12 彼女は特効薬
教師二人も出ていき、医務室にヘンリックと二人でぽつんと残されたマティアスは、これからどうしようかという問題に頭を悩ませていた。
「――……あの人、どうやるつもりだ」
マティアスは呻いてしまって、まずい、とヘンリックを見やった。あいつ――と言うべきところをつい、あの人、と呼んでしまった。年下の幼馴染は、しばらく会わないうちに馴れ馴れしくできない存在へと変貌していた。いや、おそらく変わったのはマティアスの意識だ。そのせいで、マティアスは彼とどう接していいか未だに悩むのだ。昔のように気安く接したいという望みと、だけどあの人は――、という理性が揉め事を起こす。結果不自然な態度になってしまう。
「うん、女子寮って男は入れないよね? 見張るってどうやるつもりなんだろ」
ヘンリックが呆れたような、怒ったような複雑そうな顔をしている。
聞かれていなかったとほっとしたが、同時にヘンリックの指摘が的はずれすぎてげっそりする。
(女子寮って――それどころじゃないだろうが! あの人、もうこれ以上留年できないし! 留年させたら、俺やばいし!)
テーマの作成を三人でやらなければならなくなったことに比べると、女子寮への潜入など、些細な心配事だとマティアスは思った。フェリックスなら、ミアの傍にいるために女装くらいやってのけそうだと思う。
(あの人は、ときどき暴走するから)
感情が爆発するとでも言うのだろうか。まるで聞き分けのない二歳児のようになってしまう。だからといって抑圧し過ぎると入学式の時のようになってしまうから、きつく言えない。いつ首が飛ぶか本当に気が気でない。幼馴染だからと押し付けられたが、随分と損な役回りだと思った。
(大体、きついんだよ。この制服が!)
悲鳴を上げかける制服を黙らせるためには、縮こまって生活するしかない。体を動かすのが好きな彼の性には合わない。魔術科の授業など、座って呪文を覚えてとほとんど動かない。これでは身体がなまってしまう――ふつふつと浮かぶ不満に唸っていると、「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」とヘンリックが思考を遮った。彼はいつの間にか物言いたげにこちらを見つめていた。
聞きたいことなら、マティアスの方にもある。
(どうして戻ってきたんだ)
だが、答は自分でもなんとなく知っているような気がした。厄介ごとを持ち込んだなと思いつつもマティアスだってミアを放って置けなかった。荒れ狂う大河に一人で漕ぎ出て、溺れかけているようにしか見えなくて、手を差し伸べずにいられなかった。ヘンリックも同じなのだろう。そもそも、自覚がないのか、すこぶるわかりにくい表現ではあるけれど、ヘンリックもフェリックスと同じく最初からミアを気にかけていた。そんなヘンリックが戻ってくれば、フェリックスが荒れる。揉め事が大きくなるのは目に見えている。
企画書作成には必要な人物だけれど、恋――だと言ってしまっていいのかは分からないが――の成就には邪魔でしかない存在。それをフェリックスはどう扱うつもりなのだろう。
揉め事の匂いに、頭痛を感じたマティアスがこめかみを揉むと、ヘンリックはマティアスの答えを待たずに問いかけを始めた。
「フェリックスって、昔、――っていうか去年、何があったわけ? 見た感じは単なる馬鹿だけど、実際話すとそうでもない。そして、発作だって、入学式の時以来出てないよね。元気そうだし」
マティアスはぎくりとしながらもへらっと笑ってみせる。
「なんで俺に聞く? 俺だって去年はここに居なかった。知るわけない」
「いや、なんとなく知ってそうだったから。最初は入学してから仲良くなったのかなって思ってたけど、なんか違うよね。フェリックスは君を信頼してるみたいだし。チームへの引っ張りかたも不自然だったし」
さすがに主席入学だ。賢い。よく見ている。舌打ちしたい気分だったが「そうか? たまたま入学後、近くの席に座ったから、それで仲良くなっただけだ。ただそれだけじゃまずいのか? 友達になるのに理由なんかないだろう」とマティアスは早口でごまかした。だがヘンリックは呆れたような顔をして言った。
「普段しゃべらない人が口数が多い時って、大体なにかごまかす時だよね」
図星を突かれて顔がひきつった。そうなのだ。マティアスは気まずさをごまかしたくて口数を増やすのだった。追いつめられて冷や汗が噴き出す。いっそぶちまけてしまいたい気分になったけれど、自分の役割を話していいほど、ヘンリックを信用しているわけではない。それは軽々しく言えるようなものではない。フェリックスを危険にさらす可能性がある。
マティアスはだんまりを決め込むことにした。先ほど校医に淹れてもらった茶をすすって落ち着こうとする。だが、
「この学院、今、王子殿下が通っていらっしゃるよね」
ヘンリックの言葉に、茶を飲もうとしていたマティアスはむせかけた。喉が焼けるようだったけれど、必死で堪えて動揺を隠す。
「何を突然、」
「公にはされていないけど、王族がこの学院の法科に入られるのは伝統だし、混乱を避けるために――まあ命と貞操を守るためだろうけど――身分を隠してるってのも一部の人間は知ってる」
「まあ、そうかもしれないが、王子殿下の御齢からいって入学は去年だし、二学年におられるんじゃないのか」
冷や汗が脇の下を伝う。
「普通に考えるとそうだろうけど、……なんか留年ってのが珍しいなって。王立学院は優秀でないと入れないという建前があるから、たいてい落第するのと退学するのは同意だろう。退学に出来ない特殊な理由があったのかなって。貴族のお嬢様が殺気立ってるのってきっとそのせいだし」
ヘンリックはにやにや笑って、マティアスを見つめた。答えを知っている顔をしているのが腹立たしい。どう言い逃れするかを楽しんでいるのだろうか。マティアスは必死で考えて、ヘンリックが知りたがっている真実を少しだけ告げることにした。
「おまえが考えているようなこととは違う。……フェリックスは、去年友人を亡くしたんだ。そいつは」幼馴染で、フェリックスを慕っていて、追いかけるように学院に入学して――言いかけて飲み込む。「魔術科のやつで、だけど《天使の涙》を発症して――」
マティアスは視線を窓の方へと流す。庭の中央には尖塔が立てられていて、上部には鐘撞き台があった。授業の始まりと終わりと告げる鐘。
「――フェリックスの目の前で鐘塔から飛び降りた。そのせいであいつは心を病んで、持病の発作が悪化してな。一時期外に出られなかったんだ。あんなふうに回復してみえるけど、感情が昂ぶるとどうしても発作が出る……とあいつは言っていた」
マティアスにとってもクリスのことは人ごとではなかった。自分が魔術科におとなしく入っていれば。魔術師になりたくないなどとごねていなければ、あんな事にはならなかったのでは――そう思わない日はなかった。
あくまで伝聞として語ろうとしたが、どうにも失敗した気がして仕方がない。
だが、ヘンリックの笑みはピタリと止まった。
「《天使の涙》か……それで、入学式のとき、あんな発作を起こしたのか」
「本人は『毎回、今度こそ死ぬって思うんだ』とか言ってたが、過呼吸には薬もない、いや――なかったから」
暗に過呼吸とは別の症状匂わすと、回転の早いヘンリックはすぐに理解したらしい。
「あぁ……だから、あんなふうに彼女になついたのか。なるほど、特効薬だから」
ブツブツとどこか不機嫌なヘンリックを見て、もしも自覚がないんだったら面倒だな、とマティアスは半眼になった。
「そういうわけだ。――俺が言ったって言うなよ」
彼は気まずそうに頷くと、追及をやめる。そしてミアが握りしめていたという破れた企画書に目を落とした。大きく×がつけられている。何枚かあるけれど、どうやら全部没になったものらしい。
やがてヘンリックはぽつんと言った。
「創薬ってさ。幾つものプロセスがあるから、一連のプロセス全部をやるって言っても絶対企画書は通らないだろうなと思ってた」
「じゃあ、なんで無理やりにでも止めない?」
「納得しないだろ、僕達が止めても。ミアは卒業研究で何が何でも薬を作る気なんだから。面白いとは思うけれど、やっぱり無謀でしか無いよ」
「――おまえは、どこまで出来ると思ってるんだ?」
ヘンリックには一度情熱が燃え上がれば、もしかしたらミアよりも何かを成しそうな雰囲気があった。そしてそれだけの才覚もある。にわかに興味が湧いて尋ねる。
「僕なら、《ここ》だけをテーマにする。《ここ》に全力を尽くすね。だって、《ここ》がわからないと動きがとれないし、逆に《ここ》さえ分かれば、結果はいつか必ずついてくる」
こことはなんだろうと首を傾げるマティアスは、ヘンリックが手元の本を開いているのに気づいた。眉を上げると、「これ、ミアが読んでた本」と言いながら表紙を見せてくれる。図書館のラベルが貼ってある本の題名は《伝染病の歴史》。付箋のついている頁を再び見開き、ヘンリックは指差す。
「ミアがこれをやる気になったのなら、僕も一緒にやる。僕が戻ったのはそういう理由だ」
マティアスにはよくわからない言葉が多い中、ヘンリックが指差した単語だけは意味がわかった。だけど、それがどんなテーマになるのかは見当がつかない。
「それだけ?」
ヘンリックは頷く。彼が指差したのはわずかに一語、病の原因となる《病素》だった。
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