第23話.4-4
不気味に聳えるコンクリートの雑居ビル。普段はその建物に大した感慨は受けないのに、今はRPGゲームの魔王の宮殿を彷彿させられた。
ケイとキイチは揃ってビルへと足を踏み入れた。
外が暗いと、屋内はまったくの暗闇に包まれ、数メートル先もろくに見えない有り様である。なので壁伝いに電灯のスイッチを探し、見つけたのでカチッと動かした。が、明かりはつかない。どうやらこの建物には電気が通っていないらしい。このままでは捜索もままならない。面倒だが、出直すしかない、と思ったとき、パッと電球色の光の円が壁に浮かんだ。それはキイチが持っている懐中電灯によるもので、コンビニの商品を拝借したそうだ。
「ほれ、お前の分だ」
もう一つの懐中電灯をケイに渡すと、キイチはすぐに次の提案をした。
「じゃあ二手に分かれるぞ」
「二手に?」
キイチは天井を見上げる、見えもしない雑居ビルの全貌を見渡すように。
ビルの階数は五階。階段は建物の端に一つで、エレベーターは電気が通っておらず使用不可。一階のみ部屋無しで、二階から五階までに五部屋ずつが備わっている。単純計算で二〇部屋だろう。
「一応、屋上も数に入れないとな。じゃあ俺が二階と三階。ケイは四階から上だ」
「でもキイチ、やっぱり危険じゃないか。ここには犯人がいるかもしれないんだろ?」
「ケイ、今は一刻を争っている時なんだぞ。そもそもここにスミレがいるとも限らないんだ。もしもいないなら、すぐに次の場所を考えないといけない」
状況を理解しろとキイチは重ねて言った。
ここまで言われては、さすがのケイも従うだけである。
前を見る。真っ直ぐに延びた廊下の先にエレベータが一台あり、そのすぐ脇には非常階段が設置されていた。
二人はその廊下を進む。
聞こえてくるのは心音と足音だけ。外の騒音すら、今は壁の向こうの世界だと教えられているようで疎外感を受ける。その中でも平静で居られるのは、隣の友人の御陰か。
二人は揃って階段を上がっていき、キイチは二階に着くや行ってしまった。廊下の闇の中で、キイチの懐中電灯の光だけが捜索するような動きで縦横無尽に走っている。
ケイは階段を使って四階を目指した。
四階も二階と同様の造りだった。いや、一階以外すべての階が同じなのだろう。暗闇までも同様に再現しているのだから
ケイは四階に着くと、階段に近い部屋から順々に調べていった。もちろん必要以上の物音は立てない。この建物には犯人がいるかもしれないのだ。ただ、窓からの淡い斜光で思いのほか部屋の中は明るく、電灯で照らさなくても人影程度ならば視認できる。その上、デスクなどの邪魔な物も無いので、捜索は流れ作業的に行えたことに加え、犯人が物陰に隠れているかもしれないと警戒する必要もなかった。
ケイは四階の最後の部屋を出て、次は五階に向かった。
五階も他の階と同じ造りで、廊下の片面に部屋が並び、全てのドアが閉まっている。
まずは階段に近いドアを開く。広さまでも同じなんだな、と思いつつ懐中電灯を部屋の隅々にまで照らした。この部屋にも誰もいない。そう判断して次の部屋へ。
そうして順々に調べていく中、ケイは焦り始めていた。
ここまで来て、スミレがいた形跡すらない。もしもこのまま見つからなければ、次はどうしたら良いのだろうか。
「この部屋にも……いない」
とうとう次が最後の部屋。そこにいなければ、いよいよ振り出しだ。
ケイは祈るような気持ちで最後の部屋へと踏み入った。
そして。
その部屋に人影をひとつ見つけた。窓から差し込む斜光がその人物を明かす。両手両足をガムテープで拘束され、横たわる少女。その容姿からして間違いない。
「スミレ!」
ケイは駆け寄り、彼女を抱き起こした。それから口のガムテープを剥がし、手足の拘束を解いていく。怯えた感はあるが、外傷は無さそうで安堵の吐息が零れる。
「悪い、遅くなった」
「ううん、ありがとう」
「大丈夫だったか?」
「うん、なんとか……」
いろいろと問題はあったが、こうして無事に救出できたのは喜ばしい。今更だが、本当にこのビルに監禁されているとは思わなかった。たしかに可能性の中では最も高かったが、それでも可能性は半々もないと思っていたのだ。
「にしても、本当に見つけられて良かった」
ケイはふたたび安堵の吐息を洩らし、そしてふと思った。
「そう言えば、犯人はいま何処にいるんだ?」
そうしてスミレを立たせようとしたとき、彼女の視線が僅かに動いてケイの背後へと向けられた。瞬間、その表情が安堵から驚愕のものへと変化。それに気付いたケイは、背後へと振り向こうとして――ガンッと後頭部を強打されて瞬間的に気を失う。
「離してッ!」
その声でケイはすぐに覚醒。瞬間、胸中にしまった、と愕然としたものが広がった。廊下に出る。真っ暗な廊下の向こうから、不揃いの足音が二つ。おそらく抵抗するスミレの腕を引いて、誰かが走っている。その足音から伝わってくる感情は焦り。ケイは舌打ち。油断した。スミレを取り返したと早々に決め付け、油断してしまった。
「クソッ!」
ケイは駆け出し、すぐに階段に着く。上か下か。どっちに行ったと思案する。と、階下から足音が上がってくる。キイチだった。ケイは階上の屋上へと駆け上がっていく。下からキイチが来ているのならば、犯人は下に行けない。だからこそ袋小路の屋上に逃げるしかなかった。焦りが生んだ、逃げ一辺倒の思考がそうさせたのだろう。同時に、上から扉の閉まる音。いよいよ確信を抱く。屋上へ着き、錆び付いた鉄製の扉を開け放つ。すると、まるでその瞬間を待ちわびていたように風が正面から刺すような勢いで吹きつけた。ケイは思わず瞼を閉じ、次第に弱まる風力に合わせて目を開けていく。真っ暗な空。ビルの欄干の下から街の陽気な音と光が湧き上がってきている。その光に照らされて、欄干の側に前後に重なった二つのシルエットがあった。
背後の犯人――仲濱の腕に抱かれたスミレ。彼女は怯えた表情を浮かべている。
遅れてやって来たキイチは、現状を見て理解。下手な動きは取れない。当然、それはケイもわかっていたのだが、感情が暴走し掛けていた。
「仲濱さん。あんた、自分が何をしてるのかわかってんですか」
「もちろんだよ。と言うよりも、きみらこそなんなの? 人のことを追い掛けてきたりしてさ。そう言うの、ストーカーって言うんだよ」
「ストーカーはテメエだろうがッ!」
ケイの怒号が屋上に鳴り響いた。
それに仲濱は一瞬だけ怯んだが、張り合うように叫び返す。
「うるさい、うるさいよオマエッ! ストーカー野郎は黙って……」
「黙れッ! いつもスミレを付けてたのはテメエだろうがッ!」
「好きな人が安心できるように見守ってなにが悪いッ!」
「何が安心だ! テメエは恐怖しか与えてねえだろ!」
憤怒の形相を満面に刻みながらケイが踏み出した。が、触発されて仲濱が動く。
「動くなッ!」
ピッと抜き出した刃渡り一〇センチ程度のバタフライナイフ。それをケイへと差し向けた。その鋭い光に当てられ、スミレの視線がナイフに釘付けになる。
ケイはピタリと立ち止まり、口惜しそうにキイチを見た。キイチは動物を刺激しない緩慢な動作で首を振る。仲濱は明らかに興奮状態に陥っている。下手に刺激をして、切っ先がスミレに向かないとも言い切れない。ケイはぎりぎりと奥歯を噛み潰すと、気を鎮めるように深呼吸をし、改めて仲濱に向き直った。
「仲濱さん。話してもらえますか」
「話すってなにを?」
「仲濱さんが連続殺人犯であることは知ってます。だから聞きたい。どうして人殺しなんてするんですか。何人も何人も、それも女性ばかり。そして、それがスミレを付けてたことと関係するんですか? 教えてください」
「それより、なんで僕が連続殺人犯だと思ったの?」
「……」
「だんまりか……。まあいいや、正解だしね」
興奮状態にあった仲濱だが、ケイが落ち着きを取り戻したことによって平静を取り戻したのだろう。しばしの思案の末、語り出した。
「恋って素晴らしいと思わないかい、藤崎くん。僕はね、素晴らしいと思うんだ。そして若い頃ほど、純粋な恋を謳歌できる。何故なら、若い子は純粋だから。そんな純粋さが僕は好きなんだ。だからそのままで、純粋なままでいてほしい。でも人って老いるよね。それが許せないんだよ。特に、僕が好きになった女性が老いる姿なんて、絶対に見たくない。じゃあどうするかと言えば、もう殺しちゃうしかないよね」
「……はあ?」
あまりにも突飛な発想にケイは唖然とする。
しかし仲濱は構わず語り続ける。
「人はね、死ぬとそこで時が止まるんだ。ほら、幽霊って死んだ当時の姿をしているって言うでしょ。あれだよ。だから僕はね、好きになった子の時間を止めてあげるんだ」
「ま、待ってください。ぜんぜん理解できないんですけど」
「それは藤崎くんが恋をしたことがないからだね。恋はちゃんとしないと、この気持ちは理解できないよ。時が止まってほしいなんて、恋をしてないと体験できないよ」
ケイは理解できないと頭を振ったが、ひとまずそれは脇に置いておくことにした。
「わかりました。じゃあどうして殺した人の写真や動画を撮って、それを被害者とゆかりのある人に送りつけるんですか?」
「被害者はやめてくれないかな? それだと僕が悪いことをしているみたいでしょ」
「……わかりました。殺した人とゆかりのある人に、どうして送りつけるんですか?」
「僕が優しいからだね」
「はあ?」
「だって死とは、ある意味で旅立ちの時じゃない。卒業式に写真を撮るでしょ? そういう節目節目で記録を残すのって、そんなにおかしいことかな? 僕はね、その節目の記録をわざわざ送ってあげてるんだ。いや、べつに感謝とかは要らないよ。自己満足でしてることだって、ちゃんと自覚してるからね」
「じゃあ惨たらしく殺したり、その画像なんかをネット掲示板に投稿するのはなんでだよ」
言ったのはキイチ。怒りをどうにか抑えている声だった。
「ネット掲示板? ……もしかして、あのサイトのことを知ってるの? それも、僕が画像を投稿していることも? ああ、なるほど。だから僕が連続殺人犯だと思ったわけか。……それで、なんで知ってるの?」
「あんたの部屋に入った」
「え、それって駄目じゃん。勝手に人の家に入るのは犯罪だよ。まったく、これだから最近の子は……」
さも些細な問題だというように仲濱は首を振った。
「っで、どうやって入ったの?」
「鍵が開いてたんだ。だからそのまま……」
「あらら、閉め忘れちゃったのかな? まあいいや……。見られたのなら答えないとね。答えは単純。ゆかりのある人の心に、より深く刻まれる殺し方をしてるだけだよ。絶対に忘れられないようにね」
「トラウマを刻み込むために、惨たらしく殺してるってことか」
「その、惨たらしくって言い方はやめてほしいね。もう一度だけ言うけど、僕は大切な人のことを忘れないようにしてるだけなんだから」
「それで、どうしてネット掲示板に登校する理由はなんだよ」
「人の話は無視? まあいいけど……。求めている人がいるからだよ。これでも僕は自覚してるんだ、自分が社会的に受け入れられない人格の人間だって。でもね、そんな人間でも理解者はほしいんだ。少なくとも、あのサイトにいる人達はみんなそうだ。だから僕は、きみ達の理解者はここにいるよって、率先して示してあげてるんだ」
まるで自身の行いは尊いとでも言いたげな仲濱。
そのことがケイには苛立たしくて仕方なかった。
こんな奴にヒロは殺されたのか。
こんな意味不明な理由でアヤは殺されたのか。
殴り飛ばしたい。殺してやりたい。そんな激情を理性でどうにか抑えつける。
「わかりました、仲濱さん。じゃあ、スミレをどうして攫ったんですか?」
ケイの問いに、仲濱の表情がすこし険しくなった。
「攫ったとか、そういう言葉はやめてくれない? 僕はさ、べつにスミレちゃんを悲しませる気なんてないよ。だって、僕はこんなにもスミレちゃんを愛しているんだもの」
なにを言っているんだ、こいつは……。
そう思いながらも、ケイは会話を続ける。
「わかりました。じゃあ、どうしてスミレに手紙を出し始めたんですか? 今までそんなことはしていなかったのに」
「だって、最近のスミレちゃん、コンビニに来てくれないしさ、そうかと思うとそこの彼――浅見くんだっけ? 彼とデートしてるしさ。これじゃあ駄目だって、手紙を書くことにしたんだ。僕の有りっ丈の気持ちを載せた手紙を」
「わかりました。仲濱さんはスミレが好きなんですね。どうしてですか?」
どうしてスミレを狙うのか。
そんな棘を言葉の陰に潜ませる。
無論、仲濱がそれに気付くはずもない。
「そりゃあ好きになるでしょ。毎日ちょっとの金で客を王様扱いして、シフトはバイトの我がままを聞きつつ製作して、売り上げのために汗水垂らして、それでも上からは数字を要求されて働かなくちゃいけない。そんな疲れている僕に、スミレちゃんは優しく微笑みかけてくれる。男なら好きになって当然でしょ? っで、好きになったからには、その純粋さを永遠のものにしてあげたい。だから……」
ナイフがスミレの首に当てられる。
「やめろ!」
ケイの制止の声に仲濱は止まった。
「なに? まだなにか話すことがあるの?」
ケイは考える。
どうする。どうすればこの状況を打開できる。考えろ。考えろ。
スミレから声が洩れ出したのは、そんな時だった。
仲濱がなにを言ったのかと尋ね、そして耳を傾けた。
スミレは目元を涙で濡らしながら声を出す。恐怖に締め付けられた喉から、どうにか自分の意志を吐き出そうと掠れるような声を絞り出す。
「……でない」
「え、なに? もう一度言ってよ、スミレちゃん」
スミレの顔を覗き込もうとした仲濱。
次の瞬間、スミレが意を決した。
「そんなこと、頼んでないって言ったのよ!」
スミレは覗き込んできた仲濱の顔面に頭突きを叩き込んだ。痛みに唸る仲濱。思わずスミレの体を放し、背後の欄干によろりともたれ掛かる。が、スミレがケイ達の方へと駆け出したのを見て怒鳴り声を上げた。身を竦めるスミレ。足が止まってしまう。しかしその側を二つの影が走り抜けた。ケイとキイチ。二人はナイフを振りかざす仲濱に向かって疾走。迎撃のナイフを振り下ろす仲濱の腕をキイチが押さえ、そこにケイが駆け込む。右拳を固く握り締め、思いっきり顎を殴りつけた。その威力に仲濱の体がぐるんと回り、そのまま地に伏す。動かない。キイチが恐る恐る確認する。昏倒。意識を失っているようだ。
ことは一瞬のうちに済んだ。
安堵の息を洩らすキイチ。
その側で、ケイはスミレへと歩み寄る。
彼女は呆然とへたり込んでいた。
本当にすべてが終わったのか。そう自問しているように見えた。
そんなスミレの頭をケイはポンポンと叩く。すると彼女はゆっくりと顔を上げた。目元が赤く腫れ、神経を擦り減らした疲れ顔。どれだけの恐怖を味わったのだろうか。おそらくは、ずっと心細かったに違いない。
ケイはスミレを見ながら何を話すべきか考え、照れを隠すように笑った。
「もう大丈夫だから」
途端、眉先が下がって唇がへの字に曲がり、スミレの顔は崩れて涙が溢れ出す。そうかと思うと手の平で顔を覆って俯き、しゃくり声を出す。震えて上下する肩。指の隙間から洩れ出す涙が腕を伝って肘に溜まり、雫となって地面に落ちたのだった。
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