19 信じられない結末

 そうしてやってきた締切日。計画書の提出期限は夕方だった。ミアたちと同じく、この日に合わせて計画書を作った面々は、それぞれ肩の荷を下ろしているらしく、教室内には開放感が漂っている。

 四限目終了の鐘が鳴る中、リューガー教授が最後の確認をとっていた。


「出し忘れている者はいないか?」


 ぐるりと教室内を見渡していた教授と目が合う。だが昨日提出したと余裕で授業を受けていたミアは黙ってうなずいた。それを見て教授は「これにて締め切りとする」と宣言した。

 コンペに参加したクラスメイトたちがめいめいに「終わったー!」と羽を伸ばしている。ミアも開放的な気分で教科書をまとめて片付けていると、リューガー教授がやってきた。

 珍しい。そう思って目を丸くしていると、教授は小さくため息を吐いた。


「君たちは結局諦めたんだな。あれだけ煩わせたくせに。落胆したよ」


 がっかりした様子で彼はミアの肩を叩いて教室を出て行く。


(どういうこと? ――どういうこと!?)


 意味がわからずに、薬科校舎に向かうリューガー教授をミアは追いかける。裏庭に出たところで、ミアは大声で教授を呼び止めた。


「教授! あの、内容がそんなにだめだったってことですか!?」


 だが教授は立ち止まりもせずに、背中にすさまじい不機嫌さをにじませた。


「内容も何も、提出していないのだから評価のしようもない」


 うそ。ミアは蒼白になる。


「あの! 教授、昨日わたし達、提出したんですけど!」


 教授は振り返ると不可解そうに眉をひそめた。


「今朝ポストを見たときには、入っていなかったが?」

「アインツ先生に預けたはずです! 直接手渡してくださるって――」

「え――あぁ、彼女、高熱で今日は休んでいるんだが。昨夜、倒れて施療院に搬送されてな」

「ええ!?」


 足元から冷たいものが這い上がってくる。まさかと思う。いくらなんでも、偶然にそんなことが起こってもいいのだろうか。だって、昨日の夕方、彼女は元気そうだった。疑いがむくむくと湧き上がるが、ミアはひとまずそれを頭の隅に追いやった。今は、計画書だ。


「今から、出しますから」

「だめだ。先ほど締め切りを宣言したはずだが? 何度も確認しただろう」

「それは、出したと思っていたから……!」


 ミアは青ざめてその場に崩れ落ちる。


「残念だが……規律をわたしの一存で緩める訳にはいかない」


 穏やかな口調だったけれど、拒絶するような冷たい声色だった。リューガー教授は怒っているようだった。


「私は、期待してたんだよ。君たちならやってくれるんじゃないかと。だけどやはり最初の印象通りに、詰めが甘かった。それではだめなんだ。命を扱う者として、半端なものは通すわけにいかない。君がいるのはそういう世界なのだよ。それほど大事なことなら、どうして他人任せにせず、直接届けに来なかった」


 せめて出していてくれれば、未熟さは補えたのに――リューガー教授は口惜しそうに言い置くとその場を去る。あんまりな結末に、ミアは呆然と立ち尽くしていた。



「どういうこと」


 嘘だと思いたかった。


「どういうこと――!?」


 ミアの悲鳴に裏庭の往来が動きを止める。だが構っていられない。

 アインツ先生が高熱で休む? 彼女はミアたちがどれだけあの計画書にかけていたか知っていたはずではないのか。病を押してまで届けろとは言わないけれど、連絡くらいくれても良かったのではないのか。

 くすくすという笑い声が後ろで立ち上り、ミアはゆっくりと振り向く。笑うために追いかけてきたのだろうか。そこには予想通りの人物が居て楽しげに微笑んでいた。


「男三人に囲まれて浮かれているから、こういうことになるのよね」


 女子の意地悪な視線に囲まれる。輪の中には薬科の子もいたけれど、驚くほどに、誰もミアの味方をしようとはしていなかった。


「法科のフェリックス=カイザーリング、魔術科のマティアス=ヴァイス、医科のヘンリック=ヴィーガント。家柄、血統、才能にそれぞれ恵まれた、魅力的な、特上の男の子を三人も捕まえて、ずいぶん楽しそうだったじゃない? もう充分でしょ? 平等を謳う学院なんだもの。ちゃんと均等に機会を振り分けてもらわないと」


 ミアには彼女の言葉がどこか異国の言葉にも思えていた。どうしてこれほどにまで見えるものが違うのだろうかと不思議でしょうがない。


「あなたたちなの?」

「何が?」


 アンジェリカが笑う。ミアは追及する。


「アインツ先生に何かしたのはあなたたちなの!? ――わたしを凍らせたのと同じ方法を取ったんじゃないの?」


 口に出すとそれが真実に思えた。突然の高熱――ミアにも覚えがある。


「はぁ? 馬鹿を言わないで。わたしたちは何もしてないわよ! いい気味だってあなたのことを笑いに来ただけ!」


 ふん、と鼻で笑ってアンジェリカは立ち去ろうとするけれど、ミアは彼女の手を握って逃さなかった。怒りで今にも泣き出しそうだった。


「離しなさいよ!」

「お母さんが――人がたくさん、死んじゃうのよ。それでもあなた、笑っていられるの」


 するとアンジェリカはきっと眦を釣り上げた。


「いつも被害者面して、わたし、あなたのそういうところ大嫌い。自分ばっかり可哀想だなんて思わないで。何がお母さんよ。わたしの母なんて、もうとっくに死んでるわ」


 思いもしないことを言われて、ミアは目を見開く。


「乳母に育てられてたから、居ないも同然だったし、全然悲しくなかったけどね。貴族なんてどこもそんなもの。下手したら母の名前も顔も知らない子だって居るの。だから、わたし、母を助けたいとか言う気持ちも、母を失いたくないっていう気持ちもさっぱりわからない。そう、わからないから、……笑えるのよ」


 手の力が緩んだ隙にアンジェリカは立ち去った。

 怒りと悲しみを向ける先を失ってミアはしばし空中に目を彷徨わせる。やるせなさが湧き上がり、ミアは立っていられなくなった。

 ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきて、地面に丸い水玉模様を描き始める。やがて模様はなくなり、あたり一面に灰色のベールが覆いかぶさる。色彩が失われていく。まるでミアの希望のように。


(だれか、助けて。――フェリックス)


 気がつけばミアの目はフェリックスを探していた。

 彼はいつもミアが辛い時に駆けつけてくれた。慰めてくれた。だからきっと今もやってきてくれると思っていた。

 だが、今日はいつまでたっても彼は来なかった。


 いつしか日が暮れたが、雨空には月も星もない。闇の中で佇むミアのところに代わりにやってきたのは、必死の形相をしたマティアスと珍しく青ざめたヘンリックだった。


「ミア――」


 彼らが持ってきた知らせ。それは学内を揺るがすような大きな事件だった。


「フェリックスがサナトリウムに侵入した。そして《悪魔の爪》が伝染ったって大騒ぎしてる!」

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