしていると、ざわ、と周囲がざわめいた。どうやら待ちに待ったコンペの結果発表らしい。
どくり、どくりと急激に胸が騒ぎ出す。血が急に沸騰し始める。体全体が心臓になったような気がした。ミアはめまいを感じて、目をぎゅっと閉じた。
(大丈夫、《優》をもらったんだもの――大丈夫!)
どこかで歓声が上がっている。だが、隣にいる面々は先程の和気藹々とした雰囲気の欠片もなく黙り込んでいた。
嫌な予感に薄目を開ける。そして張り出された紙を見て、ミアは呆然とする。そこにはミアたちの名前は無く、上級生の名前がずらりと並んでいたのだ。
何度瞬きをしても、名前は変わらない。ミアは頬をつねる。夢ならば覚めて欲しい、そう願ったが、いくらつねっても頬は痛みを訴えた。
「……うそ、でしょ」
壇上には理事長が立っていた。コンペの最高責任者である彼は、口ひげをなで、えっへんと偉そうな咳払いをすると、生徒の注意をひいた。
「えー、このたびのコンペは優秀作品が多く、まれに見る接戦だったのですが、最終的にはこのようになりました」
そして理事長はにこやかに紙に書かれた名前を読み上げる。入賞者の名前が全部読み上げられるころには、ミアは立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んでいた。
(……だめだった。駄目だった!! お母さん――)
「ミア」
三人が各々におろおろとした声を出した。ミアをどう慰めようかと考えているのがわかって、泣きそうになる。
(みんなも、ごめん。こんなに付きあわせちゃったのに、結果出せなかった……)
だが、理事長は「最後に」とひときわ大きな声で、ざわめきを断ち切った。ミアが驚いて顔を上げると、理事長と目が合う。理事長は珍しく顔から笑みを消している。無表情だと、全く印象が違い、別人にも見えた。
「ミア=バウマン、フェリックス=カイザーリング、ヘンリック=ヴィーガント、マティアス=ヴァイスの四人は壇上に上がりなさい」
厳しい声で言われて、火が着いた花火のようにミアは飛び上がる。そして三人に促されて壇上へと上がった。
(何? いったいなんなの? もしかしてこの間のサナトリウム侵入の件で叱られるとか!?)
そのくらいしか呼び出しの心当たりがない。小さくなるミアの前で、理事長は突如笑った。いたずらが成功した子供のような笑顔だった。
「彼らが提出した、《悪魔の爪》の感染性についての考察。彼らはまだ一年で、内容が拙いため、賞は与えられなかった……だが、誰も挑もうとしなかった独創性の高いテーマと、厳しい指導にも決して諦めなかったという情熱を買って……ここにいる教授陣、及び理事が後援することになった! 皆も見習って、彼らくらい熱心に勉強してほしいものだな! 一同、拍手!」
どよめきが講堂内に走る。そして直後、ぱら、ぱらと拍手が始まったかと思うと、大雨でも降っているかのような破裂音が講堂全体を包み込んだ。ミアは震えが止まらず、思わず隣にいたフェリックスの手を掴んだ。
リューガー教授が笑顔で賞状を持ってくる。
「代表で一人、前に出なさい」
フェリックスを見る。ヘンリックを見る。そしてマティアスを見る。皆それぞれにミアに行けと目で訴える。
「で、でも――私でいいの?」
「ミアしかいないだろ」
ヘンリックに背中を押され、ミアが前に一歩出ると教授は賞状を手渡した。そこには『王立学院特別賞』と書かれている。
「君は、いい仲間を持った。それこそが、君が今年得た、一番の成果だ」
リューガー教授は顔を紅潮させていた。
「創薬にはたくさんのプロセスがある。全部を薬科だけではできないんだ。薬を作ったら、動物実験を経て、人を対象とした臨床試験がある。その際にはたくさんの法的手続きが必要だし、なにより、この薬は魔力と大きな関連がある薬だ。薬科、医科、法科、魔術科、すべてが揃ったチームでの研究だよ! とんでもないものが生まれそうで、私は興奮しているんだ。――学院は、軍部の圧力に決して負けない。だからやれるだけやりなさい」
リューガー教授が強い意志をともした目でミアを見つめている。
「ともに戦おう、小さな同士よ」
乗り越えるのが大変だった壁も、乗り越えてしまえば、高いところに登るための足場になっていた。教授が、さらなる高みを目指すための土台を固めてくれている。
(なんて力強い味方なの――)
ミアは差し出された手を、力強く握り返す。
表彰が終わると、夏至祭のパーティが始まった。進級をおのおの祝い合い、卒業生は旅立ちを祝う宴となる。
暑苦しい上着を脱ぎ捨てて、ミアたちは夏の気配の蔓延する前庭に飛び出した。カラッとした熱風が頬をなで、ミアたちは眩しさに目を細める。
生徒に囲まれて教授陣も楽しげだ。一際大きな輪の中央にいるのはリューガー教授。壁だと称された彼も、役職名を背負うのをやめると雰囲気がガラリと変わる。多少顔は怖いけれど、気さくな一人の紳士になっていた。
「先生のおかげで、やりたいことが見えてきました」
彼を囲んだ生徒の一人が頭を下げている。
「厳しくて辛かったけれど、やって良かったです。卒業しても頑張ります。ありがとうございました」
「頑張れよ。努力は君の財産だ」
そんなやり取りを見て、ミアは胸に温かいものが広がっていくのを感じた。ぽつり、ヘンリックが呟く。
「僕さ、実はフェリックスがサナトリウムに突撃するまでは、リューガー教授が犯人かなって思っていたんだ」
「え? そうなの?」
「だってアインツ先生に何か出来るとしたら、上司で近くにいる彼が一番怪しいだろう。それに、最初の壁っぷりはすごかったろう? 何か事情でもあるのかと思ってさ。ミアもひどいこと言ってたじゃないか」
「まぁ、それはそうだけど……計画書を受け付けてくれた時に不満は消えてなくなったよ。人一倍熱心なだけだった。わたし、教授が担当で本当に良かった」
ミアが思い出してしんみりしていると、どこかできゃらきゃらと高い笑い声が上がった。
視線を感じて見やると、そこにはアンジェリカがいて、別の法科の男子生徒と楽しげに話している。背が高く、金髪に青い瞳の整った顔立ちの男の子だ。アンジェリカはミアの方を見て、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
どうやら敵視されることから逃れることはできないらしい。げんなりしつつフェリックスをちらりと見ると、「どうやら感染の噂のせいで、愛想を尽かされたみたいだなー」と苦笑いをする。
「いや、変な噂聞いたから、そっちのせいでもあるだろ」
ヘンリックがぼそっと口を挟む。
「噂?」
「王子殿下が二年生にいるっていうやつ。誰かが意図的に流したんじゃないかなって思ったけどさ」
ヘンリックがちらりとフェリックスを見ると、彼は肯定も否定もせずに、ニッコリと満足気な笑みを見せた。
「なんにせよ、あれだけはっきりしてると、いっそ気持ちいいよね!」
日が暮れて、前庭には火が焚かれ始める。闇の中にぽつり、ぽつりぽつりと浮かび上がるのは蛍の光。緑の灯りに誘われるように、いつの間にかまとまった男女が会場の外へと消えていく。パーティが終わりに近づくのを感じて、ミアは憂鬱になる。これが終わると晴れて進級だというのに、嬉しくない。
計画書を提出してしまえば、もう四人で集まって学ぶ必要がないのだ。
そもそも、計画書を作るためだけに組んだチームだ。
目標を達成したのだから一旦解散。これからはそれぞれがそれぞれの目標を持って卒業研究に取り組むこととなる。チームを組むかどうかは、各々の判断で決める。
(確か、マティアスは『一年間よろしく』って言ってたよね。それに、ヘンリックも……『計画書提出まで』って期限を切ってたし)
これ以降は付き合う必要は一応ないのだ。もっと魅力的なテーマがあれば、来年一年で計画書を再提出することもあり得る。
達成感が寂寥感と焦燥感に塗り替えられていく。ため息が増えるミアに、フェリックスがそわそわと問いかけた。
「どうした?」
「うん……教授はああおっしゃったけれど……これからは別々に頑張らないと駄目なんだなって」
ミアの呟きに、フェリックスがまず反射のように答えた。
「え、俺はこれからもミアと一緒に研究するつもりだけど? だって、薬を開発したら、オッケーくれるんだったよね!? じゃあ少しでも早く薬ができるように協力して頑張らないと」
「オッケーって……え、いつの間にそういう話になってるわけ!?」
そういう意味じゃなかったような! ミアが焦って助けを求めるが、マティアスはミアの戸惑いを気にせず、げんなりとした様子で答える。
「フェリックスが続けるなら俺もそうするし。……選択肢がないんだ。子守なんだから」
目を見開くミアの前で、マティアスがヘンリックに視線を流すと、彼は軽く肩をすくめた。
「僕だって君たちだけにこんな面白いことをさせるつもりはないけど――っていうか、あのテーマ、既にミアだけのものじゃないんだけど。独り占めする気なら怒るよ?」
「じゃあ……じゃあ、みんな、これからも私に協力してくれるの?」
三人は当たり前だろう? とでも言うような顔で頷く。
どうやら、憂いているのはミアだけだったらしい。
解散後すぐに再結成されたチームに、ミアは歓喜を隠しきれなかった。
「ありがとう――ありがとう!」
思わず三人の手を一つ一つ両手で握りしめる。ぶんぶんと振る。
「ふぁ!」と目を輝かせるフェリックス。「わっ!」と目を剥くヘンリック。「お、おい!」と焦るマティアス。
三者三様の反応をしながらも、それぞれ笑顔だった。
(お母さん――待ってて。わたし、彼らとならきっとやり遂げられる……!)
一人では辿りつけなかった場所にも、力を借りて――いや、力を合わせてたどり着くことができた。一緒なら、きっと。最終目標まで上り詰められる。
ミアは改めてフェリックスの手を取った。そしてフェリックスはおどけた様子でマティアスの手を取る。ミアが空いていた方の手でヘンリックの手を取ると、彼は無表情で、だがちゃんとマティアスの手をとった。
四人は円の中心に手をまとめると、互いに笑みを見せ合った。
そして。
「来年も、どうぞよろしく!」
揃って見上げた空には、夏の星たちが燦々と輝いていた。
第一話 完
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