第9話 向き合う時間
そのまま彼女は涙を流し続けた。僕の腕の中で。ただただ涙を流し続けた。そうして気がつくと闇が僕らを包み、辺りはすっかり真っ暗だった。あるのは街灯の頼りない光だけ。
「・・・もうすっかり夜ね。ごめんなさい迷惑かけてしまって。」
「ううん。大丈夫。」
「そろそろ帰らないとよね。」
「そうだね。今日はもう帰ろう。送っていこうか?」
立ち上がる彼女は俯きがちに優しく微笑む。
「ふふ、私もう幽霊よ?大丈夫。ありがとう。」
そう言った彼女の声にいつもの元気さは無かった。
「そっか。じゃあまた明日。・・・またここで。」
「ええ。また明日。」
また明日。この言葉がこんなにも頼りない言葉だったのかと驚いてしまうほど急に不安になった。ちゃんと明日も会えるのだろうか。消えてしまったりしないだろうか・・・。そう考えながらとぼとぼと歩き家に帰った。
僕は気づくとあのひまわり畑に立っていた。そして僕の少し先には彼女が居る。白いワンピースを風に揺らす可憐な姿が確かにそこにある・・・はずなのに、どんなに近づいても彼女に触れることが出来ない。なんで?どうして?嫌だ。まだ居なくならないで。待って・・・。
「待って!!」
目が覚める。じっとりとした汗が先ほどまでの夢を鮮明に浮かび上がらせる。ああ、なんて嫌な夢なんだ。最悪の寝起きだった。そして居ても立っても居られずに公園へと向かった。
「あら、今日はいつもより早いのね。」
そこには平然と彼女が居た。いつもの笑顔でそこに居た。
「あ、うん。なんかいつもより早く目が覚めて・・・。」
「そう。あ・・・昨日はごめんなさい。とても見苦しいところを見せちゃったわね。」
「良いんだよ、気にしないで。」
「ありがとう。・・・それと、一つ協力して欲しいの。」
「わかった。僕に出来ることなら何でも言って。」
「ふふ、本当にあなたはお人好しなのね。ありがとう。」
「どういたしまして。それで何をすれば良いの?」
「あのね、私ちゃんと話したいの!ゆりと!・・・だから一緒にきてくれないかしら。」
「わかった。一緒に行こうか。」
「ありがとう。」
優しく微笑む彼女の眼差しは強く前を見つめていた。
学校を訪れるのは今日の夕方に決まった。時間が来るまでたわいも無いことを目一杯話した。
「それじゃ、そろそろ学校に向かおう。」
「ええ。よろしくお願いします。」
「うん。」
そうして公園を出て学校へと歩を進めた。相変わらず独特の静けさをまとった校舎にたどり着く。彼女の顔にいつものような笑顔は無かった。その代わりに、強い眼差しがそこにはあった。そして今度は誰に出会うことも無く美術室へとたどり着いた。開いているドアからこっそりと美術室を覗くとやはりそこには彼女の姿があった。
「どうする?僕が声かけようか?」
彼女に問いかけると小さく首をふった。
「大丈夫。ここにいて。ここで見ててね。」
まるで自分を奮い立たせるかのように僕に言った。
「わかった。」
そうして彼女は美術室の中へと入っていった。
彼女は百合の前まで歩いて行った。そして僕が渡しておいたメモ帳とペンを取り出すと、紙に文字を書き百合の目の前で手を離した。
「え・・・?」
百合にはいきなり目前に紙が現れたように見えているのだろう。驚き、そして恐る恐る地面に落ちた紙を拾い上げた。そこに書いてあったのは、「この絵、まだ完成してなかったんだね。」という一言だった。
「何・・・これ。この絵って・・・・・・もしかして、あーちゃん?」
彼女は静かに文字を綴る。
「うん。って・・・本当にここに居るのね。」
突然のことに混乱しているようだったが、どうやら信じてくれたようだ。
「私、聞いて欲しいの。あの時のこと、謝りたいの!ごめんなさい・・・ごめんなさい!!嘘だったの!あんなこと言うつもりじゃ無かったの!」
そしてさらに「あの時何があったの?」と書いた紙を百合の手の上に置く。
「嘘でもあんなこと言っちゃいけなかった!守るとか、私だけは味方だとか言いながら私は自分の事しか考えてなかった!!頭にきてあいつらを懲らしめてやろうって・・・ごめん。本当にごめん。」
「じゃあ、私の事嫌いじゃない?」そう書いた紙を手の上にのせる。
「もちろんよ!」
その言葉を聞いた彼女はほっとしたように、うれしそうに一筋の涙を流し、呟いた。
「良かった。」
「え?どこ!?どこに居るの?聞こえた、聞こえたよ!あーちゃんの声!!」
「ここ!ここだよ!!ここにいる!」
声は聞こえても百合に彼女の姿は見えないようで、目の前の彼女を探しながら呟く。
「ごめんね、ごめんね」
「ゆりは悪くないよ。だって私の事ちゃんと考えてくれてた!信じられなかった私が悪いの。」
「あーちゃん・・・。私、大好きだから!今もずっと!これから先も一番の親友だから!!」
「うん。ありがとう。私も百合のこと大好きだよ!」
その言葉と共に美術室の開け放たれた窓から強い風が吹きぬけた。
「私、強くなる。強くなるから!」
「うん。ずっと見てる。」
答えた彼女の声は百合には届かない。
「あれ、どこ?聞こえないよ・・・。」
返答をメモ帳に書き、彼女の手に乗せる。
「ありがとう。ありがとう。」
百合はその紙を握りしめながら涙を流した。しかしその瞳には強い輝きがあった。
赤く燃えるような夕焼けがキャンパスに描かれた大きな向日葵を照らし、百合を見守っているようだった。
百合は暫くそのまま泣いていた。
「ありがとう。行きましょう。」
彼女はきっともう大丈夫だと思ったのだろう、僕に声をかけて美術室を後にした。泣きそうなのを押さえて、強く前を向いている彼女を見て僕が泣きそうになったのを今でも覚えている。そして気づくとまたあの公園に着いていた。
「座りましょう?」
「うん。」
空はいつの間にか暗くなって、星が輝いている。そして彼女は星を見上げて呟く。
「私ね、誰かに嫌がらせをすることで、自分の中にあったモヤモヤを消そうとしてたの。でも、得られたのは一時の自己満足だけ。自分の中にぽっかり空いた何かは埋まらなかった。」
「うん。」
「でも、あなたに会えたの。あなたに出会って、百合ともちゃんと話ができた。だからね、もう、思い残す事は無いわ。」
「そっか。僕も君に出会って、変われた気がする。ほんのちょっとかもしれないけど・・・。」
「良かった。」
「僕、どうして君に話しかけたのか分からないんだ。でも後悔はしてないよ。」
「私もあなたにあえて良かった。きっと私たちが出会うことは、必要なことだったのよ。だから出会えた。」
「そうだね。僕もそう思う。」
「そうだ!聞いても良いかしら、あなたの名前。」
「うん、僕の名前は
「ええ、
「やっと聞けた。」
「ええ。やっと言えたわ。・・・そろそろ行かなくちゃいけないみたい。」
「葵のこと、忘れないから!」
「私も忘れない。・・・また、会えるかな?」
「うん。きっと会えるよ!待ってるから!」
「ありがとう。あなたに出会えて良かった。」
「ありがとう。僕も君に出会えて良かった。」
彼女は闇夜に溶けて消えてしまった。瞬く星のような輝きだけを残して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます