23 新技術――マギラ・エーラ
すごく近いというヘンリックの予想どおりで、マティアスが徒歩で案内したのはキングストリートの突き当り、なんと王宮だった。威圧感を放ち続ける尖塔を見上げながら、フェリックスがどうしてここにいるのかと訝しんでいると、マティアスは門で「エミル王子殿下にこれを渡して欲しい」と計画書に手紙を添えて手渡した。
「エミル王子?」
エミル王子と言うのは、イゼアの第三王子だったような――ミアは目を丸くする。
するとすかさずマティアスが説明を挟んだ。
「あいつの家はちょっと複雑だから、理事長にここに預けられているんだ。大丈夫、あいつと殿下は友達だから、ちゃんと届けてくれる」
とマティアスは納得行くような行かないような答えを返してきた。
「王子とともだち?」
世界が違いすぎる。ミアの隣でヘンリックも納得行かないのか「ともだち、ねえ」とぼやいている。
しばらくしてから戻ってきたのはサイン済みの計画書のみ。フェリックスは現れないのかと問うと、自宅謹慎中ですから外出はできません、と門番はそっけなく告げた。
談話室に戻ってヘンリックに罠についての説明を受ける。そして準備を終えたミアたちがやってきたのは薬科の校舎だった。『不在』の札が出たリューガー教授の部屋を素通りすると、深呼吸をして隣の準備室に入室する。
「ミア?」
アインツ先生は眼鏡の奥の目を見開いた。
「アインツ先生。お体の調子はいかがですか?」
「ええ。熱はすぐに下がったの。本当に昨日はごめんなさいね。あんなに一生懸命やっていたのに。どうしてか急に体調が悪くなってしまって……気がついたら夕方だったから、本当に慌ててしまって……」
多少疲れた顔をしたアインツ先生の手元には、生徒が提出したレポートがあった。いつもどおりに事務仕事をこなせるくらいに回復しているようだ。
「夜間に搬送されるようなご病気だったんですし、仕方ないですよ。もう大丈夫なんですか?」
昨日味わった絶望感を思い出すと怒りがにじむのがわかる。それでもミアはかろうじて笑顔を浮かべることが出来た。
先生はミアの笑顔に心底ホッとした様子で頷くと、
「これ、せめてお詫びをしないとと思っていて。あとで談話室に行こうと思ってたのよ。お菓子、みんなで食べてね」
綺麗に包装された菓子箱を差し出す。受け取ろうとして、ミアの手から箱が滑り落ちた。衝撃で中の菓子が壊れる音がした。
「ごめんなさい、ちゃんと手渡さなかったから……!」
アインツ先生が慌てて菓子を拾って、今度こそと、ミアの手をとって、しっかり握らせた。ミアはうつむいたまま「こちらこそすみません」と謝る。
気まずい空気が流れかける。それを断ち切るようにヘンリックが本題を口にした。
「自宅謹慎中のフェリックスのサインを入れてきたんですが、リューガー教授がご不在みたいなので預かっていただけますか」
「あ……ええ、もちろん! 今度こそきちんと届けるから」
先生は破顔して、計画書を受け取った。そして彼女は封筒からそれを出して、中身を確認する。
「ええ、確かに。間に合ってよかった……」
計画書を撫でるアインツ先生は、心から喜んでいるように思えた。
それを見届けたミア、ヘンリック、マティアスは準備室から出る。そして足音を立ててその場を離れ、すぐに薬科校舎の北側に広がる裏庭へ回った。足を潜めてリューガー教授の部屋に近づくと窓を見上げる。
「餌は撒いた。動くかな」
じっと待ちながら手の中の菓子箱から菓子を出す。それは手作りなのだろうか。割れているけれど、いつもどおりに美味しそうだ。バターの芳醇な香りがミアを誘ってくる。だが、とてもじゃないけれど今は食べる気にならない。
「次はどうするのかな。破る? 燃やす?」
ミアはポツリとこぼす。
「でも複製はいくらでもあるぞ」
マティアスがどうだ! とでも言いそうな顔で懐から封筒を三つ取り出す。三人で量産したのだ。何回破棄されようと、何度でも作ってやるとミアは思っている。
「うん。だから……僕だったら、一番効率のいい方法をとる。願わくはそうしないで欲しいと思ってるけど」
がたん、と窓の向こうで大きな音がする。直後、リューガー教授の声が部屋に響いた。
『そこでなにをしている? アインツくん』
『教授、いらっしゃったんですか……? 先ほどミアさんたちがご不在だからとこれを預けていったのですが――』
一瞬の間で、部屋の温度が冷えたのがミアにもわかった。直後、響いた声にミアは膝が砕けるような気分になった。
『アインツくん!? なぜそれを破っているんだ!?』
『………この計画書は危険です。世に出す訳にはいかない。だからコンペで通すわけにはいかないのです』
『まさか……君が、妨害をしていたのか――なぜ』
『悪く思わないでくださいね、教授。少しでも疑われたら、私たちは破滅なのです』
ヘンリックが厳しい顔で立ちあがると、マティアスを見る。
「僕は、窓口がなくなれば――理解してくれる人間がいなくなれば、いくらスペアがあろうと計画書は通らないと思った。だから、教授と『彼』に頼んでおいた」
ヘンリックが窓枠に手をかけると同時に木の上から飛び降りる影があった。その人影はなんなく窓に飛び移ると素早く準備室に進入する。同時にマティアスは魔法の詠唱を始める。風が動く。彼の身体がふわりと浮いた。
ミアも遅れを取るものかと、窓枠にしがみついて体を持ち上げる。覗きこんだ教授室の中では、教授との揉み合いでアインツ先生の眼鏡が外れたところだった。
(え?)
アインツ先生の眼鏡が外れたとたん、彼女の本当の眼の色が見えた。赤い目をしたアインツ先生はまるで別の人間と言ってもいいくらいに印象がちがう。それを見て、ミアは唐突に思い出す。不可逆反応を起こした記憶が色に触発されて再構築されたのだ。
(この、顔、この目――!)
覚えていた赤はタイの色ではなかった。それはミアが薬草園で見た、自分を凍らせた犯人の顔だった。
「お覚悟!」
アインツ先生が鋭く言うのと、
「いまだ! フェリックス!」
ヘンリックが叫ぶのは同時だった。まるで爆破されたかのように勢い良く準備室の扉が弾けた。飛び出してきた自宅謹慎中のはずのフェリックスに、アインツ先生の動きが一瞬止まる。
「魔法の詠唱時間は、大いなる弱点だよな」
彼は旋風のようにアインツ先生に跳びかかって、彼女の口にハンカチを詰め込んだ。
「そして口さえ塞げば何もできないってのも弱点だ!」
信じられないほどの早業にミアは思わず目をこすった。だが、直後アインツ先生は大きく足を蹴り上げて身体をねじると、片腕を取り戻す。そしてフェリックスを振り切ると口からハンカチを吐き出した。
「それはどうかしら?」
続けて懐から取り出したのは、ナイフ。白刃を一振りすると、フェリックスの制服の胸のあたりが切り裂かれた。彼女はさらに彼を突き刺そうとする。その身のこなしはとてもじゃないけれど、教員のものとは思えなかった。
「危ない! フェリックス!」
ミアは窓から飛び降りる。勢いでフェリックスを突き飛ばそうとして、「ミア、駄目だ!」と逆に背にかばわれた――その時だった。
「我を取り巻く風の精霊よ、我が主を守りたまえ! ヴォカーレ・サルファティオ、ヴェントス・フルーメ! エミル=フェリックス=レオナルト=ローエンシュタイン!」
マティアスが念じ、
「わ、マティアス、その名を呼ぶな!」
フェリックスが悲鳴に近い声を上げ、
「この非常時に文句言うな! 真名でないと精霊が理解できねえんだよ!」
マティアスが叫び返した直後、ミア達の前には分厚い風の壁が現れていた。
ナイフはマティアスが創りだした突風に吹き飛ばされて、部屋の壁に刺さっていた。
「ローエンシュタイン……?」
アインツ先生は目を見開いてフェリックスを見たあと、構えていた二本目のナイフを取り落とす。そして、そのままマティアスを見る。
「……あなた、魔術科の一年じゃなかった? 十六歳じゃ、精霊使いはまだできないから、授業でもやっていないでしょう?」
彼は、今にもはちきれそうな似合わないブレザーを直しながら言った。
「あいにく、すこぶる不本意ながら、年を随分ごまかしてんだよ。それにあんたも言ってなかったけな。教科書ってのは、自分のペースで読めるもんだ」
戦意喪失と言った様子のアインツ先生を、傍に居たリューガー教授がすぐさま取り押さえる。次いで、机にあったテープでぐるぐると巻き上げた。
(年をごまかして――? ん? 今さっき、何かとんでもない名前が聞こえなかった?)
頭のなかでぐるぐると情報が錯綜した時だった。部屋の出入り口から白金の頭が現れ、ぎょっとする。それは今になってようやく現れたヘンリックだった。
彼は「あ、ごめん、全部終わってた」と詫びを入れつつも一人涼しい顔だ。さっき一緒に窓枠をよじ登っていたはずだが、結局校舎をぐるりと回って正規の入り口から入ってきている。つまり――
「まさか……の、登れなかったの?」
だとすると、どれだけ腕力がないのだろう。彼は飄々と頷いた。
「僕が運動ができるように見える? 懸垂なんか普段すること無いし、幼児の時から剣を持たされてるような、そこの二人と同じと思ってもらうと困る。鍛え方が違う」
(いや、でもわたしでも登れたんだけど……)
いっそ堂々と胸を張る彼に呆れていると、ヘンリックはここからが僕の出番だとでも主張するように、アインツ先生に向かって尋ねた。
「アインツ先生、あなたは軍の人間ですね? もう言い逃れはできないと思いますけど?」
拘束されたままのアインツ先生は、ヘンリックに破れたレポートを指さされて顔を歪める。
「今のは罠だったのかしら?」
「リューガー教授にも協力していただきました」
ヘンリックが頷く。
「どうして気がついた? 私、あなた達をきちんと手なづけていたつもりよ」
「疑いたくなかったです、先生。あなたも教授と同じく、熱心な教育者だと信じたかった」
ヘンリックは冷淡な眼差しでアインツ先生を睨んでいた。
「――答え合わせをしようか?」
ヘンリックは口調を変え、敬意をかなぐり捨てた。目つきも鋭さを増す。
「あなたは確かに上手くやっていた。甘い菓子と甘い言葉で僕達の信頼を勝ち取っていた。だけどさっき致命的なミスを犯したんだ。フェリックスという《悪魔の爪》に罹患しているかもしれない人間がサインを施した計画書を、あなたは何の迷いもなしに受け取った。フェリックスのことは騒ぎになってたから知らないとは言わせないし、一緒にいた僕らの感染を疑って怯えてもおかしくない。そうしなかったのは、あなたが《悪魔の爪》に感染性がないことを知っていたからとしか考えられない。そしてそれを今の時点でそれ知っている人間は、そのことに確信を持てる人間は――隠蔽した側の人間でしかない。決定的だったよ」
理詰めで追及されて、先生は静かに唇を噛んだ。
「どうして、先生」
あんなに優しかったのに。ミアは呻くように問う。
「……この計画書が世に出れば――魔術師軍は保てなくなる。軍は力を失い、そうすれば未だにくすぶっているラディウスの生き残りが黙っていない。内部分裂が引き起こされて、国は破滅に向かうわ。
アインツ先生は自分の正義を語る。
「ふうん、新技術は、
思わず漏らしたという様子のアインツ先生に、ヘンリックが皮肉る。皆の視線を受けて、アインツ先生はうろたえる。だが、すぐに動揺を押し隠し、訴えた。
「だから、私達は長い間、こうやって芽を摘んできたの。生徒たちは楽な方に流されるもの。壁を作って、逃げ道を示してあげれば簡単に誘導できたわ、あなた達が来るまではね。……私を捕らえたからって安心しないことね。私以外にもまだたくさんいる。国を守るために心身を捧げた人間が! 《悪魔の爪》の患者にしたってね、むしろ、国のための御役目だと喜んでくれてもいいくらいだわ!」
「国のためには、少数の犠牲は仕方ないと?」
険しい顔でフェリックスが追及する。
「……これ以上の患者が出ないように、吸入魔力の調節はどんどん進んでいるわ。だから、これから患者数は激減する」
「それは、注入魔力の調節をしてるということですよね? ――《天使の涙》の患者を出さないために、ですよね?」
ごまかされるものか。ミアが言い直すと、アインツ先生は黙りこむ。
「君には失望したよ」
リューガー教授が悲しげに言って彼女に轡をはめる。外へと連れて行かれるアインツ先生の背中は、いつもどおりにピンと伸びていた。――私は間違っていない、ミアにはそう言っているように思えた。
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