第5話 些細なことから
「えーっと、まず君が分かっていることは?」
「そうね、誰かの不幸になった顔が好きな事、本とひまわりと甘い物が好きな事・・・それから」
「あと夏が好きなんだっけ?」
「そうね。そのくらいかしら。」
今日は彼女の事について分かっていることをまとめる事から始めた。そしてつくづく何も知らないんだということを実感する。
「うーん何か手がかりがあれば良いんだけど・・・。」
「そういえば私は一人暮らしみたい。部屋は必要最低限の物しか無くて、何も分からなかったの。」
「そっか。」
いきなり手詰まりだった。本当に情報が少なすぎた。彼女一人では思い出せないのも納得だ。
「そうだ!今分かってることで何かしてみようよ。そしたら思い出すかも・・・!」
「今分かってることで?」
「うん。まず最初に、ひまわりを見に行ってみる・・・なんてどうかな?」
正直に言うと、きっと刺激になるはずだと思う反面ただ単純に彼女とこの公園以外のどこかに行きたいという気持ちもあった。
「いいわね!ここに居ても仕方が無いし、それに面白そう!」
彼女は本当に純粋な笑顔を見せる。
「よし!今から時間ある?僕良い場所知ってるんだ!」
「ええ!行きましょう!」
彼女は僕の三歩前を楽しそうに歩く。日傘をくるくると回して、ワンピースをふわふわと楽しそうに揺らしながら歩く。その姿はとても絵になって、なんだか画面越しの映像を見ているような気持ちになった。
「サンダルで大丈夫?ここからちょっと山道になるんだけど・・・。」
「平気よ。私結構体力あるみたい。全然疲れないから!」
「それは良かった。疲れたら言ってね。」
「ええ。」
目指す場所は公園から少し歩いた先の山の中腹。山道を心配したものの、本当に彼女は恐ろしく元気で逆に僕の方が疲れてしまっていた。
「ふふ。情けないわね、でもいい顔してる。」
「あはは・・・それはどうも。」
「あとどれ位かしら?」
「もう少し。そこの坂を上れば着くはずだよ。」
「楽しみ!」
彼女はちらちらと後ろを歩く僕を確認しながら先を小走りで進んでいく。そして僕より先に目的の場所に到着した。
「わあ・・・すごい。」
「でしょ?ここ僕の秘密の場所。中学生の時に見つけたんだ。」
目の前には一面のひまわりが咲き誇る。さわやかな黄色が僕たちの目に焼き付く。彼女はその光景に息をのみ目を輝かせていた。そして僕はその横顔から目が離せなかった。
「ねえ!すごいわ!!」
駆け出した彼女はひまわりを近くで眺め、あちらへこちらへと忙しそうに走っていた。僕はひまわり畑が見渡せる場所に腰をかけてその様子を眺めていた。凄く不思議な時間だった。夢だったのかもしれないと疑ってしまうほどに。
「私、こんなに沢山のひまわり初めて見たの。」
しばらくすると彼女も僕の横に腰をかける。
「僕もここを見つけたときはびっくりしてさ。誰かに自慢しようって思ったんだけど、もったいないから独り占めしてた。でも今日やっと自慢できたかな。」
「ありがとう。・・・私、何でひまわりが好きなのかしら。」
「思い出せそう?」
「思い出せそうで、でも思い出せない・・・そんな感じかしら。」
「そっか。でも喜んでもらえて良かった。」
「えーっと・・・何故ひまわりが好きだったのかしら。」
彼女は思い出そうと必死に百面相をしていた。
「まあ、そんなに焦らなくても良いと思うよ。」
「うーん。でも・・・あ、そうよ!!」
「思い出した?」
「ええ。たぶん・・・初めて育てた花がひまわりだったの!」
「へえ。」
「誰かと一緒に・・・育てた気がするのだけれど・・・思い出せないわ。」
「少しずつ思い出そう。今日は1つ収穫があったんだから上出来なんじゃないかな?」
「・・・そうね。」
彼女はたまにさみしそうな顔を見せる。何故なのか今なら分かるが、その時は全く分からなかったし、見過ごしていた。
「あら、もうこんな時間なのね。」
「本当だ。全く気づかなかったよ。」
僕たちは目の前の景色と記憶のことに夢中になって時間を忘れていた。公園を出発したのは午前中なのに、腕時計は午後3時を示している。
「そろそろ帰ろうか。」
「そうしましょう。」
彼女の動きは軽やかで、また僕の前を楽しそうに歩き出した。
「ねえ!」
彼女は唐突に振り返り僕に向けて言葉を送る。
「ありがとう!!」
悪戯に笑う彼女。吹き抜ける風。彼女のなびく髪。蝉の鳴き声。今でも全部鮮明に覚えている。
「ど、どういてしまして!」
「ふふ、照れてるのかしら?」
「いやいや!そんなこと・・・」
「あるでしょう?」
「・・・うん、まあ。」
「ふふ。楽しいわ。」
「そう?それなら良かった。」
たわいも無い話をしながら歩いた。いつもの公園まで。この暑さで外を歩く人も殆ど居なかった。僕と彼女の声が夏の張り付くような空気に吸い込まれていく。
「ここでいいわ。また明日。」
「うん。また明日。」
公園の前で分かれる。僕は、また明日というくすぐったい響きが好きでわくわくしながら家に帰った。
「あら、遅かったわね。」
「ああ、ちょっとね。」
母親がキッチンから僕に声をかける。先ほどまでの出来事で未だに声が上擦る。
「なあに?楽しそうね。」
「・・・そうかな?・・・そう、かも。」
「まあ、このままニート生活を脱出してくれるといいんだけどねー。」
「あー、はいはい。」
母親が僕の今の生活に不安を抱いているのは分かっていた。特に何に熱中するわけでも無くただただ毎日を過ごすだけの自分。また何かに夢中になれる日が来るなんて自分でも思っていなかった。しかもこんなに急に訪れるなんてきっと誰も思っていなかったのでは無いだろうか。
この出会いは確実に僕の未来を変えた。変えてくれた。
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