24 この気持ちを言葉にさせるのなら
部屋に重たい沈黙が落ちる。びりびりになったレポートを集めて、ミアは大きくため息を吐いた。部屋に蔓延する失望が徐々に体に染みこんで、ひどく体が重かった。それは皆なのだろう。沈痛な表情で黙り込んでいた。
やがてヘンリックが「終わったな」と、駄目になった計画書を複製版計画書と差し替える。
「……、んー……?」
計画書に書かれた「フェリックス=カイザーリング」という名をぼんやり見つめていると、ふと、一旦頭の外に放り投げていた先ほどの疑問が再び浮上した。
(マティアスは、フェリックス=カイザーリング……って言っていなかったよね……)
やがて、頭のなかで繰り返し再生され始める一つの名をミアは口に出した。
「エミル=フェリックス=レオナルト=ローエンシュタインって、さっき、マティアスが言ってたけれど……それって、第三王子のエミル殿下だよね……? フェリックスって……えっと」
口にしつつも頭が全力で否定しにかかる。考えがまとまらぬまま、すがるように見つめると、フェリックスが怯えた目でこちらを凝視していた。隣でヘンリックが呆れたように笑う。
「あぁ、やっとばれたんだ」
ミアはぎょっとして彼を見る。
「知ってたの!?」
「これだけ近くにいて気づかない方がおかしい。推理力が足りないんだよ。あの法科の子でさえ目星つけてたっぽいのに。しかも王宮にまで行って、マティアスのあの苦しい言い訳を聞いて気が付かないとか」
苦しい言い訳で悪かったなとマティアスが唸る。
「王子って……だからなの。あなた、自分の命がどれだけの重みを持つか知らないの」
今までのいろんなことがつながっていって、そして、彼がサナトリウムに飛び込んだ意味が初めて本当の意味でわかって、ミアは目がこぼれ落ちるのではないかというくらいに目を見開いてフェリックスを見つめた。
すべての人は平等だと、イゼアの中でもそんな思想が広がってきている。この王立学院はその先駆けだ。理想的だと、いつか本当にそんな世の中が来ればいいとミアも願っている。だけど――現状は違う。そんなに世の中は綺麗じゃない。命にはまだ重さの違いが確実にあるのだ。
「知ってるから、利用させてもらおうと思ったんだよ。あれが最善だと思ったんだ」
フェリックスは悲しげに頷く。貴族だからじゃない。お金があるからじゃない。王子だから。
彼が罹患すれば、国は薬を作らざるをえない。それだけではない。口に出さず、無いものとされてきた禁断の病が、彼が患者になることで明るみに出るのだ。
明るみに出てしまえば、無視することはできなくなる。興味をもつ人間が増え、研究は必ず進む。
だから感染しないという確証もないのに、いや、むしろ彼は感染してもいいと思ってサナトリウムに飛び込んだ。ミアの母を助けるために……ミアが泣かなくて済むように。
「どうしてそこまでしてくれるの」
「ミアだって見ず知らずの俺を助けてくれたじゃないか。俺は、君と同じことをしただけだ」
フェリックスはふわりとひだまりのように笑う。
「ちがう。だって、病人を助けるのなんて……当たり前のことをしただけよ?」
これまでにもずっと訴え続けていたけれど、何度でも言う。不思議でしょうが無いのだ。ミアには、自分にそんな価値があるとはとても思えない。
「俺にとっては全然当たり前じゃなかったんだよ。俺、この発作とずいぶん長く付き合ってるけど、命に別状がない発作だからさ、みんな表面上は心配してくれるけれど、どこかで安心してて真剣に対処してくれなかった。俺が望んでたのは、ああやって抱きしめて安心させてもらうことだったみたいだけど、誰もそれをしようとしなかった」
「でも、ご両親やご家族は?」
「母はいないし、父や兄は発作を起こすのは俺が弱いからだって。俺もそうだと思ってた。余り物で、間違いのように生まれてきた俺には何の価値もないんだとそう思ってた。だから……大事だって言ってもらえて、俺がどれだけ救われたと思う?」
フェリックスが抱える孤独に眉をしかめる。ミアは母と離れて過ごしたけれど、手紙で温かい言葉をもらえた。先生に励ましと自信をもらえた。
「それでも……、もし罹患したら、命を落とすかもしれないのよ?」
「だって、伝染らないっていう仮説を本気で信じてたから」
彼はちらとヘンリックを見やる。苦笑いをして近づいて、ミアの頭を胸に抱え込む。そしてギュッと抱きしめたあと、ミアの頬を両手で挟んでじっと目を覗き込んだ。
「……って、理屈じゃないんだよ。はっきり言わないと伝わらないんだろうな。でもこの気持ちを言葉にさせるのなら、もう俺は、逃がさないよ? 幸か不幸か、そういう権力を持ってるから」
ミアは慌てて首を横に振って待ったをかけた。確かに胸はどくどくと高鳴り、頬は熱くなって、確実に彼を意識している。だけど……彼は王子でミアは庶民だ。簡単に事が運ぶなどと楽観的には思えない。選ぶ覚悟は、ミアの方にこそないのだ。なにより――
ミアは息を大きく吸って、口を開く。声はかすれ、囁き声になってしまう。
「……ありがとう、わたし、フェリックスの気持ち、すごく嬉しいよ」
ぱっとフェリックスの顔が輝く。子供のような笑顔を見て少しためらったけれど、「でも」とミアは続けた。
「わたし、やっぱりお母さんの事、《悪魔の爪》のことを一番に考えたい。じゃないとわたし、きっといつか後悔すると思う。あのとき全力でやらなかったからっていう後悔は絶対したくないの」
ミアが正直に自分の気持ちを口にすると、彼は一瞬息を呑んだ。だが、すぐに柔らかい、いつもどおりの笑顔を浮かべてミアを見つめてくれる。
「わかった。俺も、まだ君の前ではただのフェリックスでいたいし。みんなでわいわい騒ぐのも悪くない」
甘い眼差しの中に僅かな苦味を見つけて、ミアがどきりとすると同時に、ヘンリックが小さく突っ込む。
「あーあ、やせ我慢しちゃって」
フェリックスはきっと彼を睨んで「俺はミアが頷くまでいくらでも待つつもりだけど、誰にも渡す気はないからな――とくに君には!」と指を突きつけた。まるで子供のようなその仕草にミアは思わず苦笑いをする。
何か、いろいろ台無しなところが、とても彼らしくて――――大好きだと思った。
「エ、……じゃなくってフェリックス……どうしてあんた、そう残念なんだ……」
マティアスがぐったりと頭を抱えこむが、彼の口にするフェリックスという名が、あんたという呼び方が、耳に心地よかった。
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