ミアと禁断の創薬レポート
山本 風碧
第一学年
1 イゼア王立学院へ
イゼア王国で発生した二つの奇病。
ある人はそれを天使の流した涙と呼ぶ。半島を統一するための貴重な犠牲だったと。
ある人はそれを悪魔の残した爪痕だと呼ぶ。
――太陽の国を侵略し、
*
赤茶けた煉瓦づくりの大きな門の前で立ち止まったミアは、目を細めて空を仰いだ。
灰色のうろこ雲がたなびき、秋の気配がそこかしこに漂っている。
海風の吹く故郷、レーミルトの空は鮮やかな青だったが、王都エアフルトの空は濁った水に青い絵の具を溶かしたような煤けた色をしていた。
王都の周辺にはたくさんの工場が建てられている。鈍色の煙突からもくもくと排出される煙の色が空の色をくすませているのだった。
そんな中、強烈な存在感を示すのは、王宮から突き出した一振りの剣のような高い尖塔。周りの煙突が可愛く見えるほどの大きさだ。このイゼア王国の権威を示すかのように威圧感を放っている。
同じ国だというのに、レーミルトとはまるで異世界だ。ため息を吐いて、ミアは門を仰ぐ。
「ここ、で、いいんだよね?」
エアフルト駅から王宮までを結ぶキングストリートは馬車や
田舎者だと失笑されること五回。
ミアはことさらに頑丈そうな門扉を見上げたが、それでも不安に顔を曇らせた。そして門扉の上に堂々と輝く文字を読み上げた。
「イゼア王立学院――うん、間違いない」
拳をぐっと胸の前で握り締めると、ミアは足元の大きなトランクとふるぼけたかばんを持ち上げて門をくぐる。
門の上に覆いかぶさるような木のトンネルを抜けたとたん、ミアの目には靄が晴れたかのように内部の様子が映った。
煉瓦づくりのがっしりとした建物が正面に陣取ると、その両側に同じ煉瓦作りの建物が翼を広げている。よく見ると、奥にも同じ色の建物がいくつも建っている。入り口からは想像できない広さだ。王宮にも匹敵すると言われるだけあった。
「ふあああ……」
思わず感嘆の息を吐いた時だった。
「ちょっと、そこで止まると邪魔だよ。急いでるんだ」
ばたばたと後ろから足音がして、同じ制服を着た生徒が次々とミアを追い抜かした。
正面の建物へ吸い込まれていく影を見送る。どうやらあれが入学式の行われる講堂のようだ。
「え、もうそんなに急ぐ時間?」
ミアは慌てて時計を見て、首を傾げた。
「なあんだ、まだ、二十分もあるじゃない」
時間まで余裕があるのを確認すると、色とりどりの石で幾何学模様が描かれた石畳を踏みしめる。
ふと花壇を見ると、秋桜が咲いている。ピンクと白の美しい花々がミアを歓迎しているかのようだ。
(お母さん、先生。やっとここまでたどり着いたよ……!)
ミアは感動で心が震えるのを抑えきれなかった。
講堂では新入生が入学手続きをしている。五列ある受付はごった返していた。手続きが済んだのだろうか、大部分が椅子に着席している。入学式が始まる時間に合わせてやってきたのだけれど、ぎりぎりになってしまったらしい。今更、先ほど急いでいた生徒の気持ちが理解できてミアは反省する。どうも都会では田舎とは時間の進み方が違う。
(あー……並ぶ時間まで込みで考えなければだめなのかも……)
――そう思いながらミアは真ん中の列に並んだ。
「入学許可証を出してください」
新入生二百人分の受付の終盤だ。疲れの滲んだ声で言われて、ミアは古ぼけたかばんを漁ると、本に挟んでいた入学許可書を取り出した。
興奮と誇らしさから顔を赤らめながら差し出すと、受付の男性が僅かに眉をひそめたように思えた。
「緑色ってことは、薬科か。ミア=バウマンさん。ええと……ちょっと待って下さいね」
名前と学科を見たとたん、彼はさらに億劫そうに名前を探しだした。名簿をめくるとき、ミアの入学許可書がはらりと落ちたけれど、係の人は気にせずに名簿に集中していた。
言ってしまえばただの紙ではあるけれど、ミアが勝ち取った大事なものには変わりない。ぞんざいな扱いだなあと、がっかりしながらミアが許可書を拾った時だった。「お願いします」と左隣にいた女生徒が同じく入学許可書を差し出した。
皺なんかない、アイロンでもかけたのではないかと思えるような許可書だ。そもそもこの紙はミアと同じものでできているのだろうか。色が紫がかっている。ミアのは緑がかっているというのに。
「ああ、法科の方ですか」
隣の受付係の態度が引き締まり、背筋がぴんと伸びた。恭しいと言えそうな丁寧な手つきで係の人は許可書を受け取った。そしてうっとりするように「入学おめでとうございます」と微笑みかける。
法科、と聞いて態度の違いに腑に落ちるものがあった。
(ああ、噂は本当なんだ……)
ここ、イゼア王立学院には四つの専門科があり、法科、魔術科、医科、薬科に分かれている。
中でも法科は歴史が一番古い。創立当時からある、貴族の子息のために作られた科で、通う人間はもれなく貴族の令息令嬢らしいのだ。爵位と多額の寄付金がなければ入学が認められていない特殊な科。卒業後は皆が議員や官僚になり、国の政治を支えていく。一般人であるミアが、もし学院に来ていなければ全くかすりもしない人たち。
ミアはまじまじと女生徒を見つめてしまう。少女は整った容姿をしていた。さらさらの金の髪、大きな緑色の瞳など、一つ一つの造作の品が良い。名前を書き込む仕草さえも洗練されている気がした。
そしてそんな流麗な容姿にはこの学院の制服がとても似合った。えんじ色のブレザーに白いブラウス、そして膝丈の、深緑色のプリーツスカート。黒のソックスに包まれた足はすらりと美しい。二年前に有名デザイナーがデザインしたばかりという斬新な制服だった。足首を出すことでさえはしたないとされていた時代は、もはや古いとされているのだ。
ミアの焼いた鋼のような赤毛はこの制服の色と喧嘩して浮いてしまう。目だって何の変哲のない茶色でいまいちパッとしない。同じ服を着ているはずなのに、どうして自分はこんなに野暮ったいのだろう。
羨望の眼差しを向けていると、
「ああ、あったあった、ミア=バウマンさん。確かに薬科ね。じゃあこのタイを付けて」
係の人がようやくミアの名前を発見した。
隣を見ると法科の彼女は紫色のタイを受け取っている。どうやら紫、赤、青、緑のタイが各科ごとに配られるらしい。ミアが入学許可書と引き換えに緑色のタイを受け取った時だった。
「マティアス=ヴァイス、魔術科です」
大きな太い声にちらりと目線をやると、左隣列に並ぶ冷たく鋭い視線とかち合った。
「荷物が邪魔なんだけど」
上から見下され、無遠慮に言われて、ミアは慌てて足元の荷物を自分の足の前に移動した。
すると彼は開いたスペースに自分の体を移動させ、ミアの隣りに並んだ。声から予想できたとおりの大きな体をしている。本当に同じ年なのだろうか。そして――
(この人が、……本当に魔術科?)
真っ黒な髪に赤い瞳の彼は、むしろ既に軍に所属していると言われても違和感がない。熊のような体格を見ると、少年という呼び方には違和感がありあまる。同じ十六歳とは思えない。視界の端では熊少年が赤い許可書と引き換えに赤いタイをもらっていた。
魔術科はまた特殊。これは生まれつき魔力が高い人間しか入れないという別の意味での超エリート集団。放たれる魔力を想像すると、びりびりと空気が震えるような気がして、ミアは僅かに彼から距離を取る。
かつてイゼア王国は魔術師軍を率いて隣国ラディウスを打ち破り、半島を統一に導いたのだ。名残で軍部は力を持ち、大陸に対抗するため、魔術師軍をさらに強固なものとするべく学院に魔術科を設立した。だから魔術科の人間は国の宝だと大事にされる。イゼアの民はもともと皆魔力を持つというけれど、他国の操る火薬に匹敵するほどに魔力が強い人間は千人に一人と言われているのだ。入学試験の内容は魔力の測定ただ一つというところから、他の学科とは違うことがよく分かる。
難しい顔をするミアに、受付係が声をかけた。
「ここ、奨学金の申請書にサイン漏れがありますよ」と紙を差し出される。
「あ、すみません!」
慌てたミアがペンを探してかばんを覗き込むと、後ろから大きなため息が聞こえた。
「ペンとメモくらい常備しておいたらどうなの。ここに何しに来てるわけ」
胸のポケットから取り出したペンをにゅっと差し出され、
「あ、ありがとう」
礼を言うために顔を上げると、青みがかった白金の前髪の下、理知的な若葉色の瞳は苛立ちを湛えていた。彼はミアを押しのけるように前に出た。
彼の握りしめた許可書は青い。
(緑が薬科、紫が法科、赤が魔術科――ってことは、青は『医科』だ)
ミアは彼に少しだけ仲間意識を抱いて頬をゆるめた。なぜなら医科と薬科、この二つの科は魔術科のために作られたおまけだと言われているからだ。
かつて魔術師軍で《天使の涙》という謎の病が発生したそうだ。病を治すためには、イゼア国教会の管理する施療院では力不足。国の最大戦力を失うわけにいかないため、国を挙げて治療法の研究を始めた。そして設立されたのが、国内初の医科と薬科なのだ。魔術科のために作られた科――という成り立ちからして、格とそれに伴う扱いが魔術科から数段劣るのだった。とは言っても、薬科より医科の方が試験の難易度は高いけれど。
(でも、努力すれば入れるっていうのは同じだもんね!)
きっとこの人も血を吐くような努力をしてここに入学してきたに違いない。さらに声を掛けたくなったミアだが、係に遮られた。
「ほら、あとは資料をもらったら椅子に座って待って。ああ、そうだ、その荷物は寮に一度置いてきたらいい。急がないともう入学式が始まるよ」
がっかりしつつ足元の荷物を抱える。見回すと、確かに皆こんな荷物持っていない。ちょっと悩んで、ミアは一応尋ねてみる。
「すみません、荷物を持っていてはだめですか」
トランクはいいとして、かばんはミアの育ての親の形見。そして中には大事なものがたくさん入っている。だから一時でも傍にないと落ち着かないのだ。だが、
「持っていてもいいけれど、邪魔だよ? どこに置くの。寮に置いてきて」
呆れた表情にミアはすぐさま引き下がった。ここではそうそう必要ないものだとも、わかっていたのだ。
ミアはかばんの中から一通の手紙を取り出すと、胸のポケットに仕舞う。この手紙だけは絶対に失くせない。
(あ、あれ?)
しかし、その間に列から跳ね出されてしまい、係の人はもうミアに頓着していなかった。ミアの次に並んでいた医科の少年の相手に忙しそうで、もうミアの対応をする気がないのが透けて見えた。
「あのっ――寮はどちらですか」
大きな声で問うミアに反応したのは僅かに一人だった。一番端に居た女性がミアに微笑みかけた。受付で唯一の女性は、青みがかった珍しい眼鏡をかけていた。涼し気な眼差しは紫色で、どこか怜悧な印象を与える美人だ。胸に着けられた名札にはアインツと書いてある。左上に助教と書いてあるから、どうやら教員の一人らしい。助教、講師、准教授、教授と偉くなっていくらしいから、下っ端なのだろう。だからこんなところに駆りだされているのだ。
(綺麗な人――。どの科の先生かな?)
観察するミアに、アインツ先生は微笑んだ。
「真っすぐ南に行って鐘塔に出たらそこを右に曲がって。突き当たりよ」
優しい笑みにミアは顔を赤らめた。薬科の自分はもしかしたら蔑視されているんじゃないか。そんな卑屈さが晴れるような気分だった。
「ありがとうございます!」
「ほら、急いで」
アインツ先生はミアを促す。
ぺこり、とミアは頭を下げると、荷物を持って走りだす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます