18 締め切り前日
放課後の空き教室には夕日が差し込んでいる。冬は過ぎ去り、日はどんどん長くなってきて、春の訪れに心が弾む時期のはずだった。だがミアはそれに比例するかのように焦りをつのらせていた。四月の復活祭が過ぎれば、もう計画書の提出はすぐだからだ。
冬休みが終わった後も、ミアたちは休日ごとに数回に分けて患者の遺族に話を聞きに行った。そしてこの間の偶然が偶然とは言えないということを突き止めてしまった。患者のすべてが王立学院を受験していたことが発覚してしまったのだ。仮説はより一層現実味を増し、見過ごすことができないほどの疑いをもたせた。
あまりの重大事に、ミアたちは談話室での打ち合わせを避けるようになっていた。人に聞かれていい話ではないという全員の判断だ。
特に今日は計画書のまとめに入っていたため、秘密裏に話せて黒板が使える場所が使いたかった。アインツ先生に頼んで、薬科の空き教室の鍵を借りたのだ。
「《天使の涙》の症状は、とにかく暴力性の増加、発狂に至るほどの感情の暴走だ。受け付けないほどの魔力を身体に無理に入れられると、発狂もするか」
ミアはフェリックスの言葉を黒板に板書しながら、ちらりと彼の顔を盗み見る。やはり彼の顔は少し曇っている。いつもが太陽のような明るさを保っているから、少しでもかげるとすぐに気づいてしまうのだ。
フェリックスが《天使の涙》の話になると沈んだ表情になるのは、どうやら『クリス』という友人を彼の病で失ったせいらしい。
先日彼が叫んだ言葉をミアは思い出す。聞いたこともないような、血を吐くような声。牙を剥いたような表情だった。思えば、ミアの看病をしにやってきたときも切羽詰まった様子で薬を飲ませようとした。あれはミアをそのクリスという失った友人に重ねていたのかもしれない。
(クリス――って男の子かな。それとも――)
女の子だったら? ついついそんなことを考えてしまい、ミアはそんな自分に戸惑った。胸を支配するもやもやを振り切るようにして、ミアは付け加えた。
「一方、《悪魔の爪》は無気力、体力の低下、免疫不全。これが魔力を奪われたせいだと考えるってことよね」
「生まれつきあるものを途中で無理に加えたり奪ったりすれば、バランスが崩れるのも無理がない気がするな……俺も実習で魔力使いすぎた時は、次の日起き上がれない。無理に吸い取られたら、体調崩しそうな気がする」
そう言うマティアスは一人窓際でため息を吐いていた。どこか気乗りしない様子でちらちらと外の様子をうかがっている。人が来ないように見張っていると言っていたが、先ほどフェリックスがふざけて「わっ」と脅かしたら半ば本気で殴りかかった。大きな外見の割に、小心者らしい。
「……まとめると、魔力の人から人への移動が行われ、一方は過剰摂取による拒絶反応、一方は免疫不全が起こっている。それを隠蔽するために隔離を行っているのであって、《悪魔の爪》の人への感染は事実無根である――ってのが概要になるよね。企画提出時のテーマ――『悪魔の爪の感染性』からかなり主軸がずれた気がするけど、認めてもらえるかな……」
ヘンリックが神経質そうな顔をしながらレポート用紙に板書を纏めていく。
「うん、ひとまずは、できた」
ヘンリックから回ってきた計画書に各自目を通す。うまく、まとまっている。そう思った。
(できた――できた!)
ミアは高揚で顔を赤らめる。だが、とたんに響いた声にミアはがっくりと肩を落とすことになる。
「今度の壁はどのくらい高いかなあ……」
フェリックスは冗談で言ったのだろうけれど、ミアは、思わず大きなため息を吐いた。コンペの窓口は毎年各学部の教授で持ち回りらしいけれど、よりによって、今年はリューガー教授が担当なのだ。どういう因縁だろう。企画書提出の時のことを思い出すと不安しかない。
計画書を提出しようと教授室に向かった四人だったが、あいにく教授は不在だった。仕方なく出直そうとしたところで、隣室の準備室の扉が開く。中から現れたのはアインツ先生だ。ミアは丁度良いと尋ねた。
「ああ、アインツ先生。リューガー教授はどちらに?」
「講演でブリュッケシュタットまで出かけられてるけれど」
「いつお帰りになられますか?」
「明日かしら?」
「じゃあ、やっぱり出直すかな」
フェリックスが肩をすくめると、
「コンペの計画書? それならみんなポストに入れてるけれど?」
アインツ先生は廊下に出ると、教授室の前のポストを案内してくれた。ちょうどレポートを用紙を一回り大きくしたくらいの白い木箱には頑丈そうな鍵がつけられている。
「あ、そうなんですか」
だけどミアはなんとなく嫌な予感がしてためらった。どうしても思い出すのは、法科の彼女たちの妨害だ。あんな風に邪魔をされたら、今度は致命的だ。締め切りはもう明日なのだ。
ぐるりと周囲を見回してみる。廊下には人気はないけれど、見張られているような心地悪さを感じた。
「心配なら直接渡してあげるわよ?」
アインツ先生が苦笑いをする。これまでの事情を知っているから、きっとミアの杞憂を理解できるのだ。
頼もしい先生だとミアは安心してレポート用紙の束を手渡す。ずっしりとした計画書。重いのは厚みのせいだけではない。半年分のミアたちの努力の重さだった。
「どうぞ、よろしくお願いします」
手放すときに
(これでだめならどうしよう)
というすさまじい不安が襲う。だけど、これだけ頑張ったんだから、きっと大丈夫だとミアは必死で祈りを込める。どうか、どうか、この計画書が通りますように。
「力作ね。確かに預かりました。頑張ったわね。明日一番にリューガー先生に渡しておくわ」
アインツ先生の微笑みが準備室に消えると、ミア達四人は「終わった……ぁ」と肩の荷を下ろす。
「じゃ、前祝いにお茶でもするか?」
ぐいっと胸をそらして伸びをしたフェリックスが提案し、ミアは頷く。
軽くなったその足で、カフェテリアへと向かおうとしたとき、足音が足りないことに気がついて後ろを振り返る。
残ったヘンリックがポストをじっと睨んでいる。
「ヘンリックは行かないの?」
誘うが、彼は小さく横に首を振る。そして、
「先に行っておいて。用事を思い出した」
と言うと、寮の方へと走りだした。
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