16 冬至祭の日に

 そして翌日。

 冬至祭に合わせて一際美しく飾り付けられた樅の木の下にフロック・コートを着込んだフェリックスが待っていた。

 私服など見るのは初めて。彼が被ったトップハットは上流階級のシンボルだ。男爵令息――貴公子なのだと思いだして、ミアは見惚れる。そして彼のそばに立つにふさわしくない自分の格好を思い出して足がすくんだ。何の変哲もない膝下丈の黒いワンピースに革の編み上げブーツ。寒いので毛織のショールを掛けているけれど、それさえもくすんだ灰色という庶民そのものの格好。おしゃれをしたくとも、制服以外に持っている服がそもそもほとんどないので、普段下ろしている髪を編んでリボンを付けただけだった。しかし、彼は、ミアを見つけると服装など目に入らないというような満面の笑顔で駆け寄ってきた。手にはなぜか花を一輪持っている。この時期に咲くはずのない花。どこで手に入れたのだろうか。カモマイルだった。


「ミア!」


 だが、後ろにいたボウラーハットとラウンジスーツ姿のヘンリックとマティアスを見るなり、彼は笑顔から真顔になる。そして目を手のひらで覆ってよろよろとよろめいたかと思うと、傍にあった木にもたれかかった。


「どうして二人がついてくるわけ……」

「え、え、なんかまずかった?」


 あまりの落胆ぶりにミアは驚く。


「ミアから手伝ってほしいって頼まれたから。百人を二人で当たるのは無理があると思わないか」


 ヘンリックが澄ました顔で言うが、フェリックスの機嫌は悪くなるだけだった。


「それに、一度話を聞いてみたかった。こっちで調べていることと照らし合わせたいことがあるし」

「こっちって、《天使の涙》のこと?」


 ミアが口を挟むとヘンリックは頷く。


「発症の時期がさ、妙に偏ってるんだ。ほら、ブリュッケシュタット抗争が始まる二年前に――」


 そう言いながらヘンリックがノートを開きミアは覗き込もうとしたが、フェリックスが手をミアの前に差し出して遮る。そして、持っていたカモマイルをミアの髪に刺した。リンゴの香りが漂う。心を穏やかにさせるはずの香り。だが、フェリックスの指先がミアの頬をかすめたせいで、心臓はひどく暴れていた。


「薬にもなるって聞いたけど、素朴で、ほっと出来て、可愛いよね、この花。ミアに似合いそうだと思って薬草園で分けてもらってきた」


 赤くなるミアの背に手を回して、身体の向きをヘンリックとは反対向きに変えさせる。


「約束の時間があるから、もう行くよ」

「え、誰かと約束してるの?」


 フェリックスは頷くと、「今日は王都の外れで、患者の遺族に話を聞くことにしてる。駅からちょっと歩くけど大丈夫?」と尋ねた。

 頷きつつ彼の手際の良さに驚く。だって、昨日の今日だ。住所一つ一つを調べて、連絡を取るなど、まず方法が思いつかない。が、彼は「ちょっとした伝があってね」と何でもないことのように肩をすくめた。そういえばこの間も伝がどうとか言っていた気がする。


(貴族だからなのかな?)


 そんな風に思いながら、ミアが適当な相槌を打つ隣で、不機嫌そうなヘンリックが「ふうん、ちょっとした伝、ねえ」と呟いた。

 物言いたげなヘンリックを気にしつつも、フェリックスは「置いて行くよ」とそそくさと足を進める。ミアは耳の横にさりげなく飾られた花をそっと撫でる。


(素朴で、ほっと出来て、可愛い……)


 なんだかミアのことを言われているような気分になった。思い上がりだろうかと首をふるものの、先ほど感じた劣等感が消えているのに気がつく。ミアは小さく微笑むと彼の後を追いかけた。



 途中までは汽車に乗ったのだが、郊外に向かうにつれ民家も疎らになる。積み上げられた煉瓦でできていた住宅は、薄汚れていた空が本来の色を取り戻すに連れ、どんどん高さを失い、横に広がって行き、それぞれの間にある隙間は広くなって行く。そして最終的にたどり着いたのは、ハイニッツという、周囲には森と農園と、サナトリウムしかないようなひなびた場所だった。

 雪の積もった畑の間の道を歩いていると、気持ちが沈んで行く。人が寄り付かないのはどこでも一緒だなと、母の居るサナトリウムを思い出しながらミアはため息をつく。

 感染を恐れるあまり、サナトリウムの建設に際しては反対運動が頻発していたそうだ。建てられる場所は限られ、人が住めないような場所に追いやられそうになったこともあったらしい。

 これでも人道的処置が施されている方なのだというけれど、この寂れ具合を見ると素直にそうは思えない。


「どこで待ち合わせ?」


 ミアが問うと、フェリックスは「こっち」とミアたちをぽつんと佇む建物の方へと誘導した。


(サナトリウムに? まさかね)


 そちらにはサナトリウムしか建物がないというのに、フェリックスはずんずんと向かって行く。そうしてたどり着いた円柱型のサナトリウムでは、予想通りに門番に阻まれる。


「急病ですか?」


 フェリックスが首を振ると、


「こちらには一般の人は入館できませんが」


 門番は珍しそうにじろじろとミア達を見ながら言う。

 ミアが昔、サナトリウムで耳にたこが出来るほどに聞いた言葉だった。サナトリウムの付属施療院は一応一般患者も受け入れているけれど、急病人以外は《悪魔の爪》の感染を恐れて受診しないし、健康な人間は問答無用で追い出される。内部には第一の壁と第二の壁があり、第一の壁の内側は一般患者と医療関係者以外は入れない。そして第二の壁の内側へは医師のみしか行くことができず、助手をすることになったミアでも、隔離病棟を囲った高い壁を超えることは叶わなかった。ミアは後ろから付いてきているヘンリックとマティアスに戸惑いの視線を送る。二人はやや呆れ気味に肩をすくめるだけ。


「患者の家族でも入れないのか?」


 フェリックスは門番にも物怖じせず問いかけた。そしてついでのように中を覗き込む。


「じゃあ、誰が会えるんだ?」


 なぜわかりきっていることを聞くのだろうと不可解に思っていると、彼は「医師だけだ」と門番にすげなく追い払われた。フェリックスは何か会得した様子で頷くと、ぐるりとサナトリウムの壁の回りを一周して、奥にあった森へと向かった。

 薄暗い森の中を奥へと進むと、ぽつんと人影が見えた。どうやら目的の人物のようだった。


「じゃあ、さっきの回り道って何?」

「ちょっと、今後のためにね」


 ミアの問いをフェリックスははぐらかす。


「ヘルマンさん?」


 フェリックスが声をかけると、人影が近づいてきた。ずいぶん年配の男性だ。


「こんなところを指定してしまって申し訳ないです。偏見がひどいので、遺族だと人に知られたくなくて……」


 ヘルマンという名を認めた老人は、開口一番詫びを入れた。ミアは恐縮する。呼び出したのはこちらなのにどうしてこんなに腰が低いのか。

 だがフェリックスは堂々としたものだ。わずかに頷いて「で、娘さんについて少し聞きたいことがあるんだけど」とすぐに話を進めてしまう。人を使うことに慣れているように思えて、生きる世界の違いを実感する。フェリックスが、遠くに行ってしまったようで……なんだかすごく寂しかった。

 おそらくこの感情を理解できる人は仲間の中には居ないのだろう。しんみりしていると、ヘンリックが「奴は多分特別」と心の中を読んだかのようなことを言った。


「どういう意味?」

「さあ? ――とにかく貴重な時間を無駄にするな」

「うん」


 それもそうだとミアは聞き取りに集中した。


「じゃあ、あなたの娘さんはレオ歴312年生まれということですね」


 フェリックスが問うとヘルマンは頷いた。


(あれ? 312年?)


 ミアはその年代に反応する。


「え、じゃあ、お母さんと同じ歳かも」


 ミアの言葉に、今度は三人が目を見開いた。ヘンリックが僅かに血相を変えてヘルマンに尋ねた。


「他に何か特別なことって覚えていませんか。特技でも、趣味でも、外見の特徴でも、どんな些細なことでもかまわないから」そして、「ミアもさ、何か、お母さんの特徴とか、覚えない? 特技とか、趣味とか、ちょっと変わってたところ」


「え、ええっと」


 突如振られてミアはうなった。特技、趣味は、思い出せない。だけど――

 ミアは自分を見つめるマティアスの瞳を見て、不意に思い出す。


「お母さんの目、少し赤みがかってたと思う」


 ミアの目は茶色。だが、記憶の中の母の目は僅かにだが赤が混じって、夕焼けみたいですごく綺麗だった事を覚えている。


「確か、魔力がある人って目に特徴があるけど……」


 フェリックスが赤い目を持つマティアスを見ると、彼は頷いてぼやく。


「俺は、この目のせいで、入りたくもない魔術科に入れられたんだよ」


 血のような赤。魔術師の資質は目を見るだけで分かると言われるし、これだけはっきりした色を持っていればしょうがない――そう苦笑いをしたところで、ふとミアは母が手紙で語った昔話を思い出した。


「そういえば、お母さんも、やっぱりそれで王立学院の魔術科を受けさせられたけど、結局試験は落ちたって――」


 ミアが学院で学びたいと言っていたのをレッツ先生に聞いたらしい。あなたなら出来るという激励と一緒にそう書かれていたような――そこまで言ったとき、黙っていたヘルマンが弾けるように言った。


「うちの子も、王立学院を受験したのですが、落ちたんですよ!」


 奇妙な一致にぞわりと腕に鳥肌がたった。同じ年齢、そして王立学院を受験して、不合格になっている。ミアは足元から伝わる震えを押さえながら問いかけた。


「娘さんの目の色は!?」

「普通の茶色でしたが、茶色の目の魔術師もいると聞いて。だからだめで元々で受験したんですが……」


 学院に入れれば、豊かな未来が開けると思ったんです。貧しい農民のまま一生を終えさせたくなくて――とヘルマンが恥じ入るように言う。


「つまり娘さんは、魔術科を受験したんですね」


 ヘンリックが確認を取ると、ヘルマンは頷いた。


「レオ歴312年生まれで、レオ歴328年に王立学院を受験した二人の娘の共通点。どちらも魔術科を受けて、不合格になり、その後《悪魔の爪》を発症している」


 淡々とメモを読み上げるヘンリックはどこか青ざめている。そしてふさぎ込んだ様子で踵を返す。フェリックスとマティアスが不可解そうに眉をひそめたまま、ヘルマンに謝礼を渡す。そして一人で来た道を駅の方へと帰って行くヘンリックを皆で追いかけた。



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