第32話.5-6
「どういうことだ、スミレ」
キイチの声には怒気が含まれていた。
スミレがあることを自白したのだ。それに対する怒りである。
「どういうつもりでお前は……」
キイチは怒りに任せて床を踏み鳴らし、ミカの側を通過。そのままスミレに詰め寄ると、その胸倉を両手で掴み上げた。
「お前、あいつを――ダダを警察に通報したって……。自分がなにをしたのか、わかってんのか! あいつが捕まったら、ヒロの言う条件が――」
「わかってる!」
スミレは怒鳴り返した。
「彼がヒロの自殺には欠かせない存在だってことくらい知ってるよ! わかってる! でも、もう限界なの……。もう誰かが死ぬとか、いやなの……」
スミレは俯いていた。しかし顎を伝って水滴が床に滴る。彼女は泣いていた。
「いやってお前……。じゃあヒロはどうなる! 死ねねえじゃねえか!」
「それがいやだって言ってんでしょ!」
「いやとか、そんな問題じゃねえだろ!」
夕日に染まった廊下に怒声が物悲しく響いていく。続いてスミレのすすり泣く声と、キイチの荒い息遣いが静かに広がる。
沈黙。
一〇秒ほどの静寂なのに、とても長く感じられた。
それを破ったのはミカだった。
「どうして?」
それは自然と口から溢れ出てきた。
「どうしてそこまでヒロさんに死んでほしいの? そんなにも怨んでるの?」
キイチに向けての言葉。
曲がりなりにも、ずっと一緒にいた仲じゃないのか。
なのにどうしてそこまで死を望むのか。
キイチはスミレの胸倉をゆっくりと放し、背中を向けたまま答えた。
「ミカ。お前は、俺がヒロを怨んでるように見えるか?」
「え?」
それは、つまり……。
「初めから怨んでねえよ」
「じゃあどうして……」
「あいつが――ヒロがそれを望んでたから以外にあるかよ!」
怒鳴るキイチ。その背中は震えている。
「あいつには死ぬ理由が一つでも多く必要なんだ。死なせてやらないといけないんだ。少なくても、俺にはあいつを苦しみから救ってやれない」
「だから芳野さんの希望を叶えようと……。じゃあ本当に怨んでないの?」
問うと、キイチは肩越しに振り返った。
「怨んでる奴と何年も笑い合えるわけねえだろ」
ミカは、そのときのキイチの表情を初めて見た。あらゆる悔しさを食い縛りながらも耐え、それでも溢れ出てくる涙に頬を濡らしたその表情を。
きっとキイチも苦しんできたのだろう。
出来るなら救ってやりたい。でも、その方法がわからない。そう懊悩しながら、自殺へと向かう友人を見守るしかない不甲斐なさを呪っていたに違いない。
でも、やっぱりその選択は間違っている。
ミカはぐっと奥歯を噛み締めた後、意を決した。
もしも水瀬ミカにも役割があるというのなら――。
もしも芳野ヒロが水瀬ミカを必要と感じて巻き込んだのならば――
――それは決して、彼女が自殺するための条件なんかじゃない。
だから言うんだ。
心のままに言葉にするんだ。
そう心に言い聞かせ、ミカは声を発した。
「私のお父さんもお母さんも、私に遊んでほしがってた」
こんな語り出しで良かったのだろうか。
そう思いながらもミカは続けた。
「私は家族に遠慮してた。だから友達と遊べなくて、その言い訳に店の手伝いをしたりしてた。でも、それは間違ってた。こんなことを子供の私が言うのは変だけど、きっと親は子供に楽しい人生を送ってほしいと思ってるよ。転んで、泣いて、それでも立ち上がって、また笑いながら歩いてほしいって思ってるよ。友達と喧嘩して、許し合って、仲直りして、肩を貸し合って、助け合ってほしいと思ってるよ。……きっとその気持ちは、芳野さんのお母さんだって同じだよ」
こんな言葉で良かったのだろうか。
そう思いながらも、言いたいことはすべて言えた気がした。
スミレが顔を上げる。目を丸くしていた。何かに気付いた顔。キイチも同じ顔をしていた。
その時である。
校庭から悲鳴。いったい何だろうかとミカは校庭の見える階段の踊り場に移動。そこに備えてある窓から様子を窺った。校庭に、学校に残っていた生徒達の野次馬。十五人程か。いったいどうしたのだろうかと疑問に思ったミカとは対照的に、キイチはまさかと悟った様子。
「なに? いったいなにがあったの?」
「ヒロの自殺は、今日。場所は、校舎の屋上だ」
「まさか……」
三人は飛び下りる勢いで階段を駆け下りていった。
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