21 武器の使いどころ

 初めての自動車オートモービルは、運転手の腕が悪いのか、路が悪いのか、ガタガタと揺れる。自動車が跳びはねるたびにミアたちの体も同じく跳ねた。これはまずいと、ミアはかばんの中から酔い止めを取り出して飲む。そしてヘンリックたちにも飲ませた。揺れる自動車にしがみつきながらミアは呟いた。


「それにしても、どうしてこんな馬鹿なこと! まだ仮説は仮説にすぎないのに――」

「そんなのミアのために決まってるだろ」


 ヘンリックが苛立った様子で言い捨てる。


「わからないとは言わせないよ? そうしてみるのは、確かに仮説を立証するための材料の一つになる」


 心の隅っこにあったけれど、絶対に使うまいと思っていた証明方法。ミアでも迷いがあったのに、赤の他人のはずのフェリックスがやってしまった。


「……自分の身で証明しようとしたっていうの」

「そうだろうね。馬鹿だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった。方法ならまだあるのに――せめて相談しろよ。フェリックスは随分自分勝手だ。僕たちは仲間だろう」


 ミアは目を見開いてまじまじとヘンリックを見つめた。


「仲間……って思ってくれてるの?」


 ミアの言葉にヘンリックは珍しく声を荒げた。


「はぁ!? あー、ミアって僕のことそういう風に見てたんだ。言っとくけど、フェリックスの自分勝手さはミアに比べたらかわいいものだからね」


 彼は耳まで真っ赤だった。ものすごく怒っている……のだろうか。それとも照れだろうか。嬉しくて、そんな場合じゃないのになんだか笑いそうになるのを堪える。マティアスが苦笑いをしながらヘンリックの白金の髪をもしゃもしゃと撫でる。


「大丈夫だ。おまえの仮説は、間違ってない。フェリックスには伝染らない。あいつはそう信じてるからこそ飛び込んだんだ」


 マティアスは励ますように言う。


「俺も信じる。じゃないと、俺、首が飛ぶしな」

「首?」

「なんでもねえ」


 マティアスが口をつぐむと同時に車がブレーキをかける。麦の穂の香りが鼻をかすめる。窓の外には、先日訪ねた円柱型のサナトリウムが威嚇するように佇んでいた。教授たちに続いてミアたちも車から降りる。

 非常時だからか、門番があっさりと門を開けていた。

 おとなしく付いて行っていると、マティアスが急に立ち止まり、ミアは大きな背中にぶつかって足を止めた。

 見ると、大きなホールの真ん中で、フェリックスが防護服を着た医者らしき人に取り押さえられている。縄でぐるぐる巻きにされて椅子に固定されている彼は、まるで凶悪犯のよう。

 金髪を振り乱し、普段の穏やかさをかなぐり捨てた彼は、切羽詰まった声で何度も訴え続けていた。


「早く理事長を呼んでくれ」


 例のヒゲの紳士が室内に入るなり前に歩み出た。つまり、彼が理事長なのだろうけれど、入学式には居なかった気がする。

 助手らしき人が、沈痛な面持ちで言う。


「彼は、壁を乗り越えてサナトリウムの内部まで侵入し、患者と接触しました。前代未聞の事態です。学院の教育はどうなっているのですか。非常に残念です」

「……おまえはどうしてこんな馬鹿をやらかすかねえ……」


 呆れ顔の理事長は一歩前に出る。だが感染への恐れのためだろう。十歩は離れているだろうという場所で立ち止まってしまう。


「理事長。俺は《悪魔の爪》に罹りました。俺のために薬を作ってくれるでしょう? 貧しい人間のためには作られない薬でも、俺のためなら作らざるを得ないはずです」

「そりゃあ……だが、上が何というやら。私の立場はそう大きい物じゃないんだよ」

「腐っても王族でしょう。上に意見はできる立場です。議会に働きかけて、予算を絞り出してください」

「腐ってもって……ねえ、ひどくない?」


 理事は悲しげに顔をしかめて、周囲に同意を求める。


(王族、なの……?)


 ミアは初めて接する高貴な人物を、思わずマジマジと観察してしまう。白髪混じりの金髪に、青い瞳という華やかな色を持つには持つけれど……はっきり言ってしまえば立派なのはヒゲだけで、普通のおじさんにも思えた。とてもじゃないが、権力者には見えない。なんというか、覇気がないのだ。


「カイザーリングのために薬を作るって……どういうことです?」


 リューガー教授が問いかける。だが直後、彼は何か閃いたのか、ぽんと手を打って「あぁ……なるほど」と頷いた。

 ヘンリックが「へえ、馬鹿は馬鹿なりに自分の武器と使いどころは知ってたってわけだ」と少し悔しそうに呟き、ミアも察する。

「わたしが、言ったからよ。庶民が病気になっても薬は作られないって。だから彼は、彼は貴族だから――」


 あの時の覚悟を決めたような顔の意味がわかって、ミアは胸が締め付けられるような気持ちだった。ぐっと胸の前で拳を握りしめる。


「わかってやれ」


 マティアスがため息を吐きながらミアの頭をぽんぽんと撫でる。そうされるとずっと年上の人のように思えて、甘えてもいいような気がした。こらえていた涙が溢れる。


「わかってるつもりだったけど……ここまですると思わなかった。こんなこと、望んでなかった」


 ミアは震える手で自分を抱きしめた。


「ここまでされること、わたしやってないもの」

「恩返しじゃねえんだよ。あいつには見返りなんか要らないんだ」

「うん」


 もう違うなどとは言えないと思った。彼は自分が与える優しさに対価など求めていない。与えるだけで満足している。そういった感情には思い当たるものがあった。


「ミア」


 声に顔を上げると、フェリックスがミアを見ていた。


「本当は、こんな方法は取りたくなかった。自分の力だけで君を助けたかった。でも、こうすれば全て解決する。――君の泣き顔はもう見たくないんだ」


 そう言うと、フェリックスは花が開くように微笑んだ。


 君が好きだ。


 ミアには彼がそう訴えているようにしか思えない。胸がぎゅっとなり、また涙が出そうになる。

 ミアは周囲が悲鳴を上げて止めるのを無視して、一歩、二歩、とフェリックスに近づいた。


「ミア=バウマン、止まれ! 彼に触れてはならない。感染が拡大したら国は終わる!」


 理事長が血相を変えて叫ぶ。

 ヘンリックがそれを見て「そうか。炙り出せるかもしれない」と呟いた。そして直後、彼とマティアスはミアに倣い、フェリックスに近づいた。


「ヘンリック=ヴィーガント! マティアス=ヴァイス! やめなさい!」


 リューガー教授も叫ぶ。だが、他の教師も、声で制しはするものの、感染への恐怖はあるのだろう。体を張ってまでミアたちを止める覚悟はないようだった。

 それを見てヘンリックは不可解そうに首をかしげると、急に足を止めた。そして注意深く周囲を見回し、再び首を傾げた。

 ミアは一人でフェリックスに近づく。すると医師と思わしき女性がミアの前に立ちふさがった。教師陣が一様にほっとする。


「下がりなさい。あなたも伝染らないなど馬鹿なことを言っているの?」

「馬鹿なことじゃない。本当に伝染らないわ。伝染らないって、わたしたちは信じてる。これから皆で証明するんだもの!」


 しばしミアと医師は見つめ合う。


(ただの思いつきじゃないの。わかって下さい)


 ミアは目をそらさずに、必死で願った。やがて――彼女はミアに道を譲った。


「あなたがミアね。レッツの愛弟子の」

「先生をご存知なのですか?」


 驚いて問う。


「医師会であなたについてよく話をしたわ。と言っても、一年に一回しか開催されないけれど」


 医師はそれだけ答えると続ける。


「わたしも、あなたの仮説を支持するわ。ここに来てからずっと、あなたたちみたいな人がここにやってくるのを待っていた。外への扉が開くのを待っていた。レッツは真実をなんとか明るみに出したいってずっと言っていたけれど、蒔いた種はちゃんと育ったのね」


 医師は背筋をしゃんと伸ばすと、ぐるりと皆を見回した。そして大きく深呼吸をすると、言った。


「彼は罹患していません。当たり前じゃない――《悪魔の爪》はのだもの」


 とたんそばに居た助手が跳ねるように医師に跳びかかった。そして襟首を掴むと壁にどんと押し付けた。


「主任、何か言い間違えられたようですが?」


 とてもじゃないが上司への態度ではない。周囲の空気が凍る中、医師は苦しげに、だけど、しっかりと反論した。


「何が主任よ、わざとらしい。わたしはここに患者と一緒に軟禁されていたのよ。患者が外部の病原菌から接触を絶たないと命を落とすのと一緒。私は――いえ、私達医師は外部とのつながりを極力断たないと生きることを許されなかった。この人達は助手の顔をした、看守よ」


 医師は訴える。助手が鋭い目で医師を睨んでいる。視線で射殺せそうだとミアは思う。

 もしここに部外者が居なければ、そうしていたのだろうとわかってしまってゾッとする。

 そして今更思い出す。レッツ先生が、施療院の敷地から出かけるところをほとんど見たことがなかったと。つまり、彼もこの医師と同じく軟禁されていたのかもしれない。そして――ミアに何も知らせなかったのは、ミアから自由を奪いたくなかったからではないだろうか。


「あなたは自分で彼らを助ける役目に志願されたのでしょう。黙秘は契約の条件に入っていたはずだ」


 助手は冷たい声で問いかける。だが、医師はひるまない。覚悟を決めた目で助手を睨み据えた。


「患者を人質にされれば、それは黙るわよ。私はここの人達を助けたかったんだから。風邪を引いただけで死んじゃうような人たちを。誰も助けてくれない、薬さえ作ってもらえずに朽ちて果てていきそうになっている人たちを」

「薬は、作っている。だが作れないだけだ」


 助手が声を荒げる。ミアは腹の底から湧き上がる怒りに突き動かされた。


「違うわ! 作ろうとしていないだけよ! 《天使の涙》を優先して、後回しになっているだけ。だって、これから《悪魔の爪》という病は発生しないから! ――今罹患してる人が死んだら、薬が必要じゃなくなっちゃうから、今をやり過ごそうとしているだけ!!」


 しんと静まり返る部屋の中で、不可解そうな顔をしているのは数名だった。


「どういう意味だ?」


 代表してリューガー教授が反応した。


「ミア、これを」


 ヘンリックが封筒を差し出す。涙を拭い、ミアはそれを開けて驚く。そこにはミアたちの計画書が入っていたのだ。


「どういうこと……?」


 確かに出したはずの計画書が、何故かここにある。


「保険はアインツ先生を使うこと一つじゃ足りないと思ったんだよ。――教授、これと同じものを、僕とマティアスの名前でポストに出したので、後で調べて下さい。気に入っていただければ、後で残り二人の名前を追加していただけたらと思います」

「君とマティアス=ヴァイスの名前だけで?」

「ミアの名前を書くと妨害されそうだったので」

「確認しよう」


 リューガー教授はためらいつつもミアから封筒を受け取った。


「《悪魔の爪》の発症原因は、体内魔力の極度の低下のための免疫不全である。彼らから取り出した魔力はノイ・エーラの技術改良にて人に直接注入され、人工の魔術師が作られる。体内魔力の過度の増加――それが《天使の涙》の発症原因になっている……?」


 概要のはじめに書かれた結論を読み上げたリューガー教授は、途中で真っ青になって理事を見た。理事も眉を上げて、続きを促す。教授はすぐに続きを読みはじめる。


「そう考える根拠は――

 一つ目は二つの病の発症時期がほぼ同時であること。

 二つ目は同じ年齢の《悪魔の爪》の患者が群発していて、そのすべての患者が『王立学院の魔術科』を受験して不合格になっていること。

 三つ目は、同年入学した魔術科の生徒に《天使の涙》の発症者が多いこと。

 なにより、《悪魔の爪》は感染しない可能性が高い。

 ※ミア=バウマンは、罹患者である母の手紙からの接触感染がなかった。

 それなのに必要以上に隔離されているのは、感染以外の理由が考えられ、隠蔽だと考えると辻褄が合う――」


 そこまで読み上げると、理事がうんざりした様子でフェリックスを見やった。


「大胆かつ危険極まりない仮説だな……」

「でも、裏付けはいくつか取れたはずです。カルテの生年月日、分析は済んだでしょう?」


 フェリックスがにやりと不敵に笑う。


「……おまえは本当に厄介事ばかり起こす。面倒がきらいだから、私はこういう閑職についてるわけだが」

「給金分は働いてください」


 二人がやり合うのを隣で見て、


(なんか、すごく親しそうなんだけど……どういう知り合い? 留年してるからその関係?)


 ミアは二人の関係に一瞬思いを馳せた。だが興奮した様子のリューガー教授がぶつぶつと呟いたので、そちらに意識を戻す。


「この仮説が本当なら、魔術師を失いたくない軍部は必死で隠そうとするはずだな……ああ、だから、《天使の涙》ばかりに多額の研究費が降りて、《悪魔の爪》には研究費が降りないのか」

「そうなんですか!?」


 ミアが目を剥くと、リューガー教授は頷いた。


「他の病には後援者がいない。それが、教授陣が《天使の涙》を研究させる理由だ。金がないと何もできないからな。だが、コンペで認められれば、直接研究費が降りる。コンペなら文句は誰にも言わせない。君たちのテーマをなかなか通せなかったのは、入賞を狙えるものにして欲しかったからだ。熱意がある生徒の味方になってやりたかった」


 ミアは初めて教授の真意を知って目を丸くする。あれは、ただの意地悪ではなかったのか。


(うわああ……壁とか言って、ごめんなさい!)


 申し訳無さと恥ずかしさで小さくなるミアの前で、


「これなら、通るでしょう?」


 ヘンリックがにやりと笑い、リューガー教授が頷く。


「法科、魔術科、医科、薬科、全部が纏まらないとできなかったことだな。こんな面白いもの、没になどさせてたまるか。これは、私が絶対に通してみせる」


 強い意志の宿った目でリューガー教授は他の教師を見る。軍部を敵に回すというのが怖いのだろうか、魔術科のバール准教授は困惑顔をしていたし、校長と法科のケステン教授は目を逸した。が、理事長だけは静かに頷いていた。

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