2 不真面目な新入生

「マティアス、おまえ、なんで入学式に出ないんだ。れっきとした新入生だろう」


 前庭から学院の寮を見上げながらフェリックスはうんざりと漏らした。自由を満喫しようと逃げまわったけれど、結局捕まった。運動能力だけには自信があるというのに。少ない運動量で先回りされると悔しさも倍増する気がした。

 目の前の山のような大男――マティアスは構わず赤く鋭い眼差しをフェリックスに突き立てた。三年ぶりに会う幼馴染は、学院の制服に、軍で鍛え上げたという成熟しきった身体を無理やり押し込んでいて、ひどく窮屈そうだ。魔術科の赤タイが――それどころか制服がこれほどに合わない人間もいないだろう。そんなふうに思っていると、マティアスはまるで心を読んだかのように、タイを神経質そうに直し、眉間に不機嫌さをにじませた。


「最低限の手続きは済ませてきたからいいんです。大体、それはこっちの台詞です。あんたが入学式に出られないから俺はここにいるんだ。ってか、あんたが普通に進級してたら、俺はここには居ないしな! 俺の監視が嫌なら、未だにお守りが必要な自分の不甲斐なさを呪うんだな!」


 怒り心頭といったところだろう。そのせいか、ところどころ、態度のでかさが漏れ出ていて、敬意の払い方がちぐはぐだ。さすがに「あんた」はないだろうと思う。だれか聞いてたら首が飛ぶ。


「少し落ち着けよ。俺はおまえにお守りを頼んでない」

「もちろんです。あんたの頼みなんか聞くもんですか。お父上に呼びつけられたんですよ。俺だってなんであんたのお守りをしないといけないのかさっぱりわからん。俺だけは騙せませんからね。あんた、自分の身くらい自分で守れるでしょ。っていうかそれしか取り柄がないでしょーが」

「そう思うんなら放っておいてくれ」

「これは俺の仕事です。やめろと言われてもお父上の命令がなければやめられないんですよ。ああ、迷惑だ。なんでガキに混じって俺までここに入学せなならんのだ。この歳で、このチャラチャラした制服とか!」

「なかなか似合って――」


 些細な筋肉の動きでもはちきれそうなシャツのボタンを見ていると、全て言う前に笑いそうになった。とたん、ぎろりと眼光が刺さった。


「どこが! 窮屈でたまらねえ!」


 口数が少ないはずのマティアスから愚痴ばかりが出るのは、相当嫌なのだろう。それはそうだ。マティアスは昔から軍人志望だった。素質を見込まれ、魔術師にさせられそうだったのを無理矢理に振りきって、ようやく普通に入隊できて三年。これからというところで王都に呼び戻され、偽装学生生活を押し付けられたのだから。

 過保護な父はそうまでしてフェリックスを卒業させたいのだろう。


(それほど病んで見えるのかな――一時期よりは大分回復したつもりなんだけどな)


 それとも、情けない息子をなんとか更生させようと思っているだけなのか。

 後者だろうな――昔から叱られてばかりの自分を思い出し、フェリックスは苦笑いをして髪をかきあげる。

 そう思った瞬間、ふ、といつもぴかぴかに磨き上げているはずの心に陰りが生じた。その亀裂から、どす黒い塊が瞬く間に現れ、同時に耳鳴りがし始める。

 いや、違う。耳鳴りではない。おまえは完璧であらねばならないのだ――呪文のような言葉だ。耳元で蘇ると、拒絶反応のように息苦しさが全身に広がり始める。


(まずいな。薬を飲んでおくか)


 気休めでしかないけれど――といつもの水薬を取ろうと胸ポケットを漁る。とその時、足音が響き、耳の中の呪文を打ち消した。するすると息苦しさが引いていく。ホッとしながら木の影に身を潜める。こうしてマティアスと親しげにしているところを見られるのは、少々都合が悪いと思い当たったのだ。

 足音の主は、うんしょ、うんしょ、と大きな荷物を引きずるように持っていく赤髪の少女だった。せかせかと急ぎ足で寮から講堂へ向かう生徒と逆行しているけれど、時折きょろきょろと景色を眺めたりでのんびりしたものだ。そのせいもあってどこか浮世離れして見えた。他の新入生と同じく、糊の効いた制服が初々しいが、タイはまだしていないので、科がわからない。


「医科か薬科の人間かな」


 直感でそう漏らすと、マティアスは鼻で笑った。


「貧乏って言いたいんですか」


 フェリックスはムッとする。そしてどうしてそう思ったのか、自分の頭のなかを探ってみる。普通は逆だと誰かに言われた。根拠があって、答えがある。だがフェリックスは根拠の部分がほとんど直感で、自分でもどうしてその答えにたどり着いたのかが良くわからない。多分、筋道立てて考えることが得意でないのだった。


「赤い目じゃないし、法科の奴らが着ているみたいな一点物オートクチュールは着てないだろ。……ってマティアス。貧乏とか、おまえ性格悪いな」


 言い争っている間に、少女は「わあ、すごい! 花期終わってるはずなのに!」と立ち止まるとなにやら足元の雑草を夢中で摘み始めた。白い花弁に黄色の花芯の愛らしい花だが、花摘みなど今するべき行動ではない気がする。あまりにのんきな行動に、フェリックスは眉をひそめた。なんだか危なっかしくて見ていられない。


「何やってるんだろう。彼女、入学式をサボる気かな」

「まさかあんたじゃあるまいし」


 言いがかりをつける気満々のマティアスを無視して観察を続けていると、


「――あれ?」


 一人の少年が男子寮からふらふらと飛び出してきた。こちらもおそらくは新入生。マティアスと同じ赤いタイをつけている。

 すれ違いざまに、花を摘むのをやめた少女が声をかける。


「ねえ、あなた」


 青ざめた顔の少年はそれを無視して、まるで酔っ払ったかのようにおぼつかない足取りで講堂へと向かう。目が虚ろだ。そして身体が小刻みに震えている。彼は突如身体をかきむしり始める。その様子にフェリックスは確かに覚えがあった。


「――――クリス」


 フェリックスの口から一つの名前が漏れると、マティアスの赤い眼光が鋭さを増した。クリス――それは去年フェリックスと退屈な入学式をやり過ごした、もう一人の幼馴染の名だ。栗色の明るい髪に榛色のキラキラした瞳を持つ、天使のような少年だった。フェリックスを慕って、どこへ行くにもついて回った。自分と居ても何の利にもならない、護衛なんか要らないと何度も言ったのに。幼馴染だからという何の強制力もない理由で、彼について学院に入学した。


『入学するからには、僕が凄腕の魔術師になって君を守ってやるからさ。どんと任せておいて』


 あれは事故だ、忘れろと父に、医者に、周囲の人全てに言われた。だけど張り切るクリスの顔は、一年経った今も眼裏に焼き付いている。あの時ほど自分の存在価値を疑ったことはない。

 ぎりぎりと胸を締め付ける痛みを押さえつける。とたん喉の奥から乾きが上り、フェリックスはめまいを感じた。まずい、と思う。前兆に恐怖がせり上がる。それでも、とても放って置けなかった。フェリックスはぶるぶると頭を振ると、マティアスに訴えた。


「……あれは、《天使の涙》だ!」


 かつて同じような兆しを見た。そして兆しが治まったあと、彼はケラケラと笑った。


『ねえ、フェリックス。僕、空をとべるんだ――見てて』


 本当に飛べるのかと思ったくらいに自信満々な笑みだった。だが後に訪れたのは、横たわる体、赤黒い血だまり。暗澹とした景色が眼裏に浮かびかけて、フェリックスは吐き気を覚えて、口元を押さえる。二度とあんな景色は見たくなかった。


「あれが!?」


 マティアスが血相を変えたと同時だった。先ほどの少女が大きな荷物を地面に置くと、「大丈夫? 顔色が悪い。ちょっと医務室に――」と少年の肩に手をかけた。刹那、少年は、――爆ぜた。


「うああああああああああああ――死ね、死ね、死ね!!」


 叫ぶと胸元からナイフを取り出して、振り回す。少女は尻餅をついて腰を抜かす。だがそれが彼女を救うこととなる。

 少年は少女を見失い、空虚な目を空に向ける。ケラケラと高らかに笑うと、講堂の方へと駆け出したのだ。

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