17 レオナルト王とイゼアの闇
誰が置いたのか、古ぼけたベンチがぽつんとある場所で皆が追いつくと、ヘンリックは立ち止まる。そして、拳をギュッと握りしめたままうつむいた。
「ヘンリック? どうしたの? 確かに奇妙な一致だけど、まだ一人に話を聞いただけじゃ、偶然じゃないとは言い切れないよ」
だがミアの言葉にもヘンリックは首を横に振った。
「偶然にしては辻褄が合いすぎるんだ」
「辻褄?」
フェリックスが話に加わり、マティアスもヘンリックを囲んだ。
「僕たちは《天使の涙》について調べてるって言ってたよね?」
ぞわぞわと嫌な予感が足元から這い上がる。鳥肌は寒さだけのせいだろうか。腕をこすりながらミアが相槌を打つと、ヘンリックは呟いた。
「レオ歴328年――その年は印象的なことがあったから、すごくよく覚えてる。入学した魔術科の生徒から、初の《天使の涙》の罹患者が出た年だ」
「え……?」
ミアは思わずヘンリックをまじまじと見つめた。
「それまでは軍からしか出ていなかったのに、突然の発症だったんだ。……関係ないと、思いたい。否定する材料が欲しくて、《天使の涙》を調べてたんだけど、なんとなく……仮説を裏打ちしてしまった気がするんだ」
ヘンリックは呻くように言うと、手の中のメモを握りつぶした。フェリックスが尋ねる。
「おまえの立てた仮説って?」
「……レオナルト王は知ってるよな?」
「ああ、ノイ・エーラの開発者だ」
「ノイ・エーラの技術について詳しく知ってるか?」
ミアは頷く。フェリックスも「大体は」と頷き、マティアスを皆が注視した。彼はムッとしつつも胸を張る。
「これでも魔法科だから、知ってる。近代魔法史の授業では必ずやるからな。っていうかこの間、レポート書いた」
マティアスは記憶を探るようにして答える。
「魔術師が只人と結婚しだしたことから血が薄まって、大きな魔力を持つ人間が減ったことが発端だ。そこでレオナルト王が魔術師不足を解消するために、石に魔術師が魔力を込められるようにして、魔法の汎用性を高めた。そのお陰で普通の人間が簡単に魔法を使えるようになったってやつだ。随分長い間ラディウスとの戦の抑止力に使われたとか。その後魔力を込められる石が掘り尽くされるのと同時に魔術師が増えだしたから、技術は完全に廃れたらしいが」
マティアスの話を聴きながら、ミアはレオナルト王の事を考える。レオナルト王は戦のためではなく、人々の暮らしを豊かにするためにその技術を開発したと歴史書には書かれていた。日照りのひどい土地に雨を降らせたり、逆に日の照らない土地に光を運んだり。平和な使い方を発明したのだ。だとすると、抑止力とはいえ、軍事利用されてしまったことを、ひどく悲しんでいるのではないか。
そんなことを考えていると、
「――技術はさ、多分廃れてないんだ。平和利用をというレオナルト王の意志に反して、生きている。それが僕の仮説だ」
ヘンリックが悲しげにため息を吐いた。
「ひどく非人道的な形に変容して、ね」
「どういう、こと?」
聞いてはいけない、そんな気がした。聞くのが怖い。ブルブルと震えだすミアの肩にフェリックスの手が載った。彼の手も何故かひどく震えている。
「ミア。僕は、今から君に対してすごく残酷な仮説を述べると思う。念を押しておくけど、今はまだ、あくまで仮説だ。それでも聞くかい?」
ヘンリックは珍しくためらいを見せた。憂いを含んだ若葉色の瞳が、ミアの不安を更に煽る。それでもミアが頷くと、やがて彼は諦めたように口を開く。
「この国の軍は魔術師不足、それから石不足、両方を解消する手段を見つけたんだ。人から奪った魔力を人に込めて、人工的に魔術師を作っている。体内の魔力バランスの崩れ――それがイゼアの奇病の《病素》。《天使の涙》、それから《悪魔の爪》は歪な政策から生まれたイゼアの闇だ」
「つまり、お母さんは――」
国に殺されようとしてるってこと――? 言葉が喉に詰まって息ができない。視界が狭くなり、暗くなる。意識を飛ばしかけたミアだったが、直後、肩を支えていたフェリックスの手に力が入り、闇の中から引き上げられる。
「……ふざ、けんな! それが本当なら、クリスは、国に殺されたってことかよ!」
腹の底から絞り出すような激しい声に、ミアは驚く。噛み締めたのだろうか、フェリックスの唇から血が一筋流れ、顎を伝った。髪が逆立つようなピリピリとした空気に、母のことを一瞬忘れて怯む。だが、次の瞬間、フェリックスは目を見開いて、呼吸を荒くし始めた。
「フェリックス!?」
「フェリックス、落ち着け! ――ミア、発作だ!」
マティアスがうずくまるフェリックスの背を撫でる。
ミアもフェリックスを落ち着かせようと声をかけるけれど、彼の心はどこか遠くをさまよっているかのよう。まるで声が届かない。
「フェリックス、大丈夫。お願い、落ち着いて。息を吸わないで!」
だが、フェリックスは目を見開いたまま、もがくように息を吸い続けた。辺りをぐるりと見回すが、人影は一つもない。施療院は立入禁止だし、駅まではまだ随分距離があった。
「駄目だ、聞こえてねえ……! ヘンリック、おまえ、医科だろう、なんとかしろ!」
珍しく動揺を見せるマティアスが助けを求める。だがヘンリックは「野郎の過呼吸の介抱とか、勘弁してよ」と医者としては甚だ不適切な発言をした。
「っていうか、僕がいくら技術があっても、これは治せない。ミア。君にしか治せない――そうだろ? マティアス」
ヘンリックはどこか不愉快そうに言う。マティアスは一瞬詰まったあと、ごまかしきれないと言った様子で頷く。
「発作をあれだけ早く鎮められたのは、ミアだけだった。そもそも、ああいう方法は、こいつに対しては誰もできなかったから」
マティアスは迷いを見せたあと――頼む、とミアに言った。苦しげに見つめられ、僅かにためらったが、それどころではないとフェリックスの頭を胸に抱え込む。そして、ふと思い出す。髪を弄って、カモマイルを取る。彼の手に握らせ、以前と同じく、子供をあやすように背を撫でた。
「フェリックス。大丈夫。あなたを害するものは、ここにはいない。ヘンリックもマティアスもいる。わたしもいる。みんなあなたの味方。信じて、息をゆっくり吐くの」
見開かれた氷青の目を覗き込んで、じっくりなんども大丈夫だと言い聞かせる。はっはっと荒くなっていた息の間隔がだんだん広くなってくる。
「み、あ」
フェリックスの手がミアの手を握りしめる。大きな固い手に胸が跳ねるが、ミアはこらえて握り返す。虚ろな目が、ミアをじっと見つめる。空虚を埋めてくれ、と訴えてくる。
ミアは思わず言った。今度は、わたしが聞く番だと強く思った。
「話して。何でもいい。あなたが抱えているものを今度はわたしに話して」
フェリックスは目をギュッとつぶる。
「クリス、は、俺のために、学院に入って――、魔術師になるって。魔力なんか、なかったのに。俺なんかの傍にいても、何の得にも、ならないのに、幼馴染だからって、」
フェリックスはあえぐ。
「――俺のせいだ、全部」
涙が溢れる。幼い子が、我慢して、我慢して、とうとう我慢しきれずに、ポロポロと泣いているみたいだった。ああ、笑顔の裏で、彼はすごく我慢していたんだ――ミアは悟る。我慢しすぎるから、貯めこんだものがこんな風に爆発してしまうのだ。
「あなたのせいじゃない」
ミアは泣きたくなりながら訴える。フェリックスは息をすることを忘れたかのように、続けた。
「俺は、守れなかった。俺なんか、どうなってもいいのに。俺は、あいつが、命をかけるほどの人間じゃないのに」
フェリックスが抱える痛々しい絶望にミアは自分まで引きずられそうになる。ミアは必死で否定する。
「わたしは、フェリックスがいないと寂しい。あなたが傷つくと悲しい。あなたが大事だもの。だから、わたしがクリスだったとしても、きっとあなたを守りたいと思うよ。クリスは、きっと悔いてない」
何度も繰り返す。あなたが大事。クリスは悔いてない。
フェリックスは目を見開いてそんなミアを見つめていた。
しばし息を止めていたようだ。好転は一瞬だった。苦しげに寄せられた眉が緩み、凍りついていた目に元の湖面のような輝きが戻ってくる。やがて自分を取り戻したフェリックスがミアにしがみついてくる。
「ミア――ミア」
「ひゃっ」
先ほどとは形勢逆転。大型犬に飛びかかられたかのよう。勢いで雪の上に尻餅をついたミアは、逆にフェリックスの胸の中に抱きしめられ、髪をグシャグシャにされてしまう。
「ちょ、ちょっと、フェリックス!?」
慌ててもがくけれど、腕は強くて全く剥がれる気配がない。ヘンリックとマティアスに見られていると思うと、恥ずかしくて雪に埋まってしまいたい気分だった。ミアはフェリックスを突き飛ばしたくなったが、彼は一応病人だとぐっとこらえた。
(あー……もう、これは犬。犬って思おう!)
そう思いつつも、ミアは犬が持ち得ない広い胸や力強い腕に不覚にも顔を赤らめる。
(あれ、でも――)
ふと気が付くと、先程までの絶望感が薄れている。ミアは彼を助けることで、自分の心が軽くなっていることに気がついた。
「あー、はいはい、もう大丈夫みたいだな。ったくとんだ万能薬だ」
マティアスがフェリックスの首根っこを容赦なく掴むと、「もうちょっと」と騒ぐ彼を傍にあった朽ち果てそうなベンチに座らせた。
解放されてホッとしていると、ヘンリックが安心したような、それでいて悔しそうな複雑な表情でミアを見つめている。
「……話を戻しても大丈夫? ミア、君は、どうしたい?」
ミアは大きく深呼吸をすると宣言した。
「書く――わたし、計画書にそこまで絡めて書く。こんなこと黙ってられない。明るみに出すのよ。――ヘンリック、あなたの話を聞いてわたし、確信した。患者を隔離しているのは、きっと、陰謀を隠すためなのよ。レッツ先生が言ったの。わたしに渡した母の手紙は安全だって。だけど、手紙のことは秘密だった。安全なことは隠さなければならなかった。お母さんを隔離する理由が、患者を――病気自体を探られたくないからなら納得行くもの」
「だけど、書けば確実に軍を敵に回すよ?」
確かに、この件に軍が絡んでいないわけはない。いつも不遜なヘンリックも、事が事だけに不安そうに目をかげらせた。だが、ミアは譲らない。怖いものなど、母の死以上にはないのだ。
「だからこそ、しがらみのない学生のうちにやるのよ」
「確かにそれは一理あるな。学院は王家の管轄だ。一応独立機関だから、軍の干渉は少ない。教授さえ味方につければ秘密裏に事を運べるはずだ」
怖いもの知らずのフェリックスがミアの味方に回ると、ヘンリックは腹を決めたらしくうなずいた。だが、マティアスだけは「軍を敵に回すのはなあ……」と眉をひそめている。
魔術科は学院内で、唯一軍と繋がるところ。危険が一番大きいのも彼だろう。悪巧みに怯むマティアスに、だがフェリックスがニヤッと笑って肩に手を回す。
「おまえんとこの教授はレポートも読まないんだろ?」
「……まぁな。ってか、あんたが――皆がやるなら俺もやるしかないんだよ」
やれやれ、とマティアスは肩を落とす。フェリックスは先程の発作が嘘のように晴れやかな顔をしていた。
「じゃあ、続行決定だ」
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